第九章「初恋」第百七十話
サートゥルナーリア祭七日目 最終日。
シッラとリッラが牛のバターを使って作った、ガチョウの肝臓料理フォリ・アグラスは、あっという間になくなってしまい。コッケイウス氏族のネルウァ様は、これからはガチョウの養殖場だ!と息巻いてられた。
「うーん。」
「あ、お姉ちゃん。おはよう。」
「リウィッラ?あんたなんでこんな早くから起きてるの?」
「だって、今日はサートゥルナーリア祭最終日だよ。ロウソクいっぱい用意しないと。」
「あ、そうだった。」
まだまだ私が幼かった頃は、祭り好きなローマ市民でも厳粛な想いはあった様で、サートゥルナーリア祭の最終日にはロウソクに火を灯して、静寂さを楽しむ時間があった。意外に思われるかもしれないが、あの派手好きなカリグラ兄さんが現皇帝ティベリウス様の後に帝位についた後に、サートゥルナーリア祭を七日間から五日間に短縮しようとしたが、市民から猛反対を食らう事になる理由には、この最終日が当時の市民にとってまだまだ大切な儀式だったからかもしれない。
「リウィッラ、ジュリアの作ってくれたロウソク、あんまり使いたくないな。」
「どうして?」
「だって、これとっても可愛いんだもん。」
「ロバの絵に、豚さん、牛の絵って、これって全部生贄の絵じゃん。」
「あはは、本当だ。あの娘らしいな。」
「え、どういう事?」
「ほら、ジュリアは生きている動物をむやみに殺すの好きじゃないでしょ?でも、神々に捧げる生贄は本物でなければいけない。だから、苦肉の策なんだろうね。」
「ジュリアさんて、本当に心優しいんだね。」
あの娘って意外に反抗的なんだよね。自分の信じている物にまっすぐというか、脇見を絶対にしないというか。でも、それが彼女の最期を悲惨なものにしてしまったのも否めないけど。
「お姉さん、リウィッラ、用意はできた?」
「ドルシッラお姉ちゃん、おはよう!アグリッピナお姉ちゃんはジュリアの作ったロウソク使いたくないって言ってるよ。」
何を言ってるの?ってな表情で、ドルシッラは私にため息を漏らしてる。
「お姉さんって、本当に生まれつき贅沢に育ってるんだから」
「そう?」
「そう。なんでも身の回りには揃ってるのが当たり前って思ってるでしょ?」
「そんな事ないって」
きっとドルシッラが言いたかった事は、私が考えている以上に深い意味だったのかもしれないけど、私が贅沢ならあんたも贅沢に育ってるんだから。ドルシッラ、あんたはゲルマニクスお父様が亡くなるまであまえられてたでしょ?あんたの贅沢こそ、私には二度と手に入らないのよ。
「ほら、あんた達!何を喋ってるの?既にお兄様達は捧げ物を取りに朝早くから働いているのよ。ローマの女性たるもの、家の守り神ラレース様の為に祭壇を綺麗に磨いておくものよ」
母ウィプサニアが私の寝室に慌ただしく手を叩きながら入ってきた。母は私を見つめたまま何も言わなかったが、こんな私でも恋をすれば女である事は母親にはバレバレであり、軟化した彼女の態度が妙にくすぐったい感じ。
「さぁ、リウィッラおいで。お母さんと一緒にドムスの掃除を奴隷達にさせるのよ」
「はーい!」
リウィッラはやっぱり末っ子だ。生意気な言葉遣いだけど、結局母親に抱っこされて連れてかれてるのだから。すると、次女のドルシッラがジッとこっちを見ている。なぁに?
「お姉さん、最近お母さんと仲直りしたの?」
「はぁ?」
「なんか、最近目を合わせる事が多くなったような気がする」
こういう所はあざとい性格の妹。そして決まって私があどない振りをする。
「気のせいよ」
「嘘、アグリッピナ姉さんは最近明らかに変わった。やっぱりアラトス王子のお陰?」
「もう!」
でも、やっぱりそれはあるかも。
アラトス王子のお陰で、私はいつしか自分の心のか弱さを知った。でも、心地よいの。そのか弱さを王子の輝くような笑顔や夏の微風のような声で包んで欲しいの。そう、あのギリシャ語で…。え?!
「だから!パッラスお兄様はそのような対応に、些か不必要な心配事をご自分に課せられ過ぎてらっしゃる。」
「しかし、フェリックス。貴様のあらゆる方面においての不安材料を推敲する思考は、取り越し苦労とも思えぬか?」
「その部分の議論については同意し兼ねます、パッラスお兄様。」
何なのこの二人?!
スラスラと綺麗で丁寧なギリシャ語で会話しているじゃない。しかも、ラテン語ではとっても野暮ったい雰囲気にしか見えない奴隷達なのに。
「パッラス?」
「あ、アグリッピナ様。」
「え?アグリッピナ様なの?どうしたんです?」
まただ。
ラテン語に戻るととっても野暮ったい。
「あんた達って、まさか?!」
これが後に思わぬ事へ発展していく事になり、パッラスとフェリックスの兄弟を解放奴隷からローマ国家の官僚へと大出世した起因になる。そして、私とパッラスとの、一生涯結ばれる事のない愛の始まりでもあった。
続く