第九章「初恋」第百六十一話
サートゥルナーリア祭五日目 朝。
ずっと泣き明かした情けない長女一人。
「まぁー!珍しいわね。」
「ええ、アントニアお義母様。ずっと一人で部屋に篭って泣いてたそうなんです。」
「あの勝ち気で男勝りのアグリッピナが?信じられない。どうしたのかしら?」
「ネロ、ドルスス。あんた達は兄弟揃って、サイコロ賭博で容赦無くアグリッピナをコテンパンにしたんじゃないの?」
「違いますよ、お母様。なぁ?ドルスス。」
「うん、ネロ兄さん。僕達は正々堂々とちゃんと勝負しました。観客のみんなだって証人ですよ。」
「それにしたら、どうして食事も取らないで泣いてるの?あの娘、そんなに賭博で負けたのが悔しかったのかしら?」
「でしょうかね、アントニアお義母様…。」
そんなんじゃないんです、お母様。
母ウィプサニアの声は、しっかりと壁一枚を隔てて私の寝室まで聞こえてくる。みんなが私を心配して、寝室の外で集まってる。本当は泣き過ぎて目が腫れぼったくなってしまって、今度は出るに出れなくなってしまったのです。こんな顔、アラトス王子には恥ずかしくて絶対に見せられない。
「おーい!アグリッピナ。お兄ちゃんと木登りしよっか?」
ネロ兄さん、ごめんなさい。
今はそれどころではありません。
「ダメだな、反応無いな。」
「木登りあれだけ大好きなのに、全く無反応って。」
「おーい!アグリッピナ!果物あるぞ!」
ドルスス兄さん、ごめんなさい。
今は喉に何も通らないほど辛いのです。
「やっぱり引っかからないか。」
「食い意地あるのは、ガイウスの方だしさ、ネロ兄さん。」
「あ、そっか。」
するとそこへカリグラ兄さんがやって来たみたい。
「仕方ない、ネロ兄さん、ドルスス兄さん。僕があいつを怒らせてみるよ。」
「本当か?ガイウス?」
「簡単だよ。あいつは能天気で頭ん中がバカだから、怒らせたら、すぐに扉開いて怒鳴り散らすって。おーい!おたんこなすアグリッピナ!意気地なし!出て来いよ!」
なんですって?!
もう!カリグラ兄さんっていちいちムカつく。でも、アラトス王子にそんな姿見せたく無い。
「ありゃありゃ?全く返事が無いや。死んでんじゃないの?」
「ガイウス!何て縁起でもない事言うの?!」
「ごめんなさい。」
「とにかく、私やアントニアお義母さんは、アグリッピナが元気になってくれさえすればいいから。」
「そうね、普段元気な子が元気が無いと、調子狂っちゃうしね。」
「あの…。」
「なぁに?ジュリア。」
「ここは、私に任せていただけませんでしょうか?」
「ジュリアさんならきっと大丈夫!」
「本当に?ドルシッラ。」
「うん!お母様、ジュリアさんならお姉ちゃんと仲が良いからきっと大丈夫だって。」
「リウィッラ、本当に?」
「はい、アントニア様。」
「それじゃ、若い女性の貴女達三人に任せましょう。さぁ、ネロ、ドルスス、ガイウス、行きましょう。」
ジュリアとドルシッラとリウィッラを残して、他の人達は去って行ったみたい。ジュリアは音も立てずに扉の隙間から細いかんぬきを取り外して、閉じこもってた私の寝室に侵入してきた。
「アグリッピナ様、入りますよ…。」
「ジュリアーーーーーーーー!」
私は堪らずジュリアに泣きついた。彼女は優しく私を抱きしめて頭を撫でてくれる。
「まぁまぁ、こんなに腫れぼったく目を赤らめちゃって。どうしたんですか?」
「恥ずかしいの。もう辛いの。苦しくて、生きていけないの。」
「お姉ちゃん、そんなに苦しいんならウンチだしてきたら?」
「こら、リウィッラ!」
ポカっ!
ドルシッラはゲンコツでリウィッラの頭を叩いた。
「アグリッピナ姉さん、ひょっとしたら…好きな人できたんじゃないの?」
ギク!
ドルシッラ、なんて鋭い妹。
「えええ?!そうなんですか?アグリッピナ様?」
「ええ?!私、当てずっぽうで言っただけなんだけど、姉さん本当なの!?」
「お姉ちゃん?!誰誰誰?」
私はとっても恥ずかしくて。
でも、抑えきれないこの気持ちを誰かにも伝えたくて、ボソボソっと呟いた。
「アラトス王子…。」
「え?誰?」
「あああ!昨日お姉ちゃんだけに賭けてたアカイアにある小国の王子だ!」
「あのお方ですね?!とても喋り方に品があって。」
ジュリア、ドルシッラ、リウィッラは一同に驚いていた。でもしばらくすると、三人は私がなんで寝室に篭っているのか不思議がってた。
「そりゃあ、お姉ちゃんは昨日負けちゃって、好きな王子からそんな風に言われたらショックだろうけどさ。だからって部屋に篭って泣き続ける事無いじゃん。」
「そうそう、リウィッラの言う通りよ、姉さん。好きな人ができたんだから、いつものように堂々と胸はっていればいいじゃないの、ねぇジュリアさん?」
「そうね…。確かにリウィッラちゃんやドルシッラちゃんの言う通りかもしれないけど、フフフ…部屋を出たくない理由はもう一つありそうですね?アグリッピナ様。」
ギク!
さすがジュリアは私の性格を熟知している。私は頷いた。
「きっと腫れぼったくなってしまった目を、アラトス王子様には見られたく無いのでしょう。」
「お姉ちゃん…。」
「姉さん…。」
するとジュリアは優しく頷いて、私の背中を摩りながら、ある宣言をしてくれた。
「よーし、リウィッラちゃん、ドルシッラちゃん。アグリッピナ様のオシャレ改造計画を実行しましょう!」
続く