第三章「母」第十五話
赤子。
私が生まれて初めて感じた印象は、本当にその言葉しかなかった。透き通るような白い肌が陽の光を浴びると、薄く赤みを帯びたベールに包まれ、粒らな青い瞳が何度も瞬く。神秘的な輝きを醸し出している妹リウィッラの存在は、私達ユリウス家にとっての新しい財産になった。ネロお兄様、ドルススお兄様、私、ドルシッラは、リウィッラを抱えたお母様とみんなで中庭に集まっている。それは一時的にお母様たちが戻ってきて、ゲルマニクスお父様とカリグラお兄様だけがシリアに留まってらっしゃてるからだ。
「おかーたま、また笑った。」
「本当だね、また笑ったね。」
妹のドルシッラはレスヴォス島から帰ってきたら、いつの間に言葉を覚えて話すようになっていた。これもまた私にとって財産に思えた。ドルシッラが話せる事は、私の中で姉という役割を持たせてくれるから。もう、お転婆なだけではいけないんだわ、などと勝手におませになってただけかもしれないけれど。
「リウィッラって、お母様のお腹ん中から生まれたんですよね?」
「ええ、ドルスス。子供は母親のお腹の中で九ヶ月の間過ごすのよ。」
「って事は、肉の中から生まれてきたってことでしょう?うえ、気持ち悪い。」
「あはは、貴方だってそうやって私から生まれてきたのよ。そうそう、一番なかなか出てこなかったのは、貴方だったはね?ドルスス。」
「うげ!」
ドルススお兄様は気持ち悪いと言ったが、私はとっても神秘的で愛に満ち溢れている事だと感じた。お母様は心から幸せだったに違いない。愛するゲルマニクスお父様との結晶とも言える愛を、自分のお腹の中で何カ月も育める事ができたのだから。私もいつか愛する男性と巡り逢い、愛の結晶を自分のお腹の中で育める事を想像した。そうなると、やっぱりお父様のような優しく情け深く強い男性がいい。
「ユリア、リウィッラを抱いてみる?」
「わ、私がですか?お母様。」
「ええ、貴方だっていずれ母親になるのですから。」
私がおどおどしていると、お母様の腕の中に抱えられたリウィッラが突然泣き出した。お兄様達と私は慌てふためいたが、ドルシッラだけはなぜか全く動じずリウィッラの口に自分の小指を舐めさせていた。
「おかーたん、おっぱい、おっぱい。」
「はいはい、良くできましたねドルシッラ。リウィッラはお乳が欲しいのですね?」
するとお母様は、私達が目の前にいるのにも関わらずストラの間から、豊かな乳房を出しては泣き喚くリウィッラの口元に押し付けた。まだ何も理解していないようなリウィッラでも、お母様が注ごうとする母乳をすがる様に食らい付き、勢い良く喉と口を動かして飲み始める。
「貴方達も、こうやって育ってきたのよ。」
「おかーたん、おっぱい。」
ドルシッラはおもいっきりはしゃいでいたのだが、お兄様達は茫然としてしまっている。今考えればあの頃のお母様は、本当に私達兄妹に実践しながら家族のあり方や、人間愛の在り方を教えてくれたのだと思う。お兄様達は自分達の頬を赤らめて見ていたけど、私はなんだか母性愛と神々しさと色気を感じてしまった。リウィッラが乳房から納得して離れると、お母様は器用にストラの中へ美しい胸を戻して私へニッコリ微笑む。
「はい、ユリア。もう大丈夫だから両腕をまん丸の輪にしてごらん。」
「両腕を…輪にですか?」
「ええ、おっきな太陽神アポロ様を描くように…。」
私が両腕でおっきな輪を作ると、リウィッラの首の位置だけを気にしながら、お母様はスポンとその上に乗せた。後は腕の輪の大きさを調整してくれると、あるところでピタッとリウィッラを包み込む場所に当たってくる。そしてびっくりするほど柔らかく、リウィッラが私を安心してくれているのが分かった。
「よく覚えておきなさいユリア。この輪の大きさは、色んな人によって違うのよ。」
「はい、お母様…。」
と、答えてみたものの、その大きな意味は当時分かってなかった。ただ、お兄様達よりも先にリウィッラを私に抱かせてくれた事は、女の子として大切な事なんだろうなっと感じたことだけは覚えている。お兄様達もリウィッラを抱っこしたいと言い出し、お母様は私からスッと妹を持ち上げて、私とは違った方法で、丁寧に赤子の抱え方を教えていた。まだ、私にはじんわりとあの輪の感覚が残ってる。
「ウィプサニアちゃん?いるかい?」
ああ!ドルスッス様の声だ!
私は懸命に玄関へ向かって走り出した。お父様の実の妹であるリウィッラ叔母さまの旦那様。そして、お父様の次に憧れている、私の理想の男性像。その笑顔はお父様と同じように時期皇帝継承だけあって、常に輝いていた。
「おお!ユリアちゃん、相変わらず元気だね。」
「ドルスッス様も、ご機嫌麗しく…。」
「おや?随分と淑女らしくなったね!」
お父様とお母様がレスヴォス島へいかれていた間、私はリウィッラ叔母様から、お化粧の仕方や淑女のマナーを楽しく愉快に学んでいた。ドルスッス様はいつものように目線を私に合わせて微笑んだ。
「さぁ、これからみんなで父に会いにいくぞ!」
私はこうして初めて、時の二代目皇帝であるティベリウス皇帝陛下に会う事になる。
続く