第八章「暗雲」第百四十一話
木漏れ日の中、私と末妹のリウィッラは、ぱっかりYの字に割れた枝に横たわっていた。リウィッラは一丁前にも私の真似をして、両手を枕にして偉そうに目を瞑ってる。
「どう?リウィッラ。気持ちイイでしょう?」
「うん、風が吹いてきてすっごく気持ちイイ…。」
「あんたがお母様のお腹の中にまだいた頃、私はしょっ中木登りして、お母様に怒られてたんだから。」
「あはは、アグリッピナお姉ちゃんらしいや。」
「らしいやって、あんた生意気だよ。」
「べーっだ!」
やっと出てくれた。
リウィッラの意地っ張りな舌出し。これがないと、何となく調子が狂っちゃうんだよね。
「ねぇねぇお姉ちゃん。さっきのどうやってやるの?」
「ああ笛か、葉っぱ一枚とってごらん。」
「うん、とったよ。」
「よっし、そしたら…真ん中に、ちょっとだけ穴あけて、二本の指でこうやって挟んで、後は吹くだけ。」
「うーん。うまく出来ないよ。」
「それじゃ両端を両手で持ってごらん。」
「うん、こう?」
「そうそう。」
すると、勢い良くピューっと抜けるような綺麗な音色が風になびいた。
「上手い上手い、リウィッラ最高!」
「エヘヘ。まだ両手だけど、いつかお姉ちゃんみたいに片手でできるようになりたい。」
「こんなの、あんただったらすぐできるよ。これを吹いたら、どんなに眠れないときでも安心して寝れるよ。」
「本当に?」
「ああ。お姉ちゃんが嘘ついた事あるか?」
「ない。」
「じゃあ、もっと吹いてごらん。」
木登りをしていると、心が穏やかになって素直になってくる。だから、私は暫く目を瞑って、リウィッラの心が自然と開くのを待っていた。
「アグリッピナお姉ちゃん。」
「うん?」
「満月の夜これ吹いたら、もう大丈夫かな?」
満月?
何じゃそれ。
「満月の夜にアルテミス様が私の所にやってくるの。絶対に目を開けちゃいけないって言われて、そして私をいじめるの。」
アルテミスとは、ギリシャ神話に出てくる狩猟・純潔、そして月の女神の事。私はそれほど信心深いわけではないから咄嗟にリウィッラが言っていることが分かった。満月の夜は笑顔のように輝いている。つまりそれはドルシッラ。やっぱりか…。
「うん、その笛を鳴らしたらお姉ちゃんが駆けつけて、アルテミスを追い返してやるよ。」
「アグリッピナお姉ちゃんが?」
「ああ!」
私は袖をまくって、男っぽく腕の筋肉を見せた。
「お姉ちゃんの筋肉、ぷにょぷにょじゃん。」
「うっさいなー!私は乙女なんだから、仕方ないのよ。」
「また恋の話?」
ギク。
妹にも飽きられてる。
「でも、何でアルテミス様は私をいじめるんだろう?あたしちゃんと目を閉じてたんだよ。でもね、ドルシッラお姉ちゃんが嫌がると、今度はあたしがつねられるの。」
?!
私は目を見開いてリウィッラの言葉に耳を疑った。ドルシッラが嫌がるってどういう事よ?アルテミスの真似をしてリウィッラを虐待してるのはドルシッラじゃないって事?!
「誰に?」
「満月に。」
そんなわけはない。
風が大きく辺りを騒がせると、私の心もぞわぞわと嫌な予感を思い起こさせる。私の耳を引っ張る人物。嫌がるとさらに喜んでエスカレートする奴と言えば、あの未だに寝小便しているバカしかいない。
「あんた、この前も震えてお姉ちゃんに本当の事言わなかっただろ?ちゃんと言いなよ。」
「…。」
「ガイウス兄さんだろ?」
リウィッラは目を下へ落として涙をいっぱい溢れさせるが、それでも口をへの字にして大きく顔を横に振って違うと否定する。彼女なりの兄をかばう気持ちなのだろう…。私は妹を呼び寄せて背中を摩りながら、もう大丈夫だよと落ち着かせた。
「私がそのアルテミスを退治するから、あんたは必ず葉っぱの笛を吹くんだよ。」
「うん。」
けれど、私の心は許せない感情で燃えたぎっていた。許さない。寝小便だけならまだしも、あのバカ兄貴はドルシッラに悪戯して、リウィッラに虐待までしているなんて!それなのに平然と私にドルシッラの本音を探ってこいだなんて偉そうに命令しやがって!絶対に許さない!私は直ぐにドルスス兄さんに相談した。
「何だって?!」
「シーーーーーーーっ!もう、相変わらずドルスス兄さんは声が大きいって。」
また、ドルスス兄さんはペコペコと頭を下げて謝ってる。
「でも、ガイウスはまだ9歳だぞ?何だってドルシッラを襲うんだよ。」
「年齢は関係ないんじゃない?男の人なんてみんなそうよ!」
「バカ、そんな事ないよ。みんながみんな性欲の塊なんかじゃないぞ。」
どっちでも良かった。
それよりもカリグラ兄さんの悪習が許せなかった。だからドルシッラも笑顔で心を閉ざしているんだ。誰にも家族にも相談できないから。
「次の満月まで?」
「後、三日ぐらい。リウィッラにはアルテミスがやってきたら、葉っぱの笛を吹くように言っておいたから。」
「よし、それを合図にお前は窓から、僕は扉から一気に飛び込むんだ。逃げ場を無くしたアルテミスの化けの皮を剥がすんだ。」
「うん、分かった!」
いくら兄妹でも、私は異常な兄カリグラの愛情が許せなかった。いくら癲癇が現れても、私は二人の妹達を守る姉として、今度こそはとっちめてやると本気で思っていた。
続く