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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第二章「母」少女編 西暦18年 3歳
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第三章「母」第十四話

丘の上にある雲達が風の絵筆に広げられ、そろそろ夕陽が一面を染め上げる頃、ゲルマニクスお父様の、シリア属州へ出発する時間が訪れてきた。


「弟のクラウディウスよ。ネロとドルススを頼むぞ。」

「分かりました、兄さん。」

「妹のリウィッラよ。ユリアを頼む。」

「ええ、お兄様。ご安心くださいませ。」

「うむ。」

「ネロ、ドルスス。妹のユリアを頼むぞ。」

「はい、お父様。」

「分かりました、お父様。」


しかし、何故かお父様は私にお声を掛けては下さらなかった。それはきっと、すでにお父様の心が戦へ帰還する軍人になっていたからだと思う。


私が今でも後悔している事があるとすれば、それは、この時にお父様に甘えて三回ホッペにキスをしなかった事。何故かその時は多くの人が見守っていた事もあって、恥ずかしくてできなかったのだ。


「ユリア、こっちへいらっしゃい。」


お母様はゆっくりとしゃがんで抱き寄せてくれた。お母様の温もりを感じた時、自然と涙が出そうだったけど、グッと堪えて我慢した。


「偉い子、良くできましたね。」


微笑みを浮かべて応えるお母様は、私のユリウス家としての心構えを褒めて下さった。そして、私に右頬を差し出して、私からのキスの催促をしてきた。私は嬉しくなってホッペに三回キスをした。


「そうよユリア。自分がどんな苦境の時でも、人に喜びを与えられる女性である事。これを忘れてはダメ。」

「はい、お母様。」

「それと、リウィッラ叔母様からは、私が帰るまでの間に、淑女としての心構えを磨いて貰いなさい。」

「え?!」

「今日だって素敵なストラをリウィッラから着せてもらってるでしょ?貴女はとっても女性らしものが似合うのだから。」

「本当に?!お母様!お化粧もしてもいいのでしょうか?」

「ええ。リウィッラと一緒の時にいっぱい学びなさい。」

「ありがとう!お母様!」


今思えば、お母様はとても賢明な方だった。自分が留守の間、男勝りで木登りが大好きな私が、調子に乗って怪我をされたりするのが心配だったから、興味の対象を危険がない女の子が喜ぶものへ変えさせるため、わざわざ私にお化粧を許したんだと思う。


「リウィッラ、ユリアは元気だけど、とても素直な子だから。いっぱい教えてあげて頂戴。」

「ええ勿論です義姉さん。ユリアちゃん、一緒にいっぱいおめかししよ〜ね!」

「はい、リウィッラ叔母様。」


この時も、お母様は私の虚勢を張る性格を見抜いて、わざと遠回しに素直な子であるようにと躾をしたのだと思う。普段は家族の中では滅多に褒めたりしないからだ。


「ねーたん、ねーたん。」


妹のドルシッラがお母様の腕の中で、キャッキャ言いながら両手を伸ばしてる。そんなドルシッラを見て、私はお母様と一緒にいられる妹が羨ましいと思った。


「ウィプサニア、そろそろ行こう…。」

「はい、貴方。」


お父様は手綱をクイっと動かしたまま、ローマ市民へ右手を上げて馬を歩かせて進み出した。その後ろから、ドルスッス様も馬に乗ったままついて行く。時折、ドルスッス様だけはこっちを向いてウィンクしてくれ、お母様は馬車からずっと手を振ってくれた。


「ユリアちゃん、お母様に手を振ってみたら?」

「うん。」


私はずっとお母様へ手を振っていた。けれども、お父様はカリグラ兄さんを抱えたまま、あの山の様な背中を向けたままだった。私はリウィッラ叔母様の左手を握りしめながら、山のような大きなお父様の背中をジッと見つめていたけどそれでもお父様はこちらを振り返らず、大きな夕陽が滲ませると同時に徐々に遠くへと小さくなっていく。私はそれがとっても寂しくて寂しくて、リウィッラ叔母様の手をしっかり握りしめて我慢した。


「ユリアちゃん…。」


リウィッラ叔母様も、私の幼い手を握り返してくれた。温かかった。それでも、どんどん小さくなるお父様の後ろ姿に、私は心細くなって諦め掛けて俯いた。すると、リウィッラ叔母様が握った手を揺らして、私に何かを気付かせようとしてくれた。


「ユリアちゃん、ほら、見て!」


お父様は馬の向きを変え、私に大きく手を振ってくれた。丘に沈む夕陽と溢れる涙で滲んでも、私はお父様が笑顔で私だけを見てくれているのが分かった。


「お父様ーーーー!」


私もいっぱいお父様に手を振った。ずっとお父様は私のためだけに、ずっと手を振って下さった。私も向こうの丘にお父様が沈んで行くのを見守りながら、ずっとずっと振っていた。


「ユリアちゃん、良かったね。」

「うん!」


オレンジ色に染まっていた空は、静かに夜を迎えようとして紫色へ変わろうとしている。すでに星達が輝きも見せ始めていた。とても透き通るような美しさに満ち溢れた夜空へと変わっていく。


だが、これが私とお父様との最期の別れだったのだ。


続く

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