第八章「暗雲」第百三十九話
もちろん、セイヤヌスのローマに対する野望も、リウィッラ叔母さまのお母様に対する深い憎しみも、まるで分からなかったところで、私は私で、姉として色々悩まされていた。
「おい、アグリッピナ!」
「何?ガイウス兄さん。」
ただ、この頃は、お母様と祖母のアントニア様の仲が、段々と悪くなってきた年である事は覚えている。何故なら、翌年にアントニア様のドムスから私達家族が引っ越す事になったから。
「イタタタタ!ちょっと!何をするの!?離してよ!」
私はカリグラ兄さんに耳を引っ張られて、庭の隅まで連れてかれた。
「もう!」
「お前は何度言ったら分かるんだ?自分の事ばかりにかまけてないで、ちゃんと妹のドルシッラの事をみろよ!」
「うっさいな!私はガイウス兄さんの奴隷じゃないんだからね!」
「約束はちゃんと守れよ!」
「こんな酷いことするならお断り!」
するとまたもや私の耳を引っ張って、わざわざ耳の穴のそばで大きな声で叱りつけてきたので、私は咄嗟に逃げ出して離れてた。
「もう!ガイウス兄さんなんか大っ嫌い!どうしてそうやって私ばっかりイジメるわけ?!」
「イッヒヒヒ。お前イジメると楽しいからな。」
「ひっどい!」
「とにかく約束は守れよ!じゃなきゃ、今度はこの位じゃすまないぞ!」
そう言うと意気揚々とどっか行ってしまった。この寝小便バカ兄貴なんか、死んじまえ!って思った。しかし参ったよな~。ふぅ。ドルシッラの本音を探れって言われても、あの子は本当にガードが硬いっていうか、保守的っていうか。そしてどうしたもんだろう?って思ってると、大体このタイミングでドルシッラは声を掛けてくる。
「姉さん?」
ほら。
「なぁに?ドルシッラ?」
「イッヒヒヒ…。」
「え?!あ?!あんた?リウィッラ?」
「そうだよ、アグリッピナお姉ちゃんまんまと騙されたでしょう?」
驚いた。
よく姉妹は声が似てるって言うけど、あのドルシッラ独特のソフトな雰囲気まで末妹のリウィッラが真似するなんて。
「あんた、やっぱり九官鳥だわ。」
「え?何それ。」
「声真似が得意って事。」
「それってあたし褒められてるの?」
「あー、そうそう、褒めてるの。」
そういえば、私も今のリウィッラ位の時は生意気盛りでおませだったっけ。赤ちゃん言葉で喋るとガイウス兄さんが馬鹿にするから嫌で嫌で、お母様の喋り方の真似ばっかりしてたな。
「リウィッラ、あんた意外に私に似てるのかもよ?」
「へぇーどうして?」
「生意気だから。」
「ちょっと!お姉ちゃん、そんな言い方ないでしょ!」
「じゃ?木登りでも勝負するっか?」
「いーよ!絶対に勝てないもん。」
「リウィッラ、あんたは最初っから諦めるんじゃないっつーの。」
「それだけじゃないもん、だって…。」
「だって何よ?」
「ドルシッラお姉ちゃんが怒るんだもん。」
「はぁ?ドルシッラが?まさか!」
「本当だよ。すっごく怖い顔して怒るんだよ。」
意外。
ドルシッラはリウィッラには優しい姉で接してるのかと思ったら、怒ってるなんて。
「リウィッラ、ドルシッラは何てあんたに怒るわけ?」
「え?言えないよ。」
「何でよ?」
「だって…ドルシッラお姉ちゃんに怒られるから。」
これはチャンスだと思った。
リウィッラから本音を聞き出せば、カリグラ兄さんに頼まれてる事も達成できるかもしれない!
「あんね、ドルシッラに怒られるからって私に言ってる時点で、あんたは半分以上暴露しているようなもんだよ。」
「ええ?!嘘?!」
「本当だよ。」
「ああーん、どうしよう。」
「バカ…。」
「もう!アグリッピナお姉ちゃんのせいだからね。」
「大丈夫だよ、私が怒られない様にあんたを守ってあげるから。」
「本当に?本当に?」
「あー、本当に本当。」
私はニコッとリウィッラに笑った。するとリウィッラは私の顔を見て安心したのか、突然泣きついてきた。頭をさすってヨシヨシしてあげると、更にギュッと抱きしめてきた。
「ははーん。あんたは口は達者だけど、まだまだ子供だね。」
私もそうだけどね。
しかし、いつものリウィッラなら舌を出してべーっと意地っ張りな姿を見せてくるのに、何だか今日は違ってた。暫くすると身体が震えて怯えてるのが分かった。おかしい…。
「リウィッラ?あんた寒いの?」
「ううん。」
「何で震えてるわけ?」
「怖いの。」
「何が?私が?」
「違う。」
「え?」
よく見ると、リウィッラの首より下の背中に小さな赤いアザが三個もあった。まさか?!私は直ぐにリウィッラのトゥニカを引っ張ってそこを見ようとしたが、気付いたリウィッラに邪魔されてしまった。
「リ、リウィッラ?!」
「ダメ。」
「あんた…ドルシッラに何かされてるの?」
その瞬間、リウィッラの表情が凍りつくように蒼ざめていった。
続く