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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第七章「狂母」乙女編 西暦20~21年 5~6歳
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第七章「狂母」第百二十四話

「リウィッラ?!」

「セイヤヌス…。」


セイヤヌスは、リウィッラの凍りつく様な冷たい瞳に背筋が寒くなった。この女は復讐に来たのだろうか?それとも堂々と告訴の宣言でもしに来たのだろうか?油断ならない。いざとなれば命を奪う事も止むを得まい。セイヤヌスは短刀に指を伸ばしていく。


「ウィプサニアの、あの女の思い通りにはさせないで!」

「?!」

「貴方だったらできるでしょう?!」

「ど、どういう事だ?」

「あの女が全てを変えてしまったの。私の手元にあるべき細やかな幸せを、いまや奪い去ろうとしている。あなたの言った通りだったわ、セイヤヌス。」


セイヤヌスにとって、思いがけない誤算が転がり込んできた。この間は己の恐怖を克服する為、主神ユピテルが冥界の神プルートーに与えたアドバイス通りに行動した。そして結果はどうだろうか?この女は的確な憎しみの対象を見つけてきたのだ。誰かの言葉ではないが、貞操を守れないローマの女性は、面白いほど自分から転げ落ちる。


「リウィッラ…。それは、ウィプサニアの勢力と距離を置くというのだな?」

「距離を置くですって?!私は兄が亡くなってから、あの女の存在が気に入らなかったのよ!あのすました顔。一切の感情を表さない発言。心の中で勝ち誇った態度。そして知らず知らずに自分の掌へと誘い込む手口。」

「ほほう?」

「あの女なら、今のローマをひっくり返す事くらいやりかねないわ。そうなってからでは、貴方達だって困るでしょう?」

「しかし、いくらウィプサニアが共和政支持者である元老院を味方につけた所で、クラウディウス氏族の中心人物である大母后リウィア様を揺るがすまでには至らないだろう?」

「あら、そうかしら?あの女には兄の神話を信仰に溺れるローマ市民という民意をも味方につけているのよ。それに、アウグストゥス様は、元々自分の血を引く者に帝位を望んでいたはず。それが、直接の血縁関係のない養子ティベリウスが、今でも皇帝に居座っていると彼らに公言すれば、王政アレルギーを持つ者たちの反発は必至でしょ?」


セイヤヌスは、開き直った女ほど怖い物はないと痛感した。だが、気になるのはこの女の野心である。


「だが、リウィッラ。お前もウィプサニアと同じ立場にあるではないか。自分の夫は次期皇帝継承者。」

「だから尚更でしょ?私の夫もアウグストゥス様とは直接の血縁関係はないのに、このままではあの女に利用されるだけされてしまうから。それを阻止する為にも、貴方は私の助けが必要じゃないかしら?」

「なるほど…。分かった、ウィプサニアの勢力は何としても食い止めよう。」


リウィッラは噛み締めた歯をひたすら口の中で隠し、床のある一点だけを見つめていた。


「私はただ、夫の気持ちを取り戻したいだけ。あの優しかったあの人を、私の側で永遠にいて欲しいだけ。」

「永遠に?」

「ええ、永遠に。決して揺るがない、裏切りの存在しない世界で、私はあの人に愛され続けたいの…。」


セイヤヌスはその言葉を信じ、リウィッラにこの間の辱めを与えた事を詫びた。


「な、何よ!?突然?」

「悪かった…。己の思い上がりを恥じている。」

「な、何を今更!謝った所で、貴方を一生許すわけないわ!ただ、貴方の言った事だけは本当だったって事。私は無力のままでやられっぱなしではいたくないから、貴方は私に告訴されたくなければ、ウィプサニアの排除に力を注げばいいのよ!」

「いや、エトルリア人として、いや、冥府の神に呪われた者として、果敢にも立ち上がったリウィッラにある物を贈りたい。」

「え?」


腰元の布袋からセイヤヌスは何かを取り出そうとしている。


「冥界の神プルートーは主神ユピテルの言葉に従ったが、強引に冥府へ連れられた処女神ケレースは一向に心を閉ざし、食べ物すら受け付けなかった。日々にやつれていく彼女の姿を不憫に思ったプルートーは、彼女の為に四つのザクロを用意し、それをケレースが口に含んだ事により、世界の四季が始まったと言われている。」


すると、掌には四つの小瓶が握られている。


「こ、これは?」

「エトルリアの妻達に伝わる秘薬だ。」

「え?」

「忘れたのか?ジュリアの婚約の力添えになってくれた暁には、お前にあげる予定だった夫の想いを取り戻すエトルリアの秘薬だ。」


あきらかにリウィッラの顔色が変わった。内心は藁をもつかむ想いなのであろうか、情緒が不安定なのは隠しきれない。


「これは、お前との信頼関係を築く為に、季節ごとにお礼として、これをお前に贈りたい。」

「…。」

「受け取ってくれ。」

「本当に…?」

「ああ。だが、倒された神殿を元通りにするには、焦っては無理だ。それは他人をなかなか信頼出来ないお前が、一番分かっているはずだ…。」

「…。」


小瓶を眺めながら頷くリウィッラ。


「先ずは今季の分だ。一週間に一度だけ、ドルスッスに少量ずつ飲ますのだ。」

「一週間に…一度だけ…。」

「そうだ、それも少量ずつ。焦って大量に飲ませれば逆効果だ。忘れるなよ。」


リウィッラはこれでドルスッスの心が、ウィプサニアから自分の元へ帰ってくるとは信じきれなかった。だが、何もしなければ、何も変わらない。


「リウィッラよ、私は確かにお前に酷い事をした。それは怒りに駆られてではなく、お前の女性としての魅力に勝てなかったからだ。処女神ケレースのように美しく、心が繊細で、誰かの助けを常に必要としている。」

「…。」

「私はお前の助けになりたい。処女神ケレースが世へ四季を広めたように、お前の心の中にある世界にも、四季を取り戻してくれ。」

「ええ…。」


セイヤヌスは信用ならないが使える。彼の望み通りにすれば、いずれ夫のドルスッスはこの薬で我を取り戻し、子供達を自分の手元へ取り戻す事ができる。


ウィプサニア。

兄の名で卑しく生きる女。

愛すべき夫の心を奪った寡婦。

そして、皇族に復讐を抱く未亡人。


お前をこの世から排除する為ならば、如何なる手段を使おうとも、後悔すら感じないだろう。


続く

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