表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紺青のユリ  作者: Josh Surface
第七章「狂母」乙女編 西暦20~21年 5~6歳
116/300

第七章「狂母」第百十六話

「駄目よ。」


大母后リウィア様は、顔を私達から背けて断った。


「どうしてでしょうか?!」

「今は駄目なの。これは政治とバランスに関わる問題で、親御さんの承諾無しにアグリッピナに会う事はできないの。」


事実そうであった。

私は知らなかったが、お母様はゲルマニクスお父様の神話を支持する民衆と共和政支持者の貴族達からの後ろ盾を得た事により、クラウディウス氏族と牽制を始め距離を取り始め、今までに無いほど非難を繰り返している。それにより、帝政を支持するクラウディウス氏族皇族派と共和政を支持するユリウス氏族皇族派の微妙な対立が生まれてしまった。民衆は次期皇帝の継承者は、ドルスッス様でなくネロお兄様だとも言い出していた。また、ドルスッス叔父様はセイヤヌスとの対立が勃発した事により、クラウディウス氏族皇族派でありながらも共和政支持者である元老院貴族寄りの考えを持ち始めていた。国家の母であるリウィア大母后様としては、バランスを考えなければいけない。横ではオキア様が残念そうに眺めている。


「ほら、アグリッピナからもお願いしなさい。」

「あ、はい!大母后リウィア様!お願い申し上げます。私は母とのすれ違いを感じ、どうやって生きて行けば良いのか分かりません。こんなお願いをすれば、リウィア様はそのくらい自分で考えられるはずだと仰るのは十分承知です。でも、私は心に映るリウィア様ではなく、この目で見たリウィア様を眺めて安心したいのです!どうか、どうか、お願い申し上げます!」


ジュリアも何故か頭を下げていた。リウィッラ叔母様も。


「リウィア。どうやら貴方の負けね。」

「オキア様…。」

「リウィッラ、ジュリア、アグリッピナ。三人共顔を上げてついてきなさい。リウィア、貴女も顔を上げて私の部屋へいらっしゃい。」


ローマの『最後の良心』を守護されてきたウェスタの巫女の長であるオキア神官長が、私達の願いを叶えてくれたのだ。オキア様のお部屋はとても質素で美しかった。本当に純潔を守り通してきた時間が刻まれている。


「私は政治には介入しません。明日の国家の行く末を決めるのは彼らなのですから。ですが、母が子の想いに心を閉ざす事には介入します。リウィア、貴女は大母后であるわけですが、国家の母でもあるわけですよね?アグリッピナは言ってみれば貴女の子供。それに貴女はちゃんと血の繋がった曽祖母じゃないの。自分の曽孫に顔ぐらい見せてやりなさい。」


振り向かれた大母后リウィア様は、とても美しく申し訳なさそうな表情を私に見せてくれた。私は居ても立ってもいられなくなって泣きながら抱きついた。リウィア様はちゃんとしゃがんで私を抱きしめてくれた。


「リウィア様、本当にワガママ言ってゴメンなさい。」

「いいのよ、アグリッピナ。私も変な意地を張ってゴメンなさい。」

「でも、どうしても、リウィア様から言葉を教えて欲しいのです。お母様とはずっとすれ違ったまま。お母様を理解しようとも理解できず、また、お母様にも理解されていないような気分になります。如何すれば良いのでしょうか?」


きっとリウィッラ叔母様も、そしてジュリアも一緒に来てくれたのは、私を含めたこの三人が、親との関係で悩んでいるもの同士だったからかもしれない。リウィッラ叔母様はアントニア様といつも口論してしまい、ジュリアは強烈な親であるセイヤヌスの存在にいつも怯えて消極的な生き方を選んでしまった。私も含めて、三人共親に理解されたがっていた。


「理解、理解ね…。私だったら、理解なんて願望に過ぎないって諦めるわよ。」

「願望?」

「ええ。だってアグリッピナが母親を理解したいって言ったけど、それは自分が望んでいる母親を理解したいからじゃないの?」


ああ!

そうだったかも。


「それは、その後に出てきたアグリッピナの言葉から、貴女の願う本質が見えてくるわ。『自分は母親から理解されてないような気分がする。』って。裏を返せば、自分に優しく接してくれてないって言ってるようなものじゃない。」


さすが大母后リウィア様。

聡明で頭の回転が速く、瞬時に私の見えてない所を的確に答えてくれた。


「いい?子が親に甘えるのは当たり前と思っているかもしれないけど、親だって子供に甘えたいと思っているの。」

「えええ?!」

「そんなにびっくりする事じゃないわ。リウィッラ、貴女だったら既に子供を産んでるから、その気持ち分かるわよね?」


突然振られたリウィッラ叔母様は、人差し指を顎に乗せながら、上を向いて自分の体験を想い出していた。


「え、ええ。そうですね…、例えば…、そうそう!食事中の子供を眺めてて、あまりの可愛さに抱きしめたいって思っても、本人は食事に夢中で私を邪魔扱い。仕方なくしていると、食べ終わって満足したのか、今度は子供が甘えさせろって訴えてくる。もう!それならさっき十分に甘えさせて上げたのにって、仕方なく抱っこしたら、そういう事は直ぐに子供に暴露て、もっと愛情込めて抱っこしろってせがんでくる。そんな感じでしょうかね?」

「あははは、まさにリウィッラが言った通りね。親心子知らず、子心親知らずかしら?親も子も、ちゃーんとよく見ているのよね、相手の事は。でも、自分の事は意外に良く見ていないの。私もそう…。見えているはずなのに、子心親知らず。だからね、その時は諦める事にしたの。」

「諦める?!」

「ええ。理解なんて概ね願望だって。それよりも大切な事は、その過程である理解しようとする心、理解されようと努力する姿勢。理解できない、理解されないでふて腐れるのではなくね。」


そっか…。

お母様の私に対する愛情を、私は自分の見たいものしか見てなかったから、まだまだ足りないって思ってたのかもしれない。すると、オキア様がゆっくり歩いてきて語りかけてくれた。


「アグリッピナ、貴女はリウィアの教室でイデアを見つめる勉強をしたわよね?」

「はい。」

「それなら、これもできるはずよ。"我が身を先に差し出して、人の壁となり橋となれ、されば光の道開かれん。"」


ああ!

聞いた事ある言葉だ。確かアントニア様と大母后リウィア様がお父様の無承認によるエジプト入国でのお話をしていた頃。


「我が身を誰よりも先に差し出す事は、とても勇気がいる事で、そして時には人からの非難を浴びる事もあるの。特にここローマでは、新しい事には無関心で、古い事ばかりをもてはやす傾向にありますからね。」


確かにそうかもしれない。

ローマの民衆が求める事は、不平不満を口々に言う割には、不安定な未来への投資よりも、脈々と受け継がれている古来からのスタイルを豪華にさせる事の方が大きい。お父様が亡くなってから、お父様を神話のように扱う平民の数が異常に増えたのも頷ける。


「だからこそ、気付いた人の勝ちだと思ってご覧なさい。例え非難されようと、人よりも先に、愛する人を守る為に壁となり、そして人よりも先に、愛する人を守る為に橋となれば、光の道、すなわちイデアの示す導きに、己の魂を添える事ができるのかもしれないわね。」


私は本当に嬉しかった。

リウィア様の聡明な着眼点と、オキア様の『最後の良心』が導く自分のあり方に触れて。それも、オキア様の御引退式に。するとジュリアがオキア様へ相談をした。


「オキア様、私の父はとっても怖いのです。それでも私は壁となり橋となる必要があるのでしょうか?」


オキア様は暫く目を閉じて、そして真っ正面からジュリアを見つめる。


「それは、ジュリアの心がどの様に感じるかが大切でしょう。貴女がイデアを見つめ、もしそれが必要と感じるならば、そしてやりたいと思えるなら、躊躇せずに取り組みなさい。やりたくもないのに無理にやっても逆効果です。」

「はい!」

「うん、いいお返事ね。」


でも、私にはもう一つ、大母后リウィア様にお伺いしたことがあった。


「あの…大母后リウィア様。どうして、ゲルマニクスお父様の国葬には参加されなかったのでしょうか?」

「アグリッピナ、それは大母后様もティベリウス皇帝陛下とご一緒に表明されたでしょう?うちのお母さんが病に倒れたから参加できなかったって。」


リウィッラ叔母様は、さすがにその質問は禁句だと止めにはいった。けれど、大母后リウィア様は俯いたまま沈黙を貫いている。


「アグリッピナ。その事については、ウェスタの巫女の長である神官長として、私が貴女の誤解を解いてあげるわ。」


続く

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ