第七章「狂母」第百十一話
次の日。
「おーい、アグリッピナ。」
「はーい?」
クラウディウス叔父様が、足をいつもの様に引きずりながら、私の元へやってきた。
「クラウディウス叔父様。如何したんです?そんなに荷物を持って。奴隷のナルキッススは如何されたんですか?」
「あいつには別の使いを頼んでおってね。悪いんだけど、アグリッピナ。君に今日は折り入って頼みがあるんだ。」
「何でしょう?」
「姉さんの所へ行くのに、一緒に来て欲しいんだよ。」
「ええ?!あたしがですが?!」
「ああ。」
「どうしてまた、私なんですか?」
「姉さんから実は前に聞いててね、アグリッピナとは気楽に何でも話せるって。」
リウィッラ叔母様…。
でも、そう言ってくれたのは、きっとセイヤヌスがくる前のお洒落教室の頃の事ですよね?今は…。
「あの通り、母さんは昔から特に姉さんには厳しかったからね。親に反発するのは、認めて欲しいからなんだけど、素直に甘えられない。そんな気持ちを一番分かっているのは、多分、アグリッピナ、君だけだろう…。」
びっくりした。
クラウディウス叔父様は、私の母ウィプサニアに対する複雑な気持ちを見抜いていたんだ。私は嬉しくて泣きそうだったけど、グッと堪えて素直に首を縦に振った。私はパッラスも連れて、一緒にリウィッラ叔母様のドムスへ向かった。
「リウィッラ様のご機嫌は大丈夫なのでしょうか?」
「ダメでも、私が元気にさせるって、パッラス。」
「昨日は本当に凄かったからね。でも、安心しなさいパッラス。ローマの女はあれくらいじゃなきゃ務まらないものさ。」
「え?どう言う事ですか?」
「フフフ…。」
クラウディウス叔父様は不思議な笑みを浮かべている。
「パッラス、君は、ローマ人によるサビニ人の女性略奪の話を知っているか?」
「女性略奪?!」
「その昔、ローマ建国の王ロムルスは、自国のローマ人には男しかいない事を嘆き、近隣国へ婚約をできる様に交渉した。しかし、異民族間での婚約を許さないサビニ人はコレを拒否。そこでロムルス王は海の神ネプトゥーヌスの祭りを開き、未婚のサビニ人女性達を誘い出して略奪したのだ。」
「へぇー。」
「捉えられ憤慨している女性たちにロムルス王は女性1人1人と話し、ローマ人を夫として受け入れるよう懇願した。さらに女性たちに選択の自由を提供し、そして結婚を承諾すればその後の生活は安泰で、市民権も財産権も得られ、何よりも大事なことは自由な人の母になれるということを説いた。」
私もそんな事があったなんて知らず、クラウディウス叔父様のお話を聞き入っていた。
「当然、娘達を略奪されたサビニ人男性達は憤慨した。サビニの王タティウスは用意周到に準備を重ねてローマ人とサビニ人は争ったが、略奪されたサビニ人女性は誰一人帰ってこない。争いもピークになると、なんとそこへローマ人に略奪された女性達が、サビニ人とローマ人の争いの中へ割って入ってきたのである。」
クラウディウス叔父様は一つ咳払いをしてセリフを言い出した。
「"あなた方は私達女性にとって、片方は父であり片方は夫である。このまま争いを続けるのなら、私達を先に殺しなさい。この争いの原因は私達であるのだから。私達にとっては、どちらかの一方を亡くし、孤児や未亡人として生きて行くくらいなら、死んだ方がマシだ!"と叫んだ。こうして、サビニ人とローマ人との争いは鎮まる。サビニ王のタティウスはロムルス王と和解し、サビニ人とローマ人が共に国家を形成する道を選び、ロムルス王と共に暗殺される五年後まで統治をしたという。」
「すごーい。」
「さすがローマの女性は肝っ玉が違うんですね?戦場の中へ割って入るなんて。」
しかし、クラウディウス叔父様は微笑みながら、さらに言葉を添えた。
「しかし、不思議な事がもう一つ無いかな?二人とも。」
「不思議な事?」
「何だろう?」
「なぜ、略奪された女性達がサビニへ帰らなかったのか?」
ああ!
確かに。
「ローマ人は女性に対して寛容だったからだが、それだけではない。とっても甘えん坊だったのさ。だから、サビニ人女性達は甘えん坊を放って、帰るに帰れなくなってしまったのさ。」
「あははは!」
「そっかー。甘えん坊なんだ~。」
「この事はローマ人男性には内緒だぞ、アグリッピナ。」
叔父様はとってもチャーミングなウィンクをしてくれた。そっか、アントニア様やリウィッラ叔母様、そして私にもある勝気な性格は、サビニ人とローマ人の争いの中へ割って入った頃から続く血なんだ。
「さぁて、みんな用意はいいかい?大丈夫。きっとリウィッラ姉さんは葡萄酒を飲んでる事だろうから、騒いだりはしないだろう。私が言った通りにするんだぞ。」
「はい!」
「はーい!」
私達は、孤独を抱えるリウィッラ叔母様の為に、ある事を決行するのであった。
続く




