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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第七章「狂母」乙女編 西暦20~21年 5~6歳
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第七章「狂母」第百九話

セイヤヌスは握り締めた拳をゆっくり開き、その屈辱的な態度に我慢をしながら、突き出されたリウィッラ叔母様の右足を手に取った。


「さぁ?どうしたの?貴方って私の為にプリアポスになる勇気はないわけ?」

「プリアポス…。」


プリアポス…?

どこかで聞いた事ある。あ、確かカリグラ兄さんが、カッシウス・カエレアを侮辱して呼んでだっけ。確か、男性性器の神の名前。叔母様?!まさか!


「満足か?」

「え?」

「私を膝まづかせ、自分の足を舐めさせて、それでリウィッラ、貴様は満足か?と聞いているんだ。」


今度は言葉よりも足が、セイヤヌスの顔を蹴りつけた。少し顔を強張らせながらも笑顔を取り繕ったまま声を荒げた。


「貴様ですって?!トカゲの分際で気取るんじゃないわよ!言葉の使い方には十分気をつける事ね!誰に物を言ってるの!?」


しかし、セイヤヌスは込み上げてくる笑いを堪えきれず、部屋中に轟くように笑い出した。


「な、何よ!?」

「哀れだな…。貧乏人の苦労よりも、恵まれた環境で育った人間の不幸は、どの海よりも深いということなわけだ。」

「はぁ?!私が不幸ですって?!」

「ああ…。貴様は誰よりも不幸な女だ。」

「ふざけるんじゃないわよ!」


叔母様は再度、セイヤヌスの顔を蹴りつけようとしたが、さすがにセイヤヌスもそれを避けて、叔母様のくるぶしをしっかりと握り、スラっと長い脚をさすり出した。


「ちょ、ちょっと!」

「貴様のお望み通り舐めてやるさ。拒む事はないだろう?だが、貴様の抱える誰にも理解されない孤独の穴は、これにより、よりいっそう深くなるわけだ。」

「?!」

「兄ゲルマニクス亡き後、貴様の母親も、貴様の旦那ドルスッスも、全てウィプサニアの為に尽くしている。貴様が必死に産んだ双子の坊や達も、ローマの民衆からの祝福もそこそこに、貴様の不幸は誰にも理解されないまま…。」

「…。」

「貴様の旦那は、自分の母親の葬儀の時に、貴様ではなくウィプサニアに抱きついて涙を流したって言うじゃないか。よくそんな事をされて平気でいられるな?」


どうしてセイヤヌスがそれを?!

それは叔母様が一番気にしている事。


「クっ!いい加減にして!」

「ああいいさ。それで気が済むのならば…な!」


そう言うとセイヤヌスは、叔母様の脚を無造作に放り投げた。叔母様はバランスを崩して床に倒れ、セイヤヌスはキチンと立ち上がり、ジッと見下している。


「知っているのか?ゲルマニクスの妻ウィプサニアは、ドルスッスの母親と瓜二つらしいじゃないか。未だに未練たっぷりのティベリウス皇帝陛下から私はよく聞かされているぞ。それにローマの男はみんなマザコンだって言うじゃないか。ドルスッスの母親の面影を持つウィプサニアの好きにさせていたら、いずれお前の旦那がなびくのも時間の問題だな?」


けれど今度は叔母様が笑いを堪えきれず、床から立ち上がって笑い出した。


「バカじゃないの?あの人に限って、そんな事あるわけないじゃない!」

「ドルスッスはそうかもしれんが、今や未亡人となった野心たっぷりのウィプサニアは如何だろうな?彼女は既に狙っているかもしれんぞ。」

「バカな事言わないでよ。私がそんな事を許すわけないでしょ!?第一、母のアントニアだって許すわけないわよ!」

「ほほう?随分と身内には信頼されているのだな?リウィッラ様とやらは…。」

「ど、どう言う意味よ?!」

「信頼されている者が、己の立場を利用して、この私を跪かせたり、プリアポスなどと呼んだりしているのは、満たされない欲求の捌け口を探しているようにも思えるぞ?それだけで十分不幸な女だ。」

「き、決めつけないで!」

「きっとアントニアも、ウィプサニアも、そしてドルスッスもお前を裏切るような事はしないだろう…。だがな、貴様は彼らを心底信頼できるのか?」


恐ろしい言葉だった。

今迄の事が嘘の様に、セイヤヌスは立場を逆転させて叔母様を精神的に追い詰めている。叔母様は動揺を隠しきれず、身体を震わせながら立っているのがやっとだった。


「やがて貴様は気が付くだろう。自分の不幸が招いた結果に。自分が他人を信じられない状況に、悩み苦しみ、そして貴様は今の私にした様に、己の欲求の捌け口を探し始める。まるで埋められない穴を見て見ぬ振りしている様に。」

「あああ、あああやめて…。」

「信頼など、身内や他人が与えてくれる物ではない。事実、愛する貴様の長女リヴィアは、ウィプサニアの長男ネロの元へと離れて行ってしまったではないか?」


叔母様は耳を塞いで顔を横に振って嫌がってる。


「だがな、この私は貴様の抱える孤独の味方だ。」

「え?」

「考えてみろ、クラウディウス氏族だけで開かれたあの正餐で、葡萄酒を飲みすぎた貴様を心配したから、目を醒ましてもらう為に介抱したんだ。」

「うそ!」

「嘘ではない。少なくとも貴様の身内の様に、腹ごもった子供だけを心配するような事はしなかったぞ。それが嫌で、リウィッラ。貴様はアントニアの部屋に閉じこもっていたんだろう?」


?!

叔母様?!そうなのですか?!確かに、アントニア様もドルスッス様も、高慢ちきのリヴィアも、叔母様の生まれてくる子供の事だけを心配してた…。


「それが、身内には理解されない貴様の不幸であり、この私だけが理解できる貴様の哀れな心の傷だ…。」

「…。」


叔母様は力を失って、床に膝をついてしゃがんだ。ボロボロと大粒の涙を頬から流して、哀れな自分を恨むように両手で顔を抑えながら崩れていく。私も震えるように、息を殺しながら涙を流していた。見なければよかった。ネロお兄様が言った通り、勝気の性格が災いしている。


「どうすれば?!私は…どうすれば…いいの?!」

「リウィッラ。安心しろ、私がお前の心を救ってやろう。ウィプサニアを憎まずとも、身内を憎まずとも、貴様の旦那の心を振り向かせる方法でな」

「え?」

「私の出身であるエトルリアには海の民が多い。海の民を夫に持った妻は、彼らがしっかりと自分の元へ帰ってくるように、古来より伝わる秘薬を編み出したのだ。」

「え?秘薬?!」

「それを少しずつ夫に飲ませれば、今以上に妻を愛おしく思い始めるのだ。」

「本当に?!そんな物があるわけ?!」

「私はエトルリア出身だ。嘘はつかん。だが、秘薬だけあって手に入れるるのには少々骨が折れる。どうだろうか?私とお前との互いの信頼を築く為にも、我が娘ジュリアをクラウディウスの息子ダルサスと婚約させるように、取り計らってくれないか?そうすれば、その秘薬を必ずお前の元へ届けよう。」


叔母様はわらをもつかむ勢いで、床に膝まついたまま、セイヤヌスの両手を握りしめて強く懇願し始めた。


「分かったわ!私のドルスッスだけは誰にも渡したくないの!あの人には見捨てられたくないの!貴方の望むように、弟のクラウディウスに頼みます!だから、お願い!その秘薬を必ず!あああ、これ以上、もう孤独なんて嫌!」

「分かった、約束しよう。」


なぜかわからないけど、ひょっとしたら大母后リウィア様の教えてくれた見方が、私にセイヤヌスの本質を見抜かせてくれたのかもしれない。私は…、私は…、このトカゲのセイヤヌスが心底憎いと思った。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなって、片足のソレラを感情的に覗いてた扉に投げ付けてしまった。


「?!」

「誰だ?!」


私は自分のやった事に気が付き、すぐさまその場から離れて、廊下の隅に隠れた。勢いよく扉を開けて出てきたのはセイヤヌス。私は見つからない事を願いながらうずくまっている。辺りを見渡しているセイヤヌス。よく見ると、自分の手元にはソレラが片足だけしかなかった。さっき投げ付けたままだったんだ。


「…。」


お願い!どうかセイヤヌスに見つからないで!息を殺して、その事ばかりをユピテルに祈った。


「フン…。並外れた度胸を持った、鼠が一匹か。まぁよい。」


拾い上げた私のソレラをその場で放り投げ、セイヤヌスは意気揚々と肩で風を切りながらその場を去っていく。私はその後ろ姿を確認した後に、自分のソレラを取り戻して、二階の寝室へと駆け足で戻った。こうして私は、リウィッラ叔母様とセイヤヌスの見てはいけない大人の暗部を、またもや見てしまったのだ。それも、自分の愚かな性格が災いして…。


続く

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