第11話:SNS映えという名の「宣戦布告」
嵐のあとの凪を、佐藤は心ゆくまで堪能していた。
プロジェクトは無事にリリースされ、クライアントのA社も「使い勝手が良くなった」と手の平を返したようにご機嫌。部長は「ハンコ押し機」としての己の価値に目覚め、午前中から眠そうな顔で静かに座っている。
完璧。このまま定時まで、空気のように存在感を消して過ごせば、今夜は脂の乗った「ブリの刺身」が待っているはずだった。
しかし、その静寂を破ったのは、広報部の「キラキラ女子」こと、若手の河村だった。彼女は、フロアに不釣り合いな明るい声と、最新型のスマートフォンを手に、佐藤のデスクへ突撃してきた。
「佐藤さーん! お疲れ様です! 聞きましたよ、今回の開発、大成功だったんですってね!」
佐藤は、モニターから目を離さずに応じた。
「……河村さん。その高いテンションを維持するエネルギー、どこから湧いてくるのかしら。私は今、省エネモード中なのよ」
「そんなこと言わないでくださいよ! 実は、今度の採用サイトで『活躍する女性エンジニア特集』を組むことになって。佐藤さん、そのメインで出てほしいんです! タイトルは『定時帰宅の女王が教える、自分を愛する働き方』! どうですか、めちゃくちゃ映え(ばえ)ませんか!?」
映え。その単語を聞いた瞬間、佐藤の眉間がわずかにピクリと動いた。
「……映えないわね。少なくとも、私の人生の辞書にそんな言葉は載ってない。第一、女王だなんて、そんな肩書きつけられたら、明日から怖くてスーパーの割引シール狙えなくなるじゃない」
「またまたー! 撮影はプロのカメラマンを呼びますから。オフィスでこう、コーヒーカップを持って窓の外を眺めてる、エモい感じのカットを撮りたくて。あ、あと『私の七つ道具』として、オシャレなガジェットとかも紹介してください!」
佐藤は、自分のデスクの上を眺めた。
あるのは、百均のメモ帳、何度も芯を入れ直した多機能ペン。そして、底に茶渋がうっすらついた、いつものマグカップ。ガジェットどころか、昭和の香りが漂う「実用性のみの塊」である。
「無理よ。私の七つ道具なんて紹介したら、採用サイトじゃなくて『懐かしの昭和遺産』っていうコーナーになっちゃうわ。河村さん、悪いけど、そういうのは加藤くんにでも頼みなさいよ。あの子、最近新しいキーボード買って浮かれてたから」
「ええー! 佐藤さんじゃないとダメなんです! 『おじさんばかりの現場で、凛として輝く一輪の花』っていうストーリーが出来上がってるんですから!」
凛として。一輪の花。
佐藤は、昨夜自分が焼き鳥屋で「レバー、タレで三本!」と野太い声で注文した姿を思い出し、乾いた笑いを漏らした。その花は、たぶん酒の匂いがするわ。
そこへ、空気を読まずに加藤が加わった。
「佐藤さん、いいじゃないですか。有名人ですよ! 記事が出たら、僕、SNSで拡散しまくりますから!」
「……加藤くん、君は今すぐ、その『良かれと思って余計なことをする指』をキーボードに接着しておきなさい。……河村さん、悪いけどお断りするわ。私はね、目立ちたいんじゃない。ただ、誰にも邪魔されずに、静かに仕事を終わらせて、静かにお酒を飲みたいだけなの」
「そんなこと言わずに! 一枚! 一枚だけでいいですから! ほら、笑って!」
河村がスマホを構えた。そのレンズが佐藤に向けられた瞬間、佐藤の「護身術」が発動した。
彼女は瞬時に、デスクトップに置いてあった「真っ黒なエラーログ」がびっしり並んだモニターを、自分の顔の前に引き寄せた。
「……何ですかこれ、佐藤さん! 顔が見えません!」
「これが私の『映え』よ。エンジニアにとって、一番美しいのは解決すべきバグの山だわ。この不気味な黒と赤のコントラスト……これこそ、最先端の『エモさ』じゃないかしら?」
「全然可愛くないです! 怖いです!」
河村が涙目になって去っていくのを、佐藤は静かに見送った。
背後で加藤が「もったいないなあ」と溢しているが、佐藤にとっては、自分の「地味で頑強な日常」を守ることこそが、どんな採用サイトのメインを飾るよりも価値のあることだった。
午後六時。
佐藤は、今日も予定通りカバンを掴んだ。
採用サイトの特集記事にはならなかったが、彼女の心は、自分だけの「正解」で満たされている。
「……さあ、加藤くん。今日も一日、お疲れ様。あ、そうだ。河村さんには、あとで私から『ガジェット好きの期待の新星』として君を強力に推薦しておいたから。撮影、頑張りなさいよ」
「……え、ええええええ!? 佐藤さん、嘘でしょ!?」
加藤の絶叫をエレベーターの外に置いて、佐藤は街へと繰り出した。
SNS映えもしない、キラキラもしない。
でも、一口目のビールの喉越しだけは、世界中のどんな写真よりも「輝いて」いることを、彼女は知っている。
「……やっぱり、自分の人生、自分でフィルターかけなきゃね」
佐藤は、馴染みの赤提灯をくぐった。
おっさん女子・佐藤の物語は、映えないからこそ、誰よりも濃く、熱いのだ。




