連勤術と悪役令嬢転生の件
煌びやかなシャンデリアが、王都の夜会場を白金色に染めていた。ナージョ・アーレイは、久しぶりにドレスをまとい、王室主催のパーティーに出席していた。
――正直、気が重い。錬金塔に籠もっていた方が、よっぽど楽だ。
そう思いながらも、侯爵家の長女としての義務を果たすため、笑顔を貼り付けていた。
「ナージョ・アーレイ嬢」
声の主は、第二王子のトゥーディだった。彼の隣には、ピンク髪の少女が立っている。異母妹のスムースだった。
嫌な予感がした。いや、予感というより、確信に近い。
「……婚約を、破棄させてもらう」
その言葉は、氷の刃のように冷たく、しかし妙に軽かった。
場がざわめく。ナージョは、瞬き一つせずに彼を見つめた。
――ああ、来たか。乙女ゲームで見たイベントだ。
脳裏に、深夜のモニターに描かれた『プリンセス・スムース』のタイトル画面が蘇った。
スムースが主人公で、王子や他のイケメン達に囲まれて、キャッキャウフフする、いわゆる乙女ゲームだ。
そして、ナージョは、婚約破棄され、叛乱を起こして破滅する悪役令嬢であった。
「理由を、聞いても?」
声は、震えていなかった。むしろ、妙に落ち着いていた。
「君は……忙しすぎる。ずっと錬金塔に籠もって、僕と過ごす時間が、ない」
トゥーディは、スムースの肩に手を置く。
「スムースは、僕を理解してくれる」
――理解? 才能ゼロの彼女が? 笑わせる。
ナージョは、口元に微笑を浮かべた。
「そう。なら、どうぞお幸せに」
その瞬間、胸の奥で、何かが弾けた。
――私、死んだんだよね。過労死で。
前世の記憶が、洪水のように押し寄せる。日本の某独立系の研究機関の研究員としての自分、連勤に継ぐ連勤で、パソコンのモニターを眺めたところで記憶が途切れている。
単に寝落ちしたのかと思ったが……どうやら、過労死したのではないかと思われる。
そして、この世界は、どうも、そのときする寸前に夜中プレイしていた乙女ゲーム『プリンセス・スムース』ではないか、と推測した。
でも、ゲームのストーリーはもう崩れているのではないかと、首を傾げた。
脳裏に浮かぶ記憶によると、ゲームでは、トゥーディのルートでは、ナージョは、トゥーディの婚約者として驕り高ぶった縦ロールの典型的な悪役令嬢として登場し、身分が低い妾の子であるスムースをいじめていた。
ところが、現在、ナージョは国家錬金術士だった。悪役令嬢というよりは、王国の技術系のエリートの一人だった。
第二王子の婚約者という地位を失ったとしても、国家錬金術士の地位自体が非常に高い。絶望して、叛乱を引き起こす必用はないだろう。
そこまで考えたところで、ナージョは、ドレスの裾を翻し、夜会場を後にした。
背後で、スムースの勝ち誇った笑みが見えた気がしたが、どうでもよかった。
***
(どうする? 答えは一つ――錬金する。もっと、『レア』なものを)
心はもう、錬金塔に向かっていた。
王城内にあるパーティーのあった広間から、庭園の端まで歩いた先にある塔が、国立錬金術院に所属する国家錬金術士の職場、錬金塔だ。
ナージョは、まだ二十歳前という若さなのに、国にわずか十七人と定められた国家錬金術士の第十五席を拝命している。もちろん、自分の部屋ももっている。
錬金塔の自分の部屋の扉を閉めた瞬間、ナージョは、深く息を吐いた。
――ここからが本番だ。
婚約破棄? 乙女ゲームの筋書き? そんなもの、どうでもいい。
ナージョである自分には、錬金術がある。前世で培った根性と、今世で得た魔力がある。
なら、やることは一つ。最高の錬金をして、誰にも負けない力を手に入れるのだ。
――この世界の錬金術は、魔力により、様々な物体を錬成する術だ。魔力を連続して込める時間が長くなれば長くなるほど、より『レア』なものを錬成することが可能となる。
そう、魔力の大きさも重要なのだが、かける時間の方が、錬金術による錬成には重要なのだ。
このため、国立錬金術院の錬金術士は、ずっと休みを取らないので『連勤』術士と揶揄されていた。
「何を錬成しようかな……」
ナージョは、それこそ幼少時から、錬金術に対して大変な適性を示し、周囲の大人が驚くようなものを錬成していた。
そのため、王国始まって以来の錬金術の天才として――国家錬金術士にまでなれたのだが、何となく前世のものを再現していたのだと、今なら分かる。
しかし、前世の記憶を完全に思い出した今なら、もっとはっきりと、前世のものを錬成できると思った。
「まずは、助手。いえ、錬金の助けになるもの――パソコンね!」
ナージョは基本的に、ずっと一人で錬金術を使用してきた。周囲に、あまり信用できる人間がいなかったのだ。
そうなると、錬金を補助するためのデバイスを、まず用意した方がよいだろう。
ナージョは、前世の『相棒』のことを思いだした。研究所の支給品のノートPCに、自腹でこっそりとMXMボードやCPUを換装して、メモリーも目一杯、レイテンシーの少ない高速なものを積んでいた。
「あいつがあれば、魔力計画もバッチリよ!」
魔力を込めた指先で、古代文字を刻んだ魔法陣を、床に描く。
その中心に置かれたのは、鉄と水晶と、前世の記憶から再現した『パソコンの母基板』をイメージした設計図版だった。
――魔力回路とシリコン回路の融合。これができれば、情報処理と錬金術の両立が可能になる。
ナージョは、息を整え、詠唱を始めた。
「元素変換、情報結合、精霊核、起動――〈アルス・コンピュート〉!」
おそらく、このレベルのものを錬成するには、一ヶ月、籠もり続けて魔力を与える必用があるだろう。
部屋には、トイレも仮眠用のベッドもキッチンや冷蔵保管庫も備えられているのは当然として、昔の偉大な錬金術士が開発した、魔力から水と食事を生成させる〈人間給餌機〉、垢や汚れを落とす〈人間クリーナー〉でさえ完備されていた。
もっとも、その〈人間給餌機〉が生成するのは、味気ない蒸留水のような水と、前世で『ディストピア飯』と呼ばれたようなペースト状の何かだったりするし、〈人間クリーナー〉は、身体については表層の垢や雑菌を落とすものの、ただそれだけだ。
……そう、部屋は、とても、普通の人間が何週間も籠もるようにはできていない。
「いやでも。実験の合間にコンビニに行けなくて、垢まみれでひもじい思いをするよりマシだわ……」
ナージョは、ぐっと拳を握りしめた。
思い出した前世の記憶が、彼女の根性力を何倍にも高めていた。
***
ナージョは、国家錬金術士になったときに与えられた邸宅には帰らず、部屋で魔力を込め続けた。
連勤、連勤、連勤――錬金術は、魔力の連続投入時間が長いほど、『レア』なものを生み出すことが分かっている。
魔力を与え続けて、三十日目に、魔法陣が、青白く輝き、空気が震えた。
鉄が溶け、水晶が光を放ち、設計図版が脈動を始めた。
やがて、そこから立ち上がったのは――人影だった。
「……やあ、僕は、君の新しいパートナーだよ」
軽やかな男声が、告げた。
見上げれば、そこには、前世で推していたアイドル声優にそっくりなイケメンが立っていた。銀髪に蒼い瞳で、笑顔がやたら爽やかだった。
「名前は……そうだな、『ドーン』でどう?」
ナージョは、思わず口を開けたまま固まった。
「……え、ちょっと待って。なんで人型なの? パソコンじゃなかったの?」
「パソコン機能もあるよ? でも、君が寂しそうだったから、こういう形の方がいいかなって」
――なにこの気遣いAI。いや、精霊?
ナージョは、頭を抱えた。
「人工精霊になったのね……まあ、いいわ。仕事してくれるなら」
「もちろん! 君のためなら、三百年でも付き合うよ」
その言葉に、苦笑した――三百年なんて、ありえない、と思っていた。そう、この時は。
こうして、ナージョと『ドーン』の奇妙な共同生活が始まった。
「これから、どうするの?」
ナージョは、それについても、錬金をしながら考えていた。
「……このまま邸宅に戻ったら、いくら私が国家錬金術士とはいえ、義母とスムースの、いいようにされる可能性があるわ」
脳裏に、第二王子の対立派閥に担がれて叛乱を起こすしかなかったゲームの記憶が甦った。状況は違うとはいえ、スムースと義母、第二王子のトゥーディの立ち回りによっては、同じような対立構造になる可能性が高いと思った。
「そうね……まだイエゥタ殿下は生きているわ。彼を癒やして、第一王子の派閥に取り込んでもらいましょう」
ナージョは、病弱な第一王子のイエゥタを治す特殊な薬の錬成に取りかかることにした。
イエゥタ王子は、体内の魔力器官が繊維化する難病にかかっていて、ゲームの記憶通りならば、この年に亡くなって、第二王子が繰り上がって王太子になる。
その流れを食い止めるのだ。
その後は、錬金机の上に魔方陣を書いて、ポーション系の種薬となる『根源スープ』の入った薬瓶を乗せた上で、ひたすら魔力を流し込んだ。
ほとんど眠りながらも、ベッドの横から魔力を注ぎ、元素を組み替え、分子構造を再構築した。
『ドーン』は、そんな彼女にコーヒーを淹れたり、○ロリーメイトに似た栄養食を作ったり、肩を揉んだり――いや、揉むな。
「君、肩こってるよ? 僕、マッサージスキルもあるんだ」
「いらない! 精霊がマッサージとか、聞いたことない!」
笑いながらも、ナージョは心の奥で、少しだけ救われていた。
孤独じゃない、と思った。それだけで、魔力の流れが安定した。
今度は、十日程して、ついに、その薬が完成した。
錬金塔の窓から差し込む朝日が、黄金色に輝いていた。
ナージョは、机の上に置かれた小瓶を見つめた。
――『エリクシル・ポーション』。
病弱な第一王子イエゥタを救うために、魔力を限界まで注ぎ込み、十日間、ほとんど眠らずに錬成した奇跡の薬だった。
「できた……」
その液体は、淡い虹色に輝き、瓶の中で静かに脈動していた。まるで命そのもののようだ、と思った。
その肩に、ドーンがそっと手を置いた。
「お疲れ、ナージョ。君、本当にすごいよ」
彼の笑顔は、相変わらず爽やかで、ちょっと腹立たしいくらい完璧だ。
「……褒めるなら、コーヒー淹れて」
「はいはい、ブラックでいい?」
「砂糖三杯」
「甘党だねぇ」
軽口を交わしながらも、ナージョの心は、別のことでいっぱいだった。
――これで、イエゥタを救える。彼の笑顔を、もう一度見たい――そんな想いだった。
***
王城の奥の静かな寝室で、イエゥタは、白いシーツに包まれて寝ていた。
すがるような表情をしたメイドと宮廷医師の見つめるなか、ナージョは、震える手で小瓶を差し出した。
「……これを、飲んでください」
イエゥタは、目を開けた。
「ナージョ……?」
「はい、殿下のお薬を錬金致しました。どうぞ」
イエゥタの蒼い瞳が、ゆっくりと彼女を見て、頷いた。その姿は、まるでガラス細工のように儚かった。
「君が、作ったの?」
「ええ。私が作りました」
彼は、かすかな笑みを浮かべた。
「君は……昔から、強いね」
その声に、胸が熱くなる。
イエゥタが、震える手で薬を掴み、口にした瞬間、部屋中に光が溢れた。
魔力の波が、彼の体を包み、枯れた魔力器官に命を吹き込んだのが分かった。
ナージョは、息を呑んだ――成功だ。
イエゥタの頬に、血色が戻った指先が、わずかに動く。
「……ありがとう、ナージョ」
その言葉は、ナージョの心を深く震わせた。
***
数日後、イエゥタは庭園を歩いていた。
その姿を見た瞬間、ナージョは思わず、駆け寄った。
「イエゥタ様!」
「ナージョ」
彼の笑顔は、太陽みたいに柔らかかった。
「お具合は、どうですか?」
――ああ、やっぱり、この人を救えてよかった。胸が高鳴った。
「ああ、大分よいよ。他の回復ポーションも効いているから、もう少ししたら完全に回復するだろう」
彼の横について歩いている黒衣の宮廷医師も、頷いた。
「良かった!」
「ねえ、ナージョ」
けれど、その瞬間、背後から、『ドーン』の声がした。
「僕、完全に空気になってない?」
「……邪魔、しないで」
「いやいや、僕だって君のパートナーだし? イケメン精霊だし?」
「イケメンを自称する精霊、初めて見たわ」
「事実だから、仕方ない」
「おもしろい精霊だね? 僕に少し似ているかな?」
イエゥタは、にこりと微笑んだ。
そういえば、回復したイエゥタは、第二王子のトゥーディよりも線の細い美男子で、実は『ドーン』にそっくりだった。
いや、実は、元々、ナージョは、幼い頃から、トゥーディ王子よりも、イエゥタ王子のことを慕っていた――トゥーディ王子は、かなりの悪ガキで、イエゥタ王子の方が優しかったので。
しかし、思い出した前世の記憶によれば――イエゥタ王子は、前世で推していたアイドル声優がモデルで、『プリンセス・スムース』でも彼自身が声を当てていた。なぜ、こんなチョイ役なのか、有名声優だから、色々あるのだろうと思ったのだったが……。
「ふーん、王子様ね」
『ドーン』は、イエゥタを、ちらりと見て、にっこり笑った。
「僕より顔がいいかどうか、ちょっと競ってみる?」
「やめて! 精霊とはいえ、不敬になるから」
ナージョは、頭を抱えた。
――この精霊、絶対嫉妬してる。
でも、なぜか心が少しだけ楽しくなる。
イエゥタの笑顔と、ドーンの軽口の狭間で、ナージョは初めて、自分が「生きている」と感じていた。
***
イエゥタの回復は、王国に衝撃を与えた。
病弱で政治的影響力が、ほとんどなかった第一王子が、奇跡のように立ち上がったのだ。
彼の周囲には、自然と人が集まり始めた。
スルンダ公爵家を筆頭に、改革を望む貴族たちが派閥を形成し、イエゥタはその中心に立った。
――もちろん、その背後には、私がいた。
ナージョは、イエゥタの派閥のスルンダ公爵家の養子となり、イエゥタの専属錬金術士となっていた。
実は、『プリンセス・スムース』は、乙女ゲームなのに戦略シミュレーションパートがある。これは、歴史シミュレーションの大家のゲーム会社が作ったゲームだから、だと思う。
ナージョは、第二王子派閥と内戦となる可能性を考えて、錬金塔で新たな薬や兵器の試作を進めていたのだった。
「はあ~。イエゥタ様を、是非、王太子にさせなきゃ!」
ナージョは、錬金用のフラスコを振るいながら、イエゥタの笑顔を思い浮かべていた。
「ねえ、ナージョ」
背後から、『ドーン』の声がした。
「君、最近イエゥタのこと考えすぎじゃない?」
「……仕事のことよ」
「ふーん、仕事ねぇ。じゃあ、その頬の赤さは何?」
「赤くない!」
「あるよ。僕、画像解析機能があるから!」
「精霊が画像解析とか、聞いたことない!」
ドーンは、にっこり笑って肩をすくめた。
「まあ、いいけどさ。僕、君が泣くのだけは見たくないから」
その言葉に、ナージョは一瞬、胸がざわついた。
――泣く? そんなこと、あるわけない。そう思っていた、この時は。
***
内戦の影は、静かに広がっていた。
第二王子トゥーディの派閥は、イエゥタの復活に危機感を抱き、動き始めていた。
「もう一手、必用だわ」
ナージョは、強力な兵器となる『超絶ポーション』を錬成することにした。
『超絶ポーション』は、ヒトの能力値を全て最大化し、不老不死にする伝説の薬だった。
乙女ゲーム、『プリンセス・スムース』の戦略パートは、開発陣が何をトチ狂ったのか、この『超絶ポーション』で不老不死となった魔術士のような戦略級ユニットが一人いるだけで、兵隊の数が十倍違っても勝利できた。ネット界隈では、『超絶ポーション』主人公を勝たすための御都合主義的なアイテムだと批判されていたっけ。
ともかく、ヒトをそれほどの超絶マンにするアイテムなので、完成すれば、確実にイエゥタを守れる、はずだった。
しかし、錬金するには、時間が足りなかった。
「そうね、仕方ないわ」
ナージョは、決断した。
『超絶ポーション』を造るため、先に『時の矢屋』を錬成する。
『時の矢屋』は、時間加速の結界を形成する装置だ。発動させれば、この部屋内の時間を速めるから、何年か錬金しても、外では十二分の一の時間しか経過しない。
魔法陣を描き、古代の呪文を紡ぎ、魔力を注ぎ込んだ。
元々、先代の国家錬金術士が、ほとんど完成させていた状態の半完成品があったため、『時の矢屋』は、すぐ錬成できそうだった。
すぐ、時間加速の結界を書き終えた。これを使えば、その内部の時間経過は、十二倍になる。
ドーンは、黙って彼女を見守っていた。
「君、本当にやるんだね」
「やるしかない」
「……僕も一緒に入るよ」
「え?」
「だって、君一人じゃ寂しいでしょ?」
その笑顔に、ナージョは言葉を失った――どうして、この精霊は、こんなに優しいんだろう、と思った。
***
『時の矢屋』を作動させると、時間は狂ったように流れた。
主観時間で三年後に、ナージョは、ついに『超絶ポーション』を完成させた。
その液体は、星の光を閉じ込めたように輝いていた。
「もう、外では三ヶ月が過ぎているのね。すぐ、これを持って、イエゥタ殿下のところに行きましょう」
「待て、何か様子が変だよ?」
錬金塔の窓から見ると、王宮から煙が上がっていた。火事だろうか? あちらは、イエゥタ王子の宮だ。
ちょうどその時、扉が、血に染まった近衛兵によって開かれた。イェウタの側近だった男だった。
「イエゥタ様が……暗殺されました!」
その言葉は、ナージョの世界を粉々に砕いた。
「……嘘よ」
声が震える。足が動かない。
――イエゥタが、死んだ? そんなはず、ない、と思った。
胸の奥で、何かが崩れ落ちる音がした。
『ドーン』は、そっとナージョの肩を抱いた。
「ナージョ……僕がいる」
その言葉に、涙が溢れた。
「スルンダ公爵が犯人として、逮捕されました。直に、ナージョ様も捕縛されると思います。お逃げ下さい!」
近衛兵が、がくりと膝をついた。
「ちょっと待って、調べてみる。各地の魔力端末から、データを集める」
『ドーン』は、目を瞑って、耳を器用にぴくぴくと動かした。
魔力波を使った通信で、設置されている端末から情報を得ているのだろうと思った。
「これは……既に、第二王子派が、主要な場所を占拠している。残念だが、スルンダ公爵も、既に処刑されたようだ」
「!」
……公爵は、上位貴族にしては、気の良いおじいちゃんような方だった。
「ぬ?」
次の瞬間、突然、『ドーン』が目を見開いた。髪の毛が逆立ち、身体が一瞬、二重にぶれたように見えた。
「『ドーン』?」
混乱したまま、声をかける。
すると、『ドーン』は、いつもの様子に戻り、告げた。
「逃げるのは無理そうだね。ここにも、兵が迫っている」
「分かったわ!」
ナージョは、覚悟を決めて、完成したばかりの『超絶ポーション』を、自分で飲んだ。
強烈な光が目の内側から見えた。その瞬間、魂がバラバラになって再構築されるのが、自分で、はっきりと分かった。そして、通常のヒトならざる者に、自分が変化したことが、
「な、ナージョ?」
ふらつきながらも、フラスコを掲げる。
「これ、凄いわ! もう何も怖くないわ」
「……復讐で、この国を滅ぼす?」
「いいえ」
『ドーン』の言葉に、首を振る。イエゥタは、心優しい王子だった。無辜の民まで巻き添えの内戦になることは、望んでいないだろうと、はっきり分かる。
「こうしましょう」
急ぎ、『時の矢屋』の魔法回路を書き換えた。
ナージョは、震える手で最後の符を刻み、魔力を流し込む。
これを発動させれば、外界の一分が、内部では一年になるはずだった。
「完成……」
その声は、かすれていた。涙の跡が頬に残っている。
ナージョは、この極限まで時間を速めた『時の矢屋』で、何を錬金するのかを告げた。
すると、『ドーン』は、静かに彼女を見つめた。
「本当に、三百年やるつもり?」
「やるわ」
「……僕も一緒にいる」
その言葉に、ナージョは目を伏せた。
「どうして、そこまで?」
「君が泣くの、もう見たくないから」
その笑顔は、優しすぎて、胸が痛くなる。
――どうして、この精霊は、こんなに人間みたいなんだろう、と思った。
「ナージョ」
振り向けば、そこに――イエゥタがいた。
いや、正確には、イエゥタと『ドーン』が重なった存在だった。
蒼い瞳と銀髪、笑顔は二人の面影を併せ持っていた。
「僕は……イエゥタであり、『ドーン』だ」
ナージョは、息を呑んだ。
「どういう……こと?」
「暗殺された時、僕の魂はドーンと融合した。君が作った精霊に、僕の意識が宿ったんだ」
その声は、懐かしくて、優しくて――胸が張り裂けそうだった。
「ナージョ。僕を選んで」
イエゥタが、手を差し伸べた。
『ドーン』も、笑って言った。
「僕も、君を愛してる」
――二人の声が、重なった。
ナージョの心は、激しく揺れた。愛した王子と、支えてくれた精霊、そのどちらも、かけがえのない存在だった。
***
一年、十年、百年――ナージョは、魔力を注ぎ続けた。
元素を組み替え、構造を再構築し、理論を積み重ねる。
ドーンは、彼女の隣で、笑い、支え、時にからかう。
「ねえ、ナージョ。三百年って言ったけど、僕、もう君の好み全部覚えちゃったよ」
「……そんなこと覚えてどうするの」
「君が笑うなら、なんでもする」
その言葉に、ナージョは胸がざわついた。
――イエゥタの望んだものを取り戻す。それだけが目的だったはずなのに。
***
三百年が過ぎた。
外界では、わずか五時間だった。
『時の矢屋』の扉が開いた瞬間、外界の空気が流れ込んだ。
その手には、究極の錬金産物――『王国の素』が握られていた。
それは、砂粒ほどの結晶だた。しかし、その中には、生命と文明の設計図が詰まっている。
――これを投じれば、一つの王国そのものを創ることができる。
ナージョは、深く息を吐いた。
「……終わった」
その声に、背後から声がかけられた。
「お疲れ、ナージョ」
「君は、本当にすごい」
振り向けば、イエゥタ=『ドーン』が微笑んだ。
ナージョの胸が、強く締め付けられる。
「……これから、どうするの?」
イエゥタ=『ドーン』は、静かに答えた。
「君と、新しい世界を創る」
その言葉に、ナージョは微笑んだ。
「じゃあ、始めましょう」
***
兵士をなぎ倒して、王都の外にでると、そのままずっと走って砂漠まできた。
その砂漠の中央に、ナージョは『王国の素』を投じた。
結晶が地面に触れた瞬間、光が爆ぜ、風が唸り、空が裂けた。
魔力の奔流が大地を駆け抜け、砂が水に変わり、オアシスが生まれた。
緑が芽吹き、精霊が舞い、城がにょきにょきと建てられた。
――新しい王国の誕生だ。
ナージョは、その光景を見つめながら、深く息を吐いた。
「……やった」
その肩に、イエゥタ=『ドーン』が手を置く。
「ナージョ。僕たち、これからどうなるんだろうね」
彼女は、笑った。
「どうなるかなんて、わからないわ」
その言葉を、イエゥタ=『ドーン』の声が継いだ。
「君が笑ってるなら、それでいい。君を守り続ける」
ナージョは、彼を見つめた。
「二人で、未来を創るのよ」
その瞬間、風が吹き抜け、光が彼らを包んだ。
新しい世界の始まりと、二人の物語の続きが、そこにあった。
(了)
あー、時代は、錬金術と悪役令嬢という感じで、一作、パイロット版の短編を作ってみました。好評でしたら、連載版を書きたいと思うので、気に入って頂けましたら、高評価、ブックマークなど、ポチっとお願い致します。
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