ここはどこ? あなたはだれ?(4)
「あっ! ママの車が着いたみたいなので、帰りますね! お疲れ様です!」
「お疲れさま!」
いつの間にか帰る準備が終わっていた秋田ちゃんは、携帯を確認すると慌ててロッカー室から出ていった。
私も急いで用意を終わらせて店頭に出ると、戸坂さんがすでにレジ前に立っていた。店内を見渡すとお客さんはいないようで安心する。
雑誌棚のガラス越しの先、外の駐車場では、ちょうど車に秋田ちゃんが乗り込むところが見えた。
私の働いているコンビニの夜勤の時間帯は、基本的にいつも暇だ。
一応某チェーン店なので二十四時間営業をしているが、この辺に住む若者が少ないからか夜中に屯されることもない。
コンビニは駅からは徒歩三分の距離だが、そもそも電車の終電が九時半くらいなので、私の出勤時間にはお客さんがほぼ来ない。
たまに終電を逃してタクシーで家に帰る途中にコンビニに寄る人とか、夏だと多いのは自転車でアイスを買いにくる人がいるくらい。
「……暇だ」
「いつもどおりだネ〜」
「そうですね…」
つい呟いた言葉に戸坂さんから返事が返ってきて、やっぱりびっくりしてしまう。
こっちの世界の戸坂さんの方が確かに話しやすいが、見た目は同じだからか違和感がすごい。
しばらくいつも通りの、静かで平和な時間が流れる。
お客さんも来ないし、モップでもかけようかと取りに向かおうとした私の背中に、戸坂さんが声をかけた。
「そいえば流田ちゃん、昨日この辺で鎌鼬がでたみたいなんだケド、知ってた〜?」
「あ、はい。ニュースでもやってましたよね。魔物討伐隊が討伐したって」
「そうそう、怖いよネ〜。二ヶ月前にもこの辺で『雪女』に襲われた事件あったジャン。この辺も魔物の被害が増えてくのかなァ〜」
足を止めて振り返ると、どこから引っ張り出してきたのかパイプ椅子に座っていた戸坂さんは、レジ台に右肘をつきながらドアのガラス越しに外を眺めていた。
「あの、坂田さんの事件のこと、知ってますか?」
戸坂さんの後頭部を見つめながら、ふと思い出したことを聞いてみた。
「あ〜知ってるも何も、二ヶ月前にその雪女に襲われたのが、坂田さんジャンか」
「…そうだったんですね」
坂田さんという人が襲われたのは、雪女だったらしい。
――雪女。
今朝、沙良木さんが教えてくれた魔物講座を思い出す。
たしか、冬の嵐の日に現れる魔物で、吹雪を呼び寄せるんだっけ。
眷属の鎌鼬を三頭〜五頭、常に従えていて、雪女に出会うと容赦なく氷漬けにされるらしい。
対処法としては、雪女が現れる時は視界が白くなるくらい急に吹雪くから、急いで来た道を引き返すのがベスト。
ある程度離れることができれば風吹はなくなって、追ってくることもないので、距離さえとれれば危険度は下がるみたい。
雪女は積極的に人を襲うというより、一定の距離まで近づいた人を襲うようで、自分から近づかなければそんなに危険じゃない、と沙良木さんが言っていた。
「あンときは大変だったよネ〜。襲われた場所がココから近いから、店を休業しようとした店長と働きたいオバチャンたちが揉めて、さすがのオレもめっちゃ気まずかったモン〜」
「戸坂さんは昼もシフト入ってましたもんね」
「たまに人が足りない時だけだけどネ〜。結局多数決で閉まることはなかったケド、…流田ちゃんは店長にどっちがいいか聞かれなかった〜?」
「えっ? あーそういえば聞かれた、ような気がします…」
聞かれてません。むしろそんな話初めて聞きました。
内心は真逆のことを思いながら曖昧に返事をすると、戸坂さんが急に顔をこちらに向ける。
目が合ったので、とっさに苦笑いを返しながら「モップ取ってきますね」とその場を離れた。
私が床をモップをがけしている間、レジ前でパイプ椅子に座っている戸坂さんは、またぼーっと外を眺めていた。
モップがけの後は、店頭に出ている残り少なくなった商品を確認していく。
あとで持ってきて補充しないと…。
「流田ちゃん、ちょっとこっち〜」
商品の数をチェックしていると、戸坂さんに声をかけられた。
手招きされてレジ台を挟んで戸坂さんの前に立つと、「タバコの補充ってどこにあったっけ〜?」と首を傾げられる。
「いつもの場所にありませんでした?」
戸坂さんは私より長くここで働いているので分からないはずがない。
もしかしたら在庫の保管場所が変わったのかもしれない。
レジ台をぐるりとまわって戸坂さんの横まで行き、彼の目の前の引出しを開けた。
いつもはここに色々な種類の煙草がカートンで積まれている。
「あれ? ここにありますよ」
「あ〜そこだったかぁ。ひさびさすぎて忘れてたヨ〜」
ピーンポーンパーンポーン〜
戸坂さんがカートンの煙草を取り出したタイミングで、個性的な学校のチャイムのような入店音が店内に鳴り響いた。
「いらっしゃいま――」
相変わらず変な入店音だなあと入口に顔を向けて、無意識に、声が途切れた。
目を見開いたまま、全身がその場で凍りついたように動かなくなる。
――ビシャ…ビシャ…ビシャ…
水溜まりを踏みしめて歩いているような音がする。
視線の先には何も見えないのに、音がするたび、モップをかけたばかりの綺麗な床に水の足跡が残っていた。
水の足跡は平均的な成人男性の足よりも二回りくらい大きく、足の指は三本。
隣で戸坂さんが「ビシャだ…」と呟く声が聞こえた。
びしゃ…? もしかして魔物!? 警報なんて出てなかったのに! ど、どうしよう、どうしたらいい?
内心パニックになっていると、頭の上にぽんっと手が置かれる。
左上を仰ぎ見ると、戸坂さんがじっと私を見ていた。口元に左手の人差し指を添えて、微かに首を横に振る。
その間も、ビシャ、ビシャ…と店内を歩きまわる足音。
姿の見えない魔物は、出入り口からすぐ左に向かって歩き、突き当たりを右に曲がり……店内を一周ぐるっと回っているようだ。
レジ台から見て一番右側の通路の手前まで来ると、そのままレジ前を歩く。
姿が見えなくても、音と足跡で、すぐ目の前を歩いているのが分かった。
緊張が走り、無意識に呼吸が浅くなる。
音と足跡は、そのままドアの方へまっすぐ向かっていき――ピーンポーンパーンポーン〜
そのままドアをくぐり、去って行った。
びっくりした…何もなくてよかった。
先ほどの緊張感からは解放されたが、まだ心臓がどきどきしていて、無意識に胸元の上で右手をぎゅっと握っていた。
「…流田ちゃん、念のため魔物討伐隊に通報ヨロシク〜」
「は、はい!」
そう言って、煙草の棚の近くに置かれたラジオのチャンネルをいじり始めた戸坂さんを横目に、急いでロッカーへ向う。
ロッカーから携帯を取り出して、はたと指が止まった。
魔物討伐隊の電話番号って何番だっけ…? そういえば今日貰った名刺…は家に置いてきたんだった!
仕方がないので「魔物討伐隊って何番でしたっけ?」と番号を聞くと、戸坂さんに信じられないものを見たかのような顔をされた。
ちなみに、魔物に遭遇した時の連絡先は『000』だって。




