この世界で(1)
――ちりんちりん、
「おや、久しぶりだね」
燈ノ万屋に足を踏み入れると、扉から顔を出したおじいさんに声をかけられる。
「こんにちは。今日は防犯ブザーを買いに来ました」
私が笑顔で話しかけると、おじいさんはいつものように、目尻をゆるめて穏やかな笑みを返してくれた。
「ゆっくり見ていくといい。商品が決まったら呼ぶんだよ」
おじいさんは忙しいのか、私に一声かけると少し扉を開けたまま中へ戻った。
いろいろな種類の護身具が並べられた棚から、防犯ブザーを手に取る。
ふと、レジ横に貼られた写真に視線を向けた。
引き寄せられるように、よく見える位置まで近づいていた。
写真に写るのは、以前にも見た優しく笑う父の表情。
…もし、元の世界で。私から父に話しかけたり、私から関わっていれば、父と私の関係は何か変わっていたのだろうか。
そっと右手を心臓のあたり当てた。
結局、私が『私』の中になぜ、どうやって入ったのかはわからないままだ。
そして私は、元の世界にもう戻ることはできないということを、感覚として心のどこかでわかっていた。
私の魂がここにあるということは、元の世界の私はきっと…。
父は、悲しんだだろうか。
お酒の量、増えたかな。
瑠美は、きっと泣いていたんだろうな。
……長生き、してくれたらいいなあ。
色々な思いを閉じ込めるように、手のひらをゆっくりと握りしめる。
――『私も、流田未来です』
誰にも言えなかった秘密を、この世界で自分の名前を口にしたとき。
私はたしかにこの世界に存在していると、実感した。
……私は、この世界で何をしたらいいんだろうか。『私』には、やりたいことがあったのかな。
しばらくの間、何も貼られていない壁を見つめていると、ちりんちりんと来客のベルが鳴る。
入り口に顔を向けると、
「…あ、」
きっとお互い、浮かべているのは同じ表情。
そして私は、その人へ自然と笑みを向けていた。
「お久しぶりです」
「…うん、久しぶり」
私に近づく小鳥遊さんは、私服を着ていた。
グレーのパーカーに黒いズボンとラフな格好で、珍しく短刀も銃も見当たらない。
「今日は休みなんだ」
私の視線に気づいたのか、小鳥遊さんが教えてくれた。
「そうなんですね」
柔らかく笑う小鳥遊さんの髪も、よく見ればセットされていない。
いつもより髪が長く見えて、それがほんの少しだけ、違う人のようにも見えた。
今日は休み、なんだ…。
「あの、相談したいことがあります。今から少しお茶しませんか?」
気づけば、口が勝手に動いていた。
向かったのは小鳥遊さんと出会ったばかりのころ、二人で初めて来た喫茶店だった。
店内に入ると以前のような視線は感じない。
案内されたのは、外の街並みが見える窓際の席だった。
席に着くと、私は迷わずバスクチーズケーキとアイスコーヒーを注文する。
小鳥遊さんはアイスコーヒーだけを注文していた。
「もう、体調は大丈夫?」
「はい。すっかり元気です!」
心配そうな小鳥遊さんに、両手を握って返事をする。
「そう、よかった」
小鳥遊さんは、いつもどおりの柔らかい笑みを浮かべた。
「…今日は一日休みなんですか?」
「そうだね」
「…休みの日、燈ノ万屋にはよく来るんですか?」
「んー、確かに行くことが多かも」
なんとなく、今までより会話がぎこちなく感じる。
少しだけ気まずい思いで会話を続けていると、バスクチーズケーキとアイスコーヒーが机に置かれた。
とりあえず、会話よりもケーキを味わう方向に切り替える。
……うん、幸せな味。
無意識に口元が緩んでいたようで、そんな私を見て小鳥遊さんはふっと息をはいた。
微笑む小鳥遊さんを見て、思い出したことがある。
アイスコーヒーで喉を潤し、勇気を出して口を開いた。
「……あの、」
「うん?」
「お祭りの時にもらった小鳥のキーホルダー、なんですけど。あの後なくしてしまったみたいで…すみません」
魔物に襲われたときにどこかで落としたのか、鞄に入れていたはずのキーホルダーがなくなっていた。
ケーキの欠片がついたフォークを見つめながら、その時のことを思い出し、落ち込んだ気分で伝えた。
「…そんなに気に入ってくれてたの?」
「……はい」
視線を上げると小鳥遊さんは柔らかい笑みのままで、私は目を合わせたまま頷く。
小鳥遊さんは私の様子に一瞬目を丸くして、また目を細めた。
「…じゃあまた今度、見つけたら未来さんにあげる」
その言葉に、胸がじんわり温かくなる。
なんだかむずむずして…フォークを握りなおして、ケーキを食べ進めた。
大好きなバスクチーズケーキが、甘さのせいか、少しだけ喉を通りづらかった。
それから、好きな食べ物から休日の過ごし方など、他愛のない話をしていた。
そして、ケーキを食べ終えたころ。私は、小鳥遊さんを誘った本題を切り出した。
「以前、魔物討伐隊に誘っていただいた件なんですが」
「……うん」
「私は……夢とか、やりたい事がありません。でも、だからといって小鳥遊さんのように、人の命を守ることに自分の命をかけることを、選べません」
「……」
話しながら、気づけば唇を噛み締めて、テーブルの上に置いていた両手に力が入る。
数秒後、小鳥遊さんははっきりとした声で言った。
「それは違うよ」
顔を上げると、小鳥遊さんは私の握りしめた手を見つめていた。
「俺は…俺も、他人のために自分の命をかけたりしない」
「……それは、どういう…」
整えられていない前髪が顔にかかり、小鳥遊さんの表情がわからなくなる。
「…俺の両親は、ある呪術師に殺されたんだ」
その言葉に、私は瞬きを重ねて、次第に目を大きく見開く。
かける言葉も見つからず、ただ固まってしまった。
「呪術師は、一般的には知られていない存在。唯一呪術師についての情報があるのは、魔物討伐隊だった」
小鳥遊さんが視線を上げ、私を見つめる。
「俺は、両親の仇を見つけるために、魔物討伐隊に入ったんだ」
目が合ったその瞳は、鋭くて、まっすぐで、
「あんな目に合わせたあいつらを、俺は絶対に見つけて…」
――強く、惹きつけられた。
途中で言葉を切った小鳥遊さんは、自嘲するように笑う。
「俺は、未来さんが思ってるような正義感の強い人間じゃないよ」
小鳥遊さんはそう言うと、またいつものように柔らかい笑みを浮かべた。
…どうしてだろう。
私は、小鳥遊さんが魔物討伐隊に入った本当の理由を聞いて、その話す姿を見て。
純粋に、とても綺麗だと感じた。
小鳥遊さんの心の中は、憎しみや悲しみで埋まっているのかもしれない。
それでも前を向くその瞳が、私には力強く輝いているように見えて――とても、憧れた。
……どうしたら、この人に近づけるのかな。
溶けた氷が、からんと音を立てた。
「ちょっと暗い話だったね。…ごめんね」
申し訳なさそうに眉を下げる姿に、思わず勢いよく首を横にふっていた。
私の様子に、また少し目を丸くして苦笑する。
「……でも、未来さんの人生なんだから、未来さんの好きに生きていいんだよ。未来さんがどう考えて、どんな選択をしようと、他人が口出す権利なんてないんだから」
小鳥遊さんが自分自身もそうだと教えてくれたから。だからこそ、その言葉は私の中にすとんと落ちた。
店を出て別れる時、夕日のせいか笑顔で手を振る小鳥遊さんが、私にはとても眩しかった。




