私と『私』と(2)
二人はゆっくりと土を踏みしめて、こちらに近づいてきた。
よく見ると、環さんの手には黒い人形のようなものが握られている。
それは、以前私がもらった人形に似ていた。
「……お前らの仕業か」
戸坂さんの咎めるような声色に、哨子さんはわざとらしく眉を下げて首を傾げた。
「あら? どうしてそんなに怒ってるの。その方にはちょっと協力してもらっただけですわ」
「哨子に協力を依頼したのは僕だよ。彼女は人探しが上手いから。二人とも、義兄が迷惑をかけたね」
環さんは涼しい顔で草木の茂った道を、下駄でさくさく歩いて私に向かってくる。
真っ黒の着物で歩くその姿が、この場では異質に見えた。
歩きながら横に視線を向けた環さんは、その視線の先に「黒い人形」を投げつける。
人形が落ちた先は、笠松さんの隣に立っていた二体の小鬼の前。小鬼は人形を拾い上げて――食べた。
風がかすかに吹き、小鬼の臭いなのか、鼻につく異臭を感じる。
「全く、無駄に魔物を呼ばないでほしいよね」
環さんに視線を戻すと、呆れた顔で人形を食べる魔物を見つめていた。
戸坂さんはそんな環さんに厳しい目を向ける。
「なあ…、“記憶を消して別の人間の魂を入れた”って、本当か?」
その言葉に、この場にいる全員の視線が環さんに注がれる。
環さんのまっすぐ伸びた黒髪が、少し顔にかかった。
「……なにそれ?」
当の本人は髪を耳にかけながら、きょとんとした表情のあと、顎に指をかける。
「あー、もしかして、君のことを言ってる?」
環さんと目が合う。
私は咄嗟に、なにも答えられなかった。
数秒して、環さんは私から視線をそらすとゆっくりと話し始めた。
「ん、と。ちょっと違う。義兄が呼んだ魔物が君の……“流田未来”の魂を食べたから、色々調整できるようにはしたけど」
「……それ、わたくしは初めて聞いたのだけれど?」
哨子さんが目を細めて環さんを見る。
「言ったよ? 五ヶ月前に。義兄が一般人の魂を利用しようとして、勘当されたって…」
「俺はお前の話をしている」
環さんの話を、戸坂さんが強い口調で遮る。
その表情は、環さんを非難しているように見えた。
「呪術師の規定を忘れたのか」
「……呪術師を辞めた君が言うの?」
環さんを見つめる戸坂さんの瞳が鋭さを増す。
それでも、環さんはそんな戸坂さんを不思議そうに見つめ返すだけだった。
その場が静まり返る中。思い切って、私は口を開いた。
「あの、私は……」
環さんは表情を変えずに私と視線を合わせると、こてんと首を傾げた。
「僕が流田未来の体に入れたのは、温厚な低級の魔物の魂だよ」
……魔物の、魂?
「…そのうち離れた場所に肉体だけ置いて、発見させる流れだったんだけど。すぐに別の魂が入ったから、僕が入れたものは追い出されたんだ」
それって、やっぱりこの世界の『私』はもう…。
無意識に、胸元の服を右手でぎゅっと握りしめる。
人の死を、淡々と表情も変えずに語る。そんな環さんが、不気味に見えた。
「…お前がやったことは、禁忌のはずだ」
「ちゃんと肉体の損傷を抑えるために、かなり魔力の少ない魔物にしたし、一応君たちの父親は知ってるよ」
その言葉に、戸坂さんは忌々しそうに顔を歪めて舌打ちをする。
哨子さんはそんな戸坂さんを見て視線を落とし、そして私へ目を向けた。
「……なら、今私たちの目の前にいるのは誰の魂なのかしら?」
今度は、全員の視線が私に向けられる。
視線で胸が締め付けられたように、息が詰まりそうだった。
――それは、私が今まで、誰にも話せなかったこと。
からからに乾いた喉で、こくりと無理矢理唾を飲み込む。
「……ぁ、わ、わたしは、流田未来です…」
呼吸が浅いせいか、声はかすれていた。
ただ、不思議と自分の名前を口にしたとたん。
どうせ誰も信じないとか、頭がおかしくなったと思われたらとか、そんな不安や緊張が、かき消えていた。
「ここではない、別の世界から来ました。私にもどうやって来たのかわかりません。気づいたらここにいて」
もう、ここまで来たらどうにでもなれ。
地面を見つめながら、そんな投げやりな気持ちもあった。
「でも、私は、私も、流田未来です……!」
胸が高鳴り、握りしめた手には汗を感じながら、自然と声に力が入る。
私の叫び声が、少しだけ森の中に反響していた。
さっきから、まわりは私を流田未来じゃないと決めつけて。
確かに私はこの世界の『私』ではない、けど。
それでも、ここにいるのは、私――流田未来だ。
「…そうなんだ」
一番最初に言葉を返してくれたのは、環さんだった。
「ちょっと、そんな簡単にこんな話信じられるの…!? 他家が関わってると言われた方が、まだ信じられるわ!」
そんな環さんに、哨子さんは目を大きく開く。
…私も、こんなにあっさりと環さんが頷いたことに驚いていた。
環さんは、哨子さんを見つめて淡々と話す。
「んー、一般人からすると、異界との繋がりが深い呪術師を信じられないでしょ? それと同じだよ」
「どこがどう同じなのよ? それに…」
ふと、哨子さんが口を閉じた。
森の中、何も見えない奥を見据えるように視線を向けると、大きくため息を吐く。
「…ここまでね。貴女のことは気になるけれど……まあ、呪力も感じなければ害もなさそうですし。今回は見逃してあげる。……環、小鬼は貴方にあげるわ」
「えぇ、いらないんだけど……あ」
環さんは不満そうな声色で人形を食べ終わり大人しく立っていた小鬼に近づくと、何かを思い出したように振り向いた。
「そうそう。義兄側の人間が、色々と揉み消すために君を消そうと動いてたみたいなんだけど。今回、義兄と一緒に処罰はしっかりするから安心してね」
環さんの隣に哨子さんが立つと、風が強く吹いた。
いつも無表情だった環さんの表情が、私を見つめてほんの少し寂しそうに微笑んだように見えたのは、気のせいだろうか。
「じゃあね、――流田未来さん」
大量の木の葉が風に舞い、視界を覆った。
次の瞬間、木の葉が消える。
目の前には哨子さんも、環さんも、小鬼もいなかった。
すでに誰もいない場所をぼんやり見つめていると、頭を軽くかきながら戸坂さんが口を開く。
「あー、流田さ――」
「ご主人! 祓い屋連中が近づいてる!」
何かを言いかけた戸坂さんを遮り、戸坂さんと同じサイズの狐が、こちらに駆け寄ってきた。
「…流田さん、できれば話を合わせてくれると助かる」
狐から私に視線を向けた戸坂さんがそう言うと、大きな狐は同じく大きな耳をぺたんと伏せた。
「ごめんネ流田ちゃん。オレには、あんな風にミンナで移動できる力はないんダ」
あんな風っていうのは、環さんがいつも突然消える技みたいなことかな?
大きな狐の悲しそうな姿に、少しだけ口元が緩んでしまう。
「狐、お前は帰れ」
戸坂さんがそう声をかけると、悲しそうにきゅう、と鳴いた。
「――またネ、流田ちゃん」
最後に声が聞こえて、ぐにゃりとその姿が歪むと、あっという間に姿が消えていた。
「……狐は魔物だけど、今回流田さんが攫われたことを教えてくれたのは狐なんだ」
「え……」
その内容に、詳しく聞こうと口を開いて――
ガサガサッと草木が揺れ、土を踏みしめる音が聞こえる。
それは徐々にこちらに近づいていた。
そして、それからすぐ、その人たちが現れた。




