私と『私』と(1)
『だって君、流田未来じゃないでしょ?』
何を言っているのか、理解できなかった。
「どういう、ことですか……」
声が掠れる。
笠松さんはゆっくりと手を上げると、私の体に指を向けた。
「んー、そういうのいらない……って言おうと思ったけど」
指をくるくるまわしながら、首を傾げる。
「もしかして、記憶…食べられちゃった?」
怖い、はずなのに。
それでも私は、何かを知っているこの人から、何を知っているのか知りたかった。
「私、は、流田未来です」
私の言葉に、笠松さんが目を細める。
「違うよ。だって流田未来の魂は、――僕の友だちが、食べちゃったんだもん」
一瞬、息をするのも忘れた。
この世界に来た時、何度か考えたことがある。
私が、別の世界から来たのだとしたら。
この世界の『私』は、どうなったのか。
「魂を、食べたって…?」
「うん? そのままの意味だよ。僕の友達の『小鬼』が流田未来の魂を食べたから、そのうち肉体も死ぬはずだったんだけど」
そこで、一度言葉が切れる。
笠松さんは眉を寄せながら、考え込む仕草をした。
「なぜか肉体がまだ生きてるし、別の魂が入ってる」
そして「不思議だよねぇ」と呟いた。
魔物に魂を食べられると、肉体は死ぬ? じゃあ、この世界の『私』は……。
呼吸が浅くなり、胸の中が重くなる。
ふと、笠松さんの視線がシャッターの閉まった窓の外に向けられた。
「まあ、何も知らないならいいや。どうやったのかは知りたいところだけど、時間もなさそうだし」
笠松さんは立ち上がり、怪しげな道具がたくさん置かれた場所へ歩くと、私に背を向けて何かを掴む。
振り返った時には、手には小さな刀があった。
私の視線に気づいた笠松さんは苦笑する。
「さすがに今殺すなんて、意味のないことはしないよ。ただ、ちょっとだけ友達におやつをあげたくて」
今殺さないだけで、その刀で何をされるのか。
笠松さんが近づいてくる。
恐怖で、身体が震えた。
――それでも。私は思考を止めなかった。
刀から目を外さずに、どうやったら奪えるのか、部屋に武器になりそうなものはないか、必死に戦い方を考える。
笠松さんの刀の刃に写る私の瞳は鋭く、どこか他人のように見えた。
その姿が次第に大きくなる。
ゆっくり、こくりと喉を鳴らした。
その時。窓の外で何かをひっかくような音がした気がした。
――パキッ
続けて木の軋む音が、はっきりと聞こえた直後。
その場に、衝撃が走った。
「っ!」
とっさに目を瞑っていた私の体が、ふわりと持ち上がる感覚。
薄目を開けると砂埃でぼやけていて、外の空気に触れた瞬間、視界が晴れた。
森の中なのか、草木が広がるだけで周囲には家も道も見当たらない。
顔を上げると、私を持ち上げていた人と目が合った。
「……戸坂、さん?」
戸惑いながら呼びかけると、彼は明るくにっこりと笑った。
「流田ちゃん、もう大丈夫だヨ! ご主人とオレに任せロ!」
…もう一人の戸坂さんか。
抱き上げられたまま、しばらく緑の景色が流れる。人一人を抱えて走ってるとは思えないスピードだ。
少しすると、ひらけた場所に複数の影が見えた。
「おい狐! さっさとこっちを手伝え!」
声の方に視線を向けると、そこには刀を持った戸坂さんがいた。
戸坂さんのまわりには、一週間前にも見た小鬼が三体。
「ご主人、まだやってたの」
「ってめぇ! 俺は普通のニンゲンだって何回も言わせんな!!」
“狐”と呼ばれた戸坂さんは、少し離れた位置で私を地面に下ろすと、小鬼に目を向ける。
「…っ!」
細めた眼が赤く光り、舌なめずりをする様子に、背中にゾッと寒気が走った。
そして、私の瞬きひとつした瞬間。“狐”と呼ばれた彼は、戸坂さんの隣に立っていた。
それからはあっという間だった。
小鬼は“狐”と呼ばれた戸坂さんの手で体を貫かれ、事切れていく。
目を赤く光らせた戸坂さんは、人間では考えられない量の涎をぼたぼたと垂らし、すでに動かなくなった小鬼を濡らした。
私がその様子に口元を引き攣らせていると、それに気づいた刀を持った戸坂さんが嫌そうな顔をする。
「……おい、狐。俺の姿で食べるなよ」
戸坂さんがそう声をかけると、一瞬視界が歪む。
涎を垂らした戸坂さんから、涎を垂らした狐に姿が変わった。
サイズ感はそのままで。
……でっかい狐だ。しかも魔物、食べるんだ。
ばりばり、ぐちゃぐちゃ――と聞いてはいけないような音を立てて、見た目は可愛らしい巨大な狐が、美味しそうに魔物を貪る。
何本も生えた尻尾をぶんぶんとゆらし、アーモンド型の目は瞳が消えるくらい、満足そうに細められていた。
その様子を見て戸坂さんはため息を吐くと、私に近づいてくる。
「どうしてここに……?」
「……悪い」
呟くように小さな声で、なぜか戸坂さんが謝罪を口にする。
そして私の前でしゃがみ込むと、手足のロープを切ってくれた。
聞きたいことはたくさんある。だけど、私が口を開く前に、こちらに近づく足音が聞こえた。
「あーあ、また減っちゃった。僕の友達をそんな簡単に殺さないでよ」
声の方へ視線を向けると、笠松さんと、その隣には小鬼が二体。
「……そんなに堂々と、何体も魔物を呼びまくってるなら警報は鳴りまくりだな。今ごろ魔物討伐隊がこっちに向かって来てるぞ」
戸坂さんの「魔物討伐隊」という言葉に、不思議と安心感を覚える私がいた。
「別に、力のない祓い屋もどきが何人来ようとどうでもいいさ」
笠松さんは特に気にする様子もなく、肩をすくめる。
そして、私に視線を向けた。
「それよりさ、哨悟。その子、誰だと思う? 環が記憶を消して、別の魂を入れたみたいなんだけど」
「……っ」
肩が跳ねる。
戸坂さんは顔を顰めて、私に視線を向けた。
「別の魂には見えないけど?」
「…哨悟はほとんど呪力しか視えないもんね」
「それはお前も同じだろ」
その言葉に、笠松さんはゆっくりと唇の端を持ち上げる。
「そうだね。でも僕にはわかる。だって――」
――それは、ほんの一瞬の出来事。
大きな鬼の頭が、すごい勢いで目の前に現れて。
笠松さんを、食べた。
鬼の頭はその勢いのまま通り過ぎ、どこかへ去っていく。
あまりのスピードにはっきりとは見えなかったが、あれはあのお祭りの日に現れた、巨大な鬼の頭とそっくりだった。
私も、戸坂さんも、目の前で起こったその光景に、目を大きく開いて固まっていた。
戸坂さんが眉を寄せて舌打ちする。
魔物が現れた方へ顔を向け、私もつられて視線を動かした。
「ご協力、どうもありがとう。あら哨悟、ひさしぶりね! 今日はちゃんとわたくしと目を合わせてくれるのね。嬉しいわ!」
黒い手袋をした両手を合わせてはしゃぐ哨子さんと、その隣には無表情の環さん。
かすかに遠くで、魔物討伐隊の乗る高機動車から発せられるブザー音が聞こえた気がした。




