それぞれの事情(3)
そこにいたのは、あの“着物の人”だった。
私と瑠美が河童に襲われそうだったときに、助けてくれて不気味な人形のお守りをくれた人。
…どうしてこの人がここに?
「遅かったじゃない」
顔を上げた哨子さんが、着物の人に話しかける。
「時間通りだと思うけど?」
着物の人は両手を袖に入れ、表情を変えずにこてんと首を傾げて哨子さんを見つめた。
「……ふんっ。さっさと座ったらどう?」
「座りたいけど君のスカートの裾を踏んづけそうなんだよね」
「……」
この二人はいったいどういう関係なんだろう。
哨子さんが無言で座る場所をずらしてスカートの位置を整えると、着物の人は無表情のままその隣に腰を下ろした。
「アイスコーヒーをお持ちしました」
八代さんがアイスコーヒーを二つ、テーブルの上に置く。
一つは私の前、もう一つは哨子さんの前あたりに置いたと思うのだが、着物の人はさっと自分の方へそれを寄せて口をつけた。
「ありがとう」
「ちょっと、それはわたくしのよ!?」
「あ、これどうぞ…」
「…いいわ。八代」
私のを渡そうとしたが、断られる。
哨子さんは、キッと着物の人を睨みつけた。
八代さんは軽く頭を下げ、また店の奥に消えていく。その後ろ姿を見つめていると、着物の人が口を開いた。
「ところで。依頼にあった視て欲しい人は彼女?」
「……ええ。そのつもり、だったのだけれど。視てのとおり、呪力はすっかり感じなくなっていたの」
「彼女なら前にも視たよ」
そう言った着物の人に、哨子さんは目を見開く。
「なんですって? 貴方たち、初対面ではないの!?」
そのまま私に顔を向けられたが、私も驚いていた。
二ヶ月も前に一度会っただけで、私を見ても反応がなかったから覚えてないのかと思ったのに。
「前に一度、助けてもらいました。…ありがとうございました」
不気味な人形のお守りのことは、あえて言わなかった。だって戸坂さんに渡しちゃったし。
「助けた…? 環が、人を…?」
……環、さん? どこかで聞いたことがあるような…。
哨子さんは眉を顰めて着物の人――環さんを見る。
「僕は純粋な気持ちで人助けをしたい気分だったんだ」
「……」
抑揚なく答えてアイスコーヒーを飲む環さんに、哨子さんは胡散臭そうな目を向けた。
二人の様子に、私は先ほどからあった疑問を口にする。
「あの…お二人はどういった関係なんですか?」
私がそう聞いたとたん、その場の空気が固まった、気がした。
…あれ? なんで?
そのタイミングで、八代さんが哨子さんのアイスコーヒーをテーブルに置く。
「僕たちは婚約者なんだ」
…婚約者。
さらっと環さんがそう言うと、哨子さんは本気で嫌そうに顔を歪めた。
「仮のね、仮の! 哨悟が戻ったらきっとこんな婚約は破棄よ!」
哨子さんはアイスコーヒーを手に、窓の外へ顔を向ける。
環さんはちらりと隣に視線を向けたが、無表情でアイスコーヒーを飲み続けた。
「……こほん。話が脱線しすぎたわ。ところで貴方なら、呪力が消えた原因がわかるのではなくて?」
「どうだろ。本人の方が心当たりはありそうだけど」
二人からの視線を感じて、私はアイスコーヒーを口元まで運んだ状態で思わず固まった。
…環さんの言葉は、どういう意味?
アイスコーヒーを持つ手がかすかに震えそうになり、慌ててテーブルに置く。
私が無言で首を横に振ると、哨子さんは目を細めて頬に手を当てた。
「ないみたいよ? どうしましょう。成功報酬のつもりが、何も教えることがなくなったわ」
「ならかわりに、魔物について教えてあげようか」
すでにアイスコーヒーを飲み切った環さんが、氷だけ残ったコップをテーブルに戻すと、私を見つめながら言った。
「魔物について、ですか?」
「そう。魔物がどうやって現れるのか、なぜ呪力に魔物が寄ってくるのか。知りたくない?」
この世界に来た時、魔物について調べたことがある。
たしか魔力濃度がどうとかで、現代の技術では、魔物の発生源を辿ることは不可能だと。
それと、魔物は呪力に寄って来るのか。
だからこの世界に来たばかりのころ、呪力を持っていたらしい私は、よく魔物と遭遇していたのか。
「…わたくしの前で規定違反をするつもり? すぐに義理父様に告げ口してあげるわ」
私が返事をする前に、哨子さんが鋭い口調で口を挟んだ。
「お互い彼女には借りがあるし、そのお返しでいいんじゃない」
「……私はまだないわ」
「この状況なら同じだよ。君もわかっているくせに」
二人の会話の内容はわからない。借りがどうとか、記憶にはないんだけど。
内容が気になって、無意識に体がそわそわと動いてしまう。
「それに、祓い屋まがいが知ってる範囲までしか教えないよ」
……祓い屋?
環さんの言葉に、哨子さんは大きくため息をつくと、何も言わずにまた窓の外へ顔を向ける。
そんな哨子さんの様子を気にすることなく、環さんは話しはじめた。
「一応、仮説の一つとして聞いてね。魔物は、膨大な魔力と呪力によって、別の次元――異界から現れているんだ」
「……異界」
その言葉に、少しだけ胸がどきりとする。
環さんによると、魔物は普段異界に住み、たくさんの魔力と呪力によって、この世界に現れるようだ。
そして、たくさんの魔力は次元を渡るときに一度実体を分解・再構築するために使われる。呪力は次元を渡るための鍵の役割をはたす。
だから魔物は、元の世界に戻るために、呪力を感知すると寄ってくるのだそうだ。
環さんは、これは仮説の一つと言っていたけど。なら、私の場合は……。
「君なら、この話を聞いて何か思い当たることがあるんじゃない」
環さんはまっすぐに私を見つめる。私はつい、その視線から逃れるようにテーブルに目を向けた。
……やっぱりこの人、私が別の世界から来たことを知っている?
どこか緊張感漂う空気を破ったのは、哨子さんだった。
「――環、時間よ」
二人の間を遮るように、哨子さんがテーブルの上に手をついた。
「君はせっかちだね。…すでに罠にかかった獲物が逃げられるわけがないのに」
環さんは小声で返事をしながら、ゆったりと立ち上がる。声が小さすぎて最後に何を言ったのか、私には聞き取ることができなかった。
「二人とも、ご協力感謝するわ。…あぁ、それと、ここはわたくしのお店だからお代は結構よ」
哨子さんはそう言うと、八代さんを連れて先に店を出た。
その後ろ姿を見送って、私も店を出ようと歩きはじめると、環さんに声をかけられる。
「ねぇ、…この男に見覚えはない?」
掲げられた一枚の写真に写っていたのは、一人の男性。
「あ、」
思わず小さく声が出た。
見たこと、ある。というかこの人…
「今朝、私がよく乗るバス停近くで、哨子さんと話している時に近くで歩いてるのを見かけました」
「……そう」
「この人がどうしたんですか?」
軽く頷き携帯をしまうと、無言で歩き出す。
店の外へ出る前に、環さんは答えてくれた。
「この人、哨子の元婚約者。僕はこの人をずっと探してるんだ」




