お祭り(4)
目の前の光景は、一言でいえば地獄だった。
少し離れたところでは男性隊員が血を流して倒れていて、その片足はあらぬ方向に曲がっている。
私の目の前、手の届く距離には鬼に吹っ飛ばされて転がってきた女性隊員。
服も顔も血で汚れていて、意識がないのか目を閉じてぴくりとも動く様子がない。
そして鬼が、その巨体を揺らしてこちらに近づいてくる。
――もし、私に特別な力があったのなら。
はたして私は、あの巨大な化け物に立ち向うことができたのだろうか。
正義感のある人なら、特別な力なんてなくてもきっと、どれだけ恐ろしい化け物にでも立ち向かっていくのだろう。
…私には無理だ。だって、ふつーに怖いし。
それにここで私が立ち上がっても、死ぬ順番が私が先になるだけで、何も変わらない。
だから私は、目の前で大きな鬼の拳がふり上げられても。
自分の命をかけて私を逃がそうとした、意識のない女性隊員を見つめながら。
それがふり下ろされるのを待つだけだった。
――ただ、待つだけのつもりだったのに。
視界の端にあった黒いそれを咄嗟に掴んだのは、無意識だった。
目の前の女性を助けたいとか、守りたいとか、化け物を倒したいとか、そんな気持ちはなくて。
単純に、私がまだ生きたいと、きっとそう思っていたから。
使い方は当たり前にわからない。
安全装置がどうとか持ち方とか全くわからない。
その時はただ、なんとなくでトリガーに指をかけていた。
その感覚が走ったのはほんの一瞬。
カイロが直で肌に触れた時のようにお腹が熱くなって、同時にトリガーにかけた指先が熱を持った。
その熱を動かせる気がして、ぎゅっと指先に集める。
私の周りから音が消えた。
指先が火傷しそうなほどの熱を持ち、バチっと火花が弾ける音がして――
――バァアン!!
ものすごい破裂音に、びりびりと空気が震えた。
何が起こったのか、理解できなかった。
私は咄嗟に目を瞑って耳を押さえていて。
台風のような強い風が吹き荒れ、髪が巻き上がるのを感じる。土と煙と焦げた臭い。
石粒が体のいたるところにぶつかり、濡れた何かが顔にあたる感触。
しばらくして、風が止んでからも続く耳鳴りに、頭がくらくらした。
「………はは、」
目の前の光景は、やっぱり地獄だった。
鬼は姿を消していて、そこには地面が大きく抉れてクレーターができていた。
薄い黄色のねばねばの液と、黒っぽいどろどろとしたものがクレーターの底に溜まっていて、辺りにも飛び散っている。
女性隊員と私は髪から足までその液がかかっていて、少し離れた男性隊員にも同じ色がついているのが見えた。
……くさい。
臭いの元はたぶん、液体から。
数週間も歯磨きをしてない不潔な口臭のような…とにかく臭い。
臭いによる吐き気に耐えていると、遠くから人の声が聞こえてきた。
「おーい! 大丈夫ですかー! ……!?」
草むらをかき分け…なくてもこの辺はずいぶん視界がよくなっていて、現れた人の顔はちょっと離れていてもしっかり確認できた。
「えっと……、これはどういう状況?」
「……いったん確認は後にするで。立花と青木が先や」
最初に私のもとへたどり着いたのは、按田さんと小鳥遊さんだ。
ちょっと前に見た時は浴衣姿だったのに、いつのまに着替えたのか軍服を着ている。
二人は周囲を確認するにつれて、顔が険しくなっていった。
聞きたいことはたくさんありそうだったが、私に事情を聞く前に、倒れた隊員を見た按田さんが後から来た隊員たちに指示を出す。
徐々に魔物討伐隊の隊員がこの場に集まってきた。
倒れた二人を移動させたり、担架を用意したり、クレーターを調べたり、忙しなく動く人たちを私はその場でぼうっと眺める。
「未来さん、それ…」
声をかけられてふり向くと、小鳥遊さんが私の隣にしゃがみ込んでいた。
視線の先は、私の握っている銃。
「……あ」
そういや、まだ持ってたんだ。
握っていた銃を渡そうと手を前に出して、指が固まって動かないことに気づいた。
私が何を言うまでもなく、小鳥遊さんは無言で私の手を取ると、指を一本ずつ銃から剥がしていく。
銃が離れた私の手は、震えていた。
私が手を引く前に、小鳥遊さんはその手を銃を持つ反対の手でぎゅっと握る。
その手がとても、温かく感じた。
「……もう大丈夫。危ない目に合わせてごめんね。隊員を助けてくれて、ありがとう」
ちがう。ほんとにそう、なんで私が。そうじゃない。なんで小鳥遊さんがお礼を言うの。そうじゃなくて。
一気に感情がそのまま押し寄せてきて、あふれた。
「っぅ、ぅうぁぁあああ…!!」
怖かった、怖かったのだ。
今までに何度も危ない目には遭っていた。
だけど今回、とうとう私は死んじゃうんだと感じた瞬間、全身が恐怖に覆われた。
今までの出来事が、次々と思い浮かんできて。
元の世界でも、この世界でも、流れに身を任せるだけでやりたい事も見つけられず、ただ日々を過ごしているだけで死んでしまう。
――そんなの、嫌だと思った。
いろいろな気持ちが混ざってぐちゃくちゃで、恥も外聞もなく大声で泣き続ける私を、小鳥遊さんは手を握ったまま何も言わず見守ってくれていた。
この時、私は初めて自分の人生から目を逸らし続けてきたことに、僅かな後悔を感じていた。




