あれから三ヶ月(1)
――ビー、ビー、ビー…ビー、ビー、ビー…
高めのブザー音が、三拍子のリズムで遠くから鳴り続けている。
――ザザッ
エコバッグの持ち手にぶら下げていたラジオから、再び音声が流れはじめた。
音声に耳を傾け、息を切らしながらも私は走り続ける。
〝繰り返します。午前十時四十二分に〇〇県××市〇〇区××町で発生した『野槌』は、現在南方向へ移動しています。一部地域に魔物警報が発令されています。警報区域内にいる皆様は、不要不急の外出は控え、自宅内で待機してください。また、外出中の方は速やかに建物内へ避難してください。警報区域は〇〇県××市〇〇区――〟
数分前から何度も繰り返されている警報に、やはりまだ討伐完了の知らせは流れていない。
…ひさびさの連休で朝から散歩してただけなのに。散歩ついでに駄菓子屋さんに向かおうとしただけなのに。こんなことならのんびり二度寝しとけばよかったよー!
心の中で悪態をつきながらも、家に向かって走るスピードは緩めない。…つもりだったが、普段からの運動不足のせいか数分間走り続けたことで、そろそろ体力の限界が近づいてきた。
息も苦しくなってきて、いったん足を止める。
胸に手を当てて、少しでも早く息を整えることに集中した。
「はぁっ、はぁ、…っあれ?」
地面を見つめて息を整えていると、足元をいきなり大きな影が通り過ぎ――
――ドゴンッ
影が落ちた場所の、コンクリートの地面がひび割れた。
「!?」
コンクリートの破片がパラパラと足元に転がってくる。
おそるおそる視線をあげると、そこには芋虫とミミズを合わせたような、大型犬よりさらに一回り大きい魔物がいた。
焦茶色で湿っていそうなずんぐりとした体。目はなく、開いた大きな口からはギザギザの歯が見え、その隙間からはぼたぼたと大量の涎が落ち、地面を濡らしていた。
警報時の魔物の発生場所は、たしかに私がいた場所から近かった。それでも、徒歩十五分くらいの距離はあった。
走って家に引き返せば、今回は遭遇しないだろうと思っていた。
ゆっくり、深呼吸を一つ。
今すぐ走り出したくなる足を止め、魔物から目を離さずにそっとポケットに手を突っ込む。
ここしばらくお世話になってるおかげで、コレを握ることで少し落ち着いた。
目の前の魔物は、ミミズを思わせるぶよぶよの体をうねらせて、こちらに向かって進みはじめる。
――っ今だ!! 親指に力を入れ、カチッと音が鳴ると同時に、魔物へ放り投げた。
ぷしゅー、と勢いよく煙が広がるが、それを確認する前に、私は後ろを向いて走り出し――盛大に転んだ。
ちょうど足元に転がっていたコンクリートの破片を踏み、バランスを崩したのだ。
両手を前に伸ばして勢いよく地面へと倒れ込む。
「いたた…」
すぐに片膝をついて体を起こした瞬間、太陽を遮る影が真上を通りすぎ、再び目の前に魔物が立ちふさがった。
そこで気づく。
対魔物専用防犯ブザーから噴射されたはずの煙が、周囲に全く広がっていない。
慌ててもう一つの防犯ブザーを取り出そうとポケットに手をつっこむが、遅かった。
目の前の魔物は、足のない体でどうやったのか飛び跳ねて――
……あ。死んだ。
開いた口の中に並ぶ鋭い牙を、ただ見つめることしかできなかった。
――パン、と魔物の頭に何かが貫通した。
魔物が真横に吹っ飛ぶ。
そのままガードレールにぶつかり、続けて二発。地面に転がった魔物はぶくぶくと膨らみ、頭が破裂した。
「大丈夫?」
目の前の光景に茫然として座り込んでいると、差し出される手と聞き覚えのある声。それから、
「蓮! 一人で先に行くなって何回言うたら――あ、未来ちゃん!」
助けてくれた小鳥遊さんの後から現れたのは、按田さんだった。
二人の登場に驚きながらも、とりあえず差し出された手を取り立ち上がる。
「未来ちゃん大丈夫か? また襲われたんか。…てか蓮、先行くな言うたやろ」
「按田さんを待ってたら間に合わなかったので」
「おーまーえーなーっ!」
言い合う二人の姿に既視感を覚える。
そういえば、初めて助けられた時もこんな感じだったなあ。
「それより未来さん、怪我はない?」
「はい。助けてくださってありがとうございます」
「怪我がないならよかった」
小鳥遊さんにお礼を伝えていると、背後で「あ!」と声が聞こえた。
振り向くと、しゃがみ込んだ按田さんが対魔物専用防犯ブザーを掴み、耳元で振っている。
「燈さんのとこの防犯ブザーやん! …これカラやな」
…父さん?
按田さんの手にある防犯ブザーは、私が先ほど魔物に向かって放り投げたものだ。
その青色の防犯ブザー、前回使った時のように煙が充満しないと思ったら、やっぱり中身が切れていたらしい。
立ち上がった按田さんは、防犯ブザー自体に破損はないから中身を補充すればまだ使える、と私に返してくれた。
「それにしても、魔物が発生してから数分で襲われるなんてツイてないね」
「ツイてないどころちゃうやろ」
そのまま魔物の死骸に近づいた按田さんは、足で軽く蹴りながら続ける。
「未来ちゃんが魔物と遭遇するん、これで何回目や? 最初の鎌鼬いれて十二回やで? 三ヶ月で十二回って、おかしいやろ!?」
振り向いて勢いよく声を上げる按田さんに、私も愛想笑いを返すしかない。
そう。按田さんの言う通り、実は私は魔物と頻繁に遭遇しているのだ。
私がこの世界に来てから三ヶ月。
マフラーやコートも必要がなくなり、あたりには緑の葉っぱが増えていた。
鎌鼬と遭遇してからその後も、私は魔物との遭遇率が異常に高かった。
赤色と青色、どちらの防犯ブザーにも何度かお世話になっている。
もちろん、魔物と遭遇するたびに毎回襲われているわけではなく、気づかれずにやり過ごして通報するだけで済むことの方が多い。
ただ、私からの通報の多さに「魔物を探し回っているのでは?」と疑われたこともあった。
また、このあたりでの魔物の発生数が去年と比べると二倍近く増えていて、そのほとんどを私が通報していたようなので怪しまれても仕方がない。と、通報八回目に魔物討伐隊の人に言われた。
…やっぱりこの遭遇率は変だよね。
最初はよく魔物と遭遇するな、くらいにしか思ってなかったけど、言われるまでこの世界ではそれが普通だと思ってたのに。
「あ、血が出てるよ」
小鳥遊さんに指を刺された箇所を見ると、膝を擦りむいていたようで、少し血が滲んでいた。
走って転んだ時に擦りむいたのかな。
魔物の傷ではないことを伝えると、「そっか。もうすぐ回収班が来るし、車に救急箱も積んであるからちょっと待っててね」と安心させるように笑ったあと、言いづらそうに付け足した。
「…事情聴取もあるだろうし」
「あー、そうですね」
「事情聴取」と言う言葉に、気が重くなる。
最初のころは事情聴取も丁寧だったのだが、だんだんとまたお前か、という雰囲気が漂いはじめて。
通報五回目以降は質問の言葉の節々から、魔物を探し回っているのでは? という疑念すら感じ取れるようになった。
今回もきっと怪しまれるんだろうなあ。
「最近この町も魔物の発生数が増えてるから、気をつけてね」
「はい。それにしても、どうして私はこんなに魔物と遭遇するんでしょうか…」
家を出る前に必ず警報を確認しているのに。
ため息混じりにこぼれた言葉に、私と小鳥遊さんが話している間、顎に指を当ててなにやら考えこんでいた按田さんが口を開いた。
「未来ちゃんって…親戚に神主さんとか巫女さんの家系の人おったりする?」
「? いえ…」
「そうかあ。ほんならやっぱり……」
「魔物との遭遇率に、血筋が関係あるんですか?」
「んーまあ、あるっちゃあるけど、未来ちゃんは違うっぽいなあ」
……?
按田さんはそれ以上話すつもりはないのか、口を閉じてしまった。
どういう意味か気になるので続きを促すようにじっと見つめる。
すると、按田さんは目を逸らして頭をかき、何かを誤魔化すかのようににこっと笑った。
「なんにしろ、未来ちゃんの疑いはこれで晴れたやろうから安心しい」
「え?」
「按田さん」
さらに気になる発言に小鳥遊さんが咎めるように声をかけると、按田さんは肩をすくめた。
……疑いがはれたってどういうこと?




