終章:夜明けのネクター
それから私たちはゆっくりと愛を育んでいった。時々古い恐怖の亡霊が蘇り、私が心を閉ざしかけることもあった。でも智也さんは決して諦めなかった。彼はその度に私を抱きしめ言い聞かせてくれた。
「愛とは相手の幸せを自分の幸せ以上に願うこと。そして相手の全ての闇を受け入れることなんだよ」と。
彼から学んだのは愛だけではなかった。タロットの読み方、カクテルの作り方、そして何より人の心に寄り添う方法を教えてくれた。彼は心理学の専門的な訓練を受けたわけではなかったが、生来の共感性と深い洞察力を持っていた。そして何より、傷ついた人を癒したいという純粋な願いを持っていた。
一年後、私は彼と結婚した。そして今、私は彼の隣で「LUNA」のカウンターの中に立っている。私も彼からタロットを学び、時々お客様の占いをするようになった。
「紗月さんの占いは心に響きますね」
お客様によく言われる。
「辛い経験をした人にしかわからない深い智恵があるからでしょう」
智也さんが隣で優しく微笑む。
「私のあの暗い過去も無駄じゃなかったんですね」
「ええ。全ての闇は今日のこの光に繋がっていたんです」
今私は自分の体験を活かして、同じような孤独を抱えた人々の心に寄り添うことができる。かつて私が癒されたように、今度は私が誰かを癒す番なのだ。傷ついた経験は決して無駄ではない。それは他の誰かを救うための贈り物になるのだ。
愛を知らずに育った私が、今こんなにも愛に包まれて生きている。夜が明けるまで智也さんと語り合うこの時間。彼が私のために作ってくれる夜明けのネクターのように甘く、そして温かい時間。それが私にとって一番大切な宝物。
店の窓から差し込む朝日が、カウンターの上のグラスを虹色に輝かせている。それはまるで月長石のアデュラレッセンスのような美しい光だった。私たちの愛もまたこのように、内側から輝き続けるのだろう。
愛は本当に存在する。そして愛は決して諦めない。私はもう一人ではないのだから。この小さなバーで、今夜も誰かの心を癒す光を灯し続けよう。月の女神のように、暗闇に迷った魂を優しく照らし続けよう。
そして私の物語は終わりではなく、新しい始まりなのだ。愛を知った私が、今度は愛を与える側として生きていく、新たな物語の始まりなのだ。
(了)




