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疫学エルフ

「ボク、エルフですから」

 村一体の声を聞いているような長くとがった耳を見て、少年は顔が強ばった。まるで人間のようなのに。今度から学校に通う少年とさして体格は変わらず、光を集めて結ったかの長い金髪、非力だが栄養的な肉体、はだけた服装から覗くものはなく骨ばった器用な手に対して骨格が浮き出るほど飢えていない。

 少年は転んで膝を擦りむいていた。治してあげる、とエルフが肩にさげた鞄から消毒液とガーゼ、包帯を布の上に置く。彼は赤い傷が見えるよう足を伸ばすと、手際よくこなすエルフに見蕩れていた。なんて優しいのだろう、母から教わった、エルフは人間を管理しているというのは、自分の解釈違いだったのかもしれないと頬を赤らめた。腹の奥に予め沈められていた他者への興味に反応する生殖の証が、エルフの、成熟しない果実を支える裏葉色の子葉のような瞳に引き立てられた気がしていた。

「これでよしっ!」

 エルフは勢いよく立ち上がると雲ひとつない空に向かって伸びをした。背伸びして浮いたかかとが柔らかそうで、少年は動悸がした。

「ありがとうございます……あの、お姉さん……でいいのかな、ああ、名前! お名前を教えて頂けますか」

「ん、ボク達に性別はないんだよね。だから君が感じた通りに接して欲しいな」

「はい、あの……名前は……」

 少年は胸に指先を当てられると、一層、時間が長く感じた、刻んで、一秒を一秒のうちに何度も繰り返している感じがした。広げた手から何かが落ちる気がして慌てて掴んだ。キャンディだった。

「君、ボクに恋しちゃってるよ。ダメなんだ、人間はボク達に追いつけないから。だから名前は聞かない方がいい」

 呆気にとられて背中を見送って、手元のキャンディを握りしめた。檸檬色の蜂蜜味だった。


 集落の傍には川が流れていて、山の麓であるからに木々が生い茂り、深呼吸をすれば肺をの大きさがわかるほどに空気が澄んでいて美味である。ここは王都から離れているが、ひとつの村としての世帯数が多く自営も盛んである。中でも大きな収益となっているのが、王国を相手に商売をしている『近代農作物の結晶』である。

 集落の名はディプンパ、ディプンパの農作物は美味がすぎた。

「ルオナ、これ持っていけ」

「ありがとう、ティンパレのおっちゃん」

 ルオナは作物にナスとニンジンを受け取った。

「それでどうなんだ、ッ」農夫は咳き込んだ。「エルフってのはそんなに人間と違うのか、何か分かったのか?」腕に向けて肺に入った異物を空虚に吐き出している。

「エルフは長命、それだけだよ」ルオナは袋を覗き込みニンジンに目を輝かせた。「特筆すべき種族の境はないね、強いていえば魔力が高いことかな」

「それだと人間と違うんじゃないか」

「高魔力と釣り合いを取ったかのように、エルフは非力なんだ。それでトントンでしょ」

 農夫はルオナの腕を見て腕を組んだ。「それ食って元気だせよ」

「うん、ありがとう」エルフとしては視線に気を止めなかったが、ルオナは作物を与えられたことを人間の善性と集団で生きる為の行動という事は片隅において、情けをかけられているに似た、年が下で幼いから猫なで声を使うような小馬鹿にされた気がしていた。「おっちゃん、ボクはこの村ができた時から調査の目を付けていたよ」

「なんだそりゃ……おい、村の歴史は」

 ルオナは宿に向かった。市場で肉を買って、ニンジンのグラッセと、ナスを大葉で巻いて焼こうと献立を思い浮かべた。

 村は二千年の歴史を誇った。


「例えば川魚を焼いて食べる際にどうしても焦げる部分が出ますよね。あの焦げを好んで腹が膨れるほど毎日のように食べていると、ガンになる可能性が高くなります」

 ルオナは村の集会で注目を集めていた。月に一度の報告会として、観察の経過を告げていた。村人から選別された村長、百姓代、経営者、外交とそれを踏襲する日を待つ若人らが耳を傾ける。

「焦げは食べても少量ならガンにはならないと考えられています。少なくともボクの疫学研究では病気をおこした結果はありません」

「多分誰も、焦げなんて好んで食べない。アナタは何をいいたいんだ?」青臭い、額から耳の上にぐるりと鉢巻をした男が、扉の外に煙草をふかしながら問いかけた。「俺はこの村が好きなんだ、エルフのあんたが皆を監視してるのが気に食わないって思う奴もいるってわかって欲しいな」

 それを諭すように隣で腕を組んだ師が、わざわざ自分の体制を変えてまで白い鉢巻にバラを擦り付けた様な傷をつけようとするものだから、周りが慌ててとめた。ゲンコツは巻いた太い部分に吸収されて、若人がよろめく程度ですんだ。喝を入れているのを見てルオナはあたふたと手のひらを突き出して事態を収めて欲しい仕草を見せた。

「ボクは悪い人じゃないんだよッ!」どうしても悪い人がいうセリフを口でなぞった。「君の言い分もわかる、気分を害する行為だとも思うが、これは注視であり見守りであると分かってほしくて話しているんだ。聞いてくれないか、余所者のボクの言葉を」

 エルフの目線は若者にブレないで届いたようで、新しいタバコに火をつける一連の動作にコクリと混ぜて肯定して見せた。しかし火は何度もマッチを擦れど付かなかった。

「何度も謝らなければならない。この部屋で煙草を吸うなとはいいたくないけれど、吸わないでほしい。それは君がまだ若くて、永く生きて欲しいからだ」

 若いのの眉間に筋が見えたが、ルオナは無視して話を続けた。

「疫学とは皆さんの生活の中で起こる病気や健康の要因を観察して研究する学問です。先程の例でいうと焦げを少量食べる人を複数人、長期間調査してもそれを理由にガンになった人がいないという研究結果が出たということです」ルオナは体面を部屋の隅々に向け身振り手振り話して見せた。そして胸に手をおくと、僅かに俯いた。「反対に、焦げが大好きな人もいました、その人は、そうですね、考えると心が苦しいです」

「心中お察しするよ、辛いこともあるじゃろう」長老が細い目をさらに細めた。

「いえ……彼はボクが焦げを食べるなといっても聞かなかったので、焦げを捨てさせる魔法をかけました。すると焦げを見る度にヨダレを垂らしては地面に叩きつけて踏みにじり涙するのです。偏愛とは困ったものです」

 街の人がいっせいに一歩後ずさった。

「焦げは発ガン物質を含むので大量に口にすることは推奨できません。このように、集団を長期観察して疾病の要因を解決するのが疫学です」

「こちらのエルフ様は我々の村を長く見てくださっておられる」長老の声はいつ聞いても優しく年季が入っている。「我々老いぼれた者も、次の世代への引き継ぎをせねばならんのだ。若くて威勢が良く、村を思う気持ちを心から感謝する」長老は鉢巻に向きあった。「しかし引き継ぎたくはないものよ」

「何いってんだよ、もう休めよ、俺たちに任せろ!」

「違わい! 引き継ぎたくないとは、まだ解決しておらんからじゃ」

 師らが唸り声を上げ始めた。たんでも絡まっているのだろうか。

「それ」ルオナは煙草を指さした。「煙草は体に悪いっていうけど、なぜだかわかる?」

「……そりゃあ咳き込むし、心が落ち着くってのは何かを引き換えにしてるってのは何となく」

「煙草の健康障害はかなり被害が広く大きいよ。肺がん、心疾患、脳卒中。咳き込むのは喘息を誘引しているんだ、しかしみんなには煙草を吸わないようにこんなポスターまで作ったのに。せめて隠れて吸えよッ!」

 それは村で唯一グラビアをやっている還暦で定年退職した馴染みの裁縫屋の女将が『煙草はあきまへんで』と胸元に煙草を六十本刺してこちらに向かって前かがみにそれを見せつけ髪をかきあげて濃いめの紅をひいた口先を尖らせているポスター、ウインクもしている。

「ボクは好きだけどなー」

「「「誰が何やってんだ!」」」

「でも効果あったんだよ」あったんだ、という顔はあまり視界に入れないようにして話を続けた。「現に煙草の売上は減っているし、先週は王都からの取引が先月の半分になって国の人怒ってたくらいだし」

 ポスター前には子供が群がって落書きをしている。文字を書くのも野暮に感じたのか、ペンキを若気の至りの如くぶちまけている。

「……なのにみんなの咳は止まらないのって、おかしいよね」

「俺は辞めたぜ、でもっ、ほらなっ、ほらっ、ほっ、っ。止まんねえッ!」咳が止まらない。

「私は煙草を辞めるのを頑張っているわ。今じゃあ一日に多くて三本ね、だけど咳の量は変わらないし、これなら吸いたいわっておもうほどよ?」

「それはダメですよ。煙草を辞めても肺は元通りにならないので、吸ってるうちは本数の差はあまりないでしょうからキッパリやめて欲しいですね。はい、キッパリ辞めた人は手をあげてください」

 五人の手が上がった。

「一割だって……? あのポスターそんなに意味なかったのか」

 しょぼくれたルオナは考えるように口元に指を添えて腕を組んだ。じゃあ、と声をかけ五人に症状を聞くと喘息の症状が見られる者がいた。聞くとポスターを手配した一月前よりきっぱり煙草を辞めたというが、症状の改善は見られずむしろ悪化しているようにも見えた。ルオナは咳き込んだ。

「ボクにも移ったかもしれない、今日は解散しよう。また一週間後に成果を報告する。今日伝えたかったことは、この村を次代に繋げるためがひとつ、もうひとつはエルフに対する嫌悪感とボクの仕事に納得してもらうためですから。来週はその気がある人だけでいいですからッ!」

 ルオナは綺麗な空気を求めて外へ駆け出した。しかし咳は止まらなかった。


「このニンジン美味しいな、あのニンジンも美味しいだろうな、そっちのニンジンも美味しいだろうね」

 ニンジンを並べて指揮棒を振るルオナは朝食にニンジンを食べようとしていた。大きめのフライパンにこのあのそっちニンジンを縦に半分に切り塩をかけて並べ、台所に火をつけたところで鈴の音がした。ニンジンは低温から塩をかけてじっくり水分を出してやると甘みが引き立ち張り付いた面をこそいでバターと水を入れて蓋をするとコクが増して美味しいのに、と思いながら火を切ってドアノブを捻った。

「何様ー?」

 気だるい声を相手に伝わるようにねちっこく声をかけると、昨日煙草を吹かして師にゲンコツをもらった若人がバツの悪そうに額に影を落として蝶番を不思議そうに見る顔を作っていた。

「何さ、ボクはティンパレのおっちゃんにもらったニンジンを食べるところなんだけど。ティンパレのおっちゃんから教わったレシピでね」

「これ」

 顔の前に突き出された紙袋、中には紅いシワをしりすぼみに重ねるニンジンが沢山入っていた。

「よだれが止まらない……中入りな、ニンジンご馳走したげるよ」

「いやいい、俺は詫び入れに来ただけだから、悪かったな」背を向けて手の甲を左右に振った、そしてお腹が鳴った。

「ボクは怒らないよ、何年生きてると思ってんだ。ほら」呼び止めるように、手でドアが閉まるのを防いだ、これでは本来のドアの広さの半分はルオナで埋まっている。「ちょっと待った、入る前に、名前教えてよ」

「ミカイ」

「そ、神秘的な名前だね」

 よく知っているな、ミカイはそう思った。体を横にして部屋に入れてもらい、されるがままに椅子に座らされた。まるで自分の名前の由来のように、山奥に咲く一輪の花、を守るように。

「元はといえば、ミカイのような若くて、これから村を守っていく立場の人間に聞いて欲しくて開いた集会だから」

 白い皿に盛られた紅いニンジンはフォークが刺さると、ナイフで両断された。口に運んで頬が落ちないように両手で片頬抑えるのはルオナ、目の前では両手で両頬を抑えるミカイは向き合っている。

「悪かったと、本当に思っているんだ。村を守るために寝る間も惜しんで研究をしていると聞いた。しかし得体の知れないエルフのいうことを一言一句信用していいのか未だ疑問ではあるが」

「まあそれくらいがいいよ、ボクだって人間を信用し切らないからね」

「……なぜ人間に手を貸すんだ?」

 頬を支える手を止めた。

「エルフは群れないし、長命であるが故に人間と関係をつくらないと聞いた事がある」

「昔、ボクが人間に攫われた時に人間に救われたんだ。人間は性格に統一性が無いから信用しても裏切られるかもしれない。いっそ情につけ入るゴブリンなら疑うのを辞めないけど、ボクは救われたから、救ってくれた人がいっていた『人間は悪意に優しさを張りつけて善良に見せている』ってのが本当か確かめたくてね」

「その人は優しいままじゃなかったのか」

「優しいまま居なくなった。だから嘘ついたんだよ、悪人だから嘘ついたんだ。そう思って腑に落ちないから、あの人は嘘ついたんだ」

「エルフは賢いのか賢くないのかどっちなんだ」

「誰だって始めは賢くないよ。賢くなっていくんだ。ミカイ、君もじきにわかるよ。疫学ってものを、エルフっていうものを」


「ミカイ、これも仕事だ。覚えなさい」師はそういうと野菜を梱包した山積みの箱をさすった。「来た。くれぐれも失礼のないように」

 彼が遠くを見ると宝飾を施した帽子から見え、体が上下しているのがわかった。じっと見つめていると何かにまたがっていて、やがて馬の顔を捉えた。王国の使役者の複数人は乗馬に足を開き、数頭の荷馬を引き連れて近づいてくる。

「お待たせ致しました、ソウラッシュ様」

 師の名だ。そして宝飾の音を抑えるようにお馬から降りると服のシワを伸ばして帽子を胸の前に外した。

「今回のぶんです」

 ソウラッシュが積み上げた箱をひとつ足元に置き覆った布をあげた。

 白い手袋を外し、それを手に取ると日に透かして匂いを嗅ぎ、重量を確認するのを、一箱につき三つずつ行った。

 ミカイはそれが終わるまで、子鳥のさえずりを五回は聞いた。足が棒になるところ、ようやく終わったと肺の底に溜まった濁った空気を吐き出した。

「では」

 その言葉につられて師が動いた。ミカイに、くれぐれもお馬の後ろに立たないように、と耳打ちされると、荷馬がくるりと周り荷台の隣に位置した。動いた馬の後は涼しかった。魔法で体調を管理していたのかと感心した。

「こちらをおさめてください」

 取引には金貨と宝石が用いられた。野菜の値段は決まっているが、時に豊作であり時に質に上振れが生じる、その穴埋めを宝石で賄うのだ。不作の時は目を瞑る。

 砂をすりつぶす音が小さくなって、やっと肩の荷がおりた。単なる取引だった、しかしミカイにとっては気の重い仕事であった。


 ルオナは黄昏れていた。川に向かって腰掛けるにもってこいといった岩に手作りのニンジンサンドウィッチ入り編みかごを置いた。

「なんでこんなに、空気が色付いているんだろう」

 人間がむれる王国では空気は濁って重たい色をしているとルオナは感じていた。対して村の空気は綺麗だがどこか温もりを秘めた柔く温かい色だと肌を撫でた。

「あ、あの時の!」

 幼い声に耳を立てると、どこかで見た顔が近づいてきた。

「お、あの時のショタじゃん」

「僕が転んで動けなかった所を助けてもらったんだ!」

「もう会うことないと思った」というか、格好つけて再開したことにどこか羞恥心が揺れていた。「何してんのさ、一人? また怪我すんじゃないよ?」

「僕だって男の子なんだ、怪我ばかりしてられないよ! それよりエルフのお姉さん!」

 エルフに性別はない。

「いい所教えてあげる!」

 おもむろに立ち上がり、ゆっと手を引かれて連れていかれた。そこは答えだった。ルオナは緊急会議を招集した。


「何故、煙草を吸っていない人も咳き込むのか分かりました。この近くに温泉があったんです、ショタと入りました」

「なんだって!?」

「山の麓の目の届かないところにありました。この土地の野菜が美味しいのは温泉源がこの村のどこかにあって、その水を土が含んでいたためでしょう」

「なんと、温泉で野菜が……」

「ちょちょちょっと温泉源を特定して掘ってみれば、ミカイの家が吹き飛んで温泉になりました」

「ええ!」

「そして国が所有権を主張して村を襲うといってきました」

「なななんと!」

「なのでやっつけておきました」

「おお!」

 ちゃんちゃん

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