かくして魔法学者に委ねられた
その日、一つの国が滅びた。
――この世界では時折瘴気というものが発生し、それらは魔物を生み出し人々に危害を加える。
魔物を倒したところで瘴気がある限り一時的な解決にしかならず、それゆえ人々は瘴気を消すために様々な方法を試していた。
一時的に瘴気を薄める事ができても消滅までには至らず、薄まった瘴気は数日魔物を発生させることを止めはしたがすぐに元に戻り魔物が生み出され人々を襲う。完全に消し去らなければやはり効果がなかった。
そうこうしているうちにとある天才魔法使いがある秘術を編み出した。
それは異界の門を開くという、ただの人には到底手に負えそうにない事象。
その魔法使いは本来異界に魔物たちを追いやろうとしていたのだが、しかしいかな天才と言えど発生した魔物全てを異界に追いやれる程門を開ききる事ができなかった。
そのかわり、異界から一人の女性が弾き飛ばされるように出てきた。
彼女は魔法使いから事情を聞いて、その瘴気を浄化してみせた。それこそ、奇跡のように。
いや、魔法使いやこの世界の人間たちからすればそれはまさしく奇跡だった。
本来この世界に存在しない女性。
それがこの世界に訪れた事。
奇跡と言わず何と言おうか。
「いや事故だろ」
その後女性は門から元の世界に戻るかと思われたが、魔法使いと恋に落ちこの世界に留まった。
異界の門を開く秘術は魔法使いから弟子へ受け継がれた。
いつかまた瘴気が発生した際に異界に魔物を放り出す、という目的は変わらないが、異界にも人が暮らしている場所があると知った以上無差別に放り出すわけにはいかない。
魔法使いと弟子たちは魔物を送り込んでも問題のない異界を探す研究と、異界の門を開く術の安定性に力を入れるようになった。
魔法使いと結ばれた女性には、瘴気を浄化する力があったがそれ以外はこの世界の人間と何も変わらない、どころか瘴気を浄化する以外の能力はむしろこの世界の人間以下だった。
魔法使いとその女性が天寿を全うした後も、弟子たちは研究を続けていたが一向に進展がない。
弟子は時代とともに増減したが、それでも瘴気問題を解決させることができる手段の中で異界の門はかなり有効的であったので。
この研究が廃れる事だけはなかった。
そうしてまた瘴気が発生し、門の先の異界がどのような場所かはわからないがとにかく瘴気ごと魔物たちを異界の門の先に送り出せないかと門を開いた矢先に――
またもや一人の女性がやって来たのである。
彼女もまた瘴気を浄化する能力があった。
魔法使いと結ばれた女性同様に。
二人の間に生まれた子に瘴気を浄化する能力があったかはわからない。その時には既に浄化され瘴気がなかったから試しようがなかったとも言える。
だがしかし、ある意味で世界を救う切っ掛けとなった魔法使いは一つの国を作り、王となって土地を治めた。子孫にももしかしたら瘴気を浄化する能力が受け継がれていたとして、既に何代も経過しているので血は薄まっている事だろう。
瘴気を浄化した女性と、当時の王族の一人との年齢が近く、また二人はすっかり意気投合した事もあって結婚し子を残し――
異界からやってきた女性はいつしか聖女と呼ばれるようになった。
そして、聖女の血を受け継いだ王族と聖女が婚姻する流れになるのは、いつからか当たり前の事となってしまった。
聖女との間の子に浄化能力がなくとも、しかし瘴気の力を若干抑える力があったため、いつかもっと強い力が発現するかもしれない、という思惑があったのは否定しない。
「むしろ思惑しかないだろそれ」
かくして、この世界にやって来た聖女は王族と結婚するのが当然の事とされたわけだ。
「帰りたいって言う相手いなかったのかよ」
「いたかもしれないけど、でも当時の、それこそ初代の魔法使い様ならともかく、権力手に入れて何不自由ない生活を約束された特権階級が自分にとって有利な手駒をそう簡単に逃すと思うかい?」
「まぁそれもそうか」
一つの国を滅ぼした男に、たまたま水鏡の術でその光景を目の当たりにすることになった魔法学者はそう説明した。
異界ってとんでもないところなんだなぁ……と薄々思ってはいた。
いたけれど、まさかこんなのがやってくるなんて思っていなかったのだ。
先程、本当につい先程の話だ。
ここではない別の国で瘴気が発生した事で、当然その国では異界の門を開いて聖女を呼び出そうとした。
長い年月が過ぎても未だ瘴気を根絶する事は叶わず、また魔物たちを異界の向こうへ追いやれる程の大きな門を開く事ができなかったからだ。
人が一人通れるかどうかの小さな門。
それらを開くので精一杯だった。
魔法学者の男はその日たまたま、大きな魔力の流れを感知し興味本位でその場を観察しようと水鏡の魔法を発動させただけの、完全な第三者だ。
異界の門からやってくる者が過去女性しかいなかったが、今回は違った。
男が一人と女が一人。
二人は何が何やらわかっていないような感じで城に呼び出され、そうしてそこで。
この国を救う権利を賜ったのだから感謝するがいいととても偉そうに――実際王族だから偉いのかもしれないが――王子に言われ、挙句聖女としての役目を果たした先の褒美に尊い血筋でもある王族との婚姻を言い渡された。
あまりの尊大さに、かつて異界の門を開く術を編み出した魔法使い様が見たら嘆きそうだな、と学者は思ったのだけれど。
魔法使い様が死んでもう数百年が経過しているとなれば、権力者からすれば過去の偉人であって最早ただそれだけの代物。彼の志などとうに薄れているのかもしれない。
王子は聖女には利用価値があると思っていたようだが、一緒にやって来た男に目もくれなかった。
役に立つかもわからないし、そもそも視界に入っていなかったのかもしれない。
けれど。
それが国を滅ぼす結果を迎えた。
王子はせめて確認するべきだった。
聖女相手に自分と結婚できるなんて光栄なのだから感謝しろと言う前にせめて一言、隣の男性は? とでも聞いておくべきだった。
それを怠った結果、
「なに人の女に手ぇ出そうとしてんだふてぇ野郎だな」
の一言で殺されてしまったのだ。
彼は聖女と思われた相手の夫だった。
聖女は既婚者だったのである。
夫婦でやって来た相手に、堂々とお前の妻を奪い取ります宣言。
王族だからといっても、流石にちょっとどうかと思われる行為。
しかも臣民ではなく異界からやって来た相手だ。王族であるのは見ればわかったかもしれないが、少なくとも自分の国の施政者ではない無礼者。いくら王族だからとて、異界の者がそんな相手にマトモな礼儀を取る必要がない。
だからといっていきなり殺すなんて……と思ったのだけれど。
男はあっさりとその国を滅ぼして、そうして――
「で、そこで見てるお前はなんだ?」
と、水鏡の魔法で一部始終を見る事になってしまった魔法学者に気づいたのである。
ひゅっ、と喉から普段出そうにない音がした直後、学者の目の前には男女がいた。一瞬で転移してきたのだ。死を覚悟した学者ではあるが、見てたなら状況をわかっているなと言われ、コクコクと頷けばでは説明しろと言われ。
学者はこの世界についての説明をする羽目になったのである。
そして今に至る。
国一つ平然と滅ぼせる男と一緒の空間にいるとか恐怖でしかないのだが、男の言葉に学者は更に震え上がるしかなかった。
なんとこの男、異界の門の向こう側にある世界の王族だった。
そして女はその妻、つまりは――
滅ぼされた国の王子は知らないとはいえ王族の女性を略奪宣言したわけだ。
異界だから知らないとはいえ、これ同じ世界だったら戦争待ったなしぃ……! と学者が悲鳴を上げるのは当然だった。大きな魔力の流れを感知してちょっと確認しようなんて思わなければ良かった。
何故って水鏡の魔法を感知して、挙句その術の行使者の元へ一瞬でやってくる事ができるとか常人ではない。偉人とされた魔法使い様ですら果たしてできたかどうか……
二人はいかにも王族といった服装ではなかった。聞けばこれからお忍びデートをするところだったのだとか。もしいかにもな王族然とした姿であったなら、王子があのような発言をしただろうか……? いや、もう滅んでるから今更ではある。
ついでにこちらの世界に来たのは、最近ちょくちょく城の中の魔力が歪んでいて時々そのひずみに落ちたかした使用人がいなくなった事もあって、気を付けていたところにぽっかりと開いた穴があったので、ちょっとお忍びデート前に確認してこようかとなった次第であったそう。王族のフットワークがあまりにも軽すぎる。
しかもこちらとあちらとでは時間の流れも異なるらしく、遥か昔、初代聖女とされた女性がいなくなったのは向こうでは一か月ほど前の話らしい。
あまり優秀な女性というわけでもなく城でも下働きでしかなかったので、上に報告されるのに若干の時間がかかったとかどうとか。
戻ってあくせく働くよりは、ここに残って生活の面倒を見てもらう方を選んだ、と考えると初代聖女の幻想がぼろぼろ崩れそう。こちらに残った歴代聖女はどうやらいずれもそういった、向こうに未練がほとんどない身軽な女性であったようだ。
向こうじゃ自分こそが王族に傅く身であるが、こちらに残れば自分はお姫様のように敬われ面倒を見てくれる人がいる、生活の心配などしなくてもいい、となれば……ここに残ることを決めるには充分だったのかもしれない。
使用人やメイドというより完全に下働き、下女。
そういった相手だったからこそいなくなっても仕事が辛くて逃げ出したと思われていた可能性もある。
そして異界の門で開いた先は、いくつもの世界があるわけでもなくこの男の城。
うっかり瘴気と魔物を押し付けていたら、異界からの侵略かと思われていたかもしれない、と学者は考えて再び喉の奥で悲鳴を上げた。
だが男も学者からの話を聞いて、どうやら何かを納得したらしい。
「いい加減空間にぽこぽこ小さな穴を開けられて鬱陶しかったから近々一新しようと思っていたがそうなるともう門は開かぬだろうな」
「そうですわね。自然発生しているひずみかと思ったからこそ、下手に手を出しては逆に厄介な事になるかと思って刺激を与えないようにしていたけれど、人為的なものであれば塞ぐのが当然」
「うちの下女が聖女様扱いとはまぁ面白いな。生活魔法の清掃あたりで浄化される瘴気とは……? という気もするが」
「まぁそれでもこちらの助けになっていたのでしょう? 清掃魔法なんて向こうじゃ誰でも使えるのに」
バカにしているわけではないが、心底からおかしな話だなぁ、というように言う二人に。
学者は何も言えなかった。
「とりあえずこちらの世界での文字はどんなものだ?」
「え?」
「あぁ、そこにあるのを見る限り、サヴォニウス時代に使われていた文字と同じものか。それなら……」
サヴォニウスとは? と学者が問う間もなく、男は空間から一枚の紙とペンを取り出しさらさらと文字を書き連ねていく。
「ほら」
「え?」
「清掃魔法の詠唱だ。これだけで覚えることができないようなら、水の精霊や風の精霊がいそうな場所で力を貸してくれるよう頼むといい。こちらの世界にも魔法があるならそこまでの必要はないと思うが……」
「精霊を探さずとも魔石や魔素の含まれる物質を媒介に、という手段もありますわ」
二人に言われ、学者は渡された紙に視線を落とす。
最初に一度正式な詠唱をして使えるようになれば、後は徐々に詠唱を短縮して最後には無詠唱でも発動できるだろうとも記されている。
向こうの世界で誰でも使えるものならば、こちらでもそれは可能だろう。
正直異界の門を開くよりこちらの方が余程簡単なので、できないとは思えない。
「では我らは戻る。戻り次第空間補強するので恐らくはもう異界の門も開かぬだろう」
「えぇ、それではお達者で」
「あ、あの、ありがとうございました……!?」
礼の言葉の語尾が若干上がってしまったのは、学者本人もどうしていいかわからなかったからだ。
瘴気を消してきた聖女の力が向こうではよくある清掃魔法だと聞いて戸惑いはある。
何せこちらでは魔法で掃除をしようなんて発想がそもそも出てこなかったから。
魔法というものはあくまでも大いなる力であり、それをそんな……生活の一つにおいて使うようなものではないと思われていた。怪我をした人を癒すだとか、魔物を退けるだとか、そういった事に使われるものだったのである。
そしてそんな方法をもたらしてくれたとはいえ、相手は先程一国を滅ぼした相手でもある。
いやまぁ、滅ぼされた方に非が何一つないかと言われると……無い、とは言い切れないのだが。
それと同時に異界の門が開かなくなる、という事実を告げられて、それって自分が世界に事情を説明しないといけないのかな……? とも思った。
まぁそうなのだろう。現時点事情を知っているのは学者だけだ。
異界の門からやってきた二人は言うだけ言ってさっさといなくなってしまった。
数百年前の初代聖女が向こうでは一か月ほど前にいなくなったとの事なので、あの二人が向こうに戻ったところで向こうの時間はほとんど経過していないのだろうな、とも思う。
つまりあの二人はこれからお忍びデートに出かける。
そして自分は……
「とりあえずこの清掃魔法が本当に使えるかどうかの実証と、使えるようになったら各国に説明しないといけないのか……」
ちょっと、荷が重たすぎるな……
功績を得る事ができるかもしれないが、絶対面倒な事も起きる。
それらを考えると胃がキリキリしてきた。
異界の門の向こう側は魔法特化な世界で何でも魔法でやっちゃうからフィジカル面がこっち側の世界と比べると若干劣ってるので、聖女になった下女たちは下手に清掃魔法を教えちゃうと身一つで放り出される可能性を考え、そうなった場合こっちの世界じゃやってけないなと思ったので秘匿し続けていました。無詠唱で清掃魔法使えば相手もどんな詠唱が必要かがわからず知りようもなかったので。
次回短編予告
いずれやらかす王子様、今はまだ何もしていないけれど、それでもきっとこのまま育てばやらかすのでしょう……それならば。
さよなら、王子様。
っていうある種の胸糞系。