第38話 芹那のバイト姿は、今月で見納めである
「これね、約束だったろ」
「ありがと、お兄ちゃん!」
「ありがとうございます、先輩」
蓮見達紀は、二人に完成したイラストのコピーを渡した。
彼女らはその用紙を手にすると、目を輝かせながら喜んでいたのだ。
校舎の中庭にある大きな木を背景に、ベンチに座る二人を描いた絵である。
二人とも笑顔で昼食を取っているワンシーンであり、見栄えの良い出来になっていた。
「大切にしますね」
「私も、部屋にでも飾っておこうかな。そうだ、お兄ちゃんはこれからどうする? 部活早く終わったし、どこかに寄って行く?」
「そうだな。まあ、金曜日だし、どこかで食べてから帰るか」
妹の一夏からの提案に、達紀は考え込みながら首を縦に動かす。
三人は今、学校近くのコンビニ店内のフリースペースにおり、達紀がコンビニの印刷機でコピーし、先ほど二人に渡したのである。
二人が喜んでいる表情を見れて嬉しかった。
頑張って書き終えた甲斐があったというものだ。
一人を描くだけでも大変なのに、二人同時に描く事になると、かなり神経を使う。
だが、できない事に挑戦し、当の二人から評価を貰えた事で、それが自信に繋がったのである。
「お兄ちゃん。この絵は先生に提出するの?」
「それはまだ未定かな。まだ提出日までは時間があるし。それまでに決めるつもりだよ」
「今回の絵もかなり出来がいいと思うし、これにしてほしい感じはあるかな」
「そうか。まあ、俺も頑張った作品だから、これを提出したい気持ちはあるんだけどさ。やっぱり、まだ自分の中で納得していないところがあって」
「そうなの? 私から見たら本当に出来がいいと思ってるんだけどね」
妹は物凄く褒めてくれていた。
家族だからという理由もあると思うが、やはり、達紀はもう少し考えたかったのだ。
「達紀先輩、私もこの絵を推薦したいです!」
津城唯花も、一夏と同じ気持ちらしい。
「でも、先輩が他の絵を提出するなら、それでもいいですけど。もし、提出する絵に困ったら、迷わず選んでくださいね」
「わかった。迷った時な。俺、今回、ここまで描けたんだ。だから、もっと上を目指したいからさ。もしかしたら、今回の応募が上手くいって大きな賞を取れれば、イラストレーターとしての地位を築けるかもしれないからね」
今回の応募では、自信を持てるイラストを選びたいと思っている。
前回は先生から勧められ、何となく応募しただけだったが、今回は本当の自分の実力で立ち向かいたいと考えていた。
「私、お兄ちゃんの事を応援してるから」
「私もです」
「ありがと。まだ全然だけど、これからも頑張るよ」
二人から後押しされ、さらに勇気を貰えた感じだ。
達紀は頬を紅潮させ、照れてしまう。
「取り合えず、飲食店に行こうか」
達紀は二人と一緒にコンビニを後に、街中へと向かうのだった。
「んー、どこがいいかな?」
街中を歩きながら、一夏が提案するのだ。
「じゃあ、私のお姉さんが働いてるところは?」
「ファミレスだよね?」
「そうだよ。お姉さん、今月でファミレスを辞める予定だから、記念に行きたいの。先輩はそれでもいいですか?」
前を歩いている二人が、後ろを歩いていた達紀へと視線を向けたのだ。
「ファミレス? まあ、いいんだけど……元々バイトしていたところに行くのは気まずいな」
達紀は悩ましい顔を浮かべていた。
「でも、嫌な関係で辞めたわけじゃないんだよね、お兄ちゃん」
「まあ、な。怪我をしていたし、しょうがないところもあったからな」
気まずいものの、達紀はキッチンを担当していた事もあって、ホール担当の子とは深く関わったことがないのだ。
実際バイトをしていたのは、一か月ちょっとくらいであり、ホールの人らも入れ替わっていたりする。
入店しても、そこまで馴れ馴れしく話しかけてくる子はいないだろう。
いたとしても、芹那くらいだと思った。
「わかった、行こうか」
達紀は心に決めた。
「そう来なくちゃね。というか、私、お兄ちゃんの元バイト先で食べた事が無いから楽しみなの。唯花は? 行った事あるの?」
「私は何度か行ったことあるよ。お姉さんがバイトを終えるまでファミレス店内で待っていた事もあったから。今年の二月くらいからお姉さんのアパートで過ごしていたからね。一人でいるより、ファミレスに来たらって、学校終わりとかにお姉さんから誘われていたの」
「そういう事なんだね。唯花って、どんなのを注文していた感じなの? おススメ商品とかってある?」
「えっとね――」
二人は、達紀との会話を終わらせると再び前を向いて話し始めていた。
達紀は彼女らの後を追うように、目的となるファミレスへと進み始めたのだ。
「いらっしゃいませー」
一夏が扉を開け、三人は店内に足を踏み入れる。
今日は金曜日という事もあって、店内は少し騒がしくもあったのだ。
入店時に出会ったのは、唯花の姉である津城芹那だった。
「三人とも来たんだね」
芹那は笑顔で適切な距離感で接客してくれる。
身内だからといって、適当な関わり方をしないのだ。
「お姉さん、今から三人は大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ちょっと混雑しているけど。さっきよりかは緩やかになった感じよ」
ウェイトレス衣装を身に纏っている芹那。
達紀が、彼女のウェイトレス姿をまじまじと見たのは今回が初めてだった。
対面していると、変に緊張してくるのだ。
「達紀くん、どうしたのかしら?」
「い、いいえ、なんでもないですから。それより、席に案内してもらえますかね?」
「わかったわ」
芹那は、達紀の心境を理解したのか、少しだけウインクしてくる。
逆にそういう事をされると、ますます彼女の事を意識してしまうのだ。
「こちらの席でお願いしますね」
芹那から案内された席は、店内の中心寄りの場所であり、そこに設置されたテーブルを挟むような形で三人は座る。
達紀が一人で腰かけ、一夏と唯花は隣同士でソファを利用していた。
「こちらが、当店のメニューになります」
芹那はテーブルにメニュー表を置く。
その表は、ハンバーグを中心とした構成となっており、色々なタイプのハンバーグの写真が載せられてあったのだ。
サブ的な感じにフライドポテトやチキン、デザート。それからサラダバーが用意されてある。
魅力的な商品ばかりですぐには選べない感じだった。
「では、ご注文は以上ですね」
先ほど呼び出しボタンを押した事で、芹那は三人がいるテーブル前に佇んでいた。
彼女はハンディ式の電子端末を持ち、三人から聞いたメニュー内容を打ち込んでいたのだ。その後で確認のために復唱していたのである。
「はい、一夏もそれでいい?」
「うん、いいよ」
「達紀先輩も?」
「問題ないよ」
「では、少々お待ちくださいね。後、サラダバーとドリンクバーはあちらの方になりますので、ご自由に利用してくださいね」
芹那は軽く頭を下げ、立ち去って行く。
「一夏、行こ」
「うん、お兄ちゃんは?」
「いや、ちょっと待って」
「どうしたの?」
席から立ち上がった一夏が、達紀の持っているノートを覗き込んでいた。
「絵を描いてたの?」
「ラフ的にな。まあ、人を描く練習をしたくてさ。すぐに終わるから、二人は先に行ってて。俺ももう少ししたら行くからさ」
二人は席から離れる。
達紀はノートに、先ほどテーブル前に佇んでいた芹那のウェイトレス姿を簡単に描きだしていた。
ファミレスでバイトをしている芹那のウェイトレス姿を見るのも今月で終わりなのだ。
これで良しっと。
達紀は少し頬を紅潮させた後、ノートを閉じ、それを通学用のリュックにしまってから立ち上がるのだった。




