第33話 何か、顔が痛いんだが…
達紀先輩、私の方を選んでくれますよね?
今――、津城唯花からの、そのセリフが脳裏を駆け巡っている。
蓮見達紀は、その言葉に頭を支配されながら、新しい朝を迎えたのだ。
「……もう朝か」
昨日の夜。自宅リビングでお風呂上りの唯花と二人きりだった。
彼女の姿を見て、変に興奮してばかりだったのだ。
唯花は、達紀が仮眠を取っている間にキスをしたと言っていた。
確かに、仮眠から目を覚ました時、口元に涎のようなモノが付着してあったのだ。
「本当に、キスをしたのか? ……でも、アレがただの涎だった可能性もあるし」
真意はわからない。
だからこそ、心臓の鼓動が、朝から激しく加速していくのだ。
昨日の唯花の笑みが忘れられず、胸元が熱くなるのだった。
「そ、そんなことより、早く朝食でも食べるか」
達紀はベッドから立ち上がり、背伸びをする。
自室を出て、一階のリビングへと向かって行くのだった。
「おはよう、お兄ちゃん!」
「おはようございます、達紀先輩!」
リビングには、一夏と唯花の姿があった。
二人はダイニングテーブルにて、隣同士で椅子に座って食事をしている。
彼女らのテーブル前には、目玉焼きとウインナー。それに加え、ご飯と味噌汁もあった。
「お兄ちゃんの分も作っておいたから。今日の朝食は唯花が作ったんだよ」
「はい、そうです。今日は私が作りました。完成度はそこまで高くはないと思いますが、私なりに頑張りました」
一夏と唯花は食事をする手を止め、テーブル前の席に座ろうとしている達紀へ話しかけていたのだ。
達紀は、二人と対面するような形で椅子に腰を下ろし、箸を手にする。
達紀の目の前に置かれた、目玉焼きやウインナーは美味しそうに見えた。
程よい色合いをした外見に仕上がっており、さすがは一週間も料理部で料理をしているだけの事はある。
それほどに完成度が高く思えたのだ。
達紀は、目で楽しんだ後、実際に食べてみる。
「んッ、この目玉焼き、丁度いい半熟具合で美味しいな。こっちのウインナーも。唯花はかなり上達したんじゃないか?」
「そ、そうですかね。でも、簡単な調理方法だったので、私にもできたんだと思います。大がかりな料理はまだできそうもないですけど」
「でも、頑張った方だと思うよ」
「ありがとうございます、先輩!」
唯花は笑顔を見せていた。
刹那――、彼女の笑みを見ていると、昨日の夜の出来事が、達紀の脳内にフラッシュバッグする。
一瞬、頬を紅潮させ、唯花から視線を逸らすのだった。
「あれ? お兄ちゃん、どうしたの? 急に静かになって」
「な、なんでもないよ。気にしないで」
ご飯を食べながら、達紀は早口で言う。
「先輩にも色々あるんですよ」
「そうなのかな?」
唯花は淡々と話している。
が、一夏は何のことかわからず、首を傾げていたのだ。
それから三人は、朝食を続ける事となった。
時刻は朝の七時頃。
自宅を出るのは、八時くらいでも問題はないだろう。
今日は、大分時間には余裕があるのだ。
あ、そうだ……昨日の内にハンバーグのレシピを確認するの忘れてた。
重大な事を今になって思い出し、内心焦る。
達紀がウインナーを口に含んだ瞬間――
顔に痛みが伝わる。
「いたッ!」
突然の痛みに、声を出してしまう。
「お兄ちゃん、大丈夫? 舌でも噛んだの?」
「いや、違うと思う……」
「もしかして料理の中に変なのが入ってましたか?」
一夏も、唯花も心配そうに話しかけてくる。
「いや、そうじゃないと思うんだ。多分……顔が痛んでいると思う」
「顔? もしかして、昨日殴られたところ?」
妹の一夏が険しい顔を見せていた。
「そ、そうかも……」
「だとしたら病院に行くべきだよ、お兄ちゃん! 昨日行った方がいいって、私言ったよね?」
「そうだったね」
達紀は、箸で掴んでいたウインナーの一部を口から離して皿に戻す。
それから口内に入っている食べ物だけを咀嚼し、頑張って喉を通す事にしたのだ。
「達紀先輩、無理はしなくてもいいですからね」
「ありがと、心配してくれて……」
「私、一緒について行きましょうか?」
「いや、大丈夫。痛いのは顔だけで、それ以外の部分は問題ないから」
「でも、心配です……」
唯花は、痛がった顔つきになっている達紀の事を心配そうに見つめているのだ。
「んー……痛みが引きそうもないし。やっぱり、病院に行くよ。今日、休む事は俺自身で学校に伝えておくから。二人には、料理部の部長に今日は参加できない事を伝えてほしいんだ」
「「わかりました」」
二人の呼吸が合い、声がハモる。
「多分、検査は午前中には終わると思うから。正午過ぎくらいには、一夏のスマホに連絡を入れるかもしれないから。診断結果とか」
「わかったよ、お兄ちゃん! でも、本当に気を付けてね」
一夏は昨日、武尊から殴られていたところを直接見ているのだ。
家族だという事もあって、妹は達紀のことを物凄くしているのだろう。
あまり、一夏の心配そうな顔を見たくなく、妹の意見通りに病院へ行く事を決意したのである。
「ああ。それより、二人はまだ入学したばかりなんだし、委員会とかの役割決めもあるだろうし、休めないだろ。俺はちょっとソファで横になるよ。なんか、今になってから物凄く痛くなってさ。昨日は痛みが引いていたんだけどな」
達紀は独り言みたいなセリフを言い残し、椅子から立ち上がると、ゆっくりとソファへ向かい、横になるのだった。
「お兄ちゃん、行ってくるからね」
「先輩、ちゃんと病院に行ってくださいね」
「あ、ああ、わかった……いたッ」
少しでも顔を動かそうとすると物凄く痛む。
朝食を終えた一夏と唯花は学校指定の制服に着替えており、通学用のバッグを手にし、学校へ行く準備を済ませていたのだ。
「二人もそろそろ学校に行かないとダメなんじゃないか?」
「そうだけど、ちょっと不安だからさ」
一夏は今、ソファで横になっている達紀の事を心配そうに見つめていた。
「大丈夫。歩くのが無理そうだったら、タクシーに乗って行くから」
「じゃあ、お兄ちゃん、約束だからね」
「ああ。わかった」
達紀は体を動かさずに返答した。
「先輩、頑張ってくださいね」
「わかった、二人も気を付けてな」
「「行ってきます」」
二人はリビングを後にしていく。
数秒後。達紀の耳には玄関の扉が閉まる音と、施錠する音が聞こえたのだ。
「……俺も、そろそろ準備をするか……いたッ……」
達紀は頑張って上体を起こし、ソファから立ち上がる。
それから外出用の服に着替え、自身の状態を踏まえ、タクシーを呼ぶ事にしたのだった。




