第32話 唯花の戦略とは?
「……んッ……」
蓮見達紀は目を覚ます。
今、ソファに横になっている達紀は、瞼を開けながら上体を起こしたのだ。
リビングは真っ暗で、目はチカチカしないものの、まったく見えなかった。
ジーッと辺りを見つめている内に、目が肥えてきて見えなかったモノが何となく見え始める。
達紀は手探りでリモコンを見つけようとした。
それは近くのテーブルに置かれており、スマホの明かりでボタンを確認した後、リモコンを操作してリビングを照らす。
「ま、眩しい……」
急な明かりに、達紀は片手で顔を隠す。
目がチカチカしてきたが、少ししたら馴染んできたのだ。
「さすがに、二人も寝てる頃か」
リビング内には、二人の姿はない。
家の中は物凄く静寂だった。
「ん?」
お腹が減ってきてテーブルを見やると、そこには三色ご飯弁当の他に、料理部と記されたノートが置かれてあったのだ。
「これって、俺の課題ノートか?」
達紀はそのノートを手に取ると、ソファに座り、内容を確認してみる。
「……全部終わってるな。俺が書く欄も全部埋められているし、これで終わりか」
二人が代わりにやってくれたのかもしれない。
さっきまで達紀は顔面を痛め、ソファで寝ていたのだ。
一時間程度の仮眠のつもりが、すでに三時間ほど寝ていたらしい。
大分疲れも、顔の痛みも引いてきており、気分的にもよくなっていたのだ。
「んッ、涎か?」
達紀は口元についていた液体を左手の甲で擦った。
「深夜零時に近いけど、残りの分も食べるか」
達紀は手にしていた料理部の課題ノートをテーブルに置き、代わりに三色ご飯弁当を手にし、箸で食べ始める。
顔の痛みは大分引いており、お腹が減っていた達紀は急いで食べた。
食欲が戻っていたのだ。
「意外と三色ご飯も美味いな」
三色ご飯と言えば、中学の頃、給食で食べたのを最後に、全然口にしていなかった。
久しぶりに食べると新鮮に感じる。
深夜近い時間帯に食べる夕食は、途轍もなく美味しかったのだ。
次第にお腹が満たされていく。
そんな感覚を実感しながら食べきった。
食べてばかりで、何も飲んでいなかった達紀の口は渇いている。
ソファから立ち上がり、キッチンにある冷蔵庫まで向かう。
冷蔵庫の中には麦茶が入っていたのだ。
喉が渇いている今、どんな飲み物でも構わなかった。
達紀は棚から取り出した透明なコップに、注ぐ。
一気に飲み干したのだ。
生き返った気分だった。
はあぁ……と、ため息をはくように、その場に佇んでいると、誰かの足音が聞こえたである。
ハッとし、背後を振り返ると、真っ暗なキッチンの奥から誰かがやってきた。
「達紀先輩、体調の方がどうでしょうか? 良くなりました?」
「ゆ、唯花か。まあ、大分良くなったよ。ありがとな」
「いいえ、私は私がすべきことをしたまでなので」
津城唯花は、冷蔵庫前に立つ達紀の元へ、近づいてくる。
二人はリビングからの明かりで照らされているのだ。
「もしかして、お風呂上りなのか?」
目の前にいる唯花は、バスタオルを首にかけている。
彼女が今、身につけているパジャマは、以前妹の一夏が着ていたモノだった。
「はい、お風呂を使わせてもらいました。達紀先輩は怪我が治っていないので、無理に入るのもよくないですよね」
「そ、そうかもな。怪我しているところにお湯が当たると、痛くなるかもしれないしな……」
達紀は、唯花のお風呂上りの姿を始めて見た。
一夏とは同年代であり、妹のお風呂上り姿は見慣れている事もあって意識する必要性も無いのだが、不思議と唯花の、今の姿に少し興奮してしまう。
もしや、自分は変態だったのかもしれないと、一瞬錯覚してしまうほどだった。
「達紀先輩? どうしたんですか?」
「い、いや……なんでも。なんでもないよ」
達紀は、不自然にも後ずさる。
「そうですか? なんか、頬が赤くなってますけど」
「え? そ、そんな事はないから……唯花の気のせいじゃないか?」
「それならいいんですけど。全然お風呂にも入ってないのに、顔が赤くなることなんてあるんですかね?」
「そ、それはあるんじゃないか?」
「でも、もしかして顔の怪我が悪化しているとか?」
「それも違う気が。今は全然痛くないし」
達紀がコップを持ったまま焦っていると、唯花がさらに近づいてきた。
唯花の匂いが鼻孔を擽る。
唯花はお風呂上り状態であり、シャンプーの上品な香りが漂ってくるのだ。
「やっぱり、怪しい……先輩、焦ってますよね?」
「いや、俺は全然……」
「先輩、もしかして、ヘンタイな事を考えているとか?」
「ま、まさか」
「んー、やっぱり、怪しいです」
達紀は彼女から視線を逸らす。
が、唯花からはジト目を向けられていたのだ。
「というか、私、最初っからそれが目的だったんですけどね」
次の瞬間、ジト目だった唯花の口元が緩む。
「え? どういうこと?」
「私のお姉さんの都合で、蓮見家に泊るって話。アレは違うんです」
「やっぱりか」
「わかってたんですか?」
「わかっていたというより、俺、芹那さんから泊る事を全然聞いていなかったからさ。ちょっと違和感を感じてたけどね」
「気づいていたんですね」
「何となくな」
目の前にいる唯花が考え込むような顔つきになった時、達紀は麦茶の1ℓケースと透明なコップを持ってリビングへ戻ろうとする。
「先輩、ちょっともう少しだけお話をしませんか? こうして一緒に泊ることになったんですから」
「え? でも、そろそろ日付が変わる頃だし、俺はあと少ししたら休もうと思ってたんだけど」
達紀はリビングの足を踏み込んだ後で、背後にいる唯花の方を見やった。
「私、先輩に以前言いましたよね。私と、お姉さん。どっちと付き合うかって話。先輩はどっちにするんですか?」
「それは。もう少し考えさせてほしい」
リビングサイドにいる達紀と、キッチンサイドにいる唯花は向き合うように佇んでいた。
達紀は、そういった話から極力話題を逸らそうとする。
この頃、やるべき事が多すぎて、自分なりの結論を出しきれていないのだ。
唯花と、芹那。
最終的にはどちらかを選ばないといけないのである。
それについては、達紀も頭ではわかっていた。
いつまでも先送りになんてできないことも――
「先輩。でしたら、すぐに決められるようにしますか?」
「へ? どういうこと?」
「あのですね。私、先輩とキスしたんです」
「……え?」
「私。先輩が、あっちのソファで休んでいる時に、こっそりとキスしたって事です。なので、責任を取って私と付き合ってくれますよね? キスをしたのなら、私の方を選んでくれますよね?」
唯花には元から、そういった作戦があったからこそ、今日、達紀家に泊ったのだろう。
自身の姉である芹那に勝つために――
唯花は後輩らしくではなく、一人の女の子として、はにかんでいたのだった。




