第31話 俺の隣には天使がいる
「では、こちらで処理しておきますので」
「はい、ありがとうございます。色々と助かりました」
津城唯花は立ち去って行く警察に対し、頭を下げていた。
警察数人は、暴れまわっている武尊を抑制するような形でパトカーの中へと連れ込んでいく。
「俺は全然悪くない、むしろ、被害者なんだ。俺の人生はあいつと関わってからおかしくなったんだ!」
「君、少し静かにして貰えないか?」
「うるさい。俺はまだ殴り足りないんだ!」
津城武尊は夜の時間帯なのに、大声で騒ぎまくっているのだ。
近くに住んでいる人らも、その声に反応するように、外に出てくる。
「何があったのかしら?」
「事件?」
「この頃、治安が悪いわね」
「そうね。若い人らによる事件が多いらしいし」
外に出てきた人らは、ヒソヒソと話していた。
「おい、もういいから入れ!」
警察から一蹴された武尊は、パトカーの中へと押し込まれた。
最後の警察もパトカーに乗り込むとサイレンを鳴らし、現場から立ち去って行くのだ。
パトカーがいなくなった瞬間から辺りは静かになり、次第に電灯の明かりだけになった。
外に出ていた人らも各々の家に戻って行く。
「お兄ちゃん、大丈夫? 病院に行く?」
「先輩、無理はしないでいいですからね」
「い、いや、八時を過ぎてるし……少し休めば問題ないと思うから」
「お兄ちゃんが大丈夫ならいいんだけど。じゃあ、応急処置はしておくね。少し染みるかもしれないよ」
「んッ⁉」
先ほど武尊から殴られたところが強く痛む。
蓮見達紀は自宅に到着しており、リビングのソファに横になったまま、近くにいる妹の一夏から治療をしてもらっていた。
妹は、達紀の怪我している場所に温かいタオルを当てている。
痛かったとしても汚れは取らないといけないのだ。
一夏が傷口周辺を拭いた後、自宅にある救急箱から傷薬を取り出し、それを痛んでいる箇所に塗っていた。
「これで良くなると思うから」
「う、うん、ありがと。で、でも、少し痛いかな」
「お兄ちゃん、そんなに動かないで傷が開いちゃうから」
「そ、そうだな……でも」
達紀は横になったまま安静にしておくことにした。
処置が終わっても、ちょっとだけ傷が痛む。
「明日になっても傷口が痛むようなら病院に行ってよね」
「わかった。そうする」
一夏のお陰で大分、気が楽になる。
達紀は一旦、瞼を閉じる事にした。
「これ、美味しい」
唯花と一夏は、ソファで横になっている達紀から少し離れた場所にあるダイニングテーブルに隣同士で座っていた。
「唯花、私の分も食べてみる?」
「いいの?」
「うん、ちょっと待ってて。このチキンを半分にしてくるから」
そう言って一夏はキッチンへと向かい、包丁を使ってチキンを半分にした後、リビングへ戻って来た。
一夏は自身のチキンと、唯花の生姜焼き二枚を交換する。
「んー、この生姜焼き美味しい」
一夏は生姜焼きを頬張っていた。
「そうでしょ。私、コンビニのこの味が好きなんだよね」
「そうなんだ。今度、私も買って食べようかな」
一夏は、カレーの中に生姜焼きを入れ、それから食べていた。
「一夏、少しだけカレーのルーを貰ってもいい?」
「いいよ」
唯花は、一夏から新品のプラスチック製のスプーンを貰い、それでカレーを掬って自身の生姜焼き弁当の上にかけていた。
二人は楽しく夕食を取っている。
そんな中、達紀はソファで横になったままだった。
一五分ほど安静にしていた事もあって、痛みも大分引いてきたと思う。
「……んッ……」
ソファで横になっていた達紀は、体を少し動かす。
が、やはり、痛い。
達紀は痛みに表情を歪ませながら、もう少し安静にしていた方がよさそうだと思ったのだ。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「達紀先輩? 体を動かせそうですか?」
「……いや、まだ無理そう。でも、大分よくなったとは思うから」
達紀は瞼を閉じたまま答えた。
近くには、食事を中断させた一夏と唯花がいるらしい。
そんな気配を感じた。
「それならいいんだけど。無理しないでね、お兄ちゃん」
「わかってる。それにしても人生で初めてだったな。あんなに本格的に殴られたの」
「ごめんなさい、先輩」
「いや、唯花が謝る事じゃないと思うし」
「でも、一応私の家族なので……」
唯花は申し訳なさそうに言っていた。
達紀は瞼を閉じているため、彼女が今どんな表情をしているかは見えないが、大分困った顔をしているに違いない。
「でも、本当に。唯花のせいじゃないと思うし。気にしなくてもいいよ」
「で、では、私が食べさせてあげますか?」
「え?」
「まだ、夕食を取っていないですよね? なので、さっきの件もあるので食べさせてあげます。先輩のは、三色ご飯弁当ですよね?」
「え……ああ」
達紀は瞼を閉じたまま、頷くような声を出す。
近くからは弁当の蓋を開ける音が聞こえる。
「唯花が食べさせてくれるなら、頼むね」
一夏が立ち去って行く足音が聞こえたのだ。
今から唯花によって、本当に食べさせてもらえるのだと思い、達紀はゆっくりと瞼を開く。
急に瞼を開けた事で、リビングの光が眩しく感じる。
むしろ、目が痛くなるほどだ。
「達紀先輩、食べてみてください。食べられますか?」
「う、うん……」
ソファの隣には立膝をつき、三色ご飯の弁当を手にする唯花がいた。
プラスチック製のスプーンを持ち、三色ご飯弁当から掬った、その一部を達紀の口元へと運んでくる。
リビングの明かりに目が馴染み始めた達紀は少し上体を起こし、それを食べるのだ。
殴られた顔の一部が痛く、口に含んだとしても痛さの方が勝る。
何となくだが、何が口の中に入って来たかまではわかった。
ご飯、そぼろ、タマゴだと思う。
その中にはホウレン草は混ざっていないはずだ。
「ゆっくりでもいいのでちゃんと噛んでくださいね。先輩、もう少し食べますか?」
達紀は咀嚼しながら首を縦に動かした。
「はい、あーんしてください。もう少し口を大きく開けてくださいね」
達紀は喉に通した後で、再度口を開ける。
また、唯花によって、ご飯などが運ばれてくるのだ。
今回は、ご飯、そぼろ、タマゴ、ホウレン草を同時に咀嚼していた。
再び咀嚼し終えると最終的に喉を通す。
「美味しかったですか」
「う、うん、ありがと、唯花」
「これは私なりの謝罪でもありますからね。それと、達紀先輩には入学した時から助けてもらってばかりだったので、これで少しは先輩に恩返しが出来ましたかね?」
「十分さ。むしろ、妹の友達になってくれて助かってるよ。意外と一夏もさ、友達ができるかどうかで悩んでいたくらいだし」
「そうなんですね」
「ああ。というか、俺、もう少し横になるよ。また体調が良くなったら一人で食べると思うから。三色ご飯は、近くのテーブルに置いてくれればいいよ」
「わかりました。達紀先輩も元気になってくださいね」
「わかってるよ。唯花は課題をやるんだろ。そっちの方に時間を使ってくれ」
達紀はソファに横になり、再び瞼を閉じた。
すると、唯花がソファから離れていく気配を感じ、達紀はゆっくりと意識を安定化させ、深呼吸するように仮眠し始めるのだった。




