第27話 俺、もう彼女がいるから
「だからわかったの。ようやく」
「……」
誰もいなくなった放課後の教室内。
蓮見達紀は自身の椅子に座りながら、その場に佇んでいる彼女の様子を伺うように見上げていた。
「私には、達紀しかいないから」
「それはないよ」
「え? え……?」
達紀が即答したことで、桜井茜は目を丸くして一瞬硬直していた。
何を言ったのか、確認するかのような視線を達紀に向けてくる茜。
「だからさ、俺は別にそういう意味でポスターを渡したわけじゃないんだ」
「え? で、でもさ。どういうこと? じゃあ……え? あのポスターを渡したのは、達紀が私と付き合いたいから、あの人と別れてほしいって意味じゃないの?」
「ま、まさか。俺、そういうことで渡さないよ」
達紀は呆れていた。
中学生の頃、成績優秀だった茜の知性は、すでに底についているらしい。
それほどに理解力を失っているようだった。
「まあ、俺と茜は、あのクリスマスの日から心がズレ始めてるんだ。あれから大分時間が経ってるし。俺はもう、どんな形であっても君と関わるつもりもないよ」
「なんで? 私、あの人と別れたら誰と付き合えばいいの?」
「それを俺に言われても……」
達紀はため息をはいた。
それから席から立ち上がる。
「俺もそんなに時間とかないからさ。早く帰りたいんだけど」
「ちょっと待って! 私はあなたとの会話が終わったとは思ってないわ」
茜は強引に、達紀の右腕を掴んでくる。
逃がすつもりもないらしく、彼女は強引なやり方をしてきたのだ。
「私、この学校に入学したのだって。達紀と一緒に過ごしたいからで。付き合う理由が無かったら、私はどうすればいいの?」
「そんなの俺に聞くの?」
「当たり前でしょ。責任を取ってよ!」
茜は意味不明な理論で話を進めようとしていた。
確かに昔の茜であれば、成績優秀でもっと上の高校を狙えたはずである。
だが、今の彼女の成績では、仮にレベルの高い高校へ転入しようと試みても難しいだろう。
「私……達紀がどんな時でも責任を取ってくれるからってことで、一緒の高校にしたんだよ」
「そうだったね。中学三年生の夏休みにそういう約束をしたね」
「じゃあ、考え直してくれる?」
茜の瞳は潤み始めており、悲し気な顔つきになっていたのだ。
「でも、最初に俺との約束を破ったのは茜の方だよね? 俺、去年のクリスマスは一緒に過ごせると思って楽しみにしてたのにさ」
「それはごめん。謝るわ」
茜は、達紀の横顔をしっかりと見て、達紀の心を引き留めようと必死だった。
そういう想いを今、達紀はヒシヒシと肌で感じていたのだが、その程度の感情に揺れ動かされるほど、以前のように心は弱くはないのだ。
昔の達紀だったら、彼女の悲しみに同情し、流されていたかもしれない。
けれど、もう自身の中で定まっているのだ。
過去は振り返らないと――
達紀はもう過去を捨てたのだ。
迷うことなどなく、達紀は横にいる彼女から掴まれていた手を振り払う。
「何度も言うけど、俺は君と寄りを戻すつもりはないから」
達紀は彼女の方を見て、ハッキリと言い切ったのだ。
「なんで、私は一回リセットしたいから」
「リセットも何も、もう終わってるんだよ。俺らの関係はさ」
達紀は通学用のリュックのチャックを閉める。
「私はこれだけお願いしてるのに」
茜は、達紀の方を見て、ムッとした顔をする。
「お願い? 俺、ずっと前に別れた方がいいって忠告してたよね……でも、その時の君は無視してたし。あの人の方が良いってさ」
「それは、その時よ。私だって友達との関わりがあって。彼氏がいなかったら、私の立場がないし」
「なんか、さっきから自分の立場を守ろうと必死だよね。そういうのやめたら? 俺は君のコレクションでもないし。都合の良い存在でもないんだ」
「べ、別に……私は自分の立場っていうか。ただ、達紀とは関係を修復したいと思って。あの時の私は騙されていたの。あの人から」
「……」
達紀は彼女の発言に一瞬戸惑うも、茜の今の表情を見て肩から力を抜く。
「騙されたって、随分都合の良い考え方だね。昔の君だったら、もう少しマシな考えを持っていたと思うんだけどね」
「どうして考え直してくれないの? というか、達紀って今、付き合っている相手なんていないでしょ?」
「それ決めつけじゃないか?」
「どうせ、いないんでしょ」
「いるよ」
「え? ま、まさか、そんな強がった発言をしちゃって」
「俺、嘘はついてないよ。本当なんだ」
達紀は比較的に冷静な立ち振る舞いで、彼女の事を往なしていた。
二人きりの教室に、誰かがやってくる足音が廊下側から聞こえた。
廊下を駆け足で移動してきたのは、後輩の津城唯花。
彼女は教室の前の出入り口から顔を出し、それから失礼しますと言って教室の中に入ってきた。
「誰、あの子」
茜は振り向いて、彼女の方を見ていたのだ。
「あの子が、その、なんていうか、彼女だよ」
「……え?」
茜は目を点にしたまま、達紀の方を振り向く。
「現在進行形で付き合ってる彼女ってことね」
「う、嘘よ……」
現実を受け入れられないのか、茜の声は震えていた。
手元も震えているのだ。
「う、嘘だ!」
茜は真剣でかつ、怖い形相を浮かべ、必死な態度で達紀の両肩を掴んでくる。
迫真すぎる彼女の表情に、達紀は一瞬後ずさるが、すぐさま肩に乗っている彼女の両手を退けたのだ。
「達紀先輩……もしかして、私、今は来ない方がよかったですか?」
後輩の彼女は現状に対し、恐る恐る後ずさっていた。
「いや、むしろ、都合がいいくらいだったよ」
達紀は冷静に対応する。
唯花が来てくれた事で、精神的に楽になったと思う。
「じゃあ、本当の事を言うと、俺が今付き合っている相手なんだ」
「え? あの子と? 後輩? え、でも、つい最近入学してきたばかりの子でしょ。あんたが、あの子とすぐに仲良くなるなんて。そ、そんなのありえないわ」
「なんでそういう風な決めつけをするんだよ。俺、本当の事しか言ってないんだけどな」
形勢が逆転し始めていた。
対する茜は、現実で生じている事に恐怖心を抱き始めてきたのか、声が震えていたのだ。
「それで、唯花は何の用だったんだ」
「これ、なんですけど」
唯花が持っていたのは、板チョコだった。
「なんでそれを? 今、お菓子を作っていたんですけど。少し余ってしまって。教室に先輩がいるならあげようと思って。それで」
「そっか。じゃあ、ありがたく貰うよ」
達紀はリュックを手に、教室の出入り口にいる唯花の元へ近づいて行く。
「今から一緒に料理部に来ませんか? 先輩に食べさせたいお菓子があるので」
「じゃあ、一緒に行こうかな」
二人の間で会話を進めていると、近くから怒号が飛んでくる。
「私との話は終わってないわ!」
茜は唯花の事を睨んでいた。
唯花は怖くなったのか、達紀の制服の袖を掴んでいたのだ。
「もうやめにしよ。これ以上は」
「で、でも!」
茜の怒りが収まる事はない。
だが、達紀が最終手段と言わんばかりにスマホの画面を見せた瞬間から、彼女の態度が一変したのだ。
「これ、あの人と一緒にホテルに入って行ったよね?」
「な、なんで、これを⁉」
「これ以上、話を大事にしたくないなら、もう関わってこないでほしい。もし、唯花にも何かをしてくるなら、この写真が流出するかもしれないよ」
「……んッ……わ、分かったわ……もういいから。ふ、ふん、あんたの事なんてどうだっていいわ!」
茜は、達紀の事を睨んだ後、自身の通学用のバッグを持ち、教室から走り去って行く。
険悪に包み込まれていた教室は、唯花の存在も相まって、次第に温和になって行くのだった。




