裏 計画
ユーリが王都へ向かっているころ、カタリナは孤独に耐えていた。
ユーリの姿を見ていることで、精神の安定を図っていたカタリナだったが、ユーリはしばらく自分のそばからいなくなる。その事実をとても恐れていた。
何かユーリについて考えていたかったので、ユーリと結ばれるうえで障害になるかもしれない人たちにどう対策するかを考えていた。
(アクアは、そもそもあたしに体を返す気があるのかしら? アクアがあたしに謝っていたのは本心のような気がするから、罪悪感であたしに体を返すのが一番高い可能性のような気がするけど、体を返してもらった後にどうするかよね。
アクアの真実をユーリに言ったところで、結局何も解決しないどころか、ユーリが何かされてしまいかねないし、その手は使えないわよね。こんなことをしたアクアは許せないけど、アクアがいるからユーリが生きていられるのも事実なわけだし)
カタリナはアクアのことをユーリのそばから排除しようとは考えていなかった。手段が思いつかなかったことと、ユーリが傷つくリスクばかりで、それ相応のメリットが浮かばないということが原因だ。
(アクア……どうしてこんなことを……アクアとあたしとユーリとで一緒に居るんじゃだめだったの? アクアだって、あたしを助けに来てくれたし、あたしの無事を喜んでくれた。アクアなら、あたしとユーリと一緒に居たって文句なんてなかったのに……はあ。だめね。あたしが解放されたところで、あたしはもうアクアをどこかで疑ってしまう。もうそんな未来はないわ)
カタリナの心に大きな寂しさが浮かんだ。カタリナとユーリとアクアとでずっと暮らすという未来は訪れることはない。カタリナにはかつてそんな未来が訪れると信じていたことが、遠い昔の事のように思えてならなかった。
(アクアを殺さず、アクアの真実をユーリに告げず、それでいてアクアに復讐できる方法、あるかしら? ……あるかもしれない。アクアもユーリのそばに居るけど、アクアよりあたしをユーリが大切にする。
そんな光景を見たらアクアはどう思うかしら? きっと愉快よね、その光景は。やっぱり、ユーリはあたしのものになるのが1番なのよ。ユーリ、絶対逃がさないわ)
かつてカタリナはアクアを信じていた。ユーリを守ろうとする意志は本物だと感じていたし、ユーリがアクアを大切にしていることも分かっていた。アクアが女の姿だったとしても、ユーリのそばに居ることに問題を感じていなかったほどだ。
ユーリが好きだと自覚していなかった頃でも、ユーリとアクア、そして自分はずっと一緒に居るのだと固く信じていた。
だからこそ、アクアが自分の体を乗っ取ったとき、本当に強いショックを受けた。アクアも同じ未来を見ていると信じていたのに、裏切られたと思った。
それでも、カタリナはアクアに憎しみをもちながらも、アクアを心の底から嫌いにはなり切れなかった。恐らく、アクアはユーリを自分に奪われると考えたのだ。
カタリナがその考えに至ったとき、少しだけアクアに共感を抱いた。ユーリを自分から奪う者なんて絶対に許せない。アクアは自分に謝っていたが、自分なら何の躊躇も持たなかったかもしれない。
きっとアクアは迷ったのだろう。アクアはユーリだけでなく、自分の事も大切に思っていたはずだ。そう考えたからこそ、カタリナはアクアともう一度話したかった。
アクアを許すことなど決してできないが、ユーリを幸せにするという目標だけは共通しているはずだ。カタリナはそのための妥協くらいはしても良かった。
カタリナが考え事をしている間も、カタリナの体は、ユーリヤと冒険者としての活動をしていた。時折アリシアやレティとも活動していたが、ユーリがいる時とは明らかに気合の入りようが違う。カタリナはアリシアとレティにも警戒していた。
(アリシアさんも、レティさんも、明らかにユーリを見る目が違う。今のところは冒険者として期待しているだけかもしれないけど、アリシアさんやレティさんに並ぶような冒険者になったら、本当にどうなるか怪しいわ。
アリシアさんも、レティさんも、ただ目をかけているだけにしてはやり過ぎなのよ。ビッグスライム使いの変な奴に絡まれることになったのも、きっとそのせいもあるでしょうし、ちょっと周りが見えてるか怪しいくらいよね)
アリシアとレティがユーリを特別視していることはカタリナにとって当然の事実となっていた。それゆえ、ユーリに対する恋愛感情が何かのきっかけで発生してもおかしくは無いと疑っていた。
(ユーリもどう見てもアリシアさんとレティさんに憧れているのよね。恋愛感情とは程遠いでしょうけど、アリシアさんとレティさんの態度次第じゃ落とされかねないわ。
今のところは先達としての態度を崩していないからいいけど、これがパーティメンバーやパートナーみたいな立ち位置になったら危険だわ。本当に気を付けておかないといけないわね)
他にもサーシャの態度もカタリナにとっては問題だった。サーシャが貴族として何か企んでいるらしいことはカタリナにもわかったが、それだけで、あれほどユーリと距離を詰めるものなのか。サーシャもユーリと距離が近い。カタリナが警戒するには十分だった。
(サーシャさん、ユーリを何かに巻き込もうとしているだけならいいわ。いや、良くはないけど。単なる色仕掛けにしては、おかしいのよね。他の人たちにもそういう事をしているのなら噂の1つや2つあってもおかしくないはずなのに、何も聞こえてこない。
ユーリが飛びぬけて強いってこと、あるかしら? アクアと一緒ならともかく、ユーリ1人なら、アクア水があったとしてもどうにかする手段がないわけじゃないと思うんだけど)
ユーリの活躍を見ていても、カタリナにとってユーリは特別な冒険者ではなかった。カタリナ自身がもともと契約技を持たない人間としては相当な強者だったこともあり、ユーリに勝てないというイメージが湧いていなかった。
ユーリに負ける可能性をカタリナは十分に認識していたが、それでも手の届かない存在とは思えなかったので、そんな存在にあれもこれも世話を焼くサーシャを警戒していた。
(色仕掛けにしたって、やり過ぎのような気がするけど。仮にも貴族だし、この街でエルフィール家がどれだけの力を持っているか、あたしにもわかる。単なる1冒険者に、あそこまでする価値があるとは思えないのよね。貴族としてもっと大きくなりたいのなら、もっといい相手がいるでしょうし)
エルフィール家がカーレルの街では絶対だとサーシャが言っていたことは、そこまでおかしなことだと感じていなかったカタリナは、だからこそ、サーシャが本気でユーリを落とそうとすれば危ういと認識していた。
(サーシャさん、なりふり構わなければ1番危険な感じがするわ。あたしには権力は無いし、そういう方面も使って誘惑されたら、慣れていないユーリがどうなるか。
金や名誉でユーリがあたしを裏切るとは思わないけど、あいつ、1度気を許した相手には本当に弱そうなのよね。ちゃんとあたしが見張っててあげないとね)
また、ユーリヤの態度もカタリナは気になっていた。最初は何かユーリを使った企みがあるように思えていたが、ユーリを落石からかばう姿を見て、疑いはほとんど消えた。
仮に死なないという確信があったとしても、あそこまでの事を出来る人なんて想像がつかない。だからこそ、カタリナはユーリヤに本気で対策しようとしていた。
(ユーリヤさん、本気でユーリの事が好きなのは間違いない。何があの人の琴線に触れたのかはわからないけど、ユーリの好みを熟知しているわ、ユーリのそばにずっといようとするわ、熱心さが他と段違いよ。
他の人は疑わしいってところだけど、ユーリヤさんは、ユーリに本気で恋しているとしか思えない。強敵よね。ユーリの奴、ユーリヤさんに見とれてたことが何回もある。少なくともユーリヤさんの顔はあいつの好みなんだわ)
ユーリの顔の好みの一番が自分でないことに腹を立てていたカタリナだが、ユーリの性格を含めた人としての好みは自分が一番だと疑っていないからこそ、自分の手の届かない範囲での決着を恐れていた。
(ユーリヤさん、あいつと一緒の部屋で寝ていたことまであるもの。ユーリの奴が、その、し、していたなら、ユーリの態度がおかしくならないはずはない。だから、ユーリとユーリヤさんが関係を持っているってことはないはず。
大丈夫。あたしにもまだチャンスはあるわ。でも、ユーリヤさん、本気でユーリの事を誘いかねないわ。なんとかして、決着がつく前に体を取り戻さないと)
それ以外にも気になることがあった。ステラの事をアクアが操っていることは知っていたが、カタリナは、ステラも自分と同じように命はあるような気がしていた。
アクアの性格からして、ユーリに嫌われる要素はできるだけ避けたいだろうし、そもそも、死体をあれほど綺麗に保てる手段があるとはカタリナには思えなかった。だから、ステラが体を取り戻す可能性にも警戒していた。
(ステラ先生、いや、ステラさんと呼んでおくべきね。あたしが体を取り戻したときに、ステラ先生と呼んでいたせいで気づかれるほど間抜けな話は無いわ。ステラさんはユーリには明らかに目をかけていたのよね。ユーリの奴は気が付いていなかったけど。
ステラさんは本当にユーリに優しいし、ユーリも男である以上、勘違いとかしてもおかしくないのよね)
ステラの事をユーリだけでなくカタリナも尊敬していた。そのため、ステラの魅力をより深く感じることになったカタリナは、ユーリも似たような思いを抱えかねないと疑う。
(それに、ステラさんはユーリの帰る場所になってしまっている。本当なら、あたしがユーリのパートナーで帰る場所のはずだったのに。ステラさんのような立ち位置の人は恋愛感情かはともかく、好きにならないはずがないわ。本当に気を付けておかないとね)
ユーリが幼いころに家族がアクアだけになったと知っているカタリナは、家族の温かさにユーリが憧れているのだろうと推測している。自分もユーリの家族同然だと考えているが、きょうだいの類だろうから、別の方向性を持つステラが恐ろしかった。
(ステラさん、どうしてアクアに操られることになったのかしら。やっぱり、アクアがオメガスライムだと気づいてしまったから? アクアはユーリにだけは嫌われたくないでしょうし、オメガスライムなんて知られたら、嫌われると思ってもおかしくはないか。
でも、ユーリがあたしを操られていると知ったならともかく、アクアがオメガスライムだったと知ったくらいでアクアを嫌いになるなんて、想像できない。今ならともかく、あたしだって嫌いにならなかったはずなのにね。アクア……)
ユーリの近くの女の事を考えている間、カタリナはずっと考えないようにしていたことがあった。ユーリの周りにいる人が、全て本当はアクアであるという可能性だ。それを考えてしまうと、カタリナは人間不信になりそうだった。
(ステラさんはもうアクアに操られている。アリシアさんとレティさんだって、アクアがその気になればおしまいよね。サーシャさんだって、契約しているモンスターごとどうにかできそうだし、ユーリヤだって怪しい。そもそも、ユーリに好意的なのは、アクアが操っているからだったりしないわよね)
カタリナにとってユーリの周囲全てが疑わしく感じ、寒々しい物を心に感じていた。アクアの力ならだれが操られていてもおかしくないという事実は、カタリナの精神を蝕むことになった。
(……だめね。あたしが信じていいのは、本当にユーリだけかもしれない。ユーリ、早く帰ってきて。何なら、アクアの操っているあたしの全部、好きにしていい。ううん、むしろ好きにしてほしい。ユーリを感じている間だけなのよ。あたしが大丈夫でいられるのは……)
カタリナはユーリが好きだと初めて自覚した時より思いが深まっているのだと信じていた。ユーリの近くに居たいことはそれが理由だから、おかしくはないと思い込む。カタリナの精神は、本人が自覚している以上に追い詰められていた。
(だから、ユーリをあたしに刻み付けて。ユーリともし離れてしまっても、あたしがずっとユーリを感じていられるくらい。本当は、あたしとしてユーリと一緒に居たい。でも、そうできないんだから仕方ないじゃない。
もしあたしが体を取り戻したら、ユーリがあたしに今までしてきたこと、全部ユーリともう一度するわ。そうすれば、きっとあたしは全部取り戻せるんだから)
カタリナにとって、ユーリとの未来を考える事だけが今ある楽しみだった。ユーリの事を考えることが増える材料を、カタリナは心から求めていた。とても強く。
(それにしても、ユーリとそういう事をしたら、アクアに操られているままでも子供ってできるのかしら? ユーリとあたしの子供……そうだ! これなら……ユーリ、待ってなさいよ。アクアには絶対できないこと、あたしがしてあげるんだからね)




