第一章 第6話 路上の騒動
ガーランドでは、新年が盛大に祝われる。
上流階級の家では年明けからしばらくは連夜に渡って宴が催され、今日はこちらの家、明日はあちらの家と互いに訪問しあうのが慣習だった。
それは数カ月前から準備が必要な一大行事で、新年は、邸仕えの者にとっては一年で一番忙しい期間だった。
グラナガン家では新年の祝宴は本家で開かれることになっており、その日は別の場所に邸を構えている長男のゼスパ夫妻も、本家にやって来ることになっていた。
上流階級の付き合いはそれなりに面倒で、日取りが重なる家には時間をずらして短時間ずつ訪問するなど互いの予定の間を縫うような調整が必要であり、新年の祝宴は、訪問漏れを起こしてはならなかった。
とは言え毎年のことなのでそれぞれの家が祝宴を開く日取りはほぼ固定されていて、おおよその日程は分かっている。
それでも訪問の際の人数など、行き来を予定する家同士で毎年情報の摺り合わせが必要で、加えてファゼルは他家の宴の規模や、演出を探らねばならなかった。
ガーランドに冠たるグラナガン家が、新年の祝賀で見劣りする様なことはあってはならなかった。
主家が恥を掻く様なことがあれば、それはファゼルの責任なのだ。
その日も朝から三軒の家を廻り、一端グラナガン家に帰ろうとしていた黒髪の青年は、使用人の通用口近くの歩道で、七、八人程の男が何やら言い争っている様子に行き合った。
「どいて下さい!」
口論する男達に囲まれるようにして、私服の外套姿のアミィが訴えていた。
「アミィ?」
執事見習いの青年が声を掛けると男達は驚いた様子で道を開け、ファゼルはまるで花道を歩く様に男達の間を通って、アミィの前に辿り着いた。
アミィは驚いた様子でファゼルを見上げた。
ケープ付きの外套姿のアミィは、泣きそうな顔をしていた。
彼女の姿は一見、良家の子女にも見える程だった。
くるぶし丈の胡桃色の外套は、ケープの縁取りと裏地が焦げ茶の地に薄茶色の格子模様で、縁なしの帽子とバッグが、どちらも外套の共布で仕立てられていた。
いつもは一つにまとめている髪を下ろしており、肩の上でゆるやかに波打つ金色の髪が、光を絡め取って揺れている。
彼女の姿には、使用人とは思えない品位が漂っていた。
これは一層人目を惹くな、と、アミィの表情とその出で立ちは、内心ファゼルを動揺させた。
グラナガン家の執事のエンジ色のジャケットに、数人の男達がそそくさと逃げる様に歩み去る。
残った男達もばつが悪そうにもじもじとしていた。
「どうしましたか。」
異様な様子にファゼルが問うと、アミィは泣きそうな瞳のまま俯いた。
「………買い物に、行きたくて…」
涙を堪える様な声でアミィが言う言葉に、「俺達なにもしてないぞ!」と、黒髪の執事に潔白を訴える男の声が被さる。
無言でファゼルが男達を見やると、居心地悪そうにしながら、男達は微妙に後退った。
やがて彼らもすごすごと散って行った。
歩道に二人きりでぽつんと残され、ファゼルは改めてアミィを振り返った。
アミィは俯いたまま黙っていた。
買い物に行きたい、と言っていたが、いってらっしゃいと送り出せる状況とは思えなかった。
「大丈夫ですか?」と一度尋ね、頷いた彼女を促して、ファゼルは取り敢えず一端彼女を邸に連れて帰った。
警備の者がいる詰め所の前を通り、通用口からアミィと一緒にグラナガン家に戻ったファゼルは、近くにいた女中にジゼルの居場所を尋ねた。
ジゼルに話を聞いて貰った方がよさそうだと思っていた。
数分後には応接室の一つで、ファゼルはアミィと共にジゼルと向かい合って座っていた。
グラナガン家の女中頭ジゼルは、総白髪で、ややふくよかな体が堂々とした女性だった。非常に厳格だが、母の様な温かさもあり、使用人達には慕われていた。
ファゼルはアミィに、何が起きていたのか説明する様に促した。
やがてアミィは、ぽつりぽつりと語り出した。
アミィは、これまでに二度買い物に出掛けようとしており、今日が三度目だったと言う。
彼女が邸を出ると僅かも歩かない内に声を掛けてくる男がおり、どうしてよいのか分からずにいるうちに他にも男が現れ、それが一人増え二人増え、仕舞いに十人前後の人数になり、以前の二回は結局彼女は出掛けるのを諦めて、逃げる様に邸に戻ったらしい。
今日は時間をずらして、以前の二回の時より遅い時間に邸を出てみたそうだった。
だが同じことになり、何人もの男達がアミィの前に立ち塞がり、更には男同士で言い争いを始めたのだと言う。
話を終え、俯いたままきゅっと唇を結んだ彼女を、ファゼルはまじまじと見つめた。
生真面目に過ぎるファゼルには、女性が買い物にも行けない程付き纏われていることが驚きで、世の中一体どうなっているんだと呆れ返っていた。
向かいに座るジゼルがふぅっと短く、小さな息を吐く。
「ダンからも話は聞いていました。」
「―――――――――――――――」
青年は溜息をつきたくなるのを、堪えた。
やはりアミィのあの奇妙な出金と入金の手続きをしたダンが、何も気付いていない筈はなかった。
アミィの最初の所持金についても何も言わなかったダンは、執事としては鑑と言っていいのかもしれないが、余計なことは一切口にしない男だった。ファゼルからすると、言っておいてほしかった、と思うことがしばしばだった。
女中の問題として、ジゼルにだけは状況を告げたのだろう。
ジゼルは黙ってファゼルに視線を向けた。
「―――――――――――――――」
なにごとか申し付けられそうな雰囲気を感じて、ファゼルは微かに身構えた。
青年のささやかな心の鎧は意に介されず、女中頭は謹厳な口調で、あっさりと切り込んだ。
「あなたが付き添えませんか、ファゼル。」
付き添い。
即答できず、執事見習いは数瞬迷いを見せた。
執事は自分の仕事の差配をある程度自分で出来るので、常であれば、邸内で一番都合がつけやすい。だがこの時期のファゼルは、とてつもなく忙しかった。
自分の左に座るアミィを見た。
泣きそうな瞳のまま下を向いていた。
――――――――――――――――――。
外套越しにも分かる程、華奢だと思った。
「―――――――――――分かりました。」
ファゼルが静かにそう応えると、アミィは少し驚いた様子で顔を上げた。
ファゼルがこの時期は忙しいのだということを、アミィも既に知っていた。
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