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エスメラルダ  作者: 古都里
第三章 王と王妃は模索する
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14 見ないふりの終わり

 フランヴェルジュは多分効率だの人材の無駄遣いは許せないだの、そう言った言葉をハルシャが述べるとそう思っていた。

 ところが、ハルシャが口にしたのは、フランヴェルジュが見えていない本質だった。


「お怒りを買う覚悟で申し上げるならば、……エスメラルダ様は歪です。元々の性格か、ランカスター公爵の育て方がおかし過ぎたのか解りませんが、人と接する時、どう接すれば良いのか常に迷っておいでに見えます。人との関りあいの経験値が絶対的に不足なさっているのでは? と。安心して接する事の出来る相手は数限られているのではないかと感じられます。ですから、その数少ない相手である陛下の手の届くところで、人と触れ合う経験を積まねば、恐らく慣例通りの王妃の公務はただ苦痛なだけなのでは、と」


 フランヴェルジュは黙り込んだ。人の妻を歪だなどと好き勝手言ってくれる、というような怒りは湧かない。フランヴェルジュに対してのエスメラルダは素直に心を表現してくれることが多いが、総ての人間に対してそうかと言われると、違うという事に気付いてしまった。


 よくよく考えれば、十六でレーシアーナと出会うまで、友と呼べる者は一人もいなかったという点でフランヴェルジュも気付くべきだったのだ。


 一番エスメラルダという存在を理解している心算だったのに、ハルシャが言うまで気付かなかった愚かさにフランヴェルジュは奥歯を噛みしめる。

 エスメラルダは確かに、歪だ。


「経験値が絶対的に不足しているように感じられるのに、性質の悪い事にあの方は何とかしてこなしてしまう。でも、その負担を考えると怖いのですよ」


「お前は原因が何か、何度となく考えたのだろう? 確証は要らん、思いついたままでいい、エスメラルダのその不安定さは何に起因していると思うか、言ってみろ」


 苦いものを飲み込んでフランヴェルジュはハルシャに問う。自分が見えていなかったエスメラルダの一面、嫉妬は後でする。ただ、ハルシャの思っている事をぶちまけさせねばまた、自分は間違えてしまう。


「ランカスター公爵があの方をエリファスに連れ去ったのは十二歳。十六まで、ずっとエリファスにいらしたと聞きますが、第二次性徴やら反抗期やら、そういったあれやこれやで厄介な年齢なんですよね。うちは娘はおりませんが、息子達のその年代を考えると大変だったことしか思い出せない程で、親も子供も苦労する時期なのです。そんな繊細な時期に、エスメラルダ様はランカスター様に不満を口に出来たのか、我儘の一つも言えたのか、それが鍵になると思います」


 フランヴェルジュは考え込んだ。


 エスメラルダはフランヴェルジュの叔父であるアシュレの事を余り話さない。必要だと思わないからではないかとフランヴェルジュは思う。彼女は男の嫉妬の性質の悪さを理解しているか怪しい。けれど、聞き出さなくても解る事がある。

 緋蝶城のアトリエにあったエスメラルダの絵。あの枚数を考えれば叔父が寝食を削って描きまくったのは想像に難くない。


 そんな生活の中で、まともな情操教育をエスメラルダが受けていただろうか。いや、そんな時間があれば叔父の性格を考えると、当たり前に描く為の時間としたのではなかろうか。


 かちり、かちり、ピースが嵌っていく。

 ただ、出来上がる絵は……フランヴェルジュが見たいと願うものとは全く違う。


「今から子供時代のやり直し、もしくは育てなおし、というのは恐らく不可能であると思います。あの時期にだからこそ、やらねばならぬ事があった。ですが、安心して接する事の出来る相手である陛下の傍で、人と触れ合う経験値だけなら、稼げるのではないでしょうか。王としてではなく、あの方の夫としてあの方を守って差し上げて欲しいと、そう思うのです」


「そう、だな」


 王としてではなく夫として愛する妻に最善を与える。王になるものとして生まれ、そう教育されてフランヴェルジュは王になったが、エスメラルダ一人大事に出来ぬのならば、メルローアの民六千万を大事にすることなど出来ないだろう。


「最初からそう話せ。戦力としてエスメラルダを囲い込みたいという話では、決断出来るものではなかった」


「王の執務室には、いつ誰が入室許可を求めてやってくるか解りませんでしたし、私が今言った言葉は不敬罪を問われる可能性が高い物でしたから。あの方を崇める者達には、許し難い不敬と取られる言葉、そうでしょう?」


 フランヴェルジュは黙り込む。


 今のメルローアでは、王が不敬だと断ぜずとも、エスメラルダに対しての言葉を間違えると不敬だと申し立てられる可能性が高い。

 此処で午餐を二人で取る機会がなければ、ハルシャは本当の理由をフランヴェルジュに言う事は出来なかっただろう。高確率で、フランヴェルジュはエスメラルダに慣例通りの王妃の公務を求めただろう。彼女が自分の執務室で発揮する能力を惜しみながらも、きっと王としての決断を下していた。


 だが、フランヴェルジュに見えていなかったエスメラルダの不安定さ歪さを指摘され、それを実感として理解してしまった今、フランヴェルジュはフランヴェルジュとしての決断を下す。


「……戴冠式後もエスメラルダの公務は引き続き、王の補佐とする、決めた」


「承りまして御座います」


 ハルシャは良い笑顔でフランヴェルジュの決断を受け入れる。


「しかし、慣例を完全に無視する形になりますが、その反発に対してどう為されます?」


 ハルシャの言葉にフランヴェルジュはきっちり五秒間考えて言った。


「優秀な戦力であり王妃の公務を理解しきっているあの方にもう一度表舞台に戻って頂くとしよう」


「……本気ですか?」


 それは何度もハルシャ自身考えた事であった。だが、畏れ多いと心に浮かんだ瞬間に却下し続けた事だ。


「ブランシールが夢の中にいる現在、ルジュアインの後ろ盾としては母上が最強だろう。その力を更に強固にして頂く。ルジュアインを愛する母上としても悪い話ではない筈だ」


「御子が授かった時に、それはそれで面倒な事になりはしないかと心配ですが」


 ハルシャの言葉にフランヴェルジュは一瞬きょとんとし、それから笑った。


「面倒な事というと王位の押し付け合いしか想像がつかぬが?」


 メルローアという国の王という物は、ならずに済むならばなりたくないものでしかない。


「王である俺が男児を授かればその子供に不幸がない限り、未来は決まる。それでも、継承権を持つ男児であるルジュアインには、生きて行く為に後ろ盾が欲しい。それも誰も無視できない強力な後ろ盾を俺は望む」


「……そう言ったものが、王妃様にも在ったならばと、時折思ってしまいますよ」


「出自の後ろ盾は確かに無い、が、その代わり俺が出来る事はする。ハルシャ。お前にもそれをサポートしてほしい。俺に見えていない物が見えたら、これからも教えてくれ。初めて惚れた女だ。楽な人生があっただろうに、俺が茨道に引き込んだ。それでも、幸せにしたいと思ってしまう。だから、頼む」


 気付けば、当たり前のようにフランヴェルジュは頭を下げていた。だが、良いのだ。今は王としてではなく一人の男として、人生の先達にこいねがっているのだから。




◆◆◆

 エスメラルダはフランヴェルジュの帰りを今か今かと待っていた。彼と話すべき事は沢山ある。色々と難しく心の準備が必要なものも沢山、だが、単純に今日は満ち足りた日だった。それについても話したいと思うのだ。


 ルジュアインは一ヶ月で随分と大きくなっていて、関わる事の出来なかった期間が口惜しかった。でもそれ以上にこれからの成長が楽しみで、まだ胸が苦しい程だ。ただ、何より、心から愛おしく思うあの赤子、レーシアーナの遺した宝がちゃんと元気に成長してくれている事をエスメラルダは喜びたいと思う。


 ラトゥヤはエスメラルダが訪れる事を解っていながら検診を優先した事を精一杯の言葉で詫びてくれたが、詫びる必要はない事だ。赤子が必ず生きながらえて大人になれるかというと今の医療では心許ない。夭逝という言葉は、決して珍しい言葉ではないのだ。ラトゥヤはエスメラルダの愛する命に対して最大限の事をしてくれている。本当はエスメラルダがしたかった事を一身に引き受けてくれているラトゥヤに、エスメラルダは義母の許可もあるとサファイアの腕輪を下賜した。するとラトゥヤは泣き出しそうな顔で言ったのだ。


「このサファイアはルジュアイン様の目の色と同じ色ですね。一生、大切に致します」


 生まれたてのルジュアインの目はアイスブルーだった。成長と共に色が移ろう可能性が高いのが瞳の色。言われてみると驚く程、今のルジュアインの眼の色は深みを増していた。サファイアの青に確かに近いその色に、エスメラルダは驚いたのだ。


 レーシアーナの瞳の色ともブランシールの瞳の色とも若干違うその青は、本当に綺麗に澄んでいた。


 ルジュアインにラトゥヤが乳をやった後、エスメラルダは思う存分ルジュアインを抱いて、そして大急ぎでクッキーを焼いた。ルジュアインの父親であるブランシールの事もエスメラルダは粗末にしたくない。フランヴェルジュにとって大切な弟であるというのも大きいが、エスメラルダにとってブランシールは『レーシアーナが想いを捧げた相手』としてとても大切な存在で、焼けたばかりの熱いクッキーをバスケットに詰め込んで、義母と地下道を通りぬばたまの牢へも足を運んだ。花の手入れもランタンの油の補給も、義母はちゃんとしてくれていた。


「早くお帰りになって下さいませ。レーシアーナと貴方の御子の為に」


 心が壊れているブランシールに行っても仕方のない事なのだろうが、エスメラルダは心からブランシールが元のブランシールとして戻ってくるよう祈る。


 もし、目の前の王弟がレーシアーナが死んだ原因であると知ってしまえば、エスメラルダは決してブランシールを許せないだろう。きっとカスラに命じて苦しみに苦しみぬいた上での死を求めてしまうに違いない。だが、エスメラルダがブランシールの罪を知る事は決してない。


 レーシアーナがそれを望まない。


 レーシアーナの祈りは、ブランシールの罪に誰もたどり着けぬ奇跡を生んだ。レーシアーナの綺麗な魂を愛でる主が、彼女の願いに沿った結果だが、誰も知らなくていい事だ。


 海の色の瞳の娘は、そうやって死してもなお変わらずに夫を守り続けている。


 子供のようなブランシールはにこにこと機嫌よく笑い、クッキーを食べ始めると夢中になった。すごい勢いで食いつき平らげる赤子よりマシなだけの息子に、隣の義母は泣くのを我慢するような苦笑を投げかける。


「二年は……そんなに長くはないわね」


 言い聞かせるようなアユリカナの言葉に、エスメラルダも頷いた。


 そして、エスメラルダは地下道を通り、地上に帰る。『真白塔』を辞去し、近衛達に付き添われるまま後宮の部屋に戻る。


 女官達に引き渡され、夫婦の寝室に戻るとひどく不思議な気がした。


 一時期はこの部屋が大嫌いだった。此処に閉じ込められ、ただ夫が戻ってくるのを待つだけだった頃、本気で火をつけたいとすら思ったのだが。


 ある程度の自由とやりがいのある仕事に携わるようになった今、嫌な思い出ばかりではないのだと静かな心で思う。

 人の妻となり愛する男の手で女になったこの部屋、エスメラルダに惜しみない愛情を注ぐ夫と二人きりの時間を過ごす部屋。


 半軟禁状態だった時の事を思うと完全に好きだとは言えない。でも、多分もうあんな思いはしないで済むのではないかとエスメラルダはぼんやり思う。


 そして、ふと思いついた。

 この部屋は王妃となった娘、つまりエスメラルダが好きに内装を弄ることが出来るよう最低限の丁度しか備えられていないのだ。そして、その最低限の丁度もエスメラルダの心に添わぬ物ならば入れ替えてもいいのだとフランヴェルジュは言ってくれた。


 フランヴェルジュと色々と話し合わなければならないとエスメラルダは思っている。今日の事を

色々と話したいが、それ以上に大事な話を忘れる心算はない。お互いの心を言葉に出来る限りの総てを打ち明けて擦り合わせという物が出来たなら、最後にこの部屋の模様替えをフランヴェルジュに頼んでみよう。これから先も、どちらかが黄泉路を辿るまで、エスメラルダとフランヴェルジュはこの部屋で沢山の時間を過ごす。それなら、嫌な思い出など蘇る余裕もない位にこの部屋に手を入れよう。時間が取れるかというのが難しいのだが……そう、フランヴェルジュの仕事に携わっている今も、戴冠式後も時間がとれるかは本当に難しいのだが、何と楽しい悩みだろうか。ただ閉じ込められるだけのあの日々に、こんな悩みは想像も出来なかったのだから。


「贅沢な悩みね」


 そう呟くとエスメラルダは笑った。誰に見せるでもないその笑顔は本当に綺麗なそれなのだが、エスメラルダはそんな事は知らない。


 正餐の時間が迫っている。フランヴェルジュは今日、忙しいのだろうか。普段ならとっくに戻っている夫だが、何か面倒な案件を抱えているのかもしれない。

 少し考えて、エスメラルダは食堂で夫を待つと決めた。後宮の食堂、もしかしたら正餐の時間が迫っている今、フランヴェルジュはそちらでエスメラルダを待っているかもしれない。

 フランヴェルジュ様に言わなくてはならない事が沢山あるわ。


 エスメラルダはもう逃げない。自分が悪いのだと言葉を飲み込む事もしない。一生を共にする相手に、言いたい事も言えないのは違う。


 義母に自分も花瓶を投げるべきかと聞いたら、少し困った顔をして、でも綺麗な笑顔で言われたのだ。


「勧められないわ」


 子供を授かったと知った時、義母であるアユリカナは考えたのだという。


 生まれてくる子供が男であれ女であれ、自分は花瓶を叩きつけて割る自分を絶対知られたくない、と。確かに、夫は花瓶を割らずに」居られない程に追い詰められた自分の心を正確に思い知るきっかけを得ただろうが、人の母として、花瓶を割ってヒステリックに叫ぶ女はただただ、恥ずかしいだけだ、と。


 エスメラルダは、アユリカナの言葉を反芻して、花瓶を割るのはやめようと結論を出した。そもそも、今こじれている問題はエスメラルダが罪もない夫にヒステリックに喚き散らした事が大きい。


 花瓶を割らなくても、エスメラルダが真剣に向かい合おうとすれば、フランヴェルジュならきっと自分の心の澱を理解してくれるはずだと思うのだ。エスメラルダは、フランヴェルジュを信じる。


 鈴を鳴らし、エスメラルダは女官達に食堂へ向かう事を告げ、彼女らを従えて向かった。


 酷く緊張するのは、自分が今まで散々逃げていたから。

 でも、いつまでもこのままではいられないのだ。




◆◆◆

 食堂に着いてもフランヴェルジュはまだ来ていなかった。エスメラルダはだから、罪悪感を覚える。


 そんなに忙しい日だったのか、それなのに自分の想いを優先して仕事を休んだ自分は、フランヴェルジュの為に何も出来てはおらず、ただ迷惑をかけ続け、その事で生まれるであろう当然の不満をフランヴェルジュに延々と飲み込ませ続けているのではなかろうか。


 そんな不安に取りつかれていると、不意に騒がしくなった。しかしエスメラルダが何事と思う前にフランヴェルジュが、彼女の夫が食堂に飛び込んできたのだ。


「遅くなってすまなかった。正餐の時間も守れない男にはなりたくないものだな」


 息を切らしているわけではないし、いつも通り平然としたフランヴェルジュに見える。だけれども、エスメラルダは何故かフランヴェルジュが急いで戻ってきてくれたのだと感じた。大体、そうでなければ、一瞬でも騒がしさを感じる訳がないではないか。


「遅刻はなさってらっしゃいませんわ。わたくしも先程、参ったところです」


 明らかにホッとした表情を浮かべるフランヴェルジュがエスメラルダは好きだ。エスメラルダの前では、出来る限り王としてのフランヴェルジュではなく、ただのフランヴェルジュでいてくれる彼が本当に好きだ。


 エスメラルダの好きな笑顔のまま、フランヴェルジュも席に着く。


 それを合図に、正餐のメニューが次々に並べられ、食卓が呻きだしそうになる。正餐も午餐と同じくプライベートな場合のそれは給仕達の仕事は最低限のそれであり、総て並べ終わったら礼を取って彼らは王と王妃の会話が聞こえない距離に下がる。


 フランヴェルジュとエスメラルダはお互い微笑みを浮かべたまま食事に取り掛かった。まず、聞いておかねばならぬ事をエスメラルダは問う。


「今日のお仕事は、大変でしたの?」


 エスメラルダが携わる前も携わってからも、フランヴェルジュは正餐にギリギリで戻ってきた事はなかった。いつも少しだけだが余裕があったのだ。


 フランヴェルジュはその質問の答えを一瞬迷った。が、迷った末に本当のことだけを言う。嘘を吐かぬ女に、出来る限りは嘘を吐きたくないのだ。出来る限りは、だが。


 そう、うっかりと一部を言い忘れたりするものだ、人間というものは。


「お前がいないところで少しあれやこれやを決めてしまった事に対して、済まないと言わせてくれ」


 エスメラルダはきょとんとした表情を浮かべ、次の言葉を待った。


「戴冠式が終わっても、暫くはお前の公務は俺の補佐という事にしたい、そうハルシャと話した」


 緑の瞳が大きく見開かれる。


「王妃の公務として慣例の物があるのは解っている。それを軽んじる心算はない。だが、今お前に抜けられるのは痛手だ。そして、お前が俺の補佐をする為に慣例としての公務に携われないとなると、代理が必要になるだろう? ルジュアインの後ろ盾として、母上に今一度権力の座に帰ってきていただきたいと思う。内政の為にも、ルジュアインの為にもそれが最善だとハルシャと話し合った」


 エメラルドの瞳を零れ落ちそうなほど見開いたエスメラルダは、躊躇いがちに言葉を探した。


 フランヴェルジュの簡潔な言葉は、理解が容易いものだ。確かに自分がフランヴェルジュの仕事に携わり続ける事が良いのかどうかは解らないが、エスメラルダはそれを望んでいなかったと言えば噓になる。戴冠式が終わっても、やりがいのある仕事に携わる事を許してもらえることはとても嬉しい。

 そして、ルジュアインの後ろ盾であるアユリカナは確かにもう一度表舞台に出た方が良いのは確かだ。実際、ブランシールが戻ってくるまで、アユリカナしかルジュアインを守り抜ける立場には誰もいないのだから。


 だから、良い話、なのだ。

 だけれども。


「フランヴェルジュ様は……わたくしが王妃の公務を果たせないと、そうお考えですか?」


 アユリカナが表舞台に復帰しても、住み分けは出来るのではないか?

 フランヴェルジュは……自分を力不足だと断定して、彼の手の中で自分を守る心算なのではないか?


 エスメラルダの考えは半分だけ当たってはいる。だが半分だけだ。だからフランヴェルジュは嘘を吐く必要などなく、エスメラルダを納得させる言葉を紡いだ。


「お前に仕事を手伝ってくれと言った時、心配だったことが現実化してしまっただけだ。情けない話、お前がいないと誰も仕事を全力でこなすことが出来ない状況が生まれた。俺はお前がいないと落ち着かない。ハルシャは自分の仕事に何か抜け落ちてないか不安になる。文官達はお前に書類を見てもらえないならと書類を提出に来ない」


 そう、全部事実だ。


「今、お前を俺の執務室から出して慣例通りの王妃の公務に就かせる事は出来ない。そもそもお前がいないと止まる仕事が大量にある。七つの部門全てが止まりかねない。当然、慈善事業……福祉の部門をサポートする事が出来ない状態になる事を考えればだ、王妃の公務はお前がどれ程頑張ろうと内政が追い付かなくなる。つまり成り立たない状態になるのは想像に難くない」


「つまり、物理的に、わたくしが王妃の公務を行う事は不可能だと?」


「そういう事だ。お前を執務室に連れ込んだ俺が悪いとしか言えない。王妃の公務について、お前も考える事は沢山あっただろうに、また俺のせいで、お前に負担をかける」


 エスメラルダは黙ってワインのボトルを手に取り、グラスを満たした。そして一気に煽る。


 酔える体質なら良かったのに。どんなに飲んでも酔った事がないわたくしは、素面でこれを言わなければならないのだわ。


「フランヴェルジュ様、わたくし、嬉しいのです」


 恥ずかしい。けれど、エスメラルダは自分の想いに正直になる事も、思っている事を伝える努力をさぼらない事も、決めたのだ。


「お傍で、手を伸ばしたら貴方に触れられる今のお仕事、わたくしは本音を申し上げるならば続けたくて堪らなかったのです。そんな我儘を、王妃という地位にいるわたくしが口に出してはいけないとそう思っていたのです。だから嬉しくて。嬉しくて堪りません。有難う御座います」


「手を伸ばせば届く距離なのに、好きに触れられないのが俺は少し、辛いぞ?」


 その言葉にエスメラルダの胸が大きく音を立てた。


 触れたいと、今も思ってくれているのだろうか? 口先の言葉ではなく……欲を持ってくれているのだろうか。


 口から沢山の言葉が溢れ出しそうになったのをエスメラルダは飲み込んだ。大きな声を出せば下がり控えている給仕たちの耳にも届く、此処ではそれは口にすべきではない。


 完全防音の寝室で、それは口にすべきこと。フランヴェルジュ以外の誰の耳にも聞かせたくない自分の心は、今、口にすべきではない。


「フランヴェルジュ様は、お仕事中は仕事だけを見てらっしゃるように思えますが」


 敢えて、にこやかに笑って言うとフランヴェルジュも笑い返してきた。


「俺もただのあさましい男だというのに、随分出来た王にお前の眼には映っているんだな」


「わたくしの夫は、最高の王でいらっしゃいますから」


 食事を摂りながら、こんなに喋ったのは久方ぶりだとエスメラルダは思った。何よりも自分自身に対して素直になる、そう決めただけなのに。


 楽しいと感じる食事は、呆気なく終わってしまう。沢山喋っている筈なのに、何故いつもより早いスピードで腹が満たされるのかが不思議だが、エスメラルダは心の底から嫌っていた事もある寝室で、フランヴェルジュと早く二人っきりになりたかった。


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