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エスメラルダ  作者: 古都里
第三章 王と王妃は模索する
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5 望むのは籠からの解放

 悪いのは自分だとフランヴェルジュは思う。自分の行動に言葉はどれだけ伴っていたのだろう? いや、抱き合えば通じ合えるとか勝手に甘い夢を見て、通じ合えた気になって、蜜月とそれに続く二週間、言葉を惜しんでいた気がする。

 ふんだんに、飽きる事なく繰り返した言葉は『愛している』だけかもしれない。その上で抱き潰す勢いで抱けば、それは誤解しても仕方がない事かもしれない。


 睦言がどんなものかも知らなかった上に、彼女の言葉を信じるならばそれで子供が出来る事も最初は知らなかった。エスメラルダは嘘は言わない女だ。誰が睦言の果てに子供が授かると教えたのか知らないが、エスメラルダは完全に愛し合う行為をただ子供を作る行為だと思い込んでしまったらしい。


 更に悪い事をフランヴェルジュは思い出した。エスメラルダとの婚姻を急いだ建前だ。


 正妃とその子供が必要。


 そんな理由も婚姻の際には確かに存在していたのだから、エスメラルダが間違えた思い込みを抱くのは仕方がない。


 フランヴェルジュは理解する。自分の行いは随分と最低なそれだと。


 今日は、話せるだけ話して、その上で身体を繋げる事をせずに、心を繋いで、解りあわなければならない。王と王妃ではなく、夫と妻、男と女として。


「エスメラルダ、誤解を招くような事をしたのは俺だ、済まなかった」


 エスメラルダはフランヴェルジュの腕に捕らえられたまま、ふるふると首を左右に振る。エスメラルダにとって、孕む事がフランヴェルジュに応える事だった。いつの間にか自分の考えが歪みすりかわってしまっている事にエスメラルダは気付かず自分を責める。


 けれどフランヴェルジュは喋るのを止めない。初めて身体を繋げてから、喜びに浮かれ切っていて、仕事も急に面白くなって一人幸せに浸っていた事を自覚して、その幸せがフランヴェルジュだけの物だったという事も理解して。フランヴェルジュにとって、考えれば考える程自分は許しがたい人間に思えてくる。


 色々と手遅れかも知れない。

 そう思う心はあるがフランヴェルジュは諦めるという事が出来ない人間だった。足搔くしか出来ない人間だった。

 だから彼は懇願するのだ。


 愛しい人よ。どうか解って下さい。


「頼むからこれだけは理解してくれ。……俺がお前を抱くのは子供が欲しいからじゃなくてお前が愛しくて欲しいからだ。正直後一年は神に子供を授け給うなと祈りたいくらいだ。やっとお前を手に入れて、誰の目も気にせずお前と一緒に過ごせて、……もう少し二人きりでいたい」


 最後の言葉は、本音過ぎて、恥ずかしくて囁くような声音になってしまったが、腕の中にいるエスメラルダには聞こえていた。


「嘘……本当に一年間子供がいらないなら、それなら『蜜』を……」


「『蜜』は駄目だ!」


 思わず大きな声を出してしまってフランヴェルジュは後悔した。腕の中でエスメラルダがぎゅっと目を瞑ったからだ。だが、声の大きさは落としつつも言わなければならない事は言うしかない。絶対に『蜜』は口にさせたくない。


「あまり知られていないが、『蜜』は大体百万分の一だかそれ位で重篤な副作用を起こす場合がある。生殖能力をなくす位ならまだ可愛いと思える副作用だ。だからブランシールもレーシアーナに『蜜』を舐めるのを禁じた。おかしいと思わないか? あれだけ兄である俺を慕ってくれていた弟が、俺より先に子供を作った事、不思議に思った事はないのか? 『蜜』が完全に安全で有効な避妊薬なら、ブランシールはレーシアーナに懇願してでも舐めさせていただろう」


「……聞いたことないわ。『蜜』がそんな怖いものだなんて」


「男が言いたがる筈がない。女が『蜜』を舐めて苦しみのたうつ羽目になっても、男は肉体的にはダメージがないんだからな。しかも百万分の一なら多分大丈夫だと思うんだろう。ああ、馬鹿の中には『蜜』の安全を信じきっている奴も多い。実際、知れ渡っているとは言えない話だ。周知させたいが、信じると都合が悪いんだろう」


 『蜜』を愛用するのは貴族階級だ。婚前妊娠は男にとって家名の恥、だが平民より男尊女卑傾向が強い貴族社会では女は身持ちの悪さが噂になり恐らくは孕ませた男とも他の男とも結婚は出来ない運命をたどる。奔放である事を許されるのに何故妊娠となった瞬間身持ちが悪いだとかいう事になるのかフランヴェルジュには全く理解できない話だ。兎も角女が孕んだとして、男がそれなりのプライドを持っていれば養育費位は払われるだろうが、大抵は男はすっとぼけ、挙句女は家から勘当されて下手をすれば娼婦に身をやつすことになる。


 貴族階級の婚前妊娠は女にとって地獄としか言えない結末を辿る事が殆ど。


 ブランシールが当たり前のように身籠ったレーシアーナを愛おしんだのは珍しい例というか、貴族ではなく王族であったからだ。王と王妃に子が授からなかった場合のスペアの量産を求められるのが王族の宿命。


 貴族階級の男女、その快楽の追及の果てにある女の末路を考えるのなら、男が女に『蜜』を勧めるのはそれなりの優しさなのかもしれないが、フランヴェルジュはエスメラルダにどんな理由があろうと『蜜』を舐めさせたくはない、絶対にだ。


 貴族とは違って、平民は裕福でも決して『蜜』などに手を出す事はない。百万分の一を恐れるのではなく、彼らは自然に逆らう事を良しとしないからだ。そんな平民では婚前妊娠も少し眉を顰める事ではあるかもしれないが、出来ないより出来た方がいいと言い切られる場合の方が遥かに多い。メルローアでも田舎の方になると子供が出来て初めて結婚して家族になるという風習が未だに存在する場所もある位だ。


「信じろと? 本当に危険なら何故未だに受け継がれているの? 国が取り締まる事もなく?」


 エスメラルダの中にはまだ疑いが残っている。自分の夫が何者であるかを知っているが故にそれが本当ならと声音に責める色がついた。本当なら王であるフランヴェルジュは何故『蜜』を取り締まらないのか。やはり一刻も早くエスメラルダが孕む事を望むから『蜜』に拒絶反応を示すのではなかろうか? エスメラルダはそう思ってしまうのだ。


 おしべとめしべに毛が生えた程度の閨に関する勉強がこんな風にエスメラルダに悪影響を与えたことを知ったらカスラは心の底から後悔するだろう。いや、エスメラルダと通じる絡繰りが構築された今、恐らくエスメラルダ以上に今この時、エスメラルダの知らぬところで打ちのめされている。ただエスメラルダはカスラがこの話を知る事はないと信じていた。夫婦の寝室は用事がない限り覗かないとカスラはエスメラルダに言ったのだ。エスメラルダとフランヴェルジュの間に問題がないと思い込んでいるカスラが覗く筈はない、だからあの忠実な女は何も知らないとエスメラルダは信じている。


 フランヴェルジュはエスメラルダの瞳の疑いの色に気付いている。本当に『蜜』が危険なものなのかという事を疑っているのだろう。避妊薬を禁ずる夫はやはりただ子供を孕ませたいと思っていると考えているのではなかろうか……そう考えつくフランヴェルジュの頭はお花畑でなければそれなりに優秀で、そしてその頭は感情論だけではエスメラルダは決して納得しないという事にも思い至る事になった。


「取り締まりたくとも、取り締まれない薬だ。あれを取り締まると、堕胎薬の流通がまず間違いなく活発化する。『蜜』より遥かに恐ろしいやつがだ。『蜜』自体の裏取引も始まるだろう。貴族階級には何としても必要なもので、そして堕胎薬に比べて犯罪には縁遠いのが『蜜』だ。普通に『蜜』が流通している状態を保つと、『蜜』絡みでの犯罪件数はほぼゼロという現状がある」


 言い切って、フランヴェルジュはエスメラルダの顔を見つめた。


 彼女の顔は真剣そのものだった。『蜜』の副作用よりも、恐らく現状を把握し、『蜜』が取り締まられた時の弊害を彼女は受け止めているのだろう。


「……貴族にとって必須な『蜜』を、貴族で構成された議会が取り締まる事は……有り得ないわね」


 賢い女だ。ただし、ある意味とても難しい女だ。


 ただ、『蜜』という物質に過ぎないものは簡単に事実、現状、そして弊害と挙げられるが、愛しい女を抱きたいと思う気持ちを説明しようとする時に有効なデータをフランヴェルジュは知らない。結局、自分の中の感情を訴えるしかないのだ。


「エスメラルダ、もう一度言う。子供が欲しくてお前を求めるんじゃない。子供が出来る行為に耽りながらそれを言うのは矛盾としか言いようがないが、欲しいのはお前だ。子供が出来たら嬉しいと言いたいが、正直今すぐ出来たら喜ぶ自信がない。本気で後一年、いや、せめて半年、二人でいたい」


 エスメラルダは何も言わない。ただ少し表情の険は取れたようにフランヴェルジュの目には写った。

 だが、まだだ。エスメラルダの瞳には溢れんばかりに自分への愛情と信頼があったのに、今あるのは不安と、やはり疑い、なのだ。


 もう全部恥ずかしい自分を晒すしかないとフランヴェルジュは思った。彼女は身分でもなんでもなくフランヴェルジュを一人の男として愛してくれた女なのだ。だからこそ、全部晒すしかない、というかフランヴェルジュに出来るのはそれだけだ。


「今まで気付かなかった本音を言う。多分、婚約発表する前から婚儀の日を考える位婚儀を急いだのはブランシールの為でもルジュアインの為でもない。俺の欲だ。お前が欲しくて堪らなくて我慢できなかったんだ。王と王妃という関係にもっていけば一生お前が逃げられないと何処かで俺は計算していたのかもしれない。お前は俺の初恋だが、醒める気がしないし、婚姻を急いだのは、欲しかったからとしか言いようがない。結局結ばれたのは意図しない形だったが、あれこれと急いだことは後悔してない。お前を俺の物に出来たから。俺にとってお前はこの国より愛おしい」


 腕の中で、エスメラルダが動いた。ただ捕まえられていただけだった彼女が、そっとフランヴェルジュにしがみつき、体重を預けたのだ。


 その行動はフランヴェルジュに歓喜をもたらした。


 ただ身体と身体、その隙間が減っただけなのに、互いの間には邪魔な布地もあるのに、それなのに、身体を繋げているような幸福感がフランヴェルジュを襲う。快楽ではない、それは残念だが、刹那の快楽とじっくり味わえる幸福ならどちらがより幸せな事かとフランヴェルジュは思う。


「エスメラルダ、睦言で子供が出来る原理はおしべとめしべのようなものだが、一度の睦言で子が出来る夫婦も、十年間の睦言でやっと子が出来る夫婦もいる。俺は、子供は睦みあう夫婦に神が時を見計らって授けて下さるものだとそう思っている。二十年睦みあっていても子が出来ぬ夫婦もある。そこに愛情がなければ空しいだろうが愛情があれば子は全てではないと思っている。ただ、それでもお前が俺を信じる事が出来なくて、俺に抱かれるのを『子作り』だとしか思えないのなら俺は……」


 手を出さない、抱かない。


 そう言おうとしたのに言えなかった。今のフランヴェルジュにとって、エスメラルダを抱くという行為は食事や呼吸のように、彼が生きて行く為にはもう絶対的に不可欠となっている。


「……ご免なさい」


 そう言ったのはエスメラルダだ。


「両親はわたくしの後に子供を……男児を欲しがっていたのに母様が妊娠なさったのはわたくしが……十一の、時だったわ」


 エスメラルダは何とか思い出した。


 原理がおしべとめしべでも、植物と人間は同じようにはいかないのだ。

 頭が何とかしてこの胎に子供を、そう思っていた時、彼女の頭から沢山の事が抜け落ちていた。不妊に悩む夫婦も、十年越しで子供が出来る夫婦もいる事が抜け落ちていた己が恥ずかしくて堪らない。


「わたくしが、貴方の愛を勘違いして、間違えた知識で、勝手にヒステリーを起こしてしまったのね。ごめんなさい。許して」


 右手はフランヴェルジュの胸元にしがみついたまま、エスメラルダはフランヴェルジュの腕の中でもぞもぞと動いた。左手を伸ばし、恐る恐るフランヴェルジュの頬に触れる。


「貴方を愛しているわ。ただ、蜜月が終わって二週間、禄にすることもなく貴方に求められる事だけが一日の喜びで。蜜月からずっと、わたくしにはそれしかなくて。だから、わたくし、おかしくなりかけていたのかもしれない。応えられないと、思い込んで突っ走ってしまったのだわ。本当にごめんなさい」


 ぽつり、ぽつり、エスメラルダは零す。


 フランヴェルジュはエスメラルダの左手の掌に頬を撫でられながらも、エスメラルダの過ごした二週間と自分の過ごした二週間の違いに驚いていた。

 フランヴェルジュには充実した二週間だったが、エスメラルダはまるで籠の鳥だったのか?


「心を許せる友達も、打ち込める何かもなくて、抱かれている時は幸せだったけれど、もしかして貴方はただ子供が欲しいのかと思ったら、もうそれしか考えられなくなってしまったの。貴方が子供を求めて一晩に何度も抱いてくれるのかと、そんな……とても貴方の愛情に失礼な事を思ってしまったの」


 エスメラルダに割り振られた仕事はごく僅か。それは蜜月が終わって二週間、変わる事のない事だったが、いつの間にかフランヴェルジュはそんなものだと思ってしまうようになっていた。戴冠式の後は少しは変わるだろうが、それまでまだ間がある。


「お前、公務以外の時間はどうやって過ごしているんだ?」


 問う声が震えそうになった。返ってきた答えは予想通りで。


「此処に。一人で」


 それではまるで軟禁だ。


 今、王城にレーシアーナがいれば、きっと何もかも違っただろう。

 だが、現実のエスメラルダは『独り』だ。


「レーシアーナの遺した子に会いたい。どんなにラトゥヤが良い乳母でも、お義母様が心を砕いていて下さっても、でも、わたくしはこの手で抱きたい。真白塔にルジュアインがいる以上、まだまだ会えない。七月九日は、とても遠いわ。可愛いルジュアイン、あの子をわたくしが愛したいのに、周りは……誰も口にしないけれどわたくしがルジュアインではなく貴方との子供を抱くことを望んでいる気がするわ。ブランシール様のところにも行けないでいるのよ。後宮からの地下通路が抜け道のみでぬばたまの牢に続いていない事は知らなくて、途方に暮れたわ。ほんのちょっとの公務と呼べるのかというものが終わると、此処に閉じ込められてしまう」


 女官達はその心算なんて全くないだろう。彼女らにお前たちのやっている事は軟禁だと言ってもきっとぽかんとした顔をするに違いない。


 ただ、誰も彼もが先のファトナムールとの戦以来、エスメラルダを異様に愛するようになった。愛される王妃、それは良いが、愛し方を間違えれば、愛はただの凶器ではなかろうか。


 幾ら戴冠式を終えていないにしても王妃の公務としては少なすぎる公務も、それが終わると後宮に王妃を閉じ込めてしまうのも、ただ女官達が、いや、違う、エスメラルダの周囲全てが、愛し方を間違えて暴走している。


 その『周囲』にフランヴェルジュは自分の名前を入れた。エスメラルダの話を聞きだすでもなく、求めて、応えてくれるのを良い事に好き勝手に抱いた自分が一番愛し方を間違えている。二週間も妻が半軟禁状態であった事にすら気付かずに夜になれば抱き潰す夫など最低だ。

 しかも自分が最低である事にエスメラルダが泣くまで気付かなかった事にフランヴェルジュは頭を殴られたような気がした。一番近くにいて一番理解している、そう思っていた自分が全く気付かずに一人幸せを楽しんで、何も見えてなく、一番大切な存在をただ追い詰めた。


 本当はもっと早く色々と気付くべきだったのだ。


 エスメラルダには打ち込めるものと、そして人間関係の正常化が必要だ。戦に出た兵士などはエスメラルダを生きた女神のように思っている者も少なくないし、それにかなりのメルローア人が引き摺られている。引き摺られるまで行かなくとも、やはり彼女がただの人間だと解っているかと聞きたくなるレベルで愛情を示すのが、あの戦以降のメルローアの臣民だ。


 仕事と、そして少しでも、何とか彼女に自由を。


 文官達が朝議を大事にし自分達の意見を戦わせ、己の意見が通った時の何とも言えない誇らしげな顔を一瞬だけフランヴェルジュは思い出した。


 王妃の事に関しても、扱いを変えるのなら議論が必要なのだろうが、彼らは当たり前のように愛情と誇りに満ちた顔で真綿で守るように扱おうとするだろう。結果としてその真綿で絞め殺すような事になりかねない。


 フランヴェルジュの頭からすっかり抜け落ちていたが、囲い込み閉じ込めひたすら愛すること、それが最大の愛情表現であったことが歴史上あるのだ。それは残念ながら遠い国のお話でもなければそう遠い昔でもない。この国の、つい最近までの常識、先王の治世で少し変わってきたが、フランヴェルジュの父たる先王が『王妃への愛が足りない』と罵られたことが一度や二度ではない事も事実だ。仲睦まじい夫婦であると認めながらも、妻の自由を尊重する姿を見ての批判。


 駄目だ、これに関しては絶対に他の者にどうにかさせてはならない。


 大型犬達の事を頭から追いやり、この事に関しては王の権限で好きにさせてもらう、そうフランヴェルジュは決めた。


 そう決めた時にふと、ハルシャの顔が浮かんだ。疑問に思ったが、すぐに理解した。他の者は兎も角、ハルシャだけは味方につけなければ駄目だ。


「……エスメラルダ、王妃の公務ではないのだが、……王妃としての公務がもっと増えたなら速やかに辞めてもらう事になるが、そんな条件付きの仕事ならある」


 ほんの僅かな時間だが、フランヴェルジュは考えに考えた。これしか思いつかなかった。彼女の幾ばくかの自由、幾ばくかの打ち込める仕事、そして他の者が王妃を保護するように後宮に閉じ込めないよう、ある程度自分の目が届くという条件を満たせる事。

 エスメラルダの目に驚きが浮かび、次に疑問が湧く。けれど、緑の瞳に隠されている喜びにフランヴェルジュは気付いてしまった。

 やっと、喜ばせることが出来た……。


「俺の執務室の鍵を、明日の夜渡す。複製を作ってない物だから明日の夜まで待ってくれ。エスメラルダ、俺のエスメラルダ、俺の仕事の手伝いをして欲しい」


 エスメラルダはフランヴェルジュの寝衣にしがみつくようにして、顔を彼の胸元で隠した。


「本当の本当に、良いの?」


 親友を喪い、その遺児を思うままに愛する事を許されず、信頼する義母を訪ねたくても閉じ込められて、打ち込める事柄もなく夜になると男の欲のまま身体を開かされる。

 自分が同じ目に遭ったら、気が狂うどころではないとフランヴェルジュは思う。


 彼女が鳥籠に籠められた鳥よりもうんざりする状態にあると理解していれば、その上でもっと早く手を打っていればエスメラルダはあんな風に泣かずに済んだのだと悔やまれて仕方がない。これで自分が夫で国王ですとか、口にするのは恥ずかしくて仕方がない。愛する女をここまで不幸にして、国の為に王として何か為せると思い込んでいた自分が恥ずかしかった。


 ただ、エスメラルダの孤独が癒えるのにどれ位の時間と正しい愛情が必要だろうか?


 もしかすれば、子を孕めば一人ではなくなるという想いもエスメラルダの中にあってもおかしくない。


 抱かないと言えなかった自分が情けないが、言葉に出さなくても態度で示すのが愛情であり贖罪ではないかとフランヴェルジュは思った。睦言を我慢する事位、エスメラルダの二週間を考えれば贖罪には全然足りない位だ。


 エスメラルダが愛を交わす時間に『孕まなければいけない』と、それこそが義務だと思っている間は、無理やり自分の要求をぶつけたりはしない。そういう意味では触れない。


 言葉で言い聞かせてみたものの、そして少しは自分の両親の事を思い出して理解を示してくれたような気がするものの、それでも強い思い込みというやつはなかなか理性でどうにかなるものではないし、それ以前にフランヴェルジュが子供欲しさではなく愛しさ故に求めている事を本当の本当に理解出来ているのか、不安だ。


 いつかは子供が欲しいとは思う。要らない訳では無い。エスメラルダに似た子供が欲しい。しかしそれはまだ、先の話だ。


 エスメラルダが愛おしい。今はまだどんな存在であれ邪魔されたくない程に。

 だからこそ、そういう触れ方を我慢するのが今、彼女に示せる愛情だ。


「こき使ってやるから覚悟しておけ」


 フランヴェルジュがそういうとエスメラルダが両腕をフランヴェルジュの首に回して言った。


「有難う。愛しています」


 エスメラルダが笑う。


 やっと笑ってくれた。


 余りに綺麗な笑顔だったのでフランヴェルジュは見惚れてしまった。煌々と輝くエメラルドの瞳。吸い寄せられるように重ねるだけのキスを落としてフランヴェルジュは慌てて顔を上げる。


 ……本当に我慢出来るのか?

 フランヴェルジュの心に疑問がわくが、彼は気付かなかったふりをする。


 彼女の笑顔が元通りのそれに戻るまでは我慢しなければ、そう思いながらフランヴェルジュはひょいとエスメラルダを抱き上げるとベッドに向かった。


「月の穢れの間、女は疲れやすいんだろう? 取り合えず寝よう。明日の朝食でお前の予定を確認してから、宰相のハルシャ・シズリアに時間を作らせる。こういうのは早い方がいい。明日中に話が出来るようにさせる。仕事の説明を聞かないとお前もどうすればいいのか解らないだろうしな」


 優しい手つきで、フランヴェルジュはエスメラルダを横たえた。


「フランヴェルジュ様」


 エスメラルダの口調がまた敬語に戻っている。相変わらず感情が落ち着いてしまうと敬語になってしまうのが寂しくもあるのだが、最近それも愛おしいと思うようになってきた。


「なんだ?」


 問いかけながらフランヴェルジュはエスメラルダの横に身体を滑り込ませる。


「本当の本当に……いいのですか? わたくしが、……その……貴方のお仕事に関わっても」


 不安げに問うエスメラルダにフランヴェルジュは笑った。


 メルローアは比較的男尊女卑の傾向はまだマシなのだが、女性文官がメリッサただ一人という事でお察しだ。

 エスメラルダはそれを気にしているのだろうが、フランヴェルジュはエスメラルダの能力を考えるともっと早くそうすれば良かったとさえ思うのだ。

 ブランシールとレーシアーナとの四人の朝食の際に行われた討論で、自分と同じくらいの理解度と問題への処理速度を示したエスメラルダは邪魔になるどころか頼りがいのある戦力だろう。最初はどうすればいいのか戸惑うかもしれないが、初めから出来ないのは男も女も変わらない。心配と言えば政務の助手としても手放すのが惜しくなるのではないかという事だ。


「お前に足りないのは経験だけだと思うが?」


 そう言ってエスメラルダの黒髪を撫でるとエスメラルダはまた幸せそうに笑った。


 エスメラルダの笑顔に、胸にこみあげる愛おしさを感じて胸が苦しい程だとフランヴェルジュは思う。そして、その笑顔を守る為ならば、フランヴェルジュは何でも出来るようなそんな気がするのだ。



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