3 戸惑いに溺れる
ただ、エスメラルダはいつもの彼女に戻っていた。素直にカスラに甘え頼る彼女に。
「ねぇ、カスラ……女同士の話がしたいの」
これを言うのは酷く勇気のいる事だったけれど、カスラはその話を予想していたかのように柔らかな声音で言った。
「カスラから一つ条件が御座います」
「何?」
仕える者に条件を出された事などないが、エスメラルダは今主人でありながら『女同士の話をして』尚且つその事に関して具体的なあれやこれやの『教えを乞う者』である。主人が仕える者の条件をホイホイ聞くなどおかしな話だが、生徒であるなら教師のいう事は聞くべきだ。
しがみついていたカスラからほんの少し身体を話す。そしてじっとカスラの目を見る。
カスラは柔らかく笑んで見せた。
「横になって下さいませ。幾ら平気な顔をしていてもカスラは誤魔化されません」
エスメラルダは首をすくめて見せるしかない。
「ええ、疲れていてよ。疲れていないと思い込もうとしたし、誰にも嘘をついたつもりはないけれど、全部お前にはお見通しね」
「それは当たり前でしょう。カスラも女で御座いますから」
メリッサには微笑んで見せたが、もとよりカスラに対して隠し事が出来る訳もなく、何よりカスラはエスメラルダにとって数少ない甘えられる存在だった。
それに、エスメラルダはカスラには逆らえない。カスラはエスメラルダにとって命令を下す対象だが、その助言を尊重し聞き入れなければと思う相手でもある。カスラの助言は、いつも正しい。
「ドレスを脱がせて差し上げましょうね。少しお休みになられましたら、女官達にバレない様にちゃんと着せて差し上げます。随分あの者達も気を使ったのか、今日は余り締め上げられなかったように見受けられますが」
そう言いながらカスラはのろのろと立ち上がったエスメラルダの背後に回った。コルセットなるものを発案した人間はきっと何処かおかしいとカスラは常々思っていたのだ。何故わざわざそんなもので身体を虐めなくてはならないのか。
「脱がせて頂戴」
ドレスのホックが外され、ドレスが床に落ちるとカスラはコルセットの紐を音立てて解いてその拘束具と言っていいものからさっさとエスメラルダを解放した。手際の良さは侍女や女官の何倍優れている事だろう。ついでに言うなら、フランヴェルジュよりも随分手早い。
今日のドレスはシンプルで簡素なドレスだ。女官達が林檎色のドレスを着せようとしたのだが、『二度目のデビュタント』を二回も行うのはおかしいと楽なドレスに変えさせたのだ。
建前があってよかったとエスメラルダは思う。本音はこんなにだるいのにぎっちり着こむ事が耐えられなかったというだけだけれど。
幸いな事に今日は他のスケジュールが混んでいるわけではなく、比較的楽なこのドレスを着るのにコルセットの紐もとんでもない締め上げ方をされた訳ではなかった。スケジュール次第では着替えて頂きますとユリエは言っていたが、今日が暇で良かったとエスメラルダはやっとそう思えた。今頃予定が共有されている筈の女官達も恐らくこの部屋の扉を開けて着替えて頂きますとは言わないだろう。メリッサはきっと自分の『一人になりたい』という言葉を女官達に伝えてくれている筈だし、幾ら考えても王妃が休む寝室を暴かなければならない理由はないように思える。
縛り方がいつもよりゆったりしていたとはいえ、それでもコルセットから解放されると何だか呼吸がひどく楽だった。たった三日、いや、ほんの少しコルセットをつけて神殿の人間と対峙したのはしたが、ほぼ六日間コルセットを身につけず夜着もしくは一糸まとわぬ姿で過ごしたのが影響しているのかもしれない。
シュミーズと靴下という格好になったエスメラルダの身体は、計算しつくしたようにドレスで隠れる場所に赤い花が咲いている。呆れる程の執着から生まれた所有印にカスラは溜息を隠すしかない。
フランヴェルジュという男はエスメラルダに所有の証を付けたかったのか、それとも無我夢中になったその結果だろうかとカスラは考え、やめた。口づけが残す赤い花は身体中に散っていても乱暴を働かれたような痣はない。エスメラルダの肌はとても跡がつきやすい事を考えると、フランヴェルジュが無体な事をしていたらきっとその痕跡が残っている。
おまけに『今』のカスラはどう愛されたか解ってしまう。無体を働かれたら、エスメラルダが恐怖や強い拒絶を覚えたのならカスラにだけは解るのだ。エスメラルダの大まかな感情が解る絡繰りは、エスメラルダが『女』になってから真の意味で発動したのだが、カスラはエスメラルダにそれを言う心算はない。もし口にすれば、きっといい思いはしないだろう。それに、幾ら喜びと悦びが伝わってきても、カスラは己の目で見て確認したかった。
何よりカスラは主人の疲労を少しでも回復させたいと願う。ただ、今の彼女にはそれだけだ。
そんなカスラの思惑など気付く筈もなく、エスメラルダは促されるまま素直にベッドに横になった。
ベッドというものは今までエスメラルダにとってただ寝る為の場所だったがたった三日で常識は覆されてしまっている。女官達が取り換えてくれたシーツが心地よく、そう思う事が余計に色々と思い出させる鍵になるのだから、困ったものだ。
カスラはエスメラルダに上掛けをかけると、ソファに向かった。皴にならないよう、慎重にドレスを掛ける。衣装室は隣だが、衣装室は女官が出入りする可能性もある事をカスラも解っているのだろう。
「さて、エスメラルダ様、女同士のお話とは?」
カスラはそう聞くが、大体何の話になるのか解らないではなかった。再びベッドに近づくと、一瞬迷って床に直座りする。跪いて話す内容ではないと察したからだ。
エスメラルダは上掛けに施された刺繍をなぞりながらどう話し始めようか迷った。上掛けのシーツは同じような物が大量にあるのだろう。女官達の恐ろしいところに蜜月の最中でも湯殿から戻るといつの間にかシーツが取り換えられていたのだ。一見同じシーツに見えて刺繍が違う。乱れた敷布団のシーツが取り換えられている事にフランヴェルジュは苦笑していたが、見た目が余り変わらない上掛けまでシーツが取り換えられていたことに彼は気が付いていただろうか? そして今包まっている上掛けのシーツの刺繍も、やはり見知らぬもの。
小さく息を吐き、やっとエスメラルダは唇を開いた。カスラになら、直接的な言葉が丁度いい。マーグ相手にこの話題でそれをやると五分に一回くらいの割合で気を失ってしまいかねないが、カスラなら、取り乱すことなく正解をくれるとエスメラルダは思っていた。
おまけに、マーグに簡単に会えるか怪しいところなのだ。
マーグが高位貴族の出身なら女官として後宮に出入りできたのだが。
「カスラ、わたくし、蜜月の期間、王妃の務めを果たせたかしら? ちゃんと出来たか、自信がないの。フランヴェルジュ様はわたくしがちゃんと出来ていなくても絶対指摘なさらないわ。それを仰る筈がないわ。あの方は、本当にお優しくてわたくしを大事に扱って下さるから……」
カスラは予想通りの質問にとても複雑な気持ちになった。男女の事を直接的に聞かれたから複雑な気分になったのでは、勿論ない。カスラ以外の誰かならそれで狼狽えただろうが、カスラの複雑さは違うところから起因している。
「そこは、フランヴェルジュ様を信じるところではありませんか?」
今現在起きているのが辛くて、目の前にいるのがカスラだからこそとはいえ人と話すのにシュミーズ一枚でベッドに横たわる羽目になっている原因を考えれば解りそうなものなのに、エスメラルダがそれでも不安を覚える訳は……全部あの男が悪いのだ、とカスラは思う。
「カスラ、フランヴェルジュ様は……」
「悪いのはアシュレです。全く、あの男は死んでもろくでなしなんですから」
エスメラルダは目を見開いた。
カスラが『ランカスター様』ではなく『アシュレ』と言い切ったのだ。敬称すらなしにその名を呼んだのだ。
けれど、カスラはアシュレを詰る。エスメラルダの狼狽に付き合っていてはこの話は進まないからだ。おまけに、エスメラルダが悩む羽目になったのは全てあの男が悪い、少なくともカスラの中で今エスメラルダを苦しめているのはアシュレという男だった。そう、カスラの複雑な気持ちはアシュレへの怒りとエスメラルダへの愛情に起因するものなのだ。
「アシュレはエスメラルダ様が十四におなりになった暁にやらねばならなかった事を悉く無視しやがりました。挙句その責任を一切取らずそのまま逝きやがったのです。あのくそったれには出来る事が沢山あったし、貴女様を引き取った保護者として、それは義務でもあったのに。王家のデビュタント・ボールはご身分的に仕方がなかったかもしれませんが、有力者の娘ならば十四で社交界にデビューするのが当たり前。カリナグレイに踏み入れさせるのが嫌でも、自分の領土たるエリファスですら何のお披露目もしなかったのは本当に……あの馬鹿の顔面を思いっきり殴っておかなかった事が悔やまれます。一体女の一生を何だと思っているのだと何度も喧嘩を致しました。でもあの馬鹿は理解しようとしない。情に訴えても理で説得しても、最後にはいつも『変な虫がついたら私は生きていけない』でその問題から逃げる逃げる。エスメラルダ様がランカスター公爵夫人になった時、全く社交界との関りがない状態でどれだけご苦労なさるかと、あの阿呆は全く考えず、理解せず、想像しようともしなかった。あの馬鹿は、脳味噌は優秀な筈なのにエスメラルダ様の事になると阿呆としか言いようのないものになり下がる……御身が関わっていなければ面白い見物だったかもしれませんが。こっちが何度も言葉を募らせて漸く、結婚式が済んだら盛大にお披露目をするとか言い出したのですが、本当に阿呆なのか馬鹿なのか。その時はもう十六歳におなりの予定で、公爵夫人になった貴女様に直接の嫌がらせが出来なくとも、いきなり十六で社交界に人妻という形で出されてはどれ程口さがない者達に笑われ、後ろ指をさされるか……」
立て板に水というのはきっとこういうものを指すのだろう。
カスラがこんなに流れるように溢れるように言葉を口にするのはとても珍しい。いや、今日のカスラは口に蝋でも塗りたくって潤滑剤にしているかの如くではあるが、しかし、罵っているのはかつての主だ。
「カスラ! 仮にわたくしへの忠義立てでもお前にかつての主人たる方へのそういう言葉は……」
「ああ、エスメラルダ様はアシュレをカスラの主人と思っていらしたのですね」
エメラルドの瞳を驚きに瞠る主人にカスラはあっさりと言ってのけた。
「アシュレはベッドのパートナーです。元は恋人というやつでしたが、貴女が緋蝶城へ入場された時に関係は変わり、……本当に色々とありました。貴女様がアシュレと結婚するまではベッドでのパートナーであり続ける代わりにアシュレが死ぬか彼が花嫁としての貴女を得たらカスラとカスラの一族は貴女様の僕になる、結局はそんな話に落ち着いてしまったのですが、ね」
カスラがさらっと言った事にエスメラルダの理解は付いて行かない。
カスラが、ランカスター様の恋人だった?
頭の中が『?』で一杯になっているエスメラルダに、カスラは心の中をこれでもかとぶちまけるように晒しだす。
「カスラの主は貴女様だけです。私はそう器用ではありません。すべての愛情を懸けて、それに結び付く忠誠を誓うと決めて実行したのは貴女様のみです」
「カスラ……解らないわ」
エスメラルダの言葉は少しか細かった。本当に驚いている。当たり前だ。エスメラルダはアシュレの意思がカスラを縛り、そしてエスメラルダに無理やり忠誠を誓わせていると信じ切っていたのだから。
カスラは困ったように笑った。とても人間臭い笑い方だった。
「エスメラルダ様が読んだ事のない娯楽小説ではこういう感情が湧くには理由が必要となっていますが、現実に理由が必要な出来事など数える程です。本当に、一目で私は貴女の物になると決めたのですから。もしかすれば貴女がとんでもない性悪の可能性もあったのですがその時は一緒に堕ちたでしょうね。幸いな事に貴女様の心がとても綺麗で人としての魅力に溢れたものである事は良かったと思いますが性悪女でも私は一生を捧げていましたよ?」
カスラの言葉は眩暈を呼ぶ。なのにエスメラルダはもう止めろという事が出来ず、そしてカスラは話す事を止めない。制止されないカスラは言いたい放題だ。
エスメラルダはくらくらする頭で必死に考える。
カスラから、諜報で得た情報と助言以外で話した事はどれくらいあっただろうか。一度、彼女がエスメラルダに向ける忠誠の意味について語った時も饒舌だったが、今ほどではない。
嗚呼、話さねばならない。ちゃんと、会話をしなくてはならない。
「ねぇ、カスラ」
カスラは真実しか言わないと、そう解っていても、言葉を求めてしまうわたくしは、とても愚かだわ。
「お前は自分の意思でわたくしに仕えているの?」
「当たり前で御座います」
カスラは即答する。
その答えを聞いて、我慢出来ずにエスメラルダは溜息を吐いた。
わたくしはおかしいのかもしれない。嬉しくて堪らないのだから。
カスラは何度となく愛していると言ってくれていた。『自由におなりなさい』、そう口にしなくて本当に良かったとエスメラルダは心の底から思う。カスラの言葉は真実、それならば、エスメラルダがカスラを解放する言葉を与えていたならば、カスラには生皮を剥がれる以上の痛みを齎した事だろう。そして、きっと狂わせてしまったに違いない。
横たわりながらカスラの言葉を反芻する。理解の範疇にない言葉が自然と自分の中から零れ落ちていくことに気が付かなくとも、カスラの言葉の中から幸せを拾い上げる事は出来た。この忠実な女、その忠誠は亡き人の呪縛ではなく、この身に在る。
この話はとても大切な事のような気がするのに上掛けを跳ね除けるのも辛い。朝は起きられたのに、こんなにぐったりしている自分が情けない。フランヴェルジュに弱っている姿を見せて呆れられ、あの金色の瞳に失望を見出したくないと思ったから、無理をして頑張ってしまった。だけれども、エスメラルダはカスラには甘えられるのだろう、そしてありのままを曝け出せるのだろう。
フランヴェルジュはあの三日間の後で辛そうなそぶりを欠片とも見せなかったが、隠していたのだろうか。自分がするように、夫となった男も、自分の前では無理をしているのだろうか?
そうだ、カスラに聞きたいのはカスラの忠誠が何処にあるかではなかった。カスラの想いをくだらないとは思わない、大事な事だが、エスメラルダの質問への答えとは随分違う。カスラはいつも的確な答えをくれたのに今日に限ってどうしたというのだろう?
エスメラルダは、本当に知りたいのだ。自分がちゃんと、務めを果たせたかというその事を。いや、愛する男に義務から出る『務め』という言葉を使うのは駄目だ、聞いたらフランヴェルジュは青筋を浮かべて怒るに違いない。だから、言い換えるべきだ。そう……ちゃんと愛し合えたかという事を、エスメラルダは聞きたいと思っているのだ。
何せフランヴェルジュはエスメラルダの為になら嘘を吐く事を知ってしまった。最初に身体を開こうとした時、謝り倒されたが今は彼が謝る事ではなかったのだと解ってしまった。自分の為についてくれた嘘を責める心算はないけれど。
しかし、愛しあう事が出来たのか、それを尋ねたはずなのに、カスラは何故か社交界がどうとか言い出した。別に貴族令嬢のデビュタント・ボールも、富裕層の社交界デビューも、そのどちらもエスメラルダには興味がない出来事だ。それらが十四で行われなかった事など些細な事でエスメラルダには怒るに値しない事なのに、何故、今、カスラはそれを口にし、アシュレを詰るのか。
エスメラルダは自分の中で起こっている変化に気が付かないでいた。アシュレの妻と求められ、華燭の典を挙げていないのに心はアシュレの妻であった筈のエスメラルダなのに、カスラがアシュレを罵っても止めて叱りつける事をしないのだ。何とか庇おうという気持ちすら湧かない。
アシュレがおかしい事は解っている。その上で家族として大切な存在だったのに。
エスメラルダは気付いてはいないが、彼女は今まさにアシュレ・ルーン・ランカスターという男の庇護と愛情から抜け出し独り立ちをしようという一歩を踏み出したところなのだった。もう彼女はアシュレのものではなくフランヴェルジュのものなのだ。
「では、忠実なるカスラ、答えて頂戴。知りたい事が次々に出てきてよ。わたくしは何となくのデビュタント・ボールも、仕方なしの社交界デビューも、経験したいと思わなかったわ。十六で初めてフランヴェルジュ様とブランシール様からご招待頂いた夜会が、強く心に残っているのは、まともな社交の場が初めてだったからじゃないかしら? あれが社交界へのデビューと言ってよいようなものだわ。わたくしはそれがとても嬉しいのだけれど、カスラ、あの日わたくしはお前の目から見て何かとんでもない失態をやらかしたのかしら? 物知らずを露わにして大恥をかいたのにその事に今になっても気付かない間抜けなのかしら?」
「いえ、それは有り得ません。エスメラルダ様はお見事にあの夜会に君臨なさいました。見ていて誇らしい程でした。ただ、十四歳での社交へのデビューというのは、男にとっても女にとっても意味のあるものなのです。人生の一つの区切りと言っても良い。社交界に出て異性と触れ合いましたら普通に恋という現象が起こる事もままある事。それはご理解頂けますでしょうか?」
エスメラルダは躊躇う事無く頷いた。カスラはどうしても十四でのあれこれを語りたいらしい。十四歳云々はエスメラルダにとってどうでもいいが、社交の場で恋に落ちる事は理解出来る。何せ初めて社交の場に出て初めて踊った男が今の夫である。故に、カスラの言葉の半分は素直に納得出来る事だった。
そして、少しずつ、カスラの言いたかった事が解かってきた気がする。
「恋に落ちた二人が無知でないように、恐らくはそういう理由でしょうが、社交界に出るその時に……その時に所謂ところの閨房学を行うものなのです。王も貴族も平民も、それはメルローアの常識であり当たり前の事。男なら平民であれば娼館へ行き、貴族は経験豊富な女達から手解きを受けます。王族なら指南役と呼ばれるものがつき、学びます。女は、こんこんと言葉と枕絵で学ぶのが一般的ですが、一部では男娼を親が買い与える事もあります」
だから十四なのだ。だからカスラはアシュレを詰るのだ。
エスメラルダはまさに無知な状態で恋をして、そういう意味での成長は殆ど遂げずに人の妻になった。エスメラルダはそれが不自然な事である事すら今の今まで知らなかった。
カスラは保護者でもあったアシュレが常識であり当たり前にやらなければならなかった事をやらなかったと言っているのだ。カスラはエスメラルダを大事に思ってくれている。怒るのも詰るのも、エスメラルダに抱く気持ちから生まれる感情なのだろう。
思い返すとエスメラルダにとって十三も十四も変わらない、ただアシュレに精神的な愛情を貰い絵のモデルになる、そんな日常が、ただ続いた。
それでも、頭の中で庇う言葉を気付けば探しているエスメラルダがいる。アシュレから卒業しきる為には、一歩踏み出したばかりのエスメラルダにはまだ時間を延々と積まなければならない。
「……ランカスター様は男性だから、わたくしにそれを教えるのは恥ずかしかったのではないかしら」
カスラはそれには答えなかった。
何故アシュレは普通の娘が当たり前に習う事をエスメラルダに教えなかったのか、いや、知る事を厭うてすらいたようにも感じるがエスメラルダには理由が解らない。その答えが知りたい訳ではないのだが、だが、お陰様で三日間、フランヴェルジュの腕の中にいたのにちゃんと彼に応えられていたのか、とんでもない間違いをやらかしてはいないか、心配でならないのだ。これは……少し恨めしい。十四になれば男も女も誰でも身分に関係なく教わる事であるというのなら、……これはとても恨めしい。
ランカスター様、わたくしがどれ程悩んだかお解りですか? わたくしの愛する男も、知っていなければならない事を欠片も知らぬ女を抱くのはきっと、大変だった筈ですわ。
「……ランカスター様は、もうおいておきましょう。あの方の話題は大抵、あの方が素敵な方だったという事に終始するけれど、人間裏面もあると解ったわ。それよりカスラ、わたくし、あの、ちゃんと……」
「それは問題ありません」
にっこりとカスラは言い切った。彼女の顔に悪戯っぽい表情が浮かぶ。そういう貌も初めて見る貌だ。
「流石に尊厳の問題だと思いまして、お二人の睦言は拝見致しておりません。見ないで御身を護る術を考えつつ、覗き趣味の神殿の間諜とやりあっておりましたが、ですが、じっくり見ていなくてもそれは解る事です。三日間も男を溺れさせておいて、ちゃんと出来ていないとか、本当の本当にあると思われておいでですか? それに……先程下着姿を拝見しましたが、……少しは手加減しろと訴えた方がよろしいかと思われます。エスメラルダ様が御満足なら……まぁ問題ないのでしょうが」
言われてエスメラルダの頬が赤くなった。自分の身体に散々痕が残っている事に気が付いて、でもそれが当たり前の事なのか、当たり前の事でないのか、自分にはそれすら解らないのだ。下着姿を見て、というなら、きっとこの痕の事なのだろうが……ドレスに着替える際に女官達も固まっていた事を考えると、それに手加減を訴えろと言う言葉を考えると、当たり前ではない事なのだろうか?
「カスラ、お願い、教えて。十四で学ぶ事を。わたくしは間違える訳にはいかないの。フランヴェルジュ様……夫の愛し方を間違えるわけにはいかないの」
エスメラルダの言葉にカスラはにんまりと笑った。主の身体が相当辛いのは解る。それでも、頭が全く働いていない訳では無いようだ。
それならば、カスラは主の不安を取り除きたいと思う。
「初心者向けの閨房学を致しましょう。あくまで最初は初心者向けで。フランヴェルジュ様だっていきなりエスメラルダ様が玄人女のようになっては吃驚もするでしょうし、まあ打ちのめされるでしょうし」
こくりとエスメラルダは頷いた。何もわからぬ状態で初心者向けではない閨房学を学んでどうするというのだ。それに玄人というのは春をひさぐ商売の女の事を言うのだろう、その想像が当たっているならば、エスメラルダがそうなれば確かにフランヴェルジュは打ちのめされるに違いない。
だから初心者向けで良い。ちゃんと知りたいのだ。十四で当たり前のように習う事を十七になってやっと習う、それを考えると少し亡き人に罵る言葉が浮かぶがカスラの影響だろうか?
閨での事は大事な事だ、そう、人の妻になったエスメラルダは強く思う。仮に自分がちゃんと出来ていたとしても、それでも閨での事は謎が多すぎる。そしてこんな事を聞けるのはエスメラルダにはカスラしかいないのだから。
そして、エスメラルダは午餐の時間までにおしべとめしべに毛が生えたレベルの知識を得て、やっと少しだけ、安堵したのであった。




