エランカ 人参色の髪のお姫様
エランカは自分の髪の色が嫌いだった。
人参みたいな見事な赤毛。
そんな髪の毛の持ち主がメルローア王家の、少なくとも直系王族にいたという話は聞いた事が無い。
その事をエランカは知っていた。人の口に戸は立てられないというが愛妻家で有名な国王レンドルが妻の不義を疑ったりしたものだから歴史にまで残ってしまったのである。
まさしく、メルローア王家の最大の汚点の一つ、といってよいだろう。
アユリカナは神殿で『審判』を受け、きっちりと疑いを払拭したが汚点は消える事が無い。そのような事が合ったと言う事が既に汚点なのである。
母が『審判』を受けたが故に、物心ついた頃には既にエランカは紛れも無くレンドルとアユリカナの子供だと認められ、何不自由なく暮らしていたが、エランカは自分の髪の毛の色だけが不満だったのであった。
父上様のように金髪だったら。
母上様のように茶髪だったら。
叔父上様のように銀髪だったら。
メルローア王家は決して閉鎖的ではない。むしろ解放されていると言った方が良いだろう。
少なくともスゥ大陸の他の国々よりは、随分と開けている。
エランカも小さな頃から親善大使宜しくアユリカナの受け持つ慈善事業の手伝いをさせられた。
それは単なる手伝いではなかった。
最初はどんなに疲れていてもむずかることや泣く事が禁止された。
その次に常に笑顔であるようにと教わり、ついで、手を振る事を学んだ。
そして年をとるに従い、王女としての立ち位置、姿勢、発言、総てが求められていた。
尤も、エランカは漸く十歳になったばかりである。社交界デビューを果たした後の王女としての責務に比べれば容易いものであった。
だが、エランカはこの公務が大っ嫌いであった。
アユリカナの手に任された仕事は老人相手と子供相手のそれになる事が多い。
老人の中にはエランカを呪われた子だという者も大勢いた。大魔女ティルアンディエが赤い髪に緑の瞳という珍しい色彩を身に纏っていたからである。奇しくも、エランカは同じ色合いであった。しかし、神殿で計測してもらったところ、エランカには魔力は全くといって良い程ないらしい。人が潜在的に秘めている魔力と同じくらいか、それよりも低い位だというのだ。
だが、痴呆の進んだ老人達は火刑に処せられる前のティルアンディエの姿を思い出すものも多いらしくすすり泣くものや罵言をぶつけるものなど様々であった。
そして子供。
「どうして、お姫様の髪は人参色なのですか?」
殴る訳にも行かない。
不敬罪で母上様が取り締まってくれたら良いのに!
老人も子供もエランカは大っ嫌いだった。エランカは嫁ぐなら年上の男性でティルアンディエの話などを持ち出す舅姑のいない家に嫁ぐのだと決めていた。
兄上様たちは良いわよね。
老人と子供の相手をしなくて済んで。
フランヴェルジュは軍にいたし、ブランシールは土木治水の勉学と実践に励んでいた。
エランカにとって、毎日がつまらなかった。
母のお供をしなくて良い日は勉学があり、行儀作法があった。
早く社交界デビューしたいわ。
そうして、沢山の貴公子達を誑かすのだ。
母は黄金姫と呼ばれていたらしい。
自分は何と言う通り名がつくのであろう? 大国、メルローアの唯一の王女である自分に通り名がつかないなどという事があるだろうか? 否、ありえない。
幼い夢である。
だが、幼いからこそ力ある夢でもあった。
十歳の少女は将来のビジョンを明確には持っていなかった。だけれども、沢山の恋がしたいと漠然と考えていたのだ。
恐らく、自分を老人や子供の巣窟に容赦なく突き出す母が、メルローア史に残る程に沢山の男を泣かせ、その袖が涙で濡れて絞れるなどといった歌が吟遊詩人によって唄われていたからであろう。
母への対抗心があった。
母にだけは負けたくなかった。
だが、エランカは自分の髪の毛をつまみあげて嘆くのであった。
赤毛では、母上様には勝てないわ。
魔女と同じ色の髪。
何故兄二人は美しい太陽と月の様な金と銀の一対であるのに自分はこんな赤毛なのであろう。
人参色。
いっそ炎のような赤毛であるならまだ救いがあったかもしれない。ミルシャレル伯爵夫人の髪のように。ついでに目もあのような琥珀色だったら言う事無いのだがそこまでは欲張れまい。神様は欲張りはお嫌いだそうだ。
でも、わたくしが他に何を願ったかしら?
エランカは王女であり、求める前に与えられていた。だから真剣に願ったことはその髪の毛の色だけだったのである。
神様、どうか金髪にしてくださいませ。父上様のような。兄上様のような。
わたくしは美しくなりたいのです。
エランカの少女時代は矢のように素早く過ぎ去った。
その夜毎、エランカは髪の毛に香油をたっぷりと擦りこむ事を忘れなかった。そして神に祈るのだ。
せめて鳶色になりますように。
その夜の祈りは特に真剣であった。
十四歳の誕生日を目前に控え、デビュタントを控えた娘の為に、レンドルとアユリカナは衣装合わせをさせたのだ。
メルローア王家の姫はデビュタントの際、『薔薇色』のドレスを身に纏い、国宝のティアラを戴く事になっていた。
どうも始祖王バルザの妻、ディケナの趣味だったらしい。
つまり、遥か昔からの決まり事。今更一人の王女が嫌だと叫んでも変えられない長い長い歴史を積んだ慣習。
だが、そのティアラはルビーで彩られていたのだ。エランカの赤毛とは、気持ちの悪いとしか言いようの無いコントラストを描いていた。
エランカの髪が後もう少し黒っぽかったら、反対に明るくても、良かったであろう。だがエランカの髪色には最悪の映り栄えであった。
それは誰が見ても余りにも明らかな事であったので皆揃って絶句した。
一番ショックだったのはエランカであろう。
あれが国宝である以上、エランカはあれを身に着けるしかない。そしてドレス!!
エランカの赤い唇は腫れあがった。強く噛み締めている所為でぷつりと血の珠が浮く。
『薔薇色』のドレス。様々な種類の赤とピンクの布がが散乱していた。エランカに一番似合う色でドレスを作る事になっていたのだが、どの布地もエランカを死人のように見せた。
その緑の瞳が灰色に染まるようでエランカはベッドの中で泣いた。声を押し殺して泣いた。
一番無難な布地が選ばれたが一生に一度のデビュタントに着るドレスとしては最悪だ。
諸外国から祝いの言葉を携えた官吏が集まる。彼らが国に持ち帰る情報はこうであろう。
『メルローアの第一王女です。美形ではございませんがその分嫁ぎ先も限られてくるでしょう。沢山の持参金が期待できる相手です』
ああ、何という辱め! 何という屈辱!!
エランカが美しく見えるのは緑の衣装なのだ。それを着たいと思った。そうすれば黄金姫程の評判にはならなくとも恥をかく必要はないだろう。
メルローアにとっても屈辱の日になる筈だ。
国を挙げての祝典で、君臨するのは死体のような顔をした女なのだから。
ああ、いやだ。
誕生日の前日、エランカはひどく気が昂ぶっていた。
何もかもが嫌だった。明日は自分が醜い女である事を証明する日になるのだ。本当はエランカは決して醜くなど無いのに。むしろ愛らしい顔立ちをしているのに。そう、流石黄金姫の娘だけあると周囲が納得する程。
エランカは衣装室の淡いモーヴローズのドレスを切り裂いてしまおうと思った。この服さえなければ、他の服を着ざるを得なくなる。国宝のティアラなどしった事か!
エランカは持っていたナイフでその衣装に切りかかろうとし……!!
出来なかった。
自分は、メルローアの王女。
その自分を祝う式典の為に用意されたドレスを切り裂いてしまうなど出来る筈がなかった。
このドレスはメルローアに生きる者の血税。
「眠りましょう」
エランカは呟いた。そして衣装室から出て寝室へ向かう。ベッドに横になると、神経の回路が途切れたのか、エランカは気を失うようにして眠ってしまった。
◆◆◆
「おい、大丈夫だろうな?」
「大丈夫です」
エランカの衣装室に潜り込んだのはフランヴェルジュとブランシールだった。
フランヴェルジュはモーヴローズのドレスを見て言う。
「駄目、エランカには絶対似合わない」
「やはり兄上は凄い」
感動する弟の横で、フランヴェルジュは溜息をつく。
「父上も母上も何故しきたりに囚われるのか。これでは余りと言えば余りの仕打ちぞ。エランカが可哀想だ。ブランシール!」
兄の言葉に、ブランンシールは紙箱を差し出した。その紙箱の中のドレスを、モーヴローズのドレスのかわりに立て掛け、フランヴェルジュはうむと頷いた。
「『白薔薇』も、ありだよな」
「ありですよ。兄上。薔薇は赤、ピンク、白、黄色です。ところでその提げてらっしゃる袋の中には何が入っているんです?」
ブランシールの問いにフランヴェルジュは傷だらけの手を弟に見せた。窓から入ってくる月明かりがまだ血の流れている指までも浮かび上がらせた。
「何です!? こんなに血塗れに……!!」
フランヴェルジュは袋から丁寧にソレを取り出した。それは編まれたばかりの花冠だった。白い薔薇の、花冠。
よく見れば、あまり上手に編まれたものではない。少なくとも花冠を編む習慣のある女達ならばもっと見事に編んで見せるだろう。
そんな事、フランヴェルジュはちゃんと理解している。
それでも、侍女に編み方を習いフランヴェルジュは自分で編んだ。
情けない事に、俺にはこれ位しか出来んが。
侍女にエランカの為の花冠を編ませて邪魔が入るのを防ぎたいのが建前。
兄として妹が可愛くて仕方がないのが本音。
「棘の始末に結構気を配ったぞ。エランカが額にでも傷をつけては大変だからな」
そう言ってフランヴェルジュは笑った。国宝のティアラなど知った事か。エランカが楽しく十四の誕生日を迎えられる事の方が余程大切ではないか?
そうして、エランカは『白薔薇のドレス』で白薔薇の花冠を戴き、デビュタントに臨む事になる。
蛇足ではあるが、エランカのその清楚な姿に、崇拝者が自国他国を問わず集まり、その争奪戦の激しさは長く語り継がれることになるのであった。




