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エスメラルダ  作者: 古都里
第1章 王はただ一人を追い求める
46/93

46 革命と花冠 前編

 メルローアの兵の行進は威風堂々と言うのに相応しいものだった。


 昨日までの男達のはしゃぎようは一部の女達を呆れさせ、一部の女達を夢中にさせた。

 しかし、今整然と歩を進める兵士達や蹄を進める騎士達は、はしゃぐのではなく、さりとて緊張した様子もなく、ただ黙々と行進した。その姿に人々は誇りを抱く。


 最前列に、赤く分厚い絹の地にメルローアの紋章を掲げた旗手が在り、そのすぐ後ろにフランヴェルジュがいた。

 黄金の髪が風に踊る。

 その瞳にある憂愁の色が、彼を悩ましく見せ、女達の胸を焦がした。


 勝たなくてはというのは当然の事。

 しかしただ勝つだけでなく、出来うる限り、命を落とすものを少なく、怪我を負うものを最小に止めなくてはならなかった。

 兵力を考えればそれは出来ぬ事ではないが、それでもそれが机上の空論だと言われれば確かにそうなのだ。

 今、騎兵も、歩兵も、戦争を体験した者は誰一人として存在していないのだから。


 それでも、勝つ事を疑わずに彼らは発つ。

 

 カリナグレイの王城から彩季の道をただ前進する。

 王都の大門がメルローアで一番大きな転移門だった。

 マーデュリシィはそこで待つ。

 フランヴェルジュが集めた兵士は百万を少し超えた。貴族も平民も、そこにはいて志願したものが大多数を占めている。もし、純粋に徴兵として望まぬ者も命令で軍に組み込んだなら百万では済まなかっただろう。


 マーデュリシィはその百万の軍勢を転移させなくてはならなかった。

 それは彼女の贖罪の始まり。

 みすみすレーシアーナを死なせ、ブランシールの事件も予知できなかった自分に他に何が出来ようかとマーデュリシィは考えている。

 この転移を申し出たのはマーデュリシィ自身だった。

 「出来るのか?」という王の問いに「出来る」と答えた。

 失敗したら血族の制裁が加えられるであろう事も、マーデュリシィには解っている。

 そしてそうなる前に自ら命を絶つ覚悟も出来ていた。

 理性は、大丈夫だと彼女に囁く。

 それが出来ぬ程の無能ではない、と。目の前で喪われた命と、近くに在りながら流させた血がある、それ位に無能な自分だが、百万という人間の転移を行えぬ訳ではない、そう理性は哂う。


 アユリカナもエスメラルダも、マーデュリシィの隣にいた。

 二人とも黒いドレスを着ているが、顔は白を通り越して真っ青だった。

 発つフランヴェルジュを思っての事でも勿論あった。

 だが、ブランシールのことでも在ったのだ。

 騎乗の人であるフランヴェルジュはどう思っているだろう……? どれ程の苦しみに苛まれている事であろう?



 目覚めたブランシールの意識は、赤子と化していた。



「あー」


 そういい邪気の全くない顔でフランヴェルジュに手を伸ばしたブランシール。

 包帯を巻かれ、薬の匂いに身を包んでいるのに痛みに顔を顰めるでなく、上機嫌の赤子のようにブランシールは声を上げるのだ。

 フランヴェルジュのその手を掴むと声を立てて笑って、ブランシールはしがみついた。

 ルジュアインのように、まだ泣くことでしか意思を表現出来ぬ生まれたての赤子とは違うものの、やはり、赤子としか呼べない。

 青い瞳が余りに無垢で、悲しい程だった。


 ブランシールは生きている。


 だがしかし、メルローアの国王を補佐し続けた鋭敏な頭脳の持ち主は死んでしまったのだ。


 気丈なアユリカナが、息子のその姿を見ると、思わずその場に崩れ折れ、泣き出した。

 死ぬより酷かった。

 あのブランシールが赤子にかえるなんて!!


 しかしブランシールは周囲の葛藤など解ってはいなかった。否、もう何も解ってはいなかった。そしてアユリカナのその泣き声を聞き、我もと主張するように声も限りと泣きじゃくったのである。

 フランヴェルジュがブランシールを抱き締めると、泣き声はやがて落ち着いた。

 アユリカナの背は、エスメラルダがさすっていた。背中から手に震えが伝わってくるのが切なかった。


 ブランシール様! ああ、貴方が、そんな!!


 エスメラルダは叫びだしたかった。

 叫んでも何も変わらないどころか、ブランシールは再び泣きじゃくるであろうので、その衝動は必死に抑えたのだけれども。


 レーシアーナがもしこのブランシール様のお姿を見たら……あの子はきっと泣いて泣いて苦しみぬくわ。





 先頭が大門に近づいてきた。

 アユリカナがその小さな手でエスメラルダの手を握り締める。

 もし、フランヴェルジュが死んだなら、アユリカナは子供を二人喪うに等しいのだ。

 きゅっと、エスメラルダもアユリカナの手を握り返した。


 それでも、エスメラルダだけでなくアユリカナも理解している。

 フランヴェルジュは王城で、自分だけ安全な場所で国一つ落とせと命じるような王ではないと。

 アユリカナはそう育て、エスメラルダはそうである彼を愛した。 


 近づいてくる馬上の人。その黄金の髪を、輝く瞳を、エスメラルダは目に焼き付ける。

 マーデュリシィが詠唱を終えた。

 大門に不可思議な光が満ちる。眩い癖に、その光は目を焼くことはない、不可思議な光。

 術式の完成である。

 フランヴェルジュは大門を通り抜け、門を起点に転移した。後続の兵達も、どんどんと大門に飲まれていく。


「わたくし達は、どうなるのかしら?」


 アユリカナが愛しい男と同じ色の目で問うた。


「すぐに『お帰りなさい』と言えます」


 エスメラルダは言い切った。

 祈りと確信をこめて、言い切った。




◆◆◆ 

 百万もの軍勢が辿り着いたのは、ファトナムール王都シュミナールの中央広場だった。


 人々が細々と歩いている最中にいきなり登場した百万という大軍は異様であった。尤も、それだけの大軍が広場だけに収まりきるはずもなく、路地裏や店の軒先にまで軍は展開された。


 広場だというのに、ファトナムール人は異常なほど少なかった。

 そして、僅かにいた人々は───女と子供と、痩せた兵が数人しかいなかった───口を大きく開け、目を見開き、恐怖の形相をしている。


「まさかこんな場所に飛ばすとはな、大祭司よ」


 ファトナムール王の城『月華夢弦城』までほんの僅かな距離である。

 このまま城を落とすのは簡単だった。だが。


 フランヴェルジュの目が小さな少女を捕らえた。

 少女は真夏の服のように薄い布の服を着ているが、それが何回も洗い擦りきれた結果だという事が解らぬ程彼は馬鹿ではなかった。初夏だから、服の種類だけならば不思議ではないかもしれないが、はっきり言ってぼろ布と言って良いものを纏う少女は骨と皮。


 少女だけが特別なのではなかった。


 状況を確認するために視線を転じる。

 兵士で埋め尽くされたこの広場に僅かばかりいる人間は皆、痩せこけて貧しさを漂わせている。

 彼らは疲れ果てているのだろう、いきなり現れたメルローアの人間に驚くでも恐怖するでもなく、大きな目でただ、メルローア人を捉えた。

 痩せこけると目ばかりが目立つとフランヴェルジュは知識として知ってはいたが、本当にそんな人間を見ると、恐怖に近い感情を覚えた。


 罪人には見えぬ彼らが、何故ろくに食べる事もままならない風情で立ち尽くしているのだ?


 警備の兵らしき者がいた。鎧が明らかに大きすぎた。いや、それを纏う者の身体が貧相なのだ。

 兵士の制服ではないところを見ると、自警団に毛が生えたものなのだろうか? それとも末端中の末端なのだろうか。


 全身全力で引き返したくなった。それは今更出来ぬ事ではあるが。


 フランヴェルジュは大慌てでファトナムールの兵士を、灰色の服を纏いハイダーシュに従っていた者達を思い浮かべた。彼らの肉付きは良かった。こんな剣を持つことも出来なさそうな弱った者達を蹂躙しに此処に来たのではない。何とかそう自分に言い聞かせる。

 この国の頭を取らねば、この哀れな姿をさらす者達が、無理やりに剣を取らされるだろう。国力を考えるとそうなるのが自明の理。


 冗談ではない。この国の王の首級しるしを取って、そして終わらせる。

 フランヴェルジュは怒りに突き動かされるようにファトナムールに宣戦布告したが、まさか攻め入らんと画策している国の民がこんな風に痩せ衰えて抵抗できるのかさえ解らないなどだとは……これで戦争を企み、徴兵に忙しく、砦の強化を図っているというのは……確かに間諜はファトナムールの軍部の動きを伝えてきたが、この状況で他国への侵略を考えるとはロウバー三世とやらは阿呆なのか。その頭には脳味噌の代わりに頭に何か別のものが詰まっているに違いない。

 

「シュミナールの民よ、聞け!!」


 家にこもりきりの人間にまで聞こえるよう、フランヴェルジュは大音声でその言葉を発した。

 引く訳に行かないが、メルローアの兵が、自分が、剣を振るうのは灰色の服を纏う事を許された兵士やその上に立つものだと考える。

 元々民まで巻き添えにする気はなかったから、何処に陣を敷くかなどという事は決めてあった。


「余はメルローア国王、フランヴェルジュ・クウガ・メルローアなり。この国の王の首級を求めるものなり。しかし、無辜なる民人の血が見たいわけではない。この都は戦場にはせぬ。この城下町の南、エンキアの野で決戦を行うものなり。ファトナムールの兵士よ、ロウバー三世に我が言葉伝えよ。余は市街戦には持ち込みたくないが故にエンキアの野までご足労願うと。ハイダーシュの首から下を取り戻したくば余が言葉どおりにせよと。さぁ、いけ!!」


 ぱん、と、フランヴェルジュは手を打った。

 大きな鎧を纏った男が後ずさるように城への道を辿るのを見て、フランヴェルジュは鷹揚に頷く。まぁ王都の広場に百万の軍が展開されたのだ。余程の阿呆でも無視は出来まいとは思うのだが。


 エンキアの野は決戦地にしようとブランシールと計画を練っていたところだった。

 だだっぴろいクローバーの野原は丁寧に手入れされているのだそうだ。クローバーはファトナムールの紋章でもある。それゆえの保護。その地を朱に染めんとする自分が恐ろしいと思う。だが、フランヴェルジュはその道を選んだ。


 フランヴェルジュはファトナムールを攻めんとしながらも虚しさがこみ上げてくるのを感じていた。

 前々から野心あるこの国との戦争は避けられないものであったにせよ、ハイダーシュのことが許せなかったにせよ、元々フランヴェルジュは血が苦手であった。おまけに、痩せこけた民人を見てしまい、自分は何をやっているのだろうと思う部分はある。

 しかし、どうにもしようがなかった。ブランシールに剣を向けられ心を壊したこの国は、メルローアを攻める為の準備をしていた。もう何もかもがフランヴェルジュのちっぽけな意思など噛み砕き飲み干し、物事は動いている。


 ならばその中で、フランヴェルジュが足搔ける範囲で足搔くしかない。

 向こうから攻めて来るのを待っていたら、死に物狂いで剣を振るわれたに違いないというのも覆らない事実。


「皆、余に続け!!」


 フランヴェルジュは馬の首を返した。

 戦う前からフランヴェルジュには解ってしまった。戦争など誰も幸福にしないと。


 それでもフランヴェルジュは動く。

 目指すは南。シュミナールの大門からそう遠くないところにあるエンキアの野へ。


 なぁ、ブランシールよ。

 もしお前が隣でくつわを並べていたらこのような虚しい気持ちにはならなかったのだろうか?

 それとも、これは虚しいのではなく俺の中の臆病な部分が疼くのか?




◆◆◆

 ロウバー三世は半狂乱になった。


 兵の半分をメルローアの国境、エリファスに向けて出発させ、そして残り半分も今まさに後続部隊として発とうとしていたからである。


 宣戦布告を受けた時のロウバー三世の頭は息子がメルローアの人間に殺された事よりも自分が注意深く準備していた兵士達がメルローアの喉を食い破りその豊かな領土を得る、その夢に酔っていたのだ。

 酔うままに兵士を動かした。

 彼はただ待てばいいと思ったのだ。果報は寝て待てというではないか。


 メルローア総てを手に入れる事は叶わないと思っていた。


 あっという間に攻め込み、殺し、そしてファトナムールに都合の良い条約を結んだうえで国土の数割を奪う、それがロウバー三世という男の酔う夢の中身。


 転移を繰り返しても、普通の常識で考えれば、いきなりシュミナール中央広場にメルローア軍が訪れるとは信じがたいものがあった。

 人一人なら、メルローアの神聖魔法技術から言えば有り得るかもしれないと思っていた。一人で何が出来ようかとそれを考えた時は笑ったものだ。

 だが、泡吹きながら戻ってきた兵に言わせると、それはシュミナールの城下を殆ど覆いつくさんばかりであったという。一体どれ程の兵が集ったのであろうか。そんなことが。


「民衆を招集させよ」


 低い声でロウバー三世は言った。


「十四から上の男なら寝たきりの爺以外は皆引っ張って来い!! すぐにだ!! いつ気が変わって城に攻め入るかもしれん。急げ!!」


 兵達は互いに顔を見合わせた。

 王は正気であられるのか?



 

◆◆◆

 天幕が、エンキアの野を覆い尽くすようにはられた。

 南に、フランヴェルジュは陣を敷く。

 そして、大門を睨むように見詰め、兵たちが手際よく天幕を張る横で立ち尽くしていた。


 初めての戦。


 どれ程、「王自ら戦陣に立たれる必要はございません」と家臣に説かれたことだろう。

 だが、自分一人安全な立場に甘んじる事は出来ない。それが王。否、それ故にこそ、王。


 その時、あちこちで小さな騒ぎが起こった。

 天幕を張り終え、荷の確認をしていた兵達のものだった。


「見ろよ、『国王陛下を勇ましき御身の力にて御救い下さい』って!!」


「こっちは『わたくしの癒しが届かぬ地へ赴かれる御身に我が祈りを託します』って書いてある!!」


「俺も俺も!! 俺のはすごいぞ。『どうか御身がご無事でありますように』だって! ヒュー!!」


「俺のザック、白い丸い石が入っていた……なんでだ? お前らが何で陛下の想い人からの文で、俺が石なんだ?」


「馬鹿! お前、それ神殿の守り石じゃねーか!! お前の身も、いや、俺達全員の無事をお祈りくださっているんだ、エスメラルダ様は」


「そっかぁ。この石を持っていたら矢も掠らんかもしれんな」


「まさかと思うけれども俺達全員のザックに文か石が入っているとか?」


「それは無いだろう? これだけの人間がいるっていうのに……」


「俺達が選ばれしものに思えるか? ただの兵士のザックにそれが入っているってことは……」


「まさか」


「すげー!! 確実に無事に帰れそうだ」


 フランヴェルジュは呆気に取られてその光景を見ていた。

 難しい顔をしていたものも緊張しきっていた者も、子供に帰ったかのようにはしゃいでいる。

 軍紀はどうなった? などと突っ込んでもきっと誰も聞きやしないだろう。

 兵士達の歓声から何が起きたのか想像は出来た。喜びの声を上げて文を、守り石を掲げる者達、自分のザックを漁りみつけて声を上げる者達。


 エスメラルダがザックの点検をした時に、手が空いている侍女だけでなくアユリカナにまで手伝わせて、直筆の文か自ら祈りを捧げた守り石をつっこんだなどと誰が想像しよう?

 今までメルローアの歴史の中でこの様な事をした女性はいなかった。恋人にするのならともかく兵士全員の。

 エスメラルダは侍女達とアユリカナと一緒に、フランヴェルジュが忙しく立ち働いている三日間の間に倉庫の中でひたすらにその作業に従事していたのだ。一つ一つ中の物を点検しながら。

 一人の仕事でないにしろ、流石に百万全てやり終えたときには倒れてしまって、そのまま三時間ばかり倉庫で眠ってしまったエスメラルダだが、まぁそれはどうでもいいだろう。


 兵士達の興奮は異常なまでに高まっていた。

 一人の兵を捕まえ、説明を聞く。歓声からの想像は当たっていたが、やはりちゃんと報告という形で聞いてみると驚くものがある。


 その時、誰かが叫んだ。


「エスメラルダ嬢、万歳!!」


 その声に皆が唱和する。

 万歳、万歳、万歳!!

 声はうねるように響き、万歳の声は漣のように全軍に広がった。


「陛下の未来のお妃様に!!」


「万歳!!」


「万歳!!」


 フランヴェルジュは胸が熱くなった。


 正直今は本当はそれどころではなかったのだ。

 すぐに天幕に戻って軍議を召集しなくてはならなかったのに。

 それでもフランヴェルジュの最愛の女性の名を呼び、石や文を握り締めた手を高く天に突き上げ、吼え、讃えるその姿はいっそ神聖でもあった。

 兵達の志気を上げるのも王の仕事なれば、エスメラルダはまさに王妃に相応しかった。彼の仕事を、軍議の事を置いておくと最適なタイミングで手助けしてくれたのだから。


 フランヴェルジュは面倒臭い軍議を取りやめる事にした。

 これだけの軍勢なら策はなくとも正面突破で充分である。これだけ志気が上がっているのなら尚更。


 それにうっかり見てしまったが、軍議のメンバー、将軍も、そして書記官までもが自分のザックに走っていってしまったのだ。

 軍議どころではない。

 それでも、フランヴェルジュは誰も咎める心算はない。

 間諜はまだファトナムールが行軍を始めたという知らせを持ってきてはいない。今浮足立っていても、それ位は見逃せる範囲だとフランヴェルジュは思う。


 そして、エスメラルダにはつまらぬ醜聞より歓喜の声の方が似つかわしい。


 フランヴェルジュはすたすたと歩いた。

 軍議を開かず、作戦をろくに練らずに戦闘に当たるのならば、作戦以上の効果を何かで上げなければならない。それは今ならば容易く思えた。浮かれ切った心に、方向性を与えるだけでいい。


 柔らかなクローバーを踏み躙り歩く王の姿に、人々は声を上げるのをやめて道をあける。


 兵達の中心にまで辿り着くと、フランヴェルジュは拳を天に振りかざした。


「我が勇敢な兵達よ!!」


 仕事を思い出した伝令が走る。隅から隅までフランヴェルジュの言葉を伝える為に。


「天は一つ。地は一つ。想いも又一つ!」


 想いは一つ。

 敵を倒し我がメルローアへ帰るのだ!!

 



◆◆◆

 戦いの決着は呆気なくついた。それはメルローア人の誰も想像もしえなかった結末であった。


 ロウバー三世をしてその命を止めたのは、小柄なファトナムールの民であった。

 いや、まともに飲み食いすることが出来ていたならば、小柄だなどとは思わなかったに違いない。

 細い腕が、緑青を帯びた銅の剣でロウバー三世の頭を砕いた。斬る事が出来ない錆びた剣での懸命の一撃が、ファトナムールの王の命を終わらせた。 


 その男は側に居た騎士に袈裟懸けに斬られた。灰色の服を纏い、人並みかそれ以上に食べている騎士に。

 けれど忠誠を果たした騎士はすぐさま命を落とす事になる。それを見た他の民が猛然とその騎士に襲い掛かったのだ。

 それも一人や二人ではなかった。


 先程まで剣を合わせていたメルローア人に、ファトナムールの民は最早背中を向けた。彼らの怒りは、衝動は、良く知りもしない隣国の兵や王などではなく、自分達に飢えを与え、搾取の限りを続けた王と王に組する全ての者に向けられ、そして滅びを呼んだ。


 ロウバー三世は民衆の男という男を引っ張ってきはしたが、まともな武器は用意出来なかった。そこで支給されたのが緑錆に覆われた銅の剣だった。斬る事も出来ぬ剣を無理やり渡され、戦えと言われた彼らは、戦う相手をメルローアの民ではなく圧政を強いた総てに向けたのである。

 メルローアの兵が呆気に取られる中、銅の剣を振るう民人は、鋼の剣で切られ命を落とすものも多かったが、それ以上に貴族や軍人の頭蓋を兜ごと叩き割り、砕いた。

 

 剣を握る手が汗ばむのを覚えた。フランヴェルジュは心の底からの恐怖を味わったのである。

 民衆から支持を受けない王の末路とは、このようなものなのだ……と。

 

「皆、民衆に味方せよ!! 切りかかってくるもの以外、銅の剣を持つものを殺してはならん! 彼らの『革命』を助けるのだ!!」


 『革命』。


 まさにそれはそうとしか呼べないものだった。人々が長年のファトナムールの圧政に苦しんできた、それが今、こともあろうに戦場で爆発したのだ。

 鎧も与えられず、切れぬ剣で百万の軍に向かえと言われた飢えた人々は───金鉱の金が尽きた事により民衆はとてつもなく貧しかった───、自分達を苦しめてきた王の息子の仇を取るより家でひもじい思いをしている己らの息子の為に戦ったのだ。


 メルローアの兵が民衆に加担する。

 フランヴェルジュの命も勿論在るが、もともと、メルローア人は情が深い。

 裸同然で先陣を切る事を余儀なくされた痩せ細った男達を斬る事は躊躇われたが、ぶくぶくと肥え太った貴族や軍人を斬る事には何の躊躇いもなかった。


 ああ、銅の剣掲げ持つ者達はなんと痩せ細っていることだろう。

 その痛々しい姿は飢えを知らぬメルローア兵から悪感情を消し去った。

 どんな言葉で説明されなくとも、それが圧政、悪政の結果だと解ったから、メルローアの兵は、敵は同じだと断定した。

 それは同情か? そう聞かれたらきっと誰も答えられない。

 ただ、立ち上がり反旗を翻す者達につきたかったとしか言えない。


 血と肉と骨と内臓。

 熱く飛び散るもの。

 溢れて誰も彼もを赤く染める。


「メルローア万歳!!」


 驚いた事にそう叫んだのはファトナムールの民だった。


「メルローア万歳!!」


 今度はメルローアの兵が叫んだ。


 万歳! 万歳!! 万歳!!!

 その声は潮の如く。


 エスメラルダからの文や石を見つけた兵たちが上げた声とは比較にならなかった。


「貴族や軍人を逃がすな!! 暴動が起きる!! 無辜なる者の血をこれ以上流させるな!!」


 フランヴェルジュが声を張り上げた。やるならば、徹底的にやらねば痛い思いをするのは『革命』を起こした人間だ。

 しかしそれは必要なかった。


 敵は殲滅せよ。


 人々はその事しか考えていなかった。




 そして、ある意味呆気なく戦は終った。

 ただし、『革命』は始まったばかりだ。




 シュミナールの大門が開いて、痩せた女子供が、血塗れの父や夫や恋人や兄弟を抱き締めた。

 白刃を煌かせ戦ったメルローア兵と、銅の剣で砕けるもの全て砕いたファトナムールの男達は昔からの戦友の様だった。

 メルローア兵は血に塗れたエンキアの野で杯を上げた。勝利の美酒は辛口の白ワイン。


 止められるのを無視して最前列に立っていたフランヴェルジュには傷一つなく、味方全体の被害も極めて軽微だった。


 フランヴェルジュは思う。

 ファトナムールの民は、ただ単にロウバー三世に反旗を翻しただけなのだろうか?

 大門の中には妻や子や恋人といった『人質』がいたのに。

 勝てぬ事を知ったからこその『革命』……か?


 いや、違う。

 彼らは単純に生きるか死ぬかだった。『人質』は命あってのものだ。だが、『人質』もこのままだと飢えて死ぬ、そんな状態ならば戦うしかない。

 窮鼠に、斬れぬ剣とはいえ剣を与えたのはこの国の王だ。

 全てが、起こるべくして起きたと言えるだろう。


 その時、一人の兵が走ってきた。フランヴェルジュの前で跪礼をとり胸を叩き、シュミナールの男達の代表が謁見を願い出ていると言い、フランヴェルジュはそれを受けた。


 翌日、メルローアまでの帰りに消費する以外の兵糧を全て解き、ファトナムールの民に与えた。そしてフランヴェルジュは王として更なる食料提供を約束し、それを実行する為に必要な手順を踏む。

戦後処理と言うよりは、ファトナムールの革命がその地に住まう者達に『より善き日々を』齎すように、飢える事の無い最低限の生活を保証する為に、フランヴェルジュは懸命に取り組んだ。

ファトナムールという土地で、つまり王城ではなく現地でやれる限りの事をやり切ったと納得するのに一週間と少し、フランヴェルジュは奔走する事になる。

 そして革命から八日後、漸く彼と彼の兵士は帰途につくことになったのであった。

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