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エスメラルダ  作者: 古都里
第1章 王はただ一人を追い求める
39/93

39 彼女の不在

 その日のフランヴェルジュは大変機嫌がよろしくなかった。


 エスメラルダはレーシアーナの遺体を安置してあるところから一歩も動こうとはせず、食事もそこで摂る事になった。


 あのなんとも言えない華燭の典から二日。

 エスメラルダはそこから動こうとはしない。


 そしてもう一人悩みのタネである人物がいた。

 ブランシールである。


 ブランシールが結婚してからも、四人で───フランヴェルジュとエスメラルダ、ブランシールとレーシアーナが揃って食事を摂っていたのに、一人で食べる食事は味気ない。

 せめて、少ない時間をひねり出して、妻を亡くしたばかりのブランシールを慰めたいと思い、食事を彼の部屋に運ばせ赴いてみるとブランシールはただ、座っているのみだった。


 フランヴェルジュは惚けたようにレーシアーナの寝間着を抱くブランシールを見ているのが辛かった。

 だが、ブランシールからその寝間着を取り上げ、己を囲む全てのものを見やれというのは酷である気がする。


 だがそれならどうしたら良いのだろう?


 ブランシールは食事にも手をつけていない。

 豊かな銀髪はもつれ、頬は涙の跡でかさかさだった。


 今泣いていないのは決して傷が癒えたからではなく、もう泣く気力もないのであろうとフランヴェルジュは推測する。或いは泣きつくして涙が枯れたか。

 がさがさの唇は何も音を紡がなかった。


 御典医は心の病だと、そう言った。

 ショックで心が病んでしまったのだと。


 治せぬのなら任を解くと言ってやったがどれだけの効果があることやら。


 ブランシールの部屋には、今は彼とフランヴェルジュしかいない。

 侍女たちは下がらせてある。


「俺はお前に何と言えばいいんだろうな、ブランシール」


 フランヴェルジュはそういって、まだ湯気を放つ白いパンにジャムを塗った。

 そしてそれを千切ってブランシールの口の前に持っていくと、ブランシールはようやく口をあける。

 咀嚼して飲み込む弟を見て、フランヴェルジュは胸が痛くなる。まるで雛のように庇護を必要とするもの。


 本当は食事の為に取った時間はそう多くない。とれなかったのだ。レーシアーナの国葬や、今メルローアにいる貴賓達への待遇、そして『事故』の原因を探る事、そして日常の政務、それら全てがフランヴェルジュの肩の上に乗っていた。

 フランヴェルジュは決して愚鈍な王ではない。だが今まで如何にブランシールはフランヴェルジュのサポートをしてきただろう。


 ブランシールのサポートが望めぬ今、フランヴェルジュは本当に忙しかった。

 しかし、兄としてこの状態の弟をほうっておく事が出来るだろうか?


 おまけに、ブランシールが妻たる娘を失ったのは、自分が妻にしようと選んだその花嫁の身代わりとなって逝ったのだと言うべきだとフランヴェルジュは認識している。

 ブランシールの罪を知っていれば、もしくはレーシアーナが見た夢、当事者である事から予言に選ばれて知り得た真実を知っていれば、レーシアーナはただの身代わりと言っていいのか受け取り方が変わってくるのだろうが、彼は永遠にそれを知ることなく心に痛みを飼う事になる。


 本当に何と言えばいいのか。


 我が妻をよくぞ身を挺して庇ってくれた、なんという忠義……! という言葉を吐いた事のある王はスゥ大陸に実在する。アレグリオという国の何百年も前に滅んだ国、その最後の王。

 笑えない話、弟の妻が身代わりに死んだときの話である。

 生贄に選ばれた王妃の代わりに自害して果てた王弟妃を王は讃えた。

 そしてその褒美に国の要所を含む領地を与えられた弟は、十年かけて兄への復讐を果たし、沢山の血を流した後に新しい国を作った。


 身の置かれたところは似ているが、フランヴェルジュがこんな言葉を弟に対して口にする筈もなければ思いもしない類いのそれである。

 忠義だなどと思う訳がない。

 フランヴェルジュはエスメラルダを愛している。その想いがこれから先変わるとは彼には想像出来ない。

 だが、レーシアーナが死んで良い訳では無いのだ。


 身代わりに死んでくれて忠義? それに褒美? そしてそれを讃える?


 有り得ない。全く持って有り得ない。

 フランヴェルジュは本当にレーシアーナが好きだった。レーシアーナとの付き合いはエスメラルダより長い。その長い間の大半を弟と結ばれてくれないだろうかと望んだのだ。義妹となってくれた時はどれ程嬉しかったか。

 レーシアーナは実の妹であるエランカに勝るとも劣らない程、フランヴェルジュにとっては大事な妹で。


 そして、エスメラルダが愛する親友であるレーシアーナ。

 この言葉だけはフランヴェルジュは過去形にするつもりはない。

 エスメラルダを知ってまだろくに時間が経過してはいないが、時折嫉妬を覚える程レーシアーナはエスメラルダの心に深く生きている。


 弟の宝で思い人の宝であるレーシアーナだが、彼自身にも宝と言える。


 何故こんなことになったのか、あの悲劇の絡繰りはどうなっているのか。


 その答えが今見いだせないから、フランヴェルジュの思考は迷い込んでしまう。

 もし、婚儀を急がなければ、エスメラルダを娶るのを先の未来にすれば、いやいっそ、自分が人間のように誰かを愛し愛されることなど望まず独りで生きて行こうとすれば。

 そうすれば、今弟はぼんやりと焦点の合わぬ目で自分の妻の寝間着を抱えていることなど起こらなかったのではないだろうか。


 だが、一つだけブランシールに言ってはならないと思う言葉がある。


 すまない。


 それだけは駄目だ。すまない、それは言ってはいけない。

 俺と俺の花嫁の所為でお前の妻が死んだ、すまない。

 この言葉だけは絶対に口にしてはいけないと本能が告げている。


 その言葉を恐らくレーシアーナは決して望まぬ上に許さない言葉だと、何故か強く思ってしまう。

 実際にレーシアーナが命を落としているのに、弟に何故謝ってはいけないのだろうと思うが、その言葉だけは絶対に駄目だと何故か思うのだ。

 自分が婚儀を急がなければあの優しい娘は今も笑っていたであろうに。


 そう思いながら謝罪の言葉を飲み込み、跪いて額を床にこすりつけたくなる衝動を抑えるフランヴェルジュをもしレーシアーナが見たらほっとするに違いない。

 夫の罪を明らかにする事無く収めるためにレーシアーナは命を捨てたのに、その罪に慄くブランシールに謝罪の言葉を、それもこともあろうにフランヴェルジュが口に出したら、彼女の愛する夫の魂は砕け散ってしまうに違いない。


 フランヴェルジュは何も知らず、けれど人であるならば自分の間違いがこれだと解ればそれが正しくなくても罪悪感に浸りきって現実逃避も出来ようが、残念ながら彼は人ではない。

 人間ではあるが、娶る相手を選ぶ権利以外の人権を持たない王というものであるフランヴェルジュは逃避も酩酊も許されぬ生き物だ。


 俺がこんな立場の人間でなく、もう少しまともな神経の男ならば……兄ならば、ブランシールに何と言ってやれるだろう。どうやって慰め、癒せるだろう。


「もう少し食え。ゆっくりでいい」


 サラダをフォークでつつき、牛乳を飲ませる。ゆで卵に塩をふり口元に運ぶ。新しいパンにベーコンを挟み兄は弟に食べさせる。


 結局、フランヴェルジュは一口も食べる事が出来なかった。

 時間を大幅に超過しても、ブランシールに人並みに食べさせる事がやっとだったのだ。


「ブランシール……」


 食事を食べさせ終え、フランヴェルジュは立ち上がった。その彼を、ブランシールは青い目で追う。そこには意思があるようには残念ながら見えなかった。動くものを目で追った、ただそれだけ。


「国葬の話し合い、今日が大詰めだ。時間はあまりない。少しでも……元気になってくれ」


 本当に、欠片もブランシールの為の言葉が紡げないのか俺は。

 フランヴェルジュはそう思う。


 けれど、ブランシールには正気に返ってもらいたい。もらわねばならない。

 夫が正気を手放したままでは、如何に祈りを捧げようとも、あの優しいレーシアーナが主の側であれども幸せで居られるはずがない。


 これでは、あんまりにもレーシアーナが哀れではないか。

 こんな風になる位なら、お前の所為だと責め立てられて剣を向けられた方が余程マシだ。


 そう思った時に口をついたのは慰めでも労りでもない言葉であった。


「ブランシール、レーシアーナが……迷うぞ」


 聞こえているのだろうか、というようにフランヴェルジュは腰をかがめると、ブランシールと目線をあわせ、その目を見詰めた。


 この酷い言葉を理解して、『誰のせいでこうなったと思っている!』そう罵ってくれたら。

 ブランシールの罪を知らぬが故に、フランヴェルジュはそう思うのだ。


 びくん、と、ブランシールの体が跳ねた。


 青い瞳が恐怖に染まる。


 反応を、返してくれた―――!?


 一瞬の歓喜の後、フランヴェルジュは胸が痛むのを感じた。

 心がもし揺れたなら、それは痛みに向かってではなかろうか、この微かな表情は。

 希望が出たと喜ぶべきなのだろうが、他の誰でもない自分が、更に追い打ちで痛みを与えたのか。


 心とはどうすれば癒えるのだろう?


 風が開け放した窓から忍び入りカーテンを揺らす。晩春と初夏の入り混じる複雑な香が、皮肉なくらい瑞々しい、そんな昼下がり。だがブランシールの瞳は氷だ。

 傷ついた表情のまま、また凍り付いてしまった。


 しかし、時間は無限にある訳ではなかった。

 人権が認められぬ立場であるのは飲み込んでいる心算だったが、この状態で弟の傍についている事すら彼の思うままにはならない。嫌になる。


 テーブルを退けた。

 そしてブランシールのすぐ前に立つと、おもむろに座ったままの弟を抱き締める。


 何もかもが目茶苦茶で、もうおかしくなりそうだった。


 それでも、温もりはそこにある。


「……では、行ってくる」


 フランヴェルジュは腕を放し、弟を解放した。そして踵を返す。

 ブランシールがその背に投げかけた呟きを、懺悔を、フランヴェルジュは聞く事がなかった。




◆◆◆

 議会が大騒ぎを起こしている。

 それはフランヴェルジュの遅刻が原因ではなかった。

 朝議の間と呼ばれるが会議場途端に言われることもあるその部屋は、話し合う議題があるのならばいつでも開かれる場所。

 為すべき事が詰まっている時は、ほぼ解放されたままで一日が過ぎるその場所は、今日は恐ろしく賑やかだ。

 そこに向うフランヴェルジュの耳にも、その部屋からの喧々囂々の騒ぎは聞き取れる程のその騒めき。

 フランヴェルジュに張り付くように護衛役を買って出た近衛に、内心のうんざりした気分を悟られぬように溜息をついた。


「……初めての遅刻なんだがな」


 近衛は背筋を伸ばしたまま、「はい」と返事する。彼は普段ろくに供もつけずに動き回る王が時間厳守を徹底しているのを知っている。


 フランヴェルジュの足が止まった。

 朝議の間についたからでもあったし、そこから漏れる言葉の所為でもあった。


 王の到着を告げようとする近衛と、朝議の間の扉の前に控える騎士に黙るように身振りで示した。

 そして耳を澄ます。


「……では……を、御認めに……ならない……」


「あれは…神罰ではなく……」


「否……しかし確実に……穢れが」


「血……」


「他の女子を……種馬では……れない」


 ぴし、と、フランヴェルジュの額に血管が浮いた。

 何を話しているか大体見当がついたからだ。


 ふざけるな!!


 フランヴェルジュは思い切って扉を開けた。

 その役目を担っていた騎士達が狼狽えながらも王の到着を告げる。


「かしこみー、かしこみー、いと偉大なる……」


「五月蝿い!!」


 フランヴェルジュは騎士を一括した。

 ひっと騎士が身をすくませる。


 いつもなら下のものを丁寧に扱い、大事にせよという亡き父王の教えを忘れたりはしない。

 だが、今は心の余裕がなかった。


 朝議の間は水を打ったようにしん、と、静まり返っている。

 フランヴェルジュの怒号に驚いたのだろう。


 フランヴェルジュはゆっくりと国王が座す席に向った。

 毛足の長い緋色の絨毯が足音をかき消す。


 殊更ゆっくりと、フランヴェルジュは席に向う。周囲を睥睨しながら。

 集まった文官達は立ち上がり、頭を低くして礼をとった。そんな彼らを見やるフランヴェルジュの唇には笑みがある。

 冷たく、凍りつくような笑みが。


 やがて、玉座に負けずとも劣らぬ作りの席に座し、フランヴェルジュは足を組み、顎をしゃくりながら言った。


「席に着け。今日の余は機嫌が良くない。大事な義妹の国葬の準備は今日中に済ませてしまわなくてはならぬ。明後日が葬儀である故にな」


 いつものフランヴェルジュならまず遅刻を詫びたであろう。

 いつもと違う王に、その場にいる者は驚いた。何故か脇から嫌な汗が流れるのを感じる者もいた。


 ただ一人、レーノックスだけは驚くこともなく、寧ろ悦びすら覚える。

 レーノックスの孫のような歳の王はいつも穏やかで、殆ど私情を挟まぬ態度で王の座にあるが、今日いつもと同じように対応されては本当に困る事になっていたのだ。どれ程煽りに煽っても乗ってきて失策を犯す事のなかったフランヴェルジュに、レーノックスは今日この日間違いを犯してもらわなければ困るところであったのだ。

 レーノックスは笑いをこらえる事に苦労する。この若造に頭を下げるのも後暫しの辛抱よ、そう思うと愉快でたまらない。


「宰相、余が参る前に持ち上がった議題は何ぞ? 説明せよ」


「エスメラルダ・アイリーン・ローグ嬢の事にございます、陛下」


 レーノックスはよどみなく答える。

 この名を口にするのもそう多くない事だろう。レーノックスの愛と忠誠の先であるレイリエが、きっとエスメラルダという存在を許しはしない事を老宰相は疑う事はなかった。


 家臣達は恐れの青や怒りの赤に顔を染める。


「余が『妃』がどうしたというのだ?」


「まだお妃様ではございません」


 レーノックスの言葉に、ふん、と、フランヴェルジュは鼻を鳴らした。


 そう来ると思っていた。


「余の妃ではないとすれば、エスメラルダは何ぞや?」


「貴族の位を剥奪されたローグ家の娘、先日までは王弟妃様の御話し相手でありましたが、今は何の任もない、ただの娘です」


「……我が妃を愚弄するか?」


 フランヴェルジュが睨みつけようとも、レーノックスは飄々とした態度を改める事無く続けた。


「お忘れですか王よ。王はホトトルの水をお与えになっていない。いまだ婚姻は成立せず。そしてこれからも成立する事はないのです。王弟妃様を喪う事になった惨劇。あの花嫁は不吉を運びました。神殿を血で穢しました。それ即ち神の御意志。エスメラルダという娘はメルローアに相応しくないという神の怒りが招いた事!」


 フランヴェルジュの金色の目が煌いた。


「ほう」


 この男がレーシアーナを殺した犯人かもしれないと、ふとフランヴェルジュは思った。

 やりかねない、この男なら。


「神の御意志か。よくもそのような世迷言が吐けよう。レーノックス。そなた一人の主張か? レーノックスと意を同じゅうするものがあらば、手をあげよ」


 ぱらぱらと、手が上がった。

 朝議の間にいる事を許されたのは貴族の生まれの者が大半、稀に特殊な能力を持つが故にこの場にある事を許された平民もいる。

 その勢力は侮れない。


 そのうち手を挙げたのは四分の一程だった。

 その中に、レーノックスの後に続き『白華の間』へ赴いた高位文官二十名はいなかったが、日頃のフランヴェルジュならそれに気づいただろうに今は余裕などなかった。


 手をあげたものの顔を、フランヴェルジュは睨むように見詰める。

 その顔を忘れてなるものか。

 その無礼を忘れてなるものか。


 侮れなくとも、潰せぬ勢力ではない。


 フランヴェルジュは今初めて政治に私情を挟んだ。 それがどんなに危険な事か知らない彼ではなかったけれども。


 王というものの唯一の権利を侵害しただけでなく、彼らはレーシアーナの遺志を貶めている。

 だから絶対にフランヴェルジュはその顔を忘れまいと思う。

 レーシアーナが命を懸けて守った娘を否定する行為を、フランヴェルジュは彼女の義兄として絶対に許せないと、そう思ったのだ。


 フランヴェルジュは絶対にエスメラルダを王妃にする。


 恐らく、この場にいる者はフランヴェルジュが誓句を一度口にした以上別の王妃を迎える事が出来ぬメルローアの慣例の意味を知らない。単純に前例がないという位に思っているのだろう。

 女の機構を知らぬフランヴェルジュには、ただそれが出来ない事であるという事実のみを知っているだけだが、その事実は王であるからこそフランヴェルジュにはどうにもしようがないもの。


 だが、その事は置いておいてもいい。

 彼はエスメラルダを愛しているが、今はそれだけではない。

 エスメラルダを幸せにすることを、レーシアーナは祈るだろう。その想いを踏みにじる事はフランヴェルジュには出来ない。

 仮にブランシールが正気に返った時に恨めしく思う事になってもだ。


「……宰相、話にならんな。議会の意志は尊重しよう。しかし、余に対して発言権を持つためには過半数以上の承認が必要であるはず、違ったか?」


 レーノックスは顔色一つ変えない。


「しかし、家臣とは王の過ちを正すためにおりまする。これだけの者が、王の妃にエスメラルダ・アイリーン・ローグは相応しくないと申し上げております。賢君と呼ばれるものならその事を尊重するはずです」


 ぎり、と、フランヴェルジュは歯を噛み締めた。


「余の妃は余が選んだあの娘ただ一人だ。レーノックス、そして手を挙げた者全てに申し伝える。エスメラルダを我が妻と認めないのならば、それはメルローア王家に対する反乱であると余は理解する」


 挙げられていた手が、ぱたぱたと落ちるように下げられた。

 フランヴェルジュは一種傲慢とも呼べる表情を浮かべ、手を力なく落とし青ざめた顔をする文官を丁寧に見やる。視線でまるで愛撫するように。


「では反対に聞こう。余の妃を歓迎する者は手を挙げよ」


 ざっと音がした。

 袖が肘にまくれあがる衣擦れの音だ。

 そして、さっき挙手したものまでが手を挙げていた。

 レーノックスを除いて。


 こういう形で権威を振るい人を屈服させることを、フランヴェルジュはかつて心の底から嫌っていた。しかし、此処で下手に出る事も機嫌をうかがう事も、フランヴェルジュという人間のやり方ではない。


「そなたは反逆罪、だな」


 フランヴェルジュは歌うように言った。

 余裕ある態度の宰相を見つめる。

 何を企んでいるのか、読み取る余裕がない。何もなしに、反旗を翻す馬鹿ではない筈だが。


 だが、もう顔を見るのも嫌だ。


「あながちそなたが王弟妃を殺めたのかも知れぬ、衛兵!!」


 ぱん、とフランヴェルジュは手を打った。


「こやつを幽閉せよ。拷問の必要は今のところない。長年この国に尽くした功労者だ。丁重に連れて行け」


「はっ!!」


 部屋の端から駆け寄ってきた衛兵達がフランヴェルジュの側で跪いた。

 そして、三人がかりでレーノックスを拘束する。


 レーノックスは抵抗しなかった。


 毒はもう撒き散らしてある。メルローアだけでなく、国外にも。

 動く必要はない。時期が来たならば、熟れた果実のようにレーノックスの掌に全てが収まる事だろう。

 レイリエが、レーノックスに約束したように。そう、彼女はレーノックスがただの書記官であった頃に宰相の地位を約束してくれた。そしてそれは現実になったのだから。


 そう、何も恐れる事はない。


「陛下がせめて呪いに冒されることなきよう祈り奉りまする。ご機嫌よう、我が君」


 ずるずると引っ張っていかれながらも、レーノックスは威厳を持ってそう言い、そして高らかに笑った。


 ご機嫌よう。そして永久にさようなら。


 フランヴェルジュは見向きもしなかった。

 扉の音がする。開いて、閉じる。

 そしてそこにはもうレーノックスはいなかった。


 毒を早期に抜こうとすればリスクも高い。

 その事など、フランヴェルジュはしっかり忘れていた。

 平等で我慢強く、罰する前に反省の機会を与える王、それが今までのフランヴェルジュだった。

 だから家臣達はその豹変振りが怖い。


 今までレーノックスが何を言おうと、笑い飛ばすなりしてその場を和ませていた王らしく、なかった。


 この場にいる者にとってフランヴェルジュは人ではなく国を動かす為の礎でしかない。

 義妹と弟の事を思い心が痛くて堪らない二十二の、若い経験不足なただの人間とみている者は殆どいない。


「葬儀の席次を決めよう。幸いな事に祝いに駆けつけた各国の貴賓達は殆どがメルローアに残ってくれている。エスメラルダには王妃の席を。王弟妃の死の直後ゆえ、今すぐ華燭の典のやり直しをするつもりはない。だが、式はやり直す。異存があるなら申してみよ」


 じっと、フランヴェルジュは回りを見回した。唇の微笑が余りに妖艶で恐ろしさが増す。


 ああ、面倒臭い、そうフランヴェルジュは思った。今までならブランシールがまとめておいてくれたのに、と、せん無い事を思い溜息が止まらない。


 だが、がんじがらめに縛りつけられているも同然で此処にいる事を求められるのなら、戦うしかない。そして彼は少しでもレーシアーナを丁寧に弔うことが出来るようにと、意識を集中させ、没頭する

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