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エスメラルダ  作者: 古都里
第1章 王はただ一人を追い求める
35/93

35 あなたにのこす ことのは

 『白華の間』に向かう宰相レーノックスの顔は柔らかな笑みを湛えている。


 善人にしか見えない老人、白い髪を後ろでまとめ、整えられた口髭と顎鬚を持つ、かつては美丈夫であった事が容易に想像出来る男、それがレーノックスだった。


 しかし、レイリエに狂い、彼女に触れる事を最大の喜びとしていたレーノックスは、本当は憤懣やるかたない。

 優しい笑みをはいた唇が微かに震えてはいるが、口髭に隠されており、幸いにも人目にはつかなかった。


 本当に王妃様に相応しいのはレイリエ様であるというのに。


 それがレーノックスの想い。

 レイリエがメルローア滞在中、何度も目どおりを願い出、それは許可された。

 異国での暮らしは寂しいと、よよと涙を浮かばせるレイリエが、噂通りに愛の為にメルローアを出奔したとはレーノックスには考えられなかった。


『お前と会えないのが何よりも寂しい事です』


 そのレイリエの言葉はまさしく麻薬のように、レーノックスを酩酊させる。

 人の妻、しかも隣国の王太子妃となってしまったレイリエ。

 しかし、彼女に本当に相応しいのはメルローアの玉座だとレーノックスは思ってしまう。


 もう、それは叶わぬ夢だ。

 既にレイリエはファトナムールの王太子妃なのだから。

 それでも、いや、だからこそ、レーノックスはエスメラルダが憎い。


 エスメラルダさえいなければ、レイリエは幸せだったはずなのに。

 エスメラルダさえ。


 レイリエがこの国に君臨する事が叶わないのであれば、レイリエを泣かせたエスメラルダだけでも、せめて、貶めてやりたいと思う。

 レーノックスはその機会を淡々と待つであろう。

 だが、宰相として、今日の華燭の典を成功させなくてはならないことも解っている。

 複雑な気分であったが致し方ない。


 神殿の廊下を、沢山の足音がこだまする。

 レーノックスの後ろには高位の文官達が続く。その数二十名。


 武官達は一足先に将軍に引き連れられ、『紅華の間』のフランヴェルジュを訪ねている筈だ。

 それが婚姻のしきたりなのだから。


 花嫁に額づく文官、花婿に額づく武官。


 忠誠心などもってはいないが、レーノックスは仕方なく従うまでだ。

 宰相という地位はレイリエが彼に与えたもの。だから守らなくてはならないと、レーノックスは深呼吸した。


 そして、大きな大きな扉の前に辿り着く。

 白い大理石の重い扉は、花の彫刻が施されており、大変美しい。


 扉の前に立っていた二人の巫女が、レーノックスと彼が率いる文官達に頭を下げた。

 レーノックスは慇懃に彼女らを見やり、そして軽く頭を下げる。


 此処は神殿。彼女達のテリトリー。


「目通り願い奉らん! 未来の国母たる御方、玉座に昇られる乙女よ、扉を開けたまへ!! 我らは筆を持ってメルローアを支える者共にあれば!!」


 朗々とした声を、レーノックスは張り上げた。

 扉はすぐに開けられた。

 重たいはずの扉は、しかし、音も立てずに開きそして。


「「おおお」」


 レーノックスの後ろに控える者達が声を上げた。

 レーノックスは扉の前で立ち止まり、そして慌てて入室する。


「失礼致します、麗しき我等が王の花嫁よ」


 口上を先に述べてから入室するのが礼儀。

 だが、『白華の間』の中央にある椅子に座り、膝の上で上品に小さな手を重ね合わせて微笑む花嫁は、恐ろしいまでに美しく、しきたりなどが思わず頭の中から吹っ飛んでしまうほどだった。


 レイリエ以外の女に、目を留めたことなかったレーノックスですら、その目を奪われた、その美貌。

 否、美貌などと言う言葉で片付けてはならない。

 そんな平坦な言葉で表しきれるものではない、何か。

 それは、レイリエがその生涯において決して纏った事のないナニかが齎したもの。

 愛するものに求められるという、幸福。


 それは至福といって構わない。


 それにはレーノックスの理性は気づかない。気づきたくないから気づかない。

 だが彼の本能は気づいていて、より一層彼女への憎悪を募らせる。


 部屋にいたのは今日の花嫁であるエスメラルダと、彼女の侍女マーグ、そして巫女達であった。

 エスメラルダは、純白の衣装を身に付けていた。

 花嫁衣裳が純白であるのは、スゥ大陸では何処も同じである。

 玉座に近く、けれどそこに座すことをしない王弟や王子達の妃は王妃、王太子妃への遠慮を示し白に近いけれど白ではない色を選ぶことはままあるが、やはり花嫁衣装と呼ばれるものは白が基本だ。


 しかしメルローアの王妃となる娘の花嫁衣裳は、少し変わっている。その宝飾品は真珠のみ。しかしその真珠の豪奢さときたら!!

 メルローアの王妃、王太子妃の婚姻に使われる真珠は、その量、質ともに恐るべきもので一国が買えるとさえ言われている。


 ベールの影から、エスメラルダは薄く微笑んだ。


「宰相閣下、わざわざの奏上、有難うございます」


 果実のように熟れた唇が言葉を紡ぐ。たっぷりと蜜が塗られた唇の艶かしさは、清楚な花嫁姿を良い意味で裏切っている。

 薔薇色の頬に影を落としていた、長い睫毛が重たげに持ち上げられ、どんな宝石よりも鮮やかな緑の瞳が、きらきらと輝く。


「文官の皆様も、本日の為にお集まり下さり、有難うございます」


 惚けたようにエスメラルダを見ていた文官達ははっと居住まいを正した。


 彼らは皆高位の文官であり国王とも口をきく。

 だが、王妃となる花嫁が、婚儀の朝に文官達に礼を述べたと言う例は、たったの二件しかなかった。

 始祖王バルザの妃ディケナと、先代の王レンドルの妃アユリカナ。


 その他の花嫁達は緊張ゆえに、もしくは傲慢さゆえに、行き過ぎた慎み故に、その他様々な理由の為に、わざわざしきたりに過ぎぬ文官達の礼に言葉を返す事はしなかったのだ。


 レーノックス以外の文官達は揃って思った。

 彼女こそこの国の玉座に相応しい、と。


 エスメラルダには醜聞があった。

 しかしそれがなんであろう?


 マーグも巫女達も一言も発せず、花嫁と文官達を交互に見ていた。


 花嫁は立ち上がる。


 そして、一歩、前に出た。


 ふわりと、ヴェールが揺れる。額の上に一つだけ残した小さなカールがはねる。

 白いキッドの長手袋に包まれた手が優雅に動いた。

 その左手は彼女の豊かな胸元に当てられた。

 ローブデコルテのドレスから覗く肌は乳の様に白く、蜘蛛の巣のように繊細に編まれた真珠のネックレスが、青白く見えてしまう。

 その右手はドレスのスカートを持ち上げた。

 花嫁衣裳は上から見たときにまるで薔薇が花開いたかのように見えるよう、スカート部分が何段も重ねられており、その縁取りに小粒真珠があしらわれている。

 真珠の縫い取りだけでなく、極上の絹で作られているが故に重いドレスは、しかしその重みを感じさせないほど自然に持ち上げられ、そして花嫁は腰を折った。

 それは最高の礼。


「皆様、今日よりわたくしを御導き下さいますよう、至らぬ小娘ですがご鞭撻のほど宜しくお願い致します」


「お顔をお上げ下さい!!」


「エスメラルダ様!!」


 レーノックスもその他の文官達も慌てて声を上げた。


「「エスメラルダ様!!」」


 エスメラルダはゆっくりと頭を上げる。

 唇は完璧な微笑を湛えたまま。


「生涯の忠誠を!」


 一人の文官が叫ぶと、レーノックスの背後からまろびでて、エスメラルダの影が落ちる床に口を付けた。

 それは衝動的なもの。

 だが、それ故に抑えられないもの。

 一人、また一人と、文官達が続く。

 そして気づけばレーノックス以外の誰もが、床に額を擦りつけ、花嫁の影に口を付けた。


 レーノックスは恐ろしいと思う。


 フランヴェルジュ様と同じだ。


 それが見抜けるほどに、レーノックスは頭が良い。

 天性のカリスマ、そしてそれだけに頼らぬ謙虚な態度。

 それは決して媚から出ているものではない。

 媚から出ているものならば人々は影で嘲笑しながら頭を垂れるだけに過ぎないであろう。

 エスメラルダは、何時の間にか君臨している。それなのに、あくまで謙虚である姿勢。


『あの女は恐ろしい女よ』


 頭の中で響くレイリエの声を聞きながら、レーノックスは花嫁の左手の甲に口づけた。




◆◆◆

 文官達に導かれながら、エスメラルダは神殿の廊下を辿った。

 はやく『誓句の間』と呼ばれるところに辿り着きたかった。

 そこは婚姻を寿ことほぐためだけに使われる場所。

 神々に誓いの言葉を述べる為に使う、神殿の心臓部。

 そこに人々が集っているのがエスメラルダにも気配でつたわる。

 熱狂的な歓声が聞こえるのだ。

 

 フランヴェルジュ様の演説、聞きたかったわ。

 

 エスメラルダは一寸不満だ。


 フランヴェルジュの言う惚気話は花嫁がその支度を行う間に済まされる為に、エスメラルダは聞くことが出来ない。


 でもいいわ。あとでレーシアーナに教えてもらうから。


 そう考えて、エスメラルダは持ち上げた唇の端を、微かに震わせた。

 

 本当は足が震えそうだ。

 怖くないわけではない。

 今日で全てが決まってしまう。


 今日から自分は王妃となり、フランヴェルジュを支え、メルローアを支える事になる。

 金で子爵位を買った父を持ち、その父すらとうに泉下の人となり久しい平民の娘が、望まれて王の隣に座す。


 そのプレッシャーは、十七歳の娘であるエスメラルダに、重くないはずがなかった。

 だが、レーシアーナの事を考えると、何とか笑えるのだ。


 彼女と姉妹になれる。

 それはとても大きな喜びであった。


 フランヴェルジュのものになれるのも嬉しい。だがその喜びには責任が付きまとう。

 レーシアーナと姉妹になることにはなんの責任も付随してこない。

 だから純粋に嬉しいだけだ。


 彼女から、今朝、手紙が届いた。

 真紅の薔薇の蕾の花束に添えられた手紙。


 その薔薇は馥郁たる芳香を放ち、肉厚の花弁には露が浮かんでいた。

 棘が全て取り除かれたその薔薇に添えられた手紙には、優しい言葉が添えられていた。


『親愛なるエスメラルダへ。


お友達として最後の手紙を送ります。

いつでもわたくしは貴女の側にいるという事を忘れないでね。

例え貴女が玉座に昇ろうとも変わらない。

わたくしは永遠に貴女を愛し続けるわ。

どんな苦難があろうとも、どんな悲しみがあろうとも、わたくしから貴女への愛を忘れないで。

貴女を愛している事はわたくしの誇り。

ずっと心を添わせるわ。

だから、恐れないで。


貴女のレーシアーナより』


『お友達として最後の』……そう、今日からは『姉妹』なのだから。

 きっとわたくしとレーシアーナは血よりも濃い絆で結ばれているわ。


 エスメラルダは温かい気持ちがこみ上げてくるのを抑えることが出来ない。

 レーシアーナが妹になっても、手紙は書き続けよう。


 フランヴェルジュという存在を置けば何より愛しい存在を思うと、段々楽しくなってきた。

 緊張を、エスメラルダは忘れる。


 今日のドレスは本当に素敵。


 神殿での誓いに用いられる、このドレスを選んだエスメラルダにとっての大事な人達に、その衣装を披露するのも楽しみである。

 皆がエスメラルダを驚かせたいと言ってデザインを決して教えようとせず試着すらさせようとしなかったこの花嫁衣裳、所謂ウェディングドレスは本当に美しくかった。何をどうすればエスメラルダという娘がより美しく見えるかを知り尽くした上でのデザイン、ここに至るのにはエスメラルダへの愛情と理解が絶対的に必要だ。

 ドレスを仕立てたフォビアナも勿論功績者だが、今日エスメラルダがこれほど美しいドレスを身に纏えたのはこれから夫になる男と義妹になる娘、義母になる女性ひとがエスメラルダをとても強く想ってくれているからだと、そう考えると本当に幸せだった。


 一つ言うのならば真珠の縫い付けられた小さな靴が重いのが難点だけれども。

 でもドレス自体の重さはそう気にならない。

 この重さのお陰でトレインが自然に裾を広げるのだ。


 それにしても、まだかしら?


 声はどんどん近くなってくる。

 エスメラルダの興奮も、どんどん高まる。

 さっきまで不安だったのに、今は楽しみ。


 アシュレがエスメラルダに注ぎ込んだ言葉が、彼女の頭をよぎる。

 泰然とあれ、エスメラルダ、そして───。



 そして全てを魅了せよ。



 一番先頭に立ってエスメラルダを導く宰相がエスメラルダに良い感情を持っていない事など、カスラからとっくの昔に報告を受けている。

 彼がレイリエを愛している事も、知っている。

 将来的には敵になるであろう事も。


 だが、今日は彼も含めて全てを魅了するのだ。出来る事ならば、全国民をも、各国の貴賓全てをも、虜にしてみせよう!!


 総てはフランヴェルジュという王に相応しくあるために。

 



◆◆◆

 花嫁が準備の大詰めにとりかかろうという頃、先んじて武官達に連れられて『誓句の間』についたフランヴェルジュは、すぐさま、今日の喜びを表現してみせた。

 後世の歴史に、吟遊詩人もかくやと言わしめた、フランヴェルジュ一世一代の大演説であった。

 聞いている者がこのように愛したい、愛されたいと思う演説。妬みや嫉みを産まず、強い共感だけを呼び起こしたその様は見事と言えよう。


 ただ、今まで必要に迫られて行った演説という物は全て綺麗に一言一句違えることなく暗記しているフランヴェルジュであったが、浮かれ切っているのか口から出た端からその言葉を忘れていく。

 仕方がないのかもしれない。

 今まで行ったそれは王として行ったそれ。

 花嫁への惚気というのは、確かに王だから求められたそれではあるが、言っている事は全部男としての自分の気持ちが先立つもの。

 延々と、書類にまとめられて後世に残される公的なものでありながら、ある意味何処までも私的なものと言えるかもしれない。


 そして、控えに下がって、フランヴェルジュは待つ。花嫁の訪れを。


 『誓句の間』の舞台の上では、様々な人間が控えていたが、舞台の下、貴賓席にも様々な国からの使者がつめかけ、吃驚するような縁談や、普通では考えられないような政治協定が結ばれていたりした。

 それらに、フランヴェルジュも、アユリカナとバジリルも、間諜を放ってある。エスメラルダもそうであった。神殿内での事柄にカスラは干渉できないといったが、今日この時ばかりは、結界が解かれて開放されているこの場所に忍び込む事は出来ない事ではなかった。

 尤も、今日の夜明けまではカスラの一族もフランヴェルジュの間諜も神殿に足を踏み入れる事叶わなかったのであるが。

 他の国もそれぞれに間諜を忍ばせているだろう。


 婚姻とは何が起きるか(・・・・・・・・・・)解らない物(・・・・・)なのだから。


 フランヴェルジュはぼんやりと待つ。

 磨き上げられたの椅子は、材料こそただの胡桃であるがその彫刻は一級のもの。

 その彫刻に何とはなしにフランヴェルジュは指を添わせ、弄ぶ。


 無意識の行動。心は既に此処にない。


 使者同士の席次などを考え、繰り広げられている会話を想像して楽しむ事が、ブランシールの婚礼の時には出来たのだ。

 だが、今のフランヴェルジュにはそんな器用な芸当が出来そうになかった。


 そんなフランヴェルジュはやはり白い衣装に身を包んでいる。

 花嫁と違い、装飾をダイヤでまとめるのが婚礼のしきたりだった。

 王冠にあしらわれた宝石は元々ダイヤ。それ故の決まりごとなのかもしれないがフランヴェルジュは自分の格好などどうでも良かった。


 君主として恥ずかしくない格好であるとだけ解っていれば良い。


 そんな兄を見るブランシールの目は悲しみに満ちている。

 その悲しみの理由を兄は永久に知る事がないのだと思うと、胸が痛くてたまらなかった。


 痛い、痛い、痛い。


 だけれども、ブランシールは巧みに心を押し隠す。今のフランヴェルジュなら、ブランシールが少々様子がおかしくても気づくはずはないだろうが、それでも、もし後で回想などで『結びついたら』……。


 兄上には、愛されたい。


 ブランシールはそう思うのだ。

 たとえ、それが兄弟のものであったとしても、愛されたい。


 大体、もうしかけはとめられないのだ。


 こん、こん、とノックの音がして、フランヴェルジュが顔を上げた。


「誰ぞ?」


 誰何するフランヴェルジュに答えたのは、鈴の音のようなレーシアーナの声だった。


「祝福を申し上げたく、参りました」


 ブランシールの背中を電流が走り抜けた。

 レーシアーナ!! いけない!!


「入れ」


「無礼に当たるぞ!!」


 フランヴェルジュとブランシールの声が重なる。

 レーシアーナには今の自分は見られたくないとブランシールは思うのだ。なのに。

 扉の前で、レーシアーナが戸惑う姿がブランシールには見えるようだった。


 フランヴェルジュは眉を寄せる。


「嫁しては夫に従うが妻の役目。しかし我がメルローアに生きるものである以上、最優先されるは余の命である。レーシアーナ、入室を許可する」


 フランヴェルジュがそういい、扉の前で控えている武官達に扉を開けるよう顎をしゃくる。

 なおも言い募ろうとしたブランシールを、フランヴェルジュは王者の顔で睨みつけた。


「レーシアーナの何処が無礼だ? 産褥熱が引いたばかりでまだ弱っていると言うのに、直に俺に会いに来てくれたんだぞ? ブランシール、『無礼』の意味を履き違えるな。『無礼』なのはお前だ。俺の意見も聞かず無礼と決め付けるな。何が礼儀にかなっていて何がそうでないかは俺が決めること。それをせず『無礼』と断ずる事こそ『無礼』だ」


 ブランシールはすぐに頭を下げた。


「申し訳ございませんでした、兄上」


「良い」


 フランヴェルジュが答えている間に、扉が開いた。滑るような滑らかな足取りで、レーシアーナは入室すると一礼する。供もつれずに、レーシアーナは一人で此処に来たのだ。

 最大級の敬意を込めた礼に、フランヴェルジュは手をひらひらと振った。


「よい、そなたは我が義妹ぞ。そして我が花嫁の親友。余にとっての宝なり……と思っているんだな、俺は。俺も堅苦しく喋るのはやめるからそんなに腰を曲げるな。そこの椅子に座れ。まだ体が万全ではないのだろう? すまないな。こんな日程の式で。しかもお前の大事な旦那様を昨日から独占してしまっている。……しかし美しいな、赤もよく似合う」


 すらすらと並べ立てた義兄に、レーシアーナはにっこりと笑って、腰を伸ばした。

 そして「失礼致します」と言い、フランヴェルジュの前に座る。


 ブランシールはフランヴェルジュの横に立っている。

 正直、レーシアーナは夫をまともに見ることが出来るかどうか不安だった。


 夫はまさか、自分の見ている夢までは把握してはおるまい。


 夢、そう、みな夢なら良いのに。


 だが、このやり取り自体が、レーシアーナに毎夜訪れていた夢が、正夢だと告げる。

 繰り返し見聞きしたやりとり。

 自分の答えも決まっている。


「陛下には……お義兄様には善き日、善き妃をお迎えになられますこと、お喜び申し上げまする」


 運命を変えようなどと思ってはいけない。

 自分の知っている事がフランヴェルジュにばれたら、レーシアーナの愛するもの、守りたい物は、どうなる事か想像もつかない。


 レーシアーナは何としてもブランシールを守りたかった。

 夢が現実になる、いや、未来を知ってしまった彼女は、夫と、そしてその子供を何が何でも守りたかった。


 けれど、レーシアーナは選べない。

 夫と親友を秤にかけられる筈もないのだ。どちらも心の底から愛おしいものだから。

 故にレーシアーナはこうするしか(・・・・・・)出来ない(・・・・)

 そして、ひたすら泣いて悩んで今日を迎えた彼女はもう、迷わずに進むのみ。


「有難う、レーシアーナ」


 フランヴェルジュは笑った。


「たった一言が申し上げたかったが為だけに、控えにまで押しかけて申し訳ありません」


 自分と決して目をあわそうとしないブランシールを、レーシアーナは見ないように視線をそらせた。ただ、フランヴェルジュだけを見る。


「その一言が金銀宝石よりも尊いのだ、レーシアーナ。本当に嬉しい」


 さっきまで惚けていたくせに、フランヴェルジュの舌の回り具合は大変宜しい。

 レーシアーナは笑った。


「エスメラルダはもうすぐ参りますのね」


「予定ではな。正直、何だかそわそわするな。こんな格式ばった奴ではなく、わーっと騒いで結婚完了、みたいな形だったら良かったんだがな。王妃の座に座る為が為に、戴冠も、華燭の典の後すぐに行われる予定だし、その後はパレードだ。お前達も経験済みのアレだな。その後は夜会で、それから明日は披露宴で、それから……」


 数えだすとうんざりするのを、フランヴェルジュは止められなかった。

 本当に厄介だ。


 それでも、それがエスメラルダと自分を結びつけるものならば。


 儀式も何もかもやってやろうじゃないかとフランヴェルジュは思うのだった。例えそんなものに何の価値も見出せなくとも。

 それに女性は婚礼に憧れると言う。

 それゆえ精一杯豪華に、エスメラルダを迎えたいと思うのだ。


 ファトナムールの王太子妃が嫉妬する位には、したい。そう考える自分は意地が悪いのだろうかとフランヴェルジュは思わないでもなかったが、都合の悪い事は彼は頭から消し去る能力を持っている。


 よくそれで、『考えなくてはいけない事』をブランシールに押し付けたなと、ふと、フランヴェルジュは思った。


 しかし、今更そのことについて詫びたり礼を言ったりするのも気恥ずかしい。


「お義兄様」


 レーシアーナが呼びながら微笑んだ。

 優しい優しいその笑みを、フランヴェルジュは生涯忘れないだろう。


「エスメラルダのお友達としての御願い事を聞いてくださいますか?」


「なんだ?」


 問い返すフランヴェルジュの目を、レーシアーナは真っ直ぐに見詰める。


「エスメラルダに幸福の涙以外流させない事と、エスメラルダより先に死なない事です」


 『死』という言葉にブランシールは戦いた。


「レーシアーナ! 今日は善き……」


「あい解った」


 ブランシールの言葉を遮って、フランヴェルジュは返事をした。


「難しい願いではあるが、最善をつくそう」


「有難うございます」


 レーシアーナは礼を言いながら、夫のほうを見やった。今度は目が合った。





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