口の悪いひと
「おやおや、かわいそうな子だ。どうだい、家に来ないか」
……ハッ、かわいそう?
……随分とまぁ、上から見下されているようで。
優しそうに笑う仕立ての良い服を着た男に、心の中でそう吐き捨てた。可愛げの無いガキだった。
思えば、あの頃から何も変わっちゃいない。
金持ちと嘘つきが人間よりも嫌いな私は、何の皮肉か、気まぐれで公爵に拾われた。
あれからもう、十年は経つ。
……叶うなら、昔に戻りたい。
……全てを忘れて、死んでしまいたい。
今の世界は、そんな逃げさえ許されないほど辛くて、ほんのり甘く、それ以上に苦い。
✡✡
「今日も、良かった。………愛してる、愛してるよ」
「………ありがとう、ございます」
まず服を着ろよ。
内心で悪態をつきながら、はにかんだように笑う。
いつものことだ。
面倒にならないよう、さっさと服を着るに限る。
手伝えよとは思うけど、このボンボンにクソ重いドレスの着付けは不可能だ。
「……なぁ君も。君も僕を、愛しているだろう?」
クソくらえ。
私はあんたみたいなのが、努力よりも嫌いだよ。
「僕と結婚、してくれよ」
「………あなた様は、婚約者様がいらっしゃるでしょう」
「そんなの良い。じゃあ、妾でも良い。僕の傍にどうか……」
くどい。ウザい。
私に縋ってどうする。あんた偉いんだろ。
クジャクみたいに羽でも広げてさ、金でも巻き上げてれば良いじゃないか。
なんで私みたいな底辺に、頭なんか下げんの?
「そんなわけにはいきません。私が向こうの人間だと、忘れないで下さいませ」
「…………ッ!!」
「ではまた。ごきげんよう」
ああ愉快、痛快。
貴族の涙ほど、それも本気の涙ほど、見てて気持ちの良いものはない。
無駄に重いドレスから扇子を取り出し、口元を隠す。
護衛騎士のロバートの顔が、歪んだように感じた。
……なんだよ、嫉妬か? 羨望か?
それとも…………同情か? うっとおしい。
✡✡
「戻ったのね、貴方。じゃあ、さっさとわたくしのお茶を用意なさい」
「かしこまりました、お嬢様」
馬車で邪魔なドレスを脱ぎ去り、今は堅苦しい燕尾服に身を包み、今度はお嬢様に媚を売る。
“女”であることは色仕掛けには都合が良い。
私みたいに中性的な場合は特に。
若い少女は大抵顔やら性格やらで愉しむから、魅了するのに完全に身体が男である必要はない。
逆に青い男の場合は大抵飢えてるから、身体で魅了すればイチコロだ。性格で駄目押しすれば完璧。
だから私は、二人を婚約者に繋ぎ止めるにはうってつけなのだ。勿論この図太い性格も込みで。
私の仕事は二つ。
王子の夜伽をすること。
公爵令嬢の機嫌をとること。
やぁ簡単だ。これで三食昼寝付き。こんなに良い仕事は無い。
✡✡
「なぁお前、もう止めろよ」
「は? 何が?」
とうとうロバートが、口に出した。
前々から、そう言いたげなのは分かってた。
奴は同じ地域の同じ孤児で、物心つく前からの腐れ縁だ。
でも、知らないふりをしてとぼけた。
「死んだ目ぇしてやってる仕事だよ。お前最近、少しも生きた感情感じねぇんだけど」
「そうかもね」
「道端でゴミ漁ってたころのがまだ楽しかった。これって、何でだよ」
「さぁ? 何で?」
「お前もう、未来を見て無いんだよ。過去に取り残されてる。みてろ、そのうち貴族みたいに薄ら笑い浮かべて、似合わねぇ宝石でも集め出すぞ」
「そりゃ良い。現実を忘れるには、没頭するのが一番だ」
「ふざけてんじゃねぇよ。目ぇ瞑ってないで、前を見ろ。せめて昔みたいに、国家征服でも夢見とけ」
「ははっ、懐かしい。どっちがふざけてんだか」
「うるせぇ……………せめてあの二人への気持ちくらい、整理つけとけ」
「そりゃ無理な話だ」
「何でだよ」
「そこをはっきりさせた日にゃ、私は狂って廃人になるよ? あの人の駒で居続けるには、諦めて流されるのが一番だ」
「何でそこまでして…………」
「公爵に付くかって? 簡単だ」
ここまで、命を削るような真似をする理由なんて、一つしかない。
「楽しいからだよ」
ほら、私はもう狂っている。
ロバートはやはり、顔を歪めていて、……私はそれが、堪らなく愛しく感じるのだから。
確かに辛いよ。苦しいし、逃げたい。
でも、この上なく甘美なご褒美もあるんだよ。
何も考えなければ、楽しい人間の泥沼が見られる。
その中に私がいることが、ああ、可笑しくて堪らない。
ほら、私みたいな人種に限っては、刹那的なのも悪くない。