この世の沙汰、地獄の慈悲
「ありがとう」
天蓋に座っている女性の言葉に楓は顔をあげる。背にある八つの尾を揺らしながら女性は口元に笑みを浮かべている。そんな姿に楓も眩しいものを見るように目を細め笑みを浮かべる。
「いいえ……もう、いいのですか?」
女性はそれに応えることなく、ただたくさんの尾を揺らすだけだった。
楓の身体を使いこの女性がしたことといえばあの少年に歌を歌ったことだけだった。どうしようもないくらい焦がれる思いでそれでも歌う女性のその思いにどういった名前がつくのは自分にはわからない。
だからどうせならと頭を撫でるのに手をかしたのだ。少しでもその渇望を癒す手助けになればと思った。
今だからこそわかるが、きっと撫でるという考えすら思いつかなかったのだろう。
ずっと遠くからただ少年の行く末を眺めていたようだった。この女性があの少年に執着するその理由はわからない。けれども、自分が知っている中でその思いが悪いものの類でないことだけはわかった。だから少し同情したのかもしれない。
あの歌も、この世界に連れてきたのもきっとこの女性だ。このような存在を妖というものなのだろう。けれども不気味さも恐怖も不思議と湧いてこなかった。
ただ疑問が無いわけではない。
「どうして、私だったんです? 誰でも身体を借りれたでしょうに」
もうすぐこの夢も覚めるだろう。だから最後に気になっていることを聞いて置くことにする。
背で尾を揺らし、紅い唇がゆっくりと動くさまを楓はじっと眺めた。
「ひとつに、お前が女であったこと。」
「ひとつに、お前が子を愛する人間であったこと。」
「ひとつにお前が世を捨てた人間であったこと。」
「ひとつに、お前が咎人であったこと。」
「ひとつに、お前の罪が私の力と同種だったこと。」
「ひとつにお前の罪の重さが私の今持つ力と同格であったこと。」
「最後に、七つの条件を満たしていること。
それがお前だった答えだ」
「……そっか」
老若男女かわるがわる別の声で告げられる言葉に楓はゆっくりと頷くと言葉を漏らす。相応の理由はあったんだなと納得する。
自分の生きてきた道はどうしようもないくらい泥だらけの道だったように思う。歩くほどに重い泥に身体が悲鳴をあげていた。かといって立ち止まっても泥の中に沈んでいく。
誰もが軽蔑し、嫌悪する生き方だった。その選択しかなかったとしてもいくつの罪を重ねて来たのだろう。今となっては考えるのもおぞましい。
けれどもこの孤独だが愛情深い妖怪にとって都合が良かったならそれも悪い道ではなかったのかもしれない。
「あの世では穏やかに過ごせているのだろう。ならば、私の尾をそのまま憑けていてやろう。お前の罪は重すぎる」
意味はよくわからず、首をかしげてしまう。けれども悪いようにはしないということだろう。女性がクスリと笑ったような気がするが口元はずっと弧をえがいたので気のせいかもしれない。
「ねんねころりよ、おころりよ」
歌が聞こえる。もうどこから聞こえているのか、誰が歌っているのかわからなくても怖いとは思わない。これがあの少年を思うため歌われていた優しいものだと知ったからだ。
視界がかすみ、意識が遠のいていく。ここから目覚めるのだとわかった。
この女性ともきっとお別れだ。
「……おやすみなさい」
なんと別れの言葉をかければいいか少し迷ったが、目を瞑ると自然と口から零れていた。
「あぁ、良い夢を。そして願わくば、私の『このこ』をよろしく頼むよ」
最後に聞こえた言葉が妙に頭にこべりついた。
目を開けると見慣れた木目の天井がぼんやりと見える。ゆっくりと瞬きをすると決して悲しいわけじゃないのに何故か涙が頬を伝っていった。
ゆっくりと呼吸をし、腕を目元に置く。頭はぼんやりとするが夢のことも少年とのこともきちんと記憶に残っている。
体を起こしぐっと伸びをすると少し頭がスッキリとする。見た限りで外は薄紫にほんのり明るく色付き出している。朝焼けか夕暮れかわからないがあれから随分と眠っていたようだ。
外をぼんやり眺めながらぼんやり思う。ここが夢か現かなんてわからない。ただ地獄と思うには優しさが溢れているようには思えた。
炭火の暑さに顔を顰めつつ厨房に立ち注文された団子を楓は焼いていく。焼き加減に気をつけつつ今度、新しい味の提案してみようかとぼんやり考える。
「いらっしゃいませ」
「あれぇ、彼もう体調大丈夫なの?」
「もう少し休むようにとは伝えているんですが……」
自分のことを話しているとわかり楓は顔を上げる。出入口で初花と常連の若い男が話し込んでいた。すると初花がこちらに顔を向けようとしたので楓は咄嗟に顔を下げる。
またもう少し休めと言われてしまっては困るので話は聞こえてないふりをし、団子を焼くことに集中する。
楓が夢から目覚めた日は少年との事があってから二日経った朝だった。想像していた以上に時間が経っていたようで初花にも随分と心配をかけていたようだった。特に体調に異変はなかったのだが何かあってはいけないと1日安静にしているように初花から言われ、実に三日ぶりのお店の手伝いだ。
「さぁ。中にどうぞ……あら……貴方は……。かえちゃん、かえちゃん!」
焼き上がった団子をタレに絡めたところでちょうど初花に名を呼ばれる。仕方なしに顔をあげたところで楓は思ってもみなかった人物に目を見開く。
若い常連の男の背に隠れるように立っていたのはあの時の少年だった。相変わらず庶民的だが質のいい着物を着ているのと、子供とは思えないほど理知的な目をしていて妙に浮いている。
「かえちゃん、休憩入っちゃいなよ」
今日何度目かのその言葉に楓は拒否することなく今度は頷いて答えた。