知らぬ仏より馴染みの鬼
炭火が燃える網の上には串団子が並ぶ。火の近くでいることで必然と感じる熱さに耐え、団子から目は離さない。醤油が三つと、みたらしが五つ、頭の中で注文を確認しながら頃合になったものからひっくり返していく。
注文の数、ほんのり焦げ目がついた面に醤油を塗っていけば滴り落ちた醤油の焼ける香ばしい匂いが辺りに立ち込める。残りは素焼きのままで片面を焼いていく。
都から少し離れた街道筋に構えるこの団子屋は主に旅の者と、この近くの農業を生業としている村の者が一時の休息として利用する場所だ。
川岸で拾われて三月ほど経つ。行く当てもない自分を受け入れてくれたのは初花というこの店の店主だ。初めに川岸で自分を拾ってくれた少女その人だった。
世話になる代わりに楓が店を手伝うことを申し込んだのは当然のことだった。異世界なのかタイムトリップというものなのかはわからない。どちらにしろ此処がこれまで住んでいた世界と違うということだけは事実だった。
幸い拾い主がとても親切だったおかげで衣食住にこまることもない。初めは生活そのものになれることで手一杯だったが今はなんとか店の手伝いもできるようになった。貢献まではいかずとも邪魔にはならずに済んでいるかもしれない。
店で売っている団子は竹串に5個団子を刺した串団子だ。売っている団子は3種類、素焼きに、醤油、みたらしだ。
少し焼き目をつけた団子は香ばしくそこに塩をかければそれだけでも充分美味しいが、醤油を塗れば香ばしい香りが更に食欲を誘う。そして最近始めることができたみたらしは甘味が少ないらしいここでは随分と人気だ。
焼き上がった醤油団子を皿の上に載せる。残りの素焼きは別置きの壺に入っているみたらしのタレに潜らせた後皿へと載せる。
「できたよ、初花ちゃん」
「はーい! あっ、お団子3本追加で!」
ひょっこりと顔を出したかと思えば初花が三枚の皿を盆に載せそのまま持っていく。そんな姿を調理場から楓は見送るとまた団子を焼いていく。火の熱気に当てられながら団子が焦げ過ぎないように目を離さず、火加減の調整も行う。
なかなか食べれない甘い甘味を売っているからかわざわざ街から来る客もいるようだ。おかげで毎日忙しいものだ。
「かえちゃん、それ焼けたら休憩してね!」
聞こえた声に一瞬目線を向ければ初花がカウンターから顔を覗かせていた。そんな姿が妙に可愛くて楓は視線を団子に戻しながら笑みを浮かべる。
「ありがとうございます……あっ、この団子の注文はなんですか?」
急いでいたからか注文内容を聞いていなかったと団子を見ながら思い出す。醤油だったらそろそろ塗っておいた方がいい。
「ふふ、好きなのでいいよ」
「……へ?」
「休憩しながら食べていいから」
思わず顔を上げると柔らかく微笑んでいる初花と目が合う。その時々見せる大人びた笑みに楓が少々見惚れているうちに初花は空いた縁台の上を片付けに行ってしまう。
それをぼんやりと見送った後でようやく言葉の意味が頭に入ってきた。楓が視線を団子に戻すと少々焼きすぎている団子が目に入る。けれどもそんなことは気にせず嬉しさから自然と浮かぶ笑みをそのままに楓は団子のひとつに醤油を塗り、更にひとつにはみたらしを潜らせ、残った最後のには軽く塩をまぶすと皿へ移す。
そして上機嫌なまま3種類味の違う団子の乗った皿を持つと外に置かれている縁台のひとつに腰掛ける。
頭に巻いていた手ぬぐいを解くと同時に汗を拭う。落ちてきた髪をかき上げると近くから甲高い歓声が上がる。
思わず視線を向ければ村から食べに来てくれた女性陣が熱い視線を向けてくれていた。それに応えるように楓は薄らと微笑む。
また上がった甲高い声に今度は苦笑を漏らすとひとつ団子を手に取り食べていく。
この世界の者たちはみんな随分と小柄だ。女性は皆、160少しの自分より頭ひとつ分は小さい。男性でも自分の方が高いくらいだ。
おかげで女性物の着物が合わずこの団子屋でもう1人居候している千という男の物を着るしかなかった。幸い彼はこの世界では珍しく自分よりも大きな身長だった為多少裾を合わせる程度で済んだ。
そして着物というのは妙に体型が分かりずらくなることと、この世界では高身長という分類に入るからか男の人と勘違いされてしまうようになってしまった。
それに自分の顔立ちはここでは妙に色っぽく映るらしく 随分と女性受けがいい。
男と勘違いされていて別段困ることもないからそのまま誤解を解かずにいるのが現状だ。むしろ勘違いされている方が気持ち的に楽だと楓は思った。
団子を1本食べ終わる頃には女性達は別の話に移っていた。いつの時代も、どの世界もコロコロと女性の話が変わるのは同じようだ。
「昨日の満月は凄かったわね。大きさもそうだけど何よりも色よ。あんな真っ赤な月……ちょっと不気味ね……」
「何言ってんの。あれは五行の修練が無事に終わった合図じゃない」
昨日は少し調子が悪くて寝込んでいたが、赤い月が出ていたのか。それにしても五行の修練といえば少し前にもお客の話題に上っていた単語だ。確か陰陽師という偉い神職の者が行う修行のことだったはずだ。それがどうにもここ最近行われることで人々の間で話題になっていたようだ。
この世界に来て数ヶ月、いまだわからないことが多くこの五行の修練も何故あそこまで話題にあがるのか、楓はよくわからないでいた。
「それにあの月が出たらしばらくは妖も姿を潜めるっていうし」
時々この世界では妖という単語が人々の口から出てくる。おそらく病や災害の比喩として使われているのだろう。それらを避け、防ぐことを生業としているのが陰陽師だとされているらしい。
あくまで人の話を聞きかじった程度の知識を組み合わせて推測したものだ。どこまであっているかもわからない。ただよく物語などで出てくる妖がいるとは想像もできなければ、実際にこの世界で見たこともない。
そんなことを思いながら楓が団子を食べていた時だった。
「きゃぁ!?」
甲高い悲鳴が店の中から聞こえ一瞬団子を喉につまらせそうになる。それがよく聞くお客の色めきだったものとは違い初花のもので驚いたのだ。
飲み物を用意し忘れ団子を流し込むことも出来ず、半分喉に詰まらせたまま慌てて店の中に駆け込む。すると顔を赤くしながら困ったように手で後ろを抑える初花とどこか楽しそうに笑い声を上げ、小上がりの座敷に腰掛けている男性客の姿があった。
その様子からだいたいのことを楓は察する。ふつふつと怒りが湧き上がるが気持ちを抑え初花の側に行き背後せに隠す。冷やかに見下ろせば、どこか怯えた様子を見せながらも男は引きつった笑みを浮かべて見上げてくる。
「な、なんだよ兄ちゃん。ちょっとしたおふざけじゃねぇか」
きっとされている側の気持ちなんて考えてもいないのだろうセリフに怒りのまま拳を握りしめる。そのふざけた理由と気持ちが下劣な行為を許容する理由になると思っているのだろうか。
「かえちゃん、大丈夫だから」
後ろでそっと囁かれる言葉に怒りに震える拳をどうすることもできずにただ男を睨むことしかできない。
ここで迂闊な行動に出れば初花に迷惑をかけてしまう。身分という区別のせいで相手の立場が高ければこちらの首が飛ぶのが当たり前な世界だ。この男がどういったものかはわからないがこの怒りをそのままぶつけることもできない。
そんなことを思っているとカタカタと音を立て店の奥の戸が開く。ハッとなり視線を向ければ大柄な男が戸の上枠に頭をぶつけなよう屈みながら潜るとこちらへと近づいてくる。
「千さん!?」
初花が驚いたように男の名を呼ぶ。しかし千さんの方はそんな初花を一瞥しただけで客の男へと視線を向ける。
その瞬間、男が息を飲んだのが楓にはわかった。
この世界では高身長に入る自分でも見上げなければならないほどの身長、鍛えているとわかる筋肉のついた体つきはただ側に立っているだけでも凄まじい威圧を感じる。そしてただでさえ強面の顔半分を真っ二つにでも割るかのような大きな傷跡は誰が見ても彼を普通の人間と捉えるものはいないだろうと楓は思っている。
男を見下ろす瞳を千さんが細めた。たったそれだけのことで男が情けない悲鳴を小さくあげる。
「あッ、こ、れは少し長居し過ぎたみてェだ……おりゃあ、ここいらで失礼するぜ!」
引きつった表情のまま銅銭を座敷に置くと男は慌てたように席を立つ。そして足をもつれさせながら慌てて店から飛び出して行った。
銅銭を拾いながら楓はひとつため息を零す。何もできなかった情けなさと大事にならずにすんだ安易、それに恐怖に怯えながらも代金ピッタリ置いていった客の金銭感覚への呆れが胸に広がる。
「ありがとうございます、千さん。でも、ごめんなさい。体調も良くないのに無理させてしまって……」
昨日から体調を崩し寝込んでいた千さんは今も顔色が悪い。初花が背伸びをして熱を確かめるためか千さんのおでこに手を当てている。
「熱はだいぶ下がったみたいですね、よかった……」
ほっと安堵したように息を吐き出す初花の姿を千さんがほんの一瞬目元を細め見下ろす。その一瞬、先程までの剣呑さがなりを潜めて途端に柔らかい雰囲気になった。目線を逸らしていた初花は目の当たりにしなかったが、楓は見逃さなかった。
ときどき見る千さんの表情や初花の千さんへの対応でなんとなく気づくものはある。ただ、同じ屋根の下にいても二人は恋仲ではないらしい。踏み出さないだけかそれとも訳ありかはわからない。焦れったいと感じはするが他人の色恋沙汰に介入するのは野暮というものだ。
「いいところ取られちゃったねぇ」
銭を仕舞いに行こうとしたところで声をかけられる。ニヤニヤとからかう様な笑みを浮かべているのはここの常連の若い男だ。細く開いているのかさえ怪しい目はどこかきつい印象を持つが柔らかい声色と緩い言動のせいか不思議と見た目ほど悪い印象はない。
「むしろ、いいところで来てくれたなとしか思えないですね」
肩を竦ませながら楓は言葉返す。「ふーん」と気のない返事をすると男は団子を一切れ齧り初花たちの方を見た。楓も釣られるように見ればどうやら千さんはこのまま仕事に出ていることにしたようだ。初花は止めているようだが千さんとしては心配で安心して休んでられないのだろう。
「ねぇ、あの二人でなんか気になることってない?」
「気になるって……今目の前で繰り広げられていることですか?」
どことのく小声で尋ねられた事に思わず呆れ声で聞き返してしまう。あの状態に対しての当て付けの言葉だというのならばあまりにも今更すぎる。ここの常連ならよほど鈍感でもない限り感じていることだ。
そう思いながら横目で男を見ると存外真面目な顔で二人を見ていて楓は目を見開く。冷やかしの意味で言ったわけではないことを一瞬で理解する。
ならばこの男は2人の何を知りたいのだろうか。そんなことを思いながら眺めていれば男が気づきいつもの笑みを浮かべる。
「あそこまで行くと気になるというより、こっちのことも気にしてって思っちゃうよね」
「……なんとかは盲目と言いますし」
「えー、なにそれ」
ニコニコと笑う男に先程の生真面目な様子は見られない。ただ世間話に花を咲かせる客の一人だ。妙に引っ掛かりを覚えたのは自分の気にしすぎなのかもしれない。ただ話の返しを自分が間違えただけだろう。
「あっ、そうだ、ここってお団子お持ち帰りできる?」
「できますよ。そういえば今日はいつも一緒の方がいないんですね」
「そうそう、旦那今日は忙しくって。それで土産頼まれたの」
いつももう一人少し歳のいった男と店に来てくれるのだが、相方はどうやら忙しいらしい。
追加注文の団子を焼くために厨房に入る。その時店の奥に入っていく千さんと初花を視界に捉える。千さんはいつも店の奥に入り作業をしている。表で働くには少々見た目が怖いためいつも裏で生地やタレを作っている。
気になるところが無いわけではない。顔の傷や鍛えているだろう体つきからしてもだが、千さんはきっと訳ありだ。それに千さんは言葉も話せないようだ。
耳は聞こえるようでこちらの言っていることはわかるようだが声を出せない。先天性なのか後天的なのかはわからない。
正直気になることだらけだ。
けれどもそれを探ろうとも思わないし、男に伝える必要もきっとないだろう。
どんなものを抱えていようと千さんがいい人だというのは短い時間でも共に過ごした中でわかっているつもりだ。
焼き上がった団子にタレを付けた後それを笹の葉で包む。最後に崩れないように藁で葉の上から結ぶ。
出来上がったものを男に渡せば愛嬌のある笑みを浮かべてお礼が返ってきた。それに応えるように楓も笑みを浮かべて男を見送った。
そう、それ以上の事実を知る必要はきっとない。