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行きのみ、帰りはない

『通りゃんせ、通りゃんせ』



 歌が聞こえる。誰が歌ってるのかはわからない。透き通る声は女にも思えるが、低い音は男にも聞こえる。けれども甲高い声はまるで子供のようだった。


 幼い頃によく歌い遊んだ記憶がある歌だ。けれどもどんな遊びだったかはもう覚えていなかった。


 人通りもない真夜中の街道を歩くにあたって聞こえてくるにはずいぶんと不気味に思える。いや、本来なら歌そのものが聞こえること自体今の時間はおかしいのだろう。 それまでゆっくりとだが歩いていた足を止め楓はあたりを見回す。道を照らす街灯が点滅しているのが妙に気になるが、やはりあたりに人気ひとけはなかった。


『こぉこは、どぉこの細道じゃ―― 』



 歌が聞こえる。大きくはないのに耳につくその声はどこから聞こえているのか。


『てんじんさまの、ほそみちじゃ』


 耳を澄ましてみるがよくわからなかった。どこからも聞こえているように思えるし、耳に直接吹き込まれている気もしてくる。けれども何がなんだかわからないが、恐怖は感じなかった。


 それは不気味で異常なこの現象そのものに恐怖がないのでなく、きっと自分はもう何が起ころうとどうでもいいのだろう。


 歌が流れながら、道のずっと奥の方からこちらに向かって徐々に光が消えていく。街の街灯が消えていってるのかと思ったが、違う。闇が迫り、先へと続く道を呑み込んで行っているようだ。


 どうやらとうとう頭がおかしくなったらしいと、楓は自身の状態を悟る。冷静なつもりであったが、そんな事はなくやはり自分はおかしかったらしい。


『このこの七つのおいわいに』


 闇は徐々に近づいてくる。おそらく自分を飲み込もうとしているのだろう。けれども、構わないと思った。 もとより何もかもに投げやりな気持ちだったのだ。それならむしろおかしなものに呑み込まれた方が案外滑稽で悪くないとさえ思う。


「この世が嫌なのでしょう?』


 突然、何かの気配と共に耳元に吹き込むように囁かれた声に弾かれたように振り返る。その瞬間、闇が体を呑み込んだ。視界が暗闇に包まれ、まるで水に沈んだように冷たさが体を包み、そして深く沈んでいく。


「罪に哀しみ、その身を投げ捨てるくらいならいっそのこと 」


 闇の中で何か聞こえてくるがあまり耳に入らず流れていく。歌とは違うことだけは理解出来た。呼吸をしようと思うがその前に眠りへと落ちるように意識が遠のいていくのがわかった。



「あの世に来ればいい」



 掠れていく視界と暗闇の中で一瞬映ったのは真っ赤な唇だ。そして最後に聞き取れた言葉から楓は思うのだ。


 あの世に誘われているのならきっとこの闇の先は地獄なのかもしれないと。 だって、人は悪いことをすると地獄に落ちるのだから。それは幼子さえ知っていることだ。だからきっと自分もそうに違いない。


「通りゃんせ、通りゃんせ」


 歌が聞こえる。頭の中に響いている歌は……一体、誰が歌っているのだろう?



 日も登りきらない朝一番に初花は川へ洗濯をしに向かっていた。たらいに入れた衣類をもち少々おぼつかない足取りで薄暗い中を進む。

 水辺周辺のため随分と寒く感じる。けれども洗濯の為に水際に近づいていくと岩とは違う物体が転がっているのに気づく。一瞬訝しみ初花は歩みを止めるとその場でじっと目を凝らす。そしてその正体がわかると息を飲み、自身の肌に鳥肌が立つのがわかった。


 薄暗い中で僅かなに見えるそれは人が倒れているものだった。 川へと捨てられたのが流れてきたのか、それともここでなにかに襲われて行き倒れたか。どちらも珍しいことではないが、良いことでないのは確かだ。

 このままにしておくわけにも行かない。それに野ざらしするのも哀れに思う。一度家に戻り村の者に伝えるため踵を返そうとしたその時だった。

 倒れていたものが微かに身じろぎ、あたりに僅かに音が響く。てっきり死んでいたと思っていたので初花は思わず体を跳ねさせる。


 それは少し身動いだ後、力尽きたかのまた動かなくなった。生きている、そうわかると足は少しずつ水辺へと近づくように動いた。危険かもしれないと思いつつも、ゆっくり、ゆっくり、音さえ立てないようにそおっと近寄っていく。 倒れている人の側まで近づくと初花はしゃがみこんで顔をのぞき込む。

 髪の長さから女性かもと思ったが、それにしては体が随分と大きいように見える。けれどもうつ伏せの中、横を向いている顔を見れば女性のようにも見えた。 その顔には口の角に傷があったり、頬が腫れていたりとひどい状態だ。何か揉め事があったのだろう。あまり関わらない方がいいかもしれない。 そうは思うのだけれど……。


「もし、しっかりして下さい」



 肩にそっと手を置き声をかける。そして気づくのだが着物は特に濡れてはいなかった。けれども随分と奇妙な着物だ。 見たこともない。思わず呼びかけるのを止めて目がいってしまう。触った感触も随分と良い。見た目は奇妙だが随分と質の良いものらしい。



「 ん、何っ……」


 すると倒れている者が声を出して動き出したものだから思わず手を跳ねるように離す。心臓も飛び出るのではと思うほど動いている。


「あ、あのっ、どうか、いたしました!?」


  急いで出した声も裏返ってしまった。初花の声に反応するようにその人もゆっくりと身体を上げる。傷が痛むのか酷くぎこちない動きだ。 身体と共にゆっくりと上がった顔と目が合う。薄暗い中ばっちりとあった瞳が二重というもので驚く。 あまりいないことで有名だったからだ。

 その人の瞳はまるでこちらを検分する様に上下に動いたあと、辺りを見回し始めた。


「お嬢さん」


「は、はい!」



 話しかけられたことにもだが、その声に驚いた。高すぎない、澄んだ女性のような声だ。思わずちらりと視線を向ければ胸もある。やはり女性だったようだ。

 辺りを見回していた顔がまたこちらに戻る。自分とは違うぱっちりと大きな瞳はどこか危ない不思議な魅力がある。


「ここでは、その……そちらの着物が普通なのだろうか ……」


「えっと、はい」


むしろ貴方の着ているような奇妙な着物は見たことがありません、とは言う勇気はなかった。



「むしろ私の格好がおかしいという感じかな」


 言わずとも察してしまわれたことに少々居心地が悪いが、呟くように言った相手の言葉に初花は無言で頷く。 するとその瞬間女性はどこか泣きそうな表情で笑った。


「困ったなぁ……どうしたもんか」


 困っているというよりも初花には酷く悲しそうに見えた。自分よりもずっと大きな人なのにとても幼くて脆く見える。


「あの、家に……来ますか」


 思わず出た申し出に女性は驚いたようにこちらをじっと見ている。そんな視線を向けられたことが少し気恥しかった。 見るからに変わった人だ。自分でも関わらない方がいいのかもしれないと思う。けれども放って起きたくはないのだ。理由もないけれども、この不思議な女性を助ける事はきっと間違いじゃないはずだ。



「じゃあお言葉に甘えようかな」


 ほんのりと微笑むその表情に顔が赤くなる。二重の女性は色っぽいと、どこかで聞いたが実際に見ていると納得する。くるりと大きな瞳が優しく細まるさまは思わずドキッとくる。



 とりあえず洗濯物は後回しだ。まずはこの女性の手当と後は冷えているだろう身体を温めるためにも白湯を用意しよう。それに同居人である彼にも事情を説明しなければならない。

 洗濯物は置いていく事にし、うまく動けない女性を支えるように初花は動き出した。

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