4(桜の木)
※
二十五メートルプールの端から端まで潜水する。
最初の十メートルは余裕。
続く十メートルは腕とキックのタイミング。
残り五メートルが鬼門。
わたしはしょっちゅうそこで水面に出ていた。
もう少しで手が届くのに、その最後の五メートルが難しい。
三人でゲームをした。
ビリが帰りにアイスのおごり、ヨーイ、ドン!
一斉に壁を蹴って、ピンと身体を一直線にドルフィンキック。ぶくぶくと耳に泡の音。十メートル。十五メートル。二〇メートル。もう少し。あと少し。水を手で掻き、足で蹴り。永遠に思える残りの五メートルが四メートルになって三メートルになって。もう少し、あと少し。苦しくてどうしようもないけれども、二メートル、そして一メートル。最後のひと掻き──タッチ!
波を立てて水面に出ると、大きく息を吸い込んだ。水に混じった塩素の匂い。跳ねる水音を覆うようにセミの鳴き声がした。
やったじゃん。アッコがいった。
できたできた。ユッコがいった。
でもビリだよー。わたしがいった。
おごり。
ふたりは容赦なかった。
でもなー、二十五メートル潜水記録達成だから、ユッコとふたりでおごってやんよ?
ならチャラにしてよー。
それはダメ。
ふたりが笑った。
わたしも笑った。
残り五メートル。
もうひと掻き、もうひと蹴り。
※
松本先生が名前を呼んだので、返事をして立ち上がった。
一拍の後、次の子の名前が呼ばれ、返事をして彼女は立ち上がる。
壇上の校長先生からはわたしの席は空いたままに見えるだろうけど、その日わたしは卒業した。
わたしの名前は学校から消えた。
さてと。
もういいかな。
わたしはひとつ、伸びをする。
もう一回くらい満開の桜を見たかったけれども、充分ワガママ通したんだから、ここいら辺で幕を降ろしましょう。
ね?
もういいでしょ?
長かったような短かったような、どちらかだなんて無意味だと思う。
そりゃ心残りがないとかいわないよ。
だからっていいだしたらキリがない。
いつかどこかで折り合わないと。
誰だって満足なお終いを迎えられるわけじゃないし、思う通りになるわけでもない。
わたしはきちんと自分に戻って、最期にひとつ、息をつく。
※
ぽくぽくぽくって可愛らしい音がする。お坊さんがお経をあげながら木魚を叩いている。
父と母に弟、祖父母に、驚いた、アッコとユッコがいた。
ふたりはおそろいの真新しい制服姿。
それはいつかいっしょに着たいといった高校の制服。
ふたりとも合格したんだ、おめでとう。
それはわたしの四十九日。お堂に差し込む陽射しが眩しい。
なんだか気持ちよくて、わたしはひとり、ひんやりとするお堂を出る。
すぐに満開に咲き誇る桜の木に目を奪われた。
春の陽気と陽射しの下で、柔らかな風に乗って花が舞い、小さな池に花いかだ。
きれいで気持ちよくて、わたしは嬉しくなって花びらの中をくるくるまわっていた。
楽しかった。甘い香りがわたしを包んで、なんてしあわせなんだろうって思った。
わたしは桜の木の下でくるくる踊り続けた。
ずっとずっと踊り続けた。
だんだん自分が空気に溶けていった。
それでもわたしはやめなかった。
くるくるくるくるまわっていた。
どんどんわたしは消えていく。
憶えていてくれるひとがいた。
どんどんわたしは溶けていく。
忘れないでいてくれるひとがいた。
くるくるくるくるわたしはまわりまわった。
くるくるくるくる、くるくるくるくる。
やがてわたしはすっかり溶け消え、
影の薄い子だとよくいわれていた。
もうそんなことない。
─了─
サブマリン・ガール
作成日2013/07/08 19:56:21