魔物描き
そこは清々しかった。
上はどの高さまで続くかわからないとことんまで濃い青い空。
下はどの深さまで続くのかわからないとことんまで濃い青い湖。
その狭間には木々が並び、木々を視界に入れる湖面は陽光を波に返し見る眼を刺激する。
風が揺らすのは湖面だけではなく、その木々の葉、枝達もである。
揺れる葉の隙間からは別の葉や枝、空がちらつき、その葉も陽光を浴びて一葉一葉が異なる色合いをみせる。
色の濃い青から徐々に薄くなり、底が見える程岸に寄れば茶に緑。
草の生い茂る合間に土が覗く。
其処はちょっとした森の湖岸であった。
そして其処を眺めているのは一人の男であった。
髪は不揃いに如何にもハサミで縦に切りましたと見える断面の名残が見える。
おそらくは黒いのだろうその髪には白髪も混じり、所によっては色が抜けて茶も混じっている。
もみあげから顎にかけて、まだらに生える髭はさほど長くなく。左右で妙に生え方にバラツキがある。
瞳もまた黒く。その身なりや肌にも黒い汚れをつけていた。
その黒い汚れの原因となっていたのは彼が手に持つ炭であった。
彼はその炭を紙へと擦りつけていた。
いや、木炭で表面のデコボコの感じられるその紙に描いていた。
その景色ではなく、円でも球でもない丸みのあるモノを真剣に。
それは、スライムと呼ばれる生物であった。
ここはオブ・バースと呼ばれる世界にある。リーブルと呼ばれる町の外れ。
この世界には魔法と呼ばれる物が存在する。
いや、ありふれていると言ってもいいだろう。
そして同様に魔物と呼ばれる存在もいる。
真剣にスライムを描いていた男。その名をソルダ=アナティという。
彼は魔物描きと呼ばれる職業人であった。
魔物描き。
それはある意味この世界ならではの職でもあった。
絵描きの一種で魔物を専門に描く人を示している。と言いたい所ではあるのだが、少し意味合いが異なる。
その前にこの世界の成り立ちを少しだけ話をしよう。
『はるか昔、今よりかの世界に魔力という概念が薄かった頃。
その存在力は物質に強く宿っていた。当時世界は聖地を中心に球形をしていたと言われている。
ある日空に浮かぶ太陽がより強く輝きそのまま失われた。その輝きは強く世界もまた一度失われた。
多くの物質に宿っていた存在力は、世界と共に壊れた物質達を離れ、空より上(上空)と大地より下(地下)の間に多量に解き放たれた。
解き放たれた存在力は、元取っていた球形の惰性により世界を回り続け、徐々に世界を回していた軸の両端へと偏っていった。
その存在力は一方はオブバース、他方はリブバースと呼ばれる世界を産み出した。
そして世界の回る中心であった聖地の残滓は回転のもっとも外側に偏っていった存在力を糧に蘇った。
その存在を3つに分ける事によって。』
これがこの世界の成り立ちの逸話として知られている物になる。
そしてこの中で何度か出てくる“存在力”。これがこの世界の魔力の事である。
普通に会話の中で魔力とも称されるのであるが、魔術師同士の会話や一部の知識人の中でも魔力の代わりに存在力と話す人もいる。
何故なら魔力とはこの世界に存在しようとする力であるからだ。
例えば火の魔術を使うとしよう。呪文があったり、魔術陣があったり・・・は実は何でもいい。使う本人が明確に火のイメージをより細かく想像出来るならどのような手段でも構わない。
その想像した物に魔力・・・即ち存在する力を与えて、想像を創造するのが魔術の基本であった。
さて、ここで出てきた魔力(存在する力)であるが、世界を創っているのもこの力であれば魔物や人を築き上げているのもこの力であった。
魔物を描く事。
それは何を目的にするかで意味は異なった。魔物を理解する為に魔物を描く人もいる。こういう魔物がいると人に知らせる為に描く人もいる。
魔物を理解する事は、魔物を想像し創造する事にも繋がる。
魔物を知らせる事は、魔物達に宿る存在する力を固定する事に繋がる。
魔物がこういう存在だと理解し知られる事で、必要以上の恐れを抱く事を避けて存在力が増す事を防ぐ事にも繋がる。そんな効果もあると言われていた。
そして、魔物を描く人にとって存在する力の他に大事な要素がもう一つある。
共通魔法『神さん』である。
その魔法は神様とは異なる。神さんと呼ばれるその魔法はとても変わった魔法であった。
人や物に説明書きのようなものを付けて見せてくれる魔法であった。
例えば薬草と呼ばれている草に対して、この魔法を使うと・・・
・薬草
体力(生命力)を回復する源となる。(神さん)
といった風に表示が出てくる。この情報をこの世界の人達は“チラシ”と呼んでいる。
そしてこのチラシには裏がある。
最近狩りが辛すぎて毎食薬草だよ・・・。(ID:ft6635194452)
煎じて煮出して飲むと以外とイケるよっ!(ID:ar4946325189)
この様にチラシの裏に書き込みが出来るのがとても大きい。
魔物描きの話に戻ると、描いた魔物の絵にどんなチラシが付くか。これが1つ大きな差になる。
例えば一枚のスライムの絵に対して付いたチラシが・・・
・スライムの絵
ソルダ=アナティの描いた絵。タイトルは『湖岸のスライム』。(神さん)
となるのか、はたまた絵に描かれたスライムにチラシが付いて・・・
・スライム
半透明で様々な色を持つものがいる。(神さん)
と書かれるのかで大きな違いが出てくる。
後者は図鑑や本の挿絵、報告書など添付される資料としても活用される。実用価値の高い作品となる。
そして前者には可能性がある。それはチラシの変化する可能性であった。
・湖岸のスライム
ソルダ=アナティの描いた絵。湖岸の溢れる生命力を形にした脈動感のあるスライムが特徴の絵。(神さん)
絵の評価が高まって多くの人々に認められる事で、スライムの絵が固有化される事。
魔物描きに限らず、絵を描く者達にとってこの固有化こそが、目指す望みであった。
ソルダ=アナティもそんな望みを持つ男の一人であった。
そして絵に描かれたスライムの方につくチラシで日銭を稼いでいるのも、また事実であった。