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最終話 ボーイミーツワールド

 暗く、深い水の中にトオルは漂っていた。

 自分の体と周囲との境界線があやふやで、どこまでも自己が薄まっていくような感覚に襲われる。


(ここ……は……)


 頭に左手を当てたところまでは覚えている。

 となるとここは穴の中だろうか。


(僕は……生きているのか……?)


 最初に穴に入った少年は生きて帰ってきた。だから穴に入ることが死に直結するわけではない。しかしトオルは穴の持ち主(?)でもあったから、穴に入れば穴ごとこの世から消滅する可能性もトオルは考えていた。


 ふいに、散らばっていた自分がかき集められ、人の形として水からすくい上げられるような感覚を覚えた。

 周囲の音が聞こえ始め、顔の表面を風が撫でるのを感じた。トオルは恐る恐る目を開き、周囲を見る。


「こ……こは……」


 空は暗く、周りは木々に囲まれている。離れたところで燃えている焚き火の明かりで、かろうじて周囲が照らされていた。

 トオルが身を起こしたのは、人ひとりがギリギリ横になれるくらいのサイズの、地面に描かれた小さな円形の記号の中心だった。

 視界の端で何かが動くのが見え、顔を向ける。


「……っ!」


 自分を覗きこむ二つの影があった。その存在に気付いて、トオルは身をこわばらせる。

 二メートルはあろうかと思われる大きな影。その隣で、小さな影がぴょこぴょこと飛び跳ねている。



「成功ニャ! 今度こそきっとアタリだニャ!」


 小さな影がころころと鈴が鳴るような声で騒ぎ、大きな影が野太い声で応じている。


「どうだかな。前回みたく、いきなり戦闘ってのはもう勘弁だぞ」


 頭にすっぽりフードをかぶった小柄な人影のとなりに、トカゲの頭をした大男がこれまた大きな斧を担いでのっそりと立っていた。


「ひぇっ!」


 あまりに異様な風貌に、とっさに身構える。銃でも持っていたら、思わず撃ってしまうところだった。


「こないだの二人組は不幸な事故だったのニャ……。ダインがそんな顔をしてるから怖がられるのニャ。だから隠れてろって言ったニャ」


「お前ひとりでは、いろんな意味で危険だ」


「どういう意味ニャ」


 二人がトオルを無視して言い合いを始めたおかげで、逆に心に余裕が生まれた。トオルは上ずった声で叫んだ。


「ここはどこだ? お、お前ら一体なんなんだ!」


 二つの影は動きを止めると、同時にトオルを振り返った。


「おっとこれは失礼ニャ。あちしはミミル。獣人族の偉大なる召喚士ニャ。こっちの図体のでかいのはダイン」


 そう言って小さな影が、ローブのフードをぱさりとはねあげる。

 下から出てきたのはトオルより少し年上程度の、まだ幼い少女の顔だった。

 クラスに居たどの子よりも可愛い、とトオルは思った。ただし、頭の上には尋常ならざるものが鎮座している。


「ネ、ネコ耳……」


 トオルにとって自分のことを『あちし』とか言う人は初めてだったし、自ら偉大と名乗る人物も初めてだ。それ以上に語尾がおかしい。あと、なんだって? 召喚士? ゲーム脳というやつだろうか。とどめにネコ耳……。


「ところでお前、名はなんと言うニャ?」


「え……トオル……霧ヶ窪トオル、だけど」


 面食らったトオルは素直に答えた。


「トールと言うのかニャ。いい名前ニャ」


「そ、そりゃどうも。……いったい何がどうなってるんだ……」


 トオルは思わず空を見上げた。

 絵の具をぶちまけたような濃紺の空に、目も眩むような数の星が輝いている。トオルはいままでこんな星空を見たことがなかった。


「すごい田舎……?」


 いや。そうではないことは、トオルにも薄々分かっていた。

 夜空に浮かんだ満月には、土星に似て非なる、『青い輪』が薄くかかっていた。


「地球、じゃ……ない……?」


「チキュー? ああ、トールが居た世界のことかニャ。お察しのとおり、ここはチキューとやらじゃニャい。我々はこの世界を『女神の珠庭(ガーデンスフィア)』と呼んでいるニャ」


「ガーデン、スフィア? えと、ミミル……だっけ。きみが、僕を……?」


 そうニャと頷き、ネコ耳少女ミミルは耳をぴこぴこと動かした。


「トールも気になってると思うニャ。なぜ自分が呼ばれたのかを」


 トオルは無言で頷く。


「我々には、トールの持つ『虚ろな魂』が必要なのニャ……」


 真面目な顔で耳をぴんと立て、ミミルは事情を話し始めた。


 召喚士ミミルはその名のとおり、召喚術――離れた場所にあるものを呼び寄せる術を使う者である。地球においてはファンタジーの世界にしか存在しえない技術であるが、ガーデンスフィアのごく一部の者にはその魔法の技が秘密裏に伝わっていた。


 彼女は当初、召喚の対象として魂の器たる資格――すなわち『虚ろな魂』を持つ者を指定して召喚の儀を行った。しかしその召喚は失敗に終わった。なぜなら、ガーデンスフィアには『虚ろな魂』を持つ者が存在しなかったのだ。存在しない者は呼び出せない。そこでミミルは召喚の対象を、この世界の外に広げることにした。


 しかし異なる世界から、本人の意思に反して対象を呼び出すというのは道義に反する。そこで彼女は、召喚にふたつ目の条件を課すことにした。現世との繋がりが希薄な者、要するに世界からの消失を願う者である。


 そのふたつの条件を満たした者が、霧ヶ窪トオルという少年だった。


「召喚は不完全な形で発動したのニャ。なにしろ違う世界からの召喚なんて、前例がなかったしニャ」


 ミミルの言うように、本来なら召喚式が発動すると同時に、足元に開いた時空の穴からトオルは異世界ガーデンスフィアに呼び出されるはずであった。しかし、発動の瞬間にトオルが大きく動いたため、時空の穴が体表面に定着する結果となったのだった。


「あ、あのとき消しゴムを拾おうとしたから……?」


 地球とガーデンスフィアをつなぐ時空の穴はトオルの左手に定着し、予定外のものがガーデンスフィアに送り込まれることとなった。


「大量の白くて薄い紙の帯にもびっくりしたけど、『虚ろな魂』を持たない人間が送られてきたときは失敗したかと焦ったのニャー」


 あの不良少年のことだった。

 しかし時空の穴がガーデンスフィア側に継続して存在していたため、記憶を失う魔法を処したのち少年を地球に送り返すことができたのだった。


「こちら側からはトールが眠っている間しか送り返せないから苦労したニャ。それから、次にやってきた2人組は……」


 ミミルは目と耳をふせて、言いよどんだ。


「本当に、申し訳なかったニャ」


 トカゲ頭のダインも気まずそうに目を逸らした。彼の肩には、血の滲んだ包帯が巻かれている。

 何があったのか、おぼろげながらトオルにも想像がついた。が、いまはそれを追及する気にはならなかった。

 いままで起こった不思議な出来事の謎が解けたわけだが、意外なことにミミルに対する怒りだとか、地球に戻りたいという気持ちは起こらなかった。ミミルが言うように、自分は元の世界との繋がりが弱かったのだろうか。ただ、少しだけ母親のことが気にかかった。



「僕は、なんの力も持たない、ただの子供だよ」


 トオルはぽつりとこぼした。


「分かってるニャ。でも心配いらない。いまはそうでも、これからトールはどんどん強くなる。それが我々の求めた、魂の器たる者なのニャ」


「さっきから気になってたんだけどその、魂の器とか、『虚ろな魂』っていったい……」


「『虚ろな魂』というのは、他者の魂を自分に取り込むことのできる素質のことニャ。素質ある者の特徴としては、何をしても満足感を得にくいという特性があるニャ」


「満足感……?」


 身に覚えがあった。成績が良くても特に嬉しさを感じなかった自分を思い出す。


「『虚ろな魂』を持つ者は、殺した相手の魂を取り込み喰らい、自分の力にする。そうしてさらに強い相手を殺すことで、際限なく強くなれるニャ。生き物を殺して満足感を感じたことはないかニャ?」


「ないよ!! 殺しってって……なんなんだよ!」


 現代日本で暮らしていたトオルは、虫よりも大きな生き物は殺したことがない。

 他者を殺して魂を喰らうという言葉に、トオルは生理的な嫌悪感を抱いた。


「僕に何をさせようっていうんだよ……」


「魔王討伐」


 それまで黙っていたトカゲ男、ダインが重々しく口を開いた。


「ま、魔王って……!」


 冗談じゃない。魔王といえばゲームや小説なんかで定番のラスボスではないか。そんな存在にただの小学生が立ち向かえるわけがない。

 トオルは今にも叫びそうになった。しかし、深く、深く頭をさげたミミルの姿を見て息を飲んだ。


「謝る必要のないように、世界からの消失を望む魂を呼び出した。だから謝りはしないニャ。我々はお願いするのニャ。誠心誠意お願いするのニャ。お願いします……どうか、どうか我々の光に……力を、貸して……!」


 顔をあげたミミルの真剣な眼差しに耐えきれず、トオルは目をそらした。


「無理だよ僕にはそんな大それたこと……途中で逃げ出すに決まってる」


「それでもいい。そのときは、この世界でのトールの生活はあちしが一生責任を持つニャ。魔王が世界を統治しても、ひとりくらいなら面倒見ながら雲隠れできるニャ。でも……信じてる。トールはこれから、世界を救うニャ」


「誰か他の人に頼めばいいじゃないか……また別の人を召喚して」


「無理ニャ。もう一度やるための魔力を溜めるには時間がなさすぎるニャ」


「そう……」


 トオルは諦めたように息を吐いた。


「やるかやらないかは、いま決めなくてもいい」


 ダインが肩から大斧をおろしながら言った。そのまま両手で持ち、構えをとる。


「まずはこの場を生き延びることだ。……ゴブリンに囲まれた」


「チッ、とうとう結界が見破られたのかニャ」


 ミミルはサッとローブの下から杖を取り出し叫んだ。


「トール、あちしらのそばから絶対に離れないようにニャ!」


「わ、分かった」


 雰囲気に飲まれて頷くと、ダインから小ぶりの剣が放って渡された。

 ずしりと重い刀身がトオルの腕に沈み込む。


「なにも持たないよりマシだろう。だが下手に振り回すな、かえって怪我をする」


 ダインの顔はすでにトオルではなく森の中に向けられている。

 トオルは鞘から剣を抜き放った。

 それは鈍い光を放つ、無骨な金属の塊だった。



 そしてトオルは――始めての戦いでゴブリンの魂を喰らうことになる。


 他者の魂はトオルの血肉となり、さらなる強者の魂を得る糧となる。

 弱者の魂を集め、強者の魂を喰らう。

 業にまみれたトオルの長い旅の、ここが出発点――


 しかし、この物語はここでひとまず終る。長い旅の、始まりの物語は、ここで終る。


 トオルのその後は、また、別の物語。


 いまはひとまず、幕をおろそう。


 ―終―

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