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第六話 ボーイミーツデス

翌日の午後から実験は始まった。


「通信機よし、モニタ異常なし。ひひひ、お前さんたち飯はちゃんと食べたか? 何があるか分からんからなぁ、くく」


 今日の博士は機嫌がいいらしい。静子によると、ああいう笑い方をするときは相当に機嫌がいいとのことだ。昨日の検査の後からずっと今日の準備をしていたらしいから、きっと徹夜でテンションがおかしくなっているのだろう。


 広い部屋の中央に寄せられて得体の知れない装置がひしめき合っていた。

 やがてトオルは手術台のような所に寝かせられると、革製のバンドで手と足を固定された。

 あぁこれから改造手術でバッタ男にさせられそうな気分だとトオルは思った。


 首だけを動かしてあちこちを見ていると宇宙服のような物を着た男二人が、なにやら博士が注意しているのを神妙な面持ちで聞いているのが見えた。

 トオルをここに連れてきた沢田ともう一人の男だった。


「よぉボウズ、久しぶりだな。元気だったか」


 博士の話が終わったらしく、沢田が近づいてきた。


「元気に見える?」


 トオルは手足のバンドをギシギシ言わせながら仏頂面で答えた。


「……元気そうでなによりだ。これから俺とこいつ、広田がお前さんの穴とやらに入らせてもらうことになった。よろしくな」

「あなた達はこんな仕事もするんだね」

「俺たちゃ研究とか出来るほど出来が良くないんでね。研究のための雑用とか汚れ仕事、そういうのが俺たちの役目さ」


 そういった沢田の腰には銃らしき物が下げられている。


「これか? 何があるか分からんらしいんでな。ま、お手柔らかに頼むぜ」

「それは穴しだいだね。怖くないの?」

「……そりゃ怖いさ。俺もこいつもな」

 広田は無口な男らしく、ただトオルの方を見て頷いただけだった。


 やがて博士がマイクで実験の開始を告げ、いよいよトオルの穴に男二人が入ることになった。

 沢田が踏み台の上からトオルの右手に向けてゆっくりと足を踏み出す。宇宙服のようなごつい服を着てるために動きにくそうだった。

 やがて沢田の右足がトオルの手のひらに着地……することはなく、沢田の体はそのまま下に沈んでいった。


「うわ!なんだこれ、気持ち悪ぃ」


 小さく呟きながら沢田はトオルの穴の中に飲み込まれてゆく。

 体の形状が著しくねじ曲げられていくが痛みは全く感じてないようだ。

 やがて沢田の姿はすっかり見えなくなった。


 次いで広田も同じ踏み台からトオルの穴の上へ足を踏み出すと、「うお」という小さな呟きと共に、じきに見えなくなった。

 広い実験室が静まりかえり、何かの装置の機械音だけが部屋に響いていた。


「沢田、広田からの一切の信号が途絶えました」


 モニターの前に座った女性が上ずった声で報告をした。


「やはりか。あらゆる信号の発信器を持たせても無意味じゃったな。しかしこれは無意味だったということが分かる、意味のあることじゃった。ひゃっひゃっ」


 そういうと博士はトオルの体に異常がないかを検査し始めた。

 日常繰り返している検査の結果に、いつもと違う箇所がないかを調べているようだ。

 やがて普段と変わりがないと分かると、博士はモニターの前へ戻っていった。


「穴に入った物が再び出てくるのは決まって睡眠時というデータが取れておる。後は寝て待つくらいじゃの」


 そういうと博士はモニターの画面を見つめたまま動かなくなった。

 寝る気配は見せない。どうやら寝るというのはトオルのことのようだった。


 何もすることがないまま、縛り付けられた状態で白い天井をじっと見つめているうち、徐々に意識がぼやけてきた。

 家や学校での記憶がめぐる。過去と現在の記憶が混じる。

 初めて人を穴に入れてしまった日に見た悪夢が脳裏をよぎった。

 そしてトオルは、本格的に眠りへと落ちていった。


 ◇


 見ようとしても良い夢はそうそう見られるものではない。

 だが悪夢というのは、しばしば繰り返し見てしまうものらしい。


 トオルの眼前にはかつての悪夢が再び繰り広げられていた。

 歪んだ顔。裂けた唇から漏れる悲痛な声。

 潰れた眼球からまるで涙のように垂れ流れる体液。


 それらの顔は原型をとどめていないが、トオルはそれが沢田と広田のものである事を漠然と感じていた。


 あぁ、またあのときと同じだ……。


 そう、確かあのときは目覚めると穴の中のものが全て外に吐き出されていて。

 でも穴に入れてしまった少年は無傷で――


 白い壁に囲まれた研究室の中で目を覚ましたトオルがはじめに目にしたのは、あわただしく駆け回る研究員たちの姿だった。

 次に見たのは、ストレッチャーの上に横たえられて心肺蘇生を施されている沢田の姿だった。

 とぎれの無い電子音を流し続ける心電図、その平坦な波形。

 そこに波が現れるのは医務員が必死で心肺蘇生を試みるその瞬間だけだった。


 やがて医務員は心臓マッサージの手を止め、力なく首を横に振った。

 落胆したその表情が沢田の死を物語っていた。


 沢田の手には銃が握られていた。防護服には真っ黒に焼け焦げた穴が空いていて、中の肉体も大きく損傷しているのが見て取れた。それが致命傷だったのだろう。そこ以外には目立った外相は見られなかった。


 やがて沢田の体に白い布がかけられた。

 それでトオルは気が付いた。

 部屋の中にはもう一つ、白い布がかけられたストレッチャーが置かれていることに。


「広田、沢田両名の死亡を確認」


 オペレーターの無機質な声が白壁にこだました。


 ◇


 ひとり、部屋に戻されたトオルはベッドの上で膝を抱えていた。


「もう嫌だ……もうたくさんだ……」


 虚ろな目をしてこの世界の全てから逃れたいと願う。

 静子が部屋にやってきて何事か話しかけていた気がするが、トオルの耳にはなにも残らなかった。


 トオルは手のひらをじっと見つめた。

 なぜこんなものが自分の手に現れたのだろう。

 この現象に意味はあるのか?

 こんな業を背負って生き続ける意味は自分にあるのか?

 ……耐えきれない。


 直接手を下したわけでもなく、自ら進んで穴に入らせたわけでもなかったが、トオルは罪の意識に苛まれていた。

 いつしか、この施設での生活を楽しんでいた自分に気が付く。そんな気持ちが、今回の事態を招いたのではないか。トオルにはそう思えてしかたなかった。


 実のところ静子は、そんな責任を感じる必要はないとトオルに語りかけていたのであるが、当の本人にその言葉が届くことはなかった。

 トオルは、光さえ届かない自己嫌悪の水底に沈んでいった。


 消えてしまおう。

 そう思ってトオルは顔をあげた。

 もともとトオルは、この世界が好きになれず、世界から消えたいと思っていたのだ。今回の件は、その背中を押したきっかけにすぎない。

 決めてしまえば意外にも頭はクリアに働き出した。後頭部の芯から冷える感覚。

 トオルは机にむかうと筆を執った。


 母さんへ。

 いままで色々とありがとう。

 結局、研究施設に入ることを了承した母さんの本心はわからずじまいだったけど、僕のことを思ってやったことなんだって信じてる。

 僕はもう家に戻れそうにない。いや、戻らない方がいいんだと思う。

 きっといつか母さんや周りの人を傷付けてしまうと思うから。

 もともと好きではなかったこともあるし、この世界から僕は消えようと思う。

 もしかしたらこの手紙は届かないかもしれない。けど、もし届いたなら、どうか僕のことは忘れてください。

 ……さようなら。ありがとう。


 筆を置くと、トオルはきつく結ばれた左手の包帯をほどきはじめた。

 いつもなら鍵のついた手袋のような器具を被せられて、自分では外せないようになっている。だが、今日の実験の混乱の中でその措置は忘れられてしまっていた。


 トオルが包帯をほどきはじめたことに気付き、監視カメラでモニターしていた研究員が慌ててトオルの部屋にむかった。

 自分が監視されていることを知っていたトオルは、ベッドやイスを部屋の入り口に移動させて積みあげていた。

 部屋の外から研究員たちが数人がかりでドアを押す。少し開いたドアの隙間から静子が叫んだ。


「トオル君! なにしてるの! ここを開けて!」


 ようやくドアが開いたとき、トオルは部屋の隅で包帯をほどき終えていた。


「静子さん、いままでありがとう。……さようなら」


 そう言ってトオルは、頭の横に左手を持っていく。


「やめ――」


 静子の伸ばした手が届くより早く――トオルは頭から肩、腰、足と、吸い込まれるように穴の中に消えていった。

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