異世界なんて行くものではない
体が重い。全身が圧迫されている。ぼくの上にあるものを押し除けようと足掻く。重さはかなりの物らしく、なんとかジリジリと動かした。ガシャン。それが落ちたときの、金属同士がぶつかり合う音。なんだろう、そう思いながら体を起こそうとする。ぼくの体も重かった。なんとか立ち上がり周りを見渡す。辺り一面、夥しい数の死体と思しきものだらけだった。死屍累々、屍山血河。その言葉通りの惨状だったのだ。
不意に様々な記憶が溢れてくる。ぼくが日本人の大学生だったこと。そんなぼくに突如訪れた死。誰かがぼくに言った言葉、誰かの体に乗り移る、と。
それ以上に恐ろしい記憶が今のぼくに訪れる。この体の持ち主のだろう。名前はミュール・シュラウデ。良いところの八男か。五、六歳の頃か、兄のうち何人かが戦死をしたという報告が入る。それを聞いても家族全員が淡々としている。さも当然のように。ぼくは気味が悪い感じていたが、それは間違いだと後々気付くことになる。
八歳になると魔法を習うための学校に通うか、農業に従事するかを選ぶことになった。この世界は荒れた土地が多く、肥沃な土地を支配しようと他国と戦争になることがある。ミュールは悩むことなく、学校に通うことを選んだようだ。この世界で魔法は生活に根付いている。火や水など、ぼくが思う魔法と同じだ。けれど戦闘では違う。そもそも相手に見えるようにするなんてなんてナンセンスらしい。それにわざわざ変換するだけ無駄な労力だという。
まず知るべきは、魔法を使うときに魔素というものが必要だ。これはヒトの体にも空気中にも含まれている。というより空気の構成はほぼ魔素らしい。
「生活における魔法は火や水などに変換することが大事ですが、戦においては違います。そうですね、ミュールくん前へ」
学校での授業風景、生徒はかなりの数がいる。五十人以上はいるだろう。その中で呼ばれたミュールは教壇に進み出る。
「では左腕を前に出して」
先生の言う通りに左腕を前に出すと、先生がその腕を掴む。掴んでいる辺りがみるみる青白くなっていく。ミュールは体を震わせている。教室にざわめきが起こると、ミュールの腕の色が戻っていく。
「これは相手の体内の魔素を操作することで起こすことができます。これはわたしの触れていた部分の魔素を冷やすことで起きました。その後に温めて戻したのです。だから一番大事なのは、これをさせないこと。自分の体内の魔素を常に、長時間自分の意識の支配下に置くことです」
「先生、相手の体内で水を作ったり火を作ったりすることはできますか」
「それはできます。しかし魔素を変換する必要があります。つまり手間が増えるのです。温度を上げ下げは魔素はそのままで出来ます」
つまりそれが最適解ということか。そのあとに学んだこと。ぼくが思っていた火の玉を飛ばすなどは効率の悪さが際立ったものである、しかも相手に見える意味がわからないということ。さらに遠くから魔法を使うということは、魔素を飛ばす、つまり移動させるということ。集中力がそこに向いてしまい、自分の周りに気が回り難くなってしまうという。
これらを踏まえたうえで、生徒は近距離での攻防も厳しく習う。金属は魔素が通りにくい。鎧をどう剥ぐか、そのための様々な武器を学んでいった。
ただおかしいと思ったこともあった。この世界の処刑だ。ここでは法がかなり厳しく、死刑になることが多い。そしてその処刑を学校の生徒が行う、もちろん公衆で。これを魔法の実習と言っているのだ。それと三年生になったときに、同学年同士で擬似戦争をする。二十人同士で対戦をする。このときに気付いたが、金属が魔法を通しにくいように、魔素も金属を防ぐ。正確には高密度な魔素ならば、だが。これが体内の魔素を操るようにする理由でもあったのか。そしてこの戦い、負け『た』ことにはペナルティはないのだが、負け『る』ことにペナルティがある。本気なのだ。もはや擬似ではない。死者も出る。ミュールも一人殺して、一人の腕を落としていた。かなり優秀だったと思う。チームが勝利したとき、普通に喜んでいた。クラスメイトを殺しておいて。さらに治療を受けた相手の生き残りと肩を組んで楽しそうに、和気藹々としているのだ。それからも一緒に普通に一緒に学んでいった。
それから五年後。
「神が現れた」
その知らせのあと、国全体で戦争の準備を始める。この世界では時折神が現れるらしい。見た目は光の塊らしいが、荒れた土地を甦らせることができる。雨を降らせる、池を作るのだ。ヒトが魔法で同じことをしようとしたら、その辺りの魔素が枯渇する。そうなるとしばらくヒトが生きていけなくなり、結局水も枯れてしまう。しかし枯渇することなく雨を降らせ続ける光を、この世界では神と呼んでいる。そしてその神のいる場所に兵士を送り込むのだ。もちろん他国も同じだった。
これから肥沃になるだろう土地で戦争が始まる。ミュールはもちろん強かった。得物はレイピア。かなりの相手を葬った。それがぼくにはきつかった。相手の手を狙い、武器を落として相手を掴む。かなりの精度だと思う。周りを警戒しつつ相手の魔素を支配して、鎧の隙間にレイピアを差し込む。これを何度繰り返しただろう。ミュールだけを見れば優勢だった。しかし戦争は個人のものではない。この死生観では恐怖は伝播しない。囲まれてしまえば、もう終わりだ。ミュールの鎧はハンマーで砕かれ、肌を晒した。二人がかりで襲い掛かられた。
気持ち悪い。ぼくは耐えられなかった。周りを見渡せば、様々な死に方の屍。兄弟や級友の死を当然と受け止める死生観。普通の生活をしていたぼくが居ていいところじゃない。どうしてあのまま死なせてくれなかったのか。無理だ。生きていけない。
遠くに声が聞こえる。この戦争の生き残りか。そちらに目をやると、狼のような、犀のような、何かと戦っている兵士がいた。ぼくは逃げた。ひたすら走った。もう何も考えていない。どれくらい走ったかはわからない。鬱蒼とした森に入っていた。そんなとき、ぼくの周りで声が響いている気がした。
「君はここでリタイアですね。今回は失敗だったみたいです」
姿もない。実際に声が聞こえるわけではない。しかし幻聴でもない。これは、ぼくをここに送ってきた者の声か。
「なんだよ、リタイアって。失敗って」
「うんうん、気になりますね。大丈夫、ちゃーんと教えてあげますから」
なんなんだよ。なんにも面白くもないんだよ。
「そうですね、まずわたしはこの世界で神と呼ばれているものなんですよ。すごいですよね。わたしは神なんかじゃないんだけど」
あの、無限に雨を降らせていた光か。
「わたしはね、他の世界から魂を連れてきて英雄になってほしいと思っているんですよ。ちゃーんと強くなれるようにしているんだけど。ほら、君もここまでそんな鎧を着込んだまま走ってきたのに、息切れしていないでしょ」
言われれば。どれくらい走ったかもわからないけど、全く息切れはない。
「まあ一方的になるほどの強さはないのですが。英雄になってそれぞれの国に希望を与えて欲しかったんですけど。でも君は逃げちゃったからね。絶望を先に知っちゃったからねぇ。ここでリタイアなんですよ」
「どうして英雄が必要なんだ」
「わたしたちってグルメなんですよ。希望っていいものですよね。知っていますか、魂って感情を持っているんですよ」
「グルメって、まさか」
「いやぁ、まさかのまさかですよ。感情の乗ったヒトの魂って実に美味しいんですよね。ご存知ないですか」
知るわけがない。そもそもこの世界に来るまで、魂なんて信じられるはずもなかったのに。
「ここに連れてくる前にぼくの魂を食べなかった理由は」
「先ほど言ったでしょう。英雄という者になってほしいからですよ。英雄というものはいい。他のヒトより強いので優越感を得られます。弱者を救って満足感を得ます。きっとそれが快感なんでしょうね。おだてられて思考を放棄します。ただただ快感を貪るだけになっちゃうんですよ。とっても便利なんですよ。弱者は自分が弱者であることを伝え、弱者自身に正当性があることを伝えるんですよ。これで英雄の負けです。英雄は自身が判断したと思っているんでしょうけど、もう弱者を救ったという快感にまっしぐらなんですよ。まさに猪突猛進。弱者の基準が英雄自身なので、その分弱者も増えます。では国全体が弱者であった場合、どうなりますか。英雄に対する期待が強くなります。英雄は一度にたくさんのヒトを助けられるのです。そのときには未曾有の快感が得られるんじゃないでしょうか。じゃあこの痩せ細った大地で皆が望むものはなんでしょう。豊かな土地ですよ。食に困らないということがどれほどの安心か。そうすると他の国との奪い合いですよね。戦争ですよ」
楽しそうな声に、ぼくはさらに恐怖する。唾を飲み込む。もうぼくにはそれしか出来ない。それを知ってか知らずか、話は続く。
「戦争はわたしたちのパーティ会場なんです。なーんにもしなくても食事が運ばれてきます。そこに英雄がいれば、より実った魂が運ばれてくるというわけです。けれど英雄と言われても、わたしたちは決して無敵には作りません。限界はあるんですよ。一方的になって世界が一つになるなんてなっちゃうとパーティが開きにくくなってしまいます。まあヒトなんて容易く御することはできますが。ああ、そうそう知ってましたか。わたしたち雨を降らせるでしょう。あれってヒトを集めているんですよ。食事会の合図なんです。ヒトにもよく見えるようにしてますから。本当の神なら湖を直に作るでしょうね。どうしてそれに気付かないのか、不思議ですよね。いやぁ、希望っていうものは盲目にしちゃうんでしょうね」
動けないぼくは、相手の姿が見えなくて良かったと思った。もし相手がぼくに笑顔を向けてきたなら、より恐怖に駆られていただろう。
「戦争でわたしたちは魂を食べますが、屍肉は獣が食べるんですよ。屍肉を食べて大きくなって、今度はそれをヒトが狩って大きくなって。わたしたちって両者の繁栄に立派に貢献しているんですよ。褒めていただいてもいいんですよ。唯一いけないのが、この世界のヒトは絶望が薄い。実に薄い。死に対する恐怖がないのがいけないのでしょうか。どう思いますか」
もう考えられない。動けない。目の前にその獣が来た。顔の大きさだけでぼくと同じほど。足が八本、いや一番前の二本はほぼ手と変わらない。その手がぼくに迫ってくる。
「普通に戦えば勝てるのに、残念でした。絶望っていうのも大変だね。戦えなくなっちゃうなんて、勿体無い。まあこれはこれで美味しいものだね。またこの世界の近くを通る魂を連れてこないといけないじゃないか。次のパーティは楽しくしたいからね」




