野ばら ~ あなたがいる、この世界を好きになりたいから ~
読んでいただきありがとうございます。
あー。二日酔いかしら、頭がガンガンしてめまいがする。
私はごろりと仰向けになり、手を広げる。
「いたー」
両手を、何かに引っかかれたような痛みが走り、重い瞼を漸く押し上げる。
ん?
ぼんやりとした視界に見えるのは…野ばら?
私の好きな、さわやかなグリーンローズの香り。
ああ…そうか昨日怒りに任せて引越しした時、香水のビンを割ったっけ…あれ好きだったのに…………。
私は再び眼を閉じた。
…………。私は昨日29歳の誕生日を迎え、5年間同棲している彼からついにプロポーズされるかも!と期待して家に帰ると彼氏はいない!
真っ暗なアパートには =急な出張で3日間留守にする= との置手紙。
置手紙!
この令和の時代に!電話でも何でもできるでしょうが!
携帯に着信が無かったか、確認するも、電話は来ていない。
ふと目に留まったSNSには、他の女と温泉旅行を楽しむ彼の姿!
次の日、私は朝一番で引っ越し業者を頼み、アパートの契約を解除し、彼の荷物はアパートの廊下に出して実家に帰った。
父と母は優しい。30歳手前にして、夜遅く大量の荷物と、突然実家に戻ってきた私を、何も言わずに受け入れてくれた。
「あー。なんであんな奴に引っかかったんだ!私のばか!あんな奴、人間の屑、社会のダニ、ろくでなし!ダメ人間! もー。私の大事な20代の5年間を返せ!」
…………あー。叫んだらまた、頭がガンガンする。
「お前はそこで何をしている。社会のダニとはなんだ」
……あれ?ここは実家の居間ではない?
知らない声に、眼を開けると、私の周りは野ばらで埋め尽くされていて……。
宙に浮いた、長い黒髪で、中世ヨーロッパ騎士みたいな服装の、メガネ男子に見下ろされている。
私は痛む頭を、ブンブン振って気合を入れた。
「あなたその丸眼鏡、四角にした方がぜったい似合うわよ」
「おまえ、まずは俺の質問に答えろ!」
はっ!
私は体を起こし、改めて周りを見回す。
見渡す限り、黒い花が咲く野ばらに囲まれた、小高い丘の上…。
黒い野ばらって…………人が浮いてるって!
私は思い切って、野ばらの枝をぎゅっと握りしめる。
「痛い!」
棘が刺さった手の傷から、血がにじむ。
「夢じゃない………。」
「おい!人の眼鏡を侮辱しておいて、無視するな!だいたいお前の身支度の方が、奇抜で破廉恥だろう!」
大きな声に空を見上げると、シルバーの瞳と眼があった。
やっぱり浮いてる。
少し落ち着こう。
姿勢を正して、深呼吸する。
「あーあの。初めまして、私は茨 美咲と申します。ここは何処でしょうか?」
正座して、見上げる私の前に、ふわりとメガネ男子が降りて来た。
「ここはレーヴェ王国の、アイスナー公爵家だ」
そう言ってメガネ男子は、自分の上着を脱いで、短パンだけで、ごろりとむき出しの私の足に、上着を掛ける。
「ありがとうございます」
「どうやってここに入ってきた?」
「どうやって……。」
もう一度周りを見回すが、遠くに大きな建物が見えるだけで、他は黒い小さな花をつける、野ばらしか見えない。
「……えっと、昨日嫌なことがありまして、実家で大量のお酒を飲んで、眼が覚めたらここに居ました」
メガネ男子の眉間に皺が寄る。
そりゃ呆れるよね…。
「その、実家とはなんだ」
「えっと、私が産まれ育った家です。ところで、ここは海外なのでしょうか?」
「海外とはなんだ?」
「あー。そうですね、日本語で話ができていますが…。ここは、なに国でしたっけ?」
「レーヴェ王国だ」
あー。メガネ男子がイライラしてる、だけど私だって、なにがなんだかわからないんだからね!
メガネ男子の騎士服も、古めかしいし…丸メガネも変だし…。
まさかタイムスリップ!
「今は西暦、何年ですか?」
メガネ男子の皺が深くなる。
「ファロ歴 1792年だ」
………ああもしかして。信じがたいけど学生の頃夢中で読んだ!異世界転移?
「あのこちらの世界に、日本と言う国はありますか?」
「二ホン?レーヴェ王国の周囲は、4国に囲まれているが、そんな名前の国は無い」
私はあまりのことに、二日酔いの症状がすべて吹き飛んだ。
「あの。お名前を教えていただいてもいいですか?」
「……プウロアだ」
「プ プウロアさん」
プから始まるなんて、かわいい。
ついつい口角が上がる。
「おい!人を馬鹿にする様なことを、考えていないだろうな」
「馬鹿になんてしてません。(かわいいと思っただけ)さっきプウロアさんが浮いていたのは、魔法ですか?」
「ああ。俺はこの国で一番魔力が強い」
「私も信じられないし、プウロアさんも、受け入れられないかもしれないですけど…私はたぶん、この世界とは違う異次元と言うか、異世界と言うか、なにしろ他の世界から来たのだと思います」
「異次元?」
「はい。私の住んでいた世界には、レーヴェ王国と言う国は、ありませんでした」
「どうやってきたんだ?」
「わかりません」
はっきりと言い切る私に、プウロアさんは頭を抱えた。
「はー。それでは帰るところも無いし、この世界のこともわからないのか?」
「はい」
「…………野ばらに埋もれていても仕方ない、とりあえず公爵家に行こう」
「これはやっぱり野ばらなんですね、黒なんて初めて見ました」
「俺は……この花しか見たことが無い。まあいい、さあ行くぞ」
プウロアさんがそう言うと、私の体もふわりと宙に浮いて、遠くに見える屋敷へと運ばれた。
✿ ✿ ✿
アイスナー公爵は、見上げるほど大きいが、周囲は黒い野ばらに埋め尽くされて、屋敷には、人が住んでいる気配がしない。
「とにかく、その身なりでは、出て行ってもらう事も出来ない、母の来ていたドレスをやるから、それを着ろ」
薄暗い屋敷の中に足を踏み入れると、埃だらけ。
「あの……ご家族や、使用人の方は、居ないのですか?」
「ああ。俺一人だ」
「ええ~。ご飯とかどうしてるんですか?」
「貯蔵庫はいつも、食料で満たされるようになっている」
「料理できるんですか?」
「そのまま食べる」
「…………。」
「なんだよ、暖かいものが食べたいときは、焼くくらいできる」
この廊下や部屋の様子じゃ、キッチンもきっと埃だらけね。
「さあ。ここが母上の衣裳部屋だ」
部屋に入ると、両サイドにドレスが並んでいるが、どれも埃をかぶり、ドレスは立派で、一人で着れる気がしない。
「あの、私は豪華なドレスを、着たことが無くて、もう少し簡単に切ることが出来る服はありませんか?」
「ドレスも着れないのか?」
「日本では、こんなゴージャスなドレスで、歩いている人はいないんです。女性もパンツスタイルで、働く人が多いです」
「女性がトラウザーを穿くのか?」
「はい。普通です」
プウロアさんは、大きなため息をついて、手を上げた。
「ついて来い」
少し進むと、壁紙がシンプルになった建物に変わる。
「この部屋なら、侍女が着ていた、ワンピースがあるはずだ」
こじんまりした部屋の中には、複数のキャビネットや、荷物が置かれている。
「開けていいですか?」
「ああ。その恰好を早く何とかしてくれ、この国では、下着で歩いているのと同じだ」
野ばらの丘で、掛けてもらった、プウロアさんの上着を羽織っているが、その下はTシャツと短パンだ。
「すみません。直ぐに着替えます」
私は急に恥ずかしくなり、急いで物置に入ると扉を閉める。
「はあ。私、本当に異世界転移したんだ、そりゃ…ヤケ酒を飲みながら、いなくなりたい!と思ったけど……。」
一人でぶつぶつ言いながら、一番大きなキャビネットを開けると、紺色のワンピースと白いエプロン。
「少し古臭いけど、メイドさんみたい、キャビネットに入っていたから、埃もついてないし着れそうだわ~。かわいいかも」
私は急いで着替えて廊下に戻る。
壁を背に、何か考え事をしていたプウロアさんが、ドアの閉まる音でこちらを見た。
「まあ。その身なりなら外に出ても大丈夫だろう、門まで送る」
「ええ。追い出すんですか?なにもわからない、この私を?」
「言葉が通じれは何とかなるだろう、アイスナー公爵に居るより、外に出た方がいい……それに……。」
「それに?」
「とにかく出ていけ」
プウロアさんはそう言うと、私をふわりと浮かせて一緒に屋敷の外に出る。
「ま 待ってください。外に出されたら、知らないところで生きていけないです~」
「大丈夫だ」
またも野ばらの上を飛んで、あっという間に大きな門の前に降ろされた。
「これで少しの間は、飲み食いには困らない、使い切るまでに仕事でも、住むところでも見つけろ」
プウロアさんは、私の手に金貨を一枚握らせた。
「じゃあな」
そう言うと私を浮かせて、門の方に勢いよく飛ばす。
やー。門にぶつかるんじゃないの!
私はぎゅっと体に力を入れ、身を硬くする。
次の瞬間、私の体はボイ~ンと、柔らかくて弾力のある何かに当たり、プウロアさん目掛けて逆戻り。
「わーーーーー。」
プウロアさんにぶつかる!と思ったけれど、私はプウロアさんの、少し手前で、ふわりと着地した。
「はあ。お前も出られないのか…。」
「でられない?」
「ああ。俺は生まれてから一度も、アイスナー公爵家の敷地から、出たことが無い」
「一度も?なぜ?」
プウロアさんは眼を閉じなら、首の後ろをそっと触っている。
プウロアさんの指先に、暗紫色の宝石みたいなものが見える……こちらのアクセサリーみたいなものかしら?
「しかたない…………ついて来い」
プウロアさんの後を追うと、大きなホールみたいな場所に着いた。
豪華な装飾が施された壁や床には、沢山の赤黒いシミがある。
「ここは何をするところですか?」
「ダンスホールだ」
プウロアさんは、ホールの中をどんどん進み、片隅に置かれた本棚の前で足を止めた。
「これを読んでくれ」
……字は読めるのかしら?
「はい。椅子に座ってもいいですか?」
「かまわない」
近くに置かれた椅子に座り、本を開く。
凄い、日本語で書いてある。
=アイスナー公爵家、悲劇の始まり=
そんなタイトルで始まった物語は、壮絶な内容だった。
この国の第二王子ルーカス殿下は、アイスナー公爵家の娘ロザリーに恋をする、しかしロザリーには思い人が居て、既に婚姻を結ぶ寸前だった。
ロザリーの婚姻披露パーティーが行われる中で、悲劇が起こる。
魅了の魔力を有したルーカス殿下は、騎士団を洗脳し、披露パーティーから、ロザリーを連れ去ろうと乗り込む。
次々と公爵家の者、パーティーに参加する貴族を洗脳し、会場のホールに辿り付いたルーカス殿下は、婚姻と共に発表された事実に正気を失う。
ロザリーは既に、思い人の子供を妊娠しており、その子供はあと3ヵ月で生まれると発表されたのだ。
正気を失ったルーカス殿下は、会場に居たすべての人を切り殺した。
愛しいロザリーも。
しかし瀕死のロザリーは、子供を守るため魔法を発動させ、その残り僅かな命を注いだ。
ロザリーが絶命するとともに、亡骸を抱き、ルーカス殿下は叫ぶ。
「決して滅びぬ愛を誓い、あなたを呪う」
叫んだルーカス殿下は、ボロボロの剣で自分の心臓を貫き息絶えた。
ルーカス殿下の絶命と共に、香水の原料として、庭の一画で育てていた野ばらの花が真っ黒に染まり、ずんずん伸びて公爵家の周りを埋め尽す。
死んだロザリーの足元には、いつの間にか、血まみれの赤子が泣き声を上げている。
その赤子の額には、暗紫色の宝石が薄暗く輝いていた。
…………。
「あの……プウロアさん。もしかして、その惨劇はこのホールで?」
うう。この茶色のシミたちはもしかして…………人の血?
「もう何百年も前の話だ、本当にそんなことが、起きたのかどうかもわからないが、俺もここに暗紫色の石がある」
隣に座っていたプウロアさんが、少し首をかしげると、首の付け根あたりに5㎝ほどの暗紫色宝石が、半分皮膚に埋まる様に張り付いている。
「取れないんですか?」
「ああ。それに。アイスナー公爵家の邸宅敷地の外には出られない」
んんー。私の来た異世界……重いし、怖い。
「プウロアさんは、ずっと一人でここに?」
「ああ。18の時から…。」
そうだ、ご両親が居る、どうしてこんな酷い環境で命はつながっているんだろう。
私が首をかしげていると、プウロアさんが一冊の日記帳を差し出した。
プウロアさんが日記帳を取り出した、本棚には同じような手帳が9冊…………。
「プウロアさんの日記ですか?読んでもいいのですか?」
「これは、俺の祖父にあたる人の日記と言うか記録だ、読んでいい。
それと、プウロアは言いにくいだろ、俺もそう呼ばれるのは好きじゃない、ロアと呼んでくれ」
「はい。ロアさん」
私は記録帳を受け取り、ページをめくる。
記録は、ロアのおじい様が、産まれた日から始まっていた。
おじい様が産まれると同時に、お母様は亡くなり、その後はお父様と、王家から送られた、家令と侍女と過ごす。
そして15歳の誕生日に、お父様が亡くなる。
18歳の成人となる時に、突然婚約者となる令嬢が現れ、婚姻を結び子を成す。
子供が生まれると、やはり妻は亡くなり、子供が15歳の誕生日を迎えると、おじい様も命を閉じた。
私は淡々と記録された話に、胸が詰まって苦しくなって、どうしようもなく悲しみがこみあげ、ボロボロ泣いた。
「うぅ…。」
肩を震わせ、嗚咽する私の背中を、ロアが優しく摩ってくれる。
しばらくして、泣き止んだ私に、ロアさんがポツリと話し始めた。
「俺の父親も15歳で死んだ。しかし俺の18歳の誕生日に、妻となる令嬢は現れなかった……だから俺は、このわけのわからない呪いを、俺がおしまいにするんだと思った…………家令も侍女も、王家に帰して…………もう11年の月日を一人で、この呪われた侯爵家で暮らしている…………何度か命を絶てばいいと、いろいろな方法を試みたが、まったく死ねない…………だから自然に死ぬのを待つことにした。…………この血が途絶えれば、きっと呪いも解けるだろう」
何度も詰まりながら、でもしっかりとした声で、話終わったロアさんが私を見てほほ笑んだ。
話しながら、強く握っていたロアさんの拳は、握りすぎて指先が真っ白になっている。
私はそっと、その拳に触れた。
「もー。なにしろ!そのルーカスって奴は、私の元彼より屑ね!いや救いようのない悪人!どれだけの人を不幸にしたら気がすむのよ!」
私は、ロアさんの手を引き立ち上がると、一緒に拳を、天井に向けて突き上げる。
「私がここに来たことは、きっとなにか意味があるのよ、呪いの解き方なんて、よくわからないけど、暗い気持ちのまま過ごすなんて、ひとつも良いことが無いわ! 楽しく暮らさなきゃ」
私の勢いに、ロアさんは眼をパチクリさせる。
「しかし、俺はここから出られないし、もう何年も人と会わず、ただ淡々と日々を過ごしてきた。楽しいことなんて……」
「そうね、まずは掃除と健康な食事!やるわよー」
戸惑うロアさんの背中を押してホールを出て、廊下を進む。
「まずはキッチン!」
辿り着いたキッチンは、酷い有様だった。
何かを焼いたフライパンは埃をかぶり、お皿が何枚も床で割れている。
蛇口らしきところには、大量の蜘蛛の巣と、何者かのコロコロな糞。
「もーロアさん!なんですかこれは!」
「すまない」
…………。
「そうだ、例えば浄化魔法とかで、チャチャっと綺麗にできませんかね?」
「できない!できるなら既にやっている!」
「もう。国一番の、魔力持ちなんじゃないんですか?」
「そうだが、どうやって使うかわからないんだ、自分が浮くのと、何かを移動させることしかできん」
…………役に立たない魔法だな…。
「そしたら、二人で頑張るしかないですね!私、掃除も料理も得意なんで、まず使えない物を片付けましょう、魔法でも自力でもいいですから、ゴミ箱に要らないものを、詰めてください! さあ。よーいドン♪」
「なんだそのドンって」
「説明している、時間はありませんよ!手を動かす」
✿ ✿ ✿
日が沈み始めた頃、漸くキッチンの掃除が終了した。
「わー。綺麗になった!ご飯作りましょ~、ロアさん。何か食べたいものはありますか?」
「ミサキが、作る食事なら何でもいい」
突然の名前呼びに、心臓が跳ねる。
「やだ!ロアさん、私の名前覚えてたんですね、掃除の間、おい!とか、やい!とかしか呼ばないから、覚えていないと思ってました」
「俺のことは、さんをつけなくていい、貯蔵庫はこっちだ」
ロアは、私の手を取ると、キッチンから続く扉を開けた。
貯蔵庫は食材がいっぱいで、なんでも揃っている。
お米やみそ、しょうゆ、日本の食材や調味料まで、充実のラインナップだ。
「これは、誰が届けてくれるんです?」
「よくわからないが、食材だけはこれが欲しいと思うものが、いつも扉を開けると、補充されている」
あぁ、なんと便利な貯蔵庫♪
やっぱり、たくさん飲んだ次の日には、味噌汁が飲みたいんだよね~。
お腹空いた。
「ロア。あっさりと、がっつりとどっちがいい?」
「お腹が空いたから、がっつり」
「私もそう思ってた♪直ぐに作るね」
今日のメニューは、ご飯とお味噌汁、そしてから揚げにしようかな~。サラダと何か簡単にできるデザートも欲しいな。
私はくるくると貯蔵庫を見て回り、材料を集める。
「さあ。作るからロアは座ってて」
キッチンに戻り、料理を進める私の隣の後ろに、ロアがぴったり張り付いている。
…………。
「あの、ロア。作りづらいんだけど」
「いや、ミサキの見事な手さばきから、眼が離せないんだ」
「もう。じゃあ、これを洗って」
私は、レタスを差し出す。
「え。どうやって?」
「もう、こうして一枚ずつ葉を取って、水で流すの」
「はい。ミサキ、俺頑張る」
「はい。ロア、頑張って」
ぶきっちょなロアと、料理を進め、なんとか夕食が完成した。
デザートはヨーグルトのなんちゃってムース、イチゴ添え。
「いただきまーす」
手を合わせて、ご飯を食べようとする私を、ロアが、ぽかんとした顔で見つめる。
「これはね、日本でご飯を食べる時の、挨拶みたいなものよ。ロアもやってみる?」
「うん」
「じゃあ手を合わせて」
「「いただきまーす」」
ご飯を食べながら、日本のことをたくさん話した。
美味しいと、もりもりご飯を食べる、ロアがかわいくて、私は追加でから揚げを揚げる。
追加のから揚げもデザートも、ロアはぺろりと平らげた。
二人で食器を洗い終わる頃には、夜もすっかり深まり、眠ることにしたが…………。
「ねえ。ロア、寝室も掃除すればよかったね」
「俺が使ってる部屋は、まあ散らかっているけど、埃は無いから、、ミサキはそこで寝て」
「ロアはどうするの?」
「父上の部屋が、使えると思うから、そこを使うよ、場所も真向いだしね」
「いいの?」
「もちろん、部屋についてるバスルームも使えるから、ゆっくり休んで」
「ありがとう、今日は楽しかったね」
私がニッコリ笑うと、ロアは真っ赤になった。
「ロア、どうしたの疲れた?熱出た?」
おでこに手を伸ばすと、ロアは慌てて廊下の端に走って行く。
「ちょっと待ってて、母上の寝間着があると思うんだ」
最初に案内されたドレスルームに、ロアが入ると、なんだかドタバタと大きな音がする。
…………大丈夫かしら?
少しして戻ってきたロアが、レースの固まりを私に渡す。
「これ、使って。 じゃあおやすみ」
凄い大きな声で、おやすみを叫ぶと、ロアは向かいのドアに消えて行った。
「おやすみ」
私は、ロアの部屋の扉を開けて、中に入る。
床に、いろんなものが散乱してるけど、ベッドは綺麗に整えられていた。
浴室に入ると、蛇口からお湯が出る。
「わー。お風呂に入れる♪」
お湯を張りながら、ロアが貸してくれた、寝間着を広げると……これは!すけすけレースが何枚も重なった、ネグリジェ!
…………初めて着る。なんだか少し恥ずかしい。
異世界で初めての夜は、思ったより快適に過ぎて行った。
✿ ✿ ✿
次の日から、二人で無駄に広い、公爵家の大掃除が始まった。
「ロア~。この本は要るの?」
「ああ。それは要らないかな」
床に転がる本を拾い上げると、大きなネズミと眼があった。
「ギャー!ネズミ。ネズミ!大きすぎる~」
思わずロアに飛びついた。
「はは。ミサキも、可愛いところがあるんだね、ネズミ怖いの?」
「日本には、あんなに大きなネズミ居ないもの」
しがみ付いたまま、小さくなる私の背中を、ロアがそっと支え、反対の手でパチンと指を鳴らした。
「今、邸宅の敷地内に居るネズミは、すべて外に追い出したよ、外に追い出せばきっと狐が食べてくれる」
「狐がいるの?」
「うん。アイスナー公爵家は、野ばらで覆われているだろ、ウサギが沢山住んでるんだ、だからウサギを狙う狐がその外側に居る」
「なるほど、本当にウサギは野ばらに住み着くのね」
ネズミに驚いたドキドキが納まると、自分がガッシリと、ロアに抱き着いている状況に気がついた。
こうして抱きついてみると、ロアは細く見えるのに、筋肉がしっかりついている…………!
な なんてことを!私は恥ずかしさと、顔のほてりをごまかすために、ロアを、バシバシと叩いて掃除に戻る。
「さー今日は、書庫まで掃除するわよ~」
ロアが口を押えて、クスクス笑う。
「何よ、ロア!今日は暑いから、お昼にそうめん茹でてあげようと思ったけど、なしにするわよ!」
「なになにソーメンてなに?食べたい、ごめんごめん」
二人なのに、賑やかで楽しいお掃除生活が何日も続いた。
✿ ✿ ✿
ひと月ぐらいして、本邸の掃除はほとんど終わり、残すは仕様人棟と、あの呪いのホールだけ。
「ところでロア、外の野ばらの花は散らないの?」
「そうだな、俺の知る限り散ったところを見たことが無いな」
「ふーん。それも呪いの影響なのかしら」
「色も黒いしね、そうかもしれない」
「でも匂いは凄くいいわよね~。私、日本に居る時から、野ばらのさわやかで、透明感のある香りが好きだったの、香水ってどうやって作るのかな、こんな時、携帯があると便利なのに」
「携帯ってなに?」
「えっとね、遠く離れている人と、会話ができたり、写真が取れたり、音楽が聴けたり、知りたいことを調べたり、なんだかいろいろできる優れものなの」
「ふーん。香水の作り方なら、もともとアイスナー公爵家は特産にしていたから、書庫で調べたら、わかると思うよ」
「わー調べてみよう」
二人で書庫に向かい、調べると作り方は直ぐにわかった。
酒精という液体に、植物を浸しておくと、香水ができるらしい。
「あんなにたくさんの野ばらがあるんだもの、作ってみようか!」
「本当に?呪われてるかもしれないのに?」
うーん。そうね。私はしばし考える。
「でもどうせ呪われてるんだもの、いい匂いに癒される方がいいわ」
倉庫から鎌のような農機具を見つけて、さっそく庭に出て野ばらを刈ってみる。
「あれ~。全然切れない」
何度も鎌を振ってみるが、一向に野ばらが刈り取れない。
「これ鎌じゃないのかな」
「貸してみて」
ロアに鎌を渡し、刈ってみてもらうが、やっぱり刈れない。
「もう。花だけでも取れないかしら!」
私は、花の部分を握ってむしり取ろうとするが、潰れもしなければ、花びらすら取れない。
「なに?これ匂いはするけど造花なの?」
「ゾーカってなに?」
「作り物の花のことよ」
もう一度花に手を伸ばし、花ビラだけ取ろうとすると、花びらの下にある棘が、指に刺さる。
「痛い……棘が刺さっちゃった」
「もう。ミサキ!無茶しないの!」
ロアはそう言うと、血が滲んだ私の指を、パクリと口にくわえた。
「ちょちょちょ。ロア!私の手、汚れてるよ~」
動揺する私をよそに、ロアはしばらく私の指をくわえて、最後に傷をぺろりと舐めた。
!!!!
「唾液には、止血と殺菌作用があるって、前に本で読んだよ、だから大丈夫」
もー。
涼しい顔でにこりとロアがほほ笑む。
「ありがと……。」
「香水はあきらめて、お昼にしよう」
「うん。何食べたい?」
「おにぎりがいいな、梅の入ったやつ」
「ロア、梅好きだね~」
✿ ✿ ✿
数日で、使用人棟の掃除が終わり、残すはあのダンスホールだけになった。
「さあ、今日からついにあのシミと戦うわよ~」
「あんな古いシミ、落ちるのかな」
「あのチート貯蔵庫は、食材以外も届くのかしら?」
「食材以外?あんまり考えたことがなかったな。何が欲しいの?」
「アルカリ洗剤と漂白剤、それと歯ブラシは小さすぎるから、デッキブラシがいいかな、子供の頃おばあちゃんに、教わった方法だから、上手くいくかわからないけど」
「ん~。何かよくわからないけど、届いているか見に行こうか」
二人で貯蔵庫の扉を開けると、お目当てのものが手に入った。
「わあ凄い!この貯蔵庫、素敵」
早速、私達は床と壁に飛び散ったシミを洗剤とぬるま湯でゴシゴシこすって落とす。
「ミサキ、この壁のシミが酷いところは、少し薄くなっただけだよ」
「ここには、漂白剤を使ってみよう」
私はタオルに、薄めた漂白剤をしみこませ、壁に叩き込みながら塗っていく。
「これで少し時間を置いて、奇麗になるか見てみよう」
待つ間、朝作っておいたサンドイッチで、腹ごしらえ。
「このマヨネーズは、本当においしいね」
「そうでしょ~。私は果物を入れた甘いサンドイッチも好きだな~」
「甘いのもおいしそうだな、今度作ってよ」
「いいよ~。ロアは、なんでもよく食べるね、嫌いなもはないの?」
「特に嫌いなものはないかな、ミサキが来るまでは、パンとスープ、肉や魚を焼くこともあったけど、どんどんめんどくさくなって、パンと牛乳でお腹が膨れたらそれで良かった」
「そういえば、出会った時のロアは、顔が青白かったもの」
私は正面に座る、ロアの顔を両手で挟み引き寄せる。
「うん。今は顔色も大丈夫♪」
「ミサキのおかげだな、作ってくれる料理はどれも美味しいし、何よりミサキと一緒に食事をしたり、掃除をしたりするのは楽しい」
「私も楽しいよ♪」
デザートのプリンも食べてから、ホールのシミを確認に行った。
「凄い!ミサキ!奇麗になってるよ」
「そうね……壁紙の模様も、すっかり真っ白ね、ごめんねロア、壁を台無しにしてしまったわ」
しょんぼりする私の肩を、ロアがバシバシと叩く。
「気にしなくていいよ、思い切って、全部真っ白にしちゃう?」
「そうだよ、壁紙を張り替えて、フローリングマットを敷いたらいいんじゃない!」
私はロアの手を握る。
「ねえねえ。ロアは何色が好き?」
「そうだな青や緑かな」
「うんうん。床は明るい色がいい?」
「少し落ち着いたブラウンの方がいいかな」
「壁紙はシールをペタッと貼る感じのがいいな、マットは木が実際に張り付いてるやつ」
「シール?ペタ?」
「見たらわかるよ!貯蔵庫に行こう」
貯蔵庫には、私が想像した壁紙とフロアマットが山盛り。
「凄いな!これは重そうだし、いっぱいあるから、俺の魔法で運んで設置してもいいかな」
「よろしくお願いします」
「じゃあ。ホールの椅子に座って見てて」
私が椅子に座ると、ふわふわ浮いた壁紙とマットが、次々に運び込まれる。
「ミサキ、この壁紙は裏の紙をはがして貼るの?」
「そうだよ、紙をはがすとべたべたしてて、張り付くの」
「わかった、じゃあ行くよ~」
ロアがパチンと指を鳴らすと、マットは次々に床に敷かれ、壁紙は紙をはがして、どんどん貼り付けられていく。
「わあ。魔法、凄いね~」
アッと言う間に、ダンスホールは、見違えるほど明るくなった。
ロアがそっと壁紙を指でなぞる。
「ところどころ、シルバーとヘーゼル色の野ばらがあるんだね」
壁紙は、白いベースに青い野ばらの模様、数個だけ、二人の瞳の色の花にした。
「いいでしょ、アクセントよ!」
私は照れくさくて早口になる。
「掃除が一通り終わったし、次は何しようか!二人でゆっくり本を読んだり、料理をしたり、そうだせっかくダンスホールが新しくなったんだから、二人でダンスなんてしてみる?」
「…………。」
「えーっと、ダンスは踊ったことが無いから、教えてくれると嬉しいんだけど」
返事をしてくれないロアを見つめると、急に引き寄せられて、私はロアの腕に包まれた。
「ロア?」
「ミサキは、この世界が嫌じゃないの?」
「嫌なはずない、ロアがいるし、縁があって呼ばれたこの世界を、ロアと同じくらい好きになりたい」
私はロアの背中に手を回す。
「ミサキ…………ごめん」
ロアは抱きしめる腕に一度力を込めて、私から腕を解いて、背中を向ける。
「…………ロア」
ロアは返事をしないまま、ホールを足早に出て行った。
そもまま、自分の部屋にこもったロアは、夕飯に呼んでも出てこなかった。
一人で食べる夕食は、全く味がしない。
「私、なにか悪いことしちゃったかな……。」
おかずを少しと、ご飯は梅のおにぎりにして、ロアの部屋に運ぶ。
「ロア、梅のおにぎりにしたから食べてね」
ドア越しに声を掛けたけど、ガタリと音がしただけで返事はなかった。
「おやすみ」
私は冷たいシャワーを浴びて、ベッドにもぐりこんだ。
んー。苦しい、悲しい、痛い。
突然のロアの変化に、心がぎりぎりして、一睡もできないまま、私は朝を迎えた。
廊下に出ると、おにぎりのお皿がなくなっていた。
「食べてくれたかな……。」
なにげなく、廊下の窓から野ばらの丘を見ると、丘の上に空を仰ぐロアの姿が見えた。
私は思い切り、窓を開け放ち叫ぶ。
「ロアー」
ロアが私を見て、パチンと指を鳴らす。
ふわりと浮いた私の体は、ロアの前に下ろされた。
ロアも眠れなかったのか、眼下のクマが酷い。
「ミサキ、昨日はごめん」
謝罪と共に私はぎゅうぎゅうに抱きしめられる。
私も、ロアを力いっぱい抱きしめ返した。
「ミサキ、俺はミサキが大好きだ!でも気持ちをミサキに伝えて、もしも受け入れてもらえて…………俺の欲望をぶつけて、ミサキに子供が出来たら、ミサキが死んでしまったら…………考えただけで、胸が苦しくて、どうしていいか、わからなくなった」
私はロアの胸から顔を上げ、ロアの頬を思い切りつねる。
「私は簡単に死んだりしない!昨日は、ロアに嫌われたかと思って、辛くて眠れなかったんだから!」
ロアが私の頬を両手で挟む。
「そうだ、ミサキは呪いに負けたりしない、もし何か起きても、俺が全力で、どんな手を使っても、魔力をすべて注いでも、ミサキを守る」
ロアのシルバーの瞳が揺れる。
「ミサキ、俺と結婚してください」
「もちろん。ロアとずっと一緒に居たい」
二人の唇が甘く重なった。
その瞬間、ロアの首に張り付いていた、暗紫色の宝石が粉々にはじけ飛び、私達を中心に野ばらの花が、黒から白に次々と変わり広がっていく。
すべての花が白に変わり、風が吹くと白い花びらが舞い上がる。
「わあ~。ロア見て!一面の白い野ばら」
「ああ。いい香りだ」
「呪い!解けたんじゃない!」
「そうかもな」
そう言うとロアは、私をお姫様抱っこして空高く飛び上がる。
「ミサキ!呪いが解けてる。いつもはこんなに高く飛べない!やった~」
私を抱えたまま、ロアはくるくると空を飛び回る。
「ロア!大好きー」
呪いは、どうして解けたかわからないけれど、案外ちゃんとした生活と、気持ちの切り替えで、何とかなるものなのかもしれない。
~ 終わり ~
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