いろはに企画「紅葉と月の囁き」
「紅葉と月の囁き」
ある秋の夜、紅葉が鮮やかに色づく山道を、ひとりの少女・優花が歩いていた。月が満ちて、銀色の光を森に注ぎ込んでいる。
しかし、その夜、普段と違って何かがおかしい。紅葉が風に舞って、何かを隠すようにひらひらと落ちる。優花は不安な気持ちを胸に抱えながら、足元を気にして歩き続ける。
「…誰か、いる?」
ふと、耳に入るのは低い囁き声。その声が、紅葉の間をすり抜けて、優花の耳元に届く。
まるで風に乗って、月の光に照らされた紅葉たちが何かを伝えようとしているかのようだ。
優花は立ち止まり、周囲を見回す。月が照らす道の先には、大きな古い神社があった。
普段は閉まっているはずの扉が、今夜に限ってひときわ大きく開いている。
少女は不安な気持ちを抱えながらも、その神社に足を踏み入れる。
神社の中は、月の光と紅葉の影が交錯し、どこか異様に静かだ。古びた石の床を歩く音が響く。
優花が進む先で、突然、何かが揺れる音がした。
振り返ると、紅葉の葉がひときわ大きく揺れている。そして、その中から現れるのは…彼女の名前を呼ぶ人影だった。
「優花…」
その声は、確かに優花の母親のものだった。だが、見たこともない顔をしたその影は、どこか違和感を感じさせる。優花は心の中で叫びながらも、その影に引き寄せられるように歩み寄っていく。
月がまた一段と強く輝き、紅葉が風に舞い上がる。
その瞬間。母親の姿が変わり、目の前に現れたのは――
月光に照らされた真っ白のキツネ。
優花がキツネを追って進むと、突然足元に何かが触れた。最初はただの落ち葉かと思ったが、すぐにその「何か」が彼女をしっかりと包み込んでいることに気がつく。
それは、柔らかくて湿った、しかし冷たい感触だった。振り返ると、紅葉の中から伸びてきたのは、無数の細い蔦だった。
蔦はあちこちに絡まりながら、優花の足元を掴み、ゆっくりと、しかし確実に引き寄せていく。
その瞬間、月の光が一瞬で暗くなり、森の中は異様な静けさに包まれる。月明かりに照らされた紅葉は、まるで血に染まったように赤く、そして深い黒へと変わり始める。
キツネはその様子を遠くから静かに見つめているだけだった。優花は引き寄せられていく感覚に恐怖を感じ、必死に蔦を振りほどこうとするが、どんどん絡みついていく。
その時、耳元で低い声が聞こえる。いや、ふと優花が言ったのかもしれなかった。
「助けてくれるの、キツネさま…?」
優花が振り返ると、キツネの目が不思議な輝きを放っていた。その瞳の奥には、まるで言葉を超えた何かが感じられた。
だが、キツネはただ静かに立ち尽くすだけで、何も言わなかった。
優花の体が、だんだんと蔦に引き寄せられ、足元から地面に食い込んでいく。
そして、最終的に、紅葉の中に消えていった…
(完)
しいな ここみさんの“いろはに企画”の参加作品です。