時の停留場
静かに、時は過ぎている。
感覚としては理解はできているものの、目に見えないものを信じろというのは難しい。
過去、未来、そしてそれらをつなげる現在。
今を生きる者にとって、過去は生きた証、未来は生きる証にほかならない。
ただ、もしも今を知っていて過去に戻れたなら。
そう思うことも度々ある。
あの時、この選択を思案ければというIFを考えることはいつでもある。
しかし、それは今の技術ではできない。
それにできたとしても、タイムパラドックスについてを考えないといけないだろう。
親を殺したら自分がどうなるのか、といったものだ。
だから今をしっかりと生きるのが一番なのだろう。
今、という時の停留所にいつまでもい続けるしか、今のところは動きようがないのだ。