閑話:『先輩』からみた庄内毅 前編
庄内毅、後に私の夫になる人を見たのは高校生の頃だった。テレビで、だったと思う。
普段は家にいないほど忙しい父は、彼のことが大好きだった。
言われてみれば、父の好きな夏の甲子園を一緒にテレビで見た記憶はある。
といっても、私は野球にあまり興味がなくて、彼のことはまったく覚えていなかった。
父はいつも、こう言っていた。
「彼はきっとウチの球団に入ってくれるに違いない」
庄内くん、いや毅くんは阪急ブレーブスのファンとして、当時から知られていた。
西宮球場によく通っていたし、そもそもテレビのインタビューも、阪急の帽子をかぶったまま受けていたらしいから、当然だろう。
熱烈な阪急ファンである父は、わざわざ会社のツテでドラフト会議を観に行ったらしい。
そして、がっかりして帰ってきた。
「ウチの球団はそもそも指名しなかったよ……」
その夜のヤケ酒がひどくて、夫婦喧嘩になったことだけは覚えている。
あとで本人に聞いたら、阪急のスカウトとは、話がついていたんだとか。
だけど、交わらないように思えた私と彼の物語は、やがて繋がる。
私が通っていた大学に、彼が前触れもなく入学してきたからだ。
映画関係の仕事をしていた父の影響で、私は映画、特にイギリス作品が好きだった。
数年間だけど、父の赴任に家族でイギリスについていったこともあった。
大学には強いこだわりはなかったけど、家から近くて英語が勉強できるところに進学することにした。
駒場キャンパス。私が毅くんと初めて会ったのは、その駒場だった。
私は親友の麻衣ちゃんと、テニス部への新入生の勧誘を任されていた。
今日は入学式がある。
駒場キャンパスにはたくさんの新入生が集まるので、勧誘にはピッタリだ。
いくつかあるキャンパスの入り口のうち、駅に一番近い入口を任されていた。
「麻衣ちゃん! あと五人は集めないといけないね」
「そうだね! あっ……、高校の後輩を見つけたから、ちょっと話してくるね」
この大学は国立大学なので、有望な選手を推薦で集めるのは難しい。
ラケットを握ったこともないような初心者も入ってくるけど、みんなで育て上げている。
去年は念願の関東学生リーグ五部で優勝して、昇格を果たした。
テニス経験者じゃなくてもいいけど、体格が良さそうな子はいないかな。
何人かにチラシを渡す。あまり反応は良くなかった。
でも、そんなもんだと思う。
テニス部に入りたいと思う新入生は、直接、部室に来る。
無差別に声をかけても反応が薄いのは当然だよね。自分に言い聞かせる。
そんな中、身長が高くてガタイがいい男の子を見つけた。
ジャージにパーカーのラフすぎる格好。あれで入学式に出たんだろうか。
なぜか阪急ブレーブスの帽子をかぶってる。
ダボダボのパーカー。その上からでもわかるほどに肩幅が広くて、腕がすごく太い。
もしかしたらテニス経験者かもしれない。
「そこの君! ちょっといいかな!」
声をかけても、気づかれない。
「阪急ブレーブスの帽子をかぶってる君!」
そこまで言って、彼は振り返った。
私はその瞬間、びっくりした。
彼の顔が、とても整っていたからだ。
けれど、テレビの男性アイドルみたいな甘さはない。
目が違う。真っ直ぐで、力強くて、こちらを射抜くみたいに捉える。
パーカーの襟元から覗く太い首。どれほど鍛えたら、こんな体になるんだろう。
彼は私の顔をじっと眺めたまま、何も言わない。
「君、すごい筋肉だね! きっと、高校時代にスポーツとかやってたんだよね」
「……(コクコク)」
「もしかしたらテニスとかやってたり?」
「……(コクコク)」
彼はほとんど喋らない。無口なんだろうか。
第一印象はすごくカッコいいけど、変わった子だなぁ、という感じだった。
あと、服が、なんというか……その、カジュアルすぎる。
でもそんなこと以上に、有望な新入生を見つけた喜びがあった。
「硬式テニス部の新人募集してるんだけど、興味あるかな?」
「……(コクコク)」
彼の反応を見て、私は有頂天になった。
硬式テニス部の男子部員は最近人数が少なくなっていた。
テニス経験者で、ここまで体を鍛えているなら、インターハイの出場者かもしれない。
「本当!? 嬉しい! 君の名前は?」
「……庄内、庄内毅」
私は慌ててその名前を名簿に書き込んだ。
そして、テニス部のオリエンテーションの日時を説明して、入部届を渡した。
――今でも、なぜ彼がテニスの入部届を受け取ったのかはよくわからない。結局テニス部に入ってくれなかったし。
付き合い始めてから何回か理由を聞いたことはあったんだけど、彼はいつもの無表情で何も答えてくれなかった。
彼らしく、露骨に天気の話をしたりして誤魔化すから、きっと言いたくないんだろう。
でも、きっとあの日に会えたのは運命だと思う。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日、オリエンテーションの会場で準備をしていると、私のところに麻衣ちゃんが飛び込んできた。
「た、大変っ!」
麻衣ちゃんは、いつもの落ち着いた美少女ぶりが嘘のように動揺していた。
「あ、あの、庄内毅くんが東大に入学してきたんだよ! 駒場で何人も見てるんだから」
「へぇー、そうなんだ。あれ……そういえば」
私はカバンの中のバインダーを取り出した。そこに挟まった入部希望者の一覧。その先頭の方を見る。
「あれ、その庄内くん、テニス部に入ってくれるらしいよ」
私の言葉に、麻衣ちゃんは首を傾げた。頭の上にははてなマークが浮かんでいる。
「ん、テニス部に? 庄内くんは甲子園に出てた高校球児だよ?」
「あれ、じゃあ同姓同名なのかな」
麻衣ちゃんは興奮気味に説明してくれた。
麻衣ちゃんが彼の大ファンであること。すごくイケメンらしいこと。とにかく打撃がすごいこと。史上最強の高校球児らしいこと。彼女の故郷である尼崎が産んだスーパースターらしいこと。
興奮気味に喋り続けている麻衣ちゃん。こんな彼女は初めて見た。
そして、カバンの中から雑誌を取り出し、私の前に突き出してきた。
確かに麻衣ちゃんの言うようにイケメンだ……。というか、昨日の無口な彼では?
雑誌の中で、ユニフォームを着てカッコよくガッツポーズをしている青年。
「……今日来るの、この庄内毅くんだけど?」
私の言葉に、麻衣ちゃんは固まった。
しばらく、顔を赤くしたり白くしたりしながら黙ってしまった麻衣ちゃん。
それを眺めていると、ノックの音が聞こえた。
「はーい!」
返事をすると、ドアが開いた。
そして、昨日の青年が入ってきた。
「あっ! 庄内くん〜!」
彼は帽子を外し、無表情のまま視線だけを一瞬泳がせて挨拶してきた。
遠慮しているのか、ドアの近くから動かない彼。
私は彼に近づいた。
「聞いたよー! 庄内くんって、野球ですっごく有名なんだってね? びっくりしちゃった!」
「あの……テニス部の入部のことなんですけど……」
彼が話し出したところで、突然再起動した麻衣ちゃんが寄っていって、いきなり手を握った。
ワオ、積極的!
「庄内くん、ファンです! 会えて嬉しいです!」
その後は、大興奮した麻衣ちゃんを抑えるのに必死だった。
少しだけ庄内くんと話をしたが、今日はテニス部には入れないというお詫びに来たようだった。
まぁ、それだけすごい野球選手なら、テニス部に入らないのは当然だよね。
「ごめんなさい。代わりなんですけど、今度、明治大学との試合があるんで、お二人を招待してもええですか?」
何かのチケットを渡してくる彼。私は迷った。
ほぼ初対面の男の子からの誘いを受けるのはなぁ。断ろうと声を出しかけた。
「ごめんね、その日は……」
そこまで言ったところで気づいた。彼の後ろにいる麻衣ちゃんを。
庄内くんからは、彼女は見えないと思う。
だけど、私からはよく見えていた。
「……(コクコクコクコク)」
彼女は首が取れそうな勢いで、ものすごい勢いで私と目を合わせながら頷いている。少し怖い。
分かった、分かったよ麻衣ちゃん。
私は出しかけていた言葉を飲み込み、こう言った。
「ありがとう。じゃあ二人で行かせてもらうね」
――この時、断っていたらどうなっていたんだろう。
次の週の日曜日、神宮球場で。
私は、見てしまった。
脳を焼き切るほどの輝きを。
いつもご愛読いただき、ありがとうございます。
今日はリクエストがなぜか多かった『先輩』目線を書いてみました。女性目線って難しいですね。
最近、新作にかなり力を入れて書いています。
もしよろしければ、読んで応援していただけると嬉しいです。
『父さんな、ラーメン屋で食っていこうと思うんだ』
https://ncode.syosetu.com/n4698ls/
時代的にはこの作品の後の時代です。
昭和から平成にかけての激動の時代を、「ラーメン屋」というミクロな視点から描く物語です。
主人公が令和の知識で『最新のラーメン』を持ち込み、世界を少しずつ動かしていく過程を楽しんでもらえたらと思います。
自信作です。ぜひ読んでみてください!
この作品の登場人物も少しだけカメオ出演するかも!




