第65話 契約更改
念願のシーズンオフが来た。
去年は即座に日本に帰ったが、今年はオフにアメリカでやることがある。
年俸の交渉もあるし、俺の妻である先輩もテニスの大会があるらしいので、それが終わってからの帰国になるだろう。
先輩はこの前、馬鹿みたいにでかいトロフィーを持って帰ってきてビックリした。
何の大会かよく分からないけど、俺の新人王の盾の横に飾ってある。
メジャーの個人表彰の盾って小さいんだよな。並べてみると、なんか俺の業績が大したことないように見える。
少し時間ができたので、俺が日本でどんな評判なのか調べることにした。
まずは客観的な材料を見るところから始める。
仕事している先輩を強制的に連れてきて、夫婦揃って仲良く鑑賞する。
まずは、試合の実況を見るのが一番だ。
日本から試合の録画を数本、取り寄せた。
「本日の実況は私、大林。解説は中日・大洋で活躍されました、勝俣さんにお願いします。」
「勝俣です。大リーグの試合の解説は今回が初めてですが、よろしくお願いします。」
「本日はロサンゼルスからお届けしています。同じカリフォルニア州を本拠地とするライバル球団同士の熱い戦い。
勝俣さん、ロサンゼルスでも庄内選手の人気は高いようですね。」
「そうですね。私もこの試合の前に、リトルトーキョーの庄内選手の巨大な壁画を見てきました。観光名所になってるようで、早朝にも関わらず撮影の列ができていました。」
「ロスなのに面白いですね。一番のライバルチームの選手の壁画ですから」
「日本で言うなら、道頓堀に巨人の選手の壁画があるようなものでしょうか。」
リトルトーキョーにそんな壁画があるのか。
あそこはLAに住んでた頃、飯を食うために通いまくった場所だ。
「ロスには日系人最大規模のコミュニティがありますからね。それにここは庄内選手が大学時代を過ごした街です。
UCLAのスーパースターとして、日系人の間では当時から大人気だったと聞きます。」
へー。そうなのか。
確かにリトルトーキョーで財布を出した記憶がないような気がする。
いつも誰かが払ってくれていた。
東京でもそうだったから、そんなもんかと思ってたけど、確かに言われてみれば変な感じがする。
「勝俣さん。それにしても、庄内くんの人気は凄いものがありますね」
「日本全国の小中学生が庄内選手のフォームを真似して、指導者の頭痛の種になってるらしいですね」
「私事ですが、野球に興味なかった私の妻ですら庄内選手に猛烈にハマっています。この前は庄内選手の顔写真がプリントされた爪切りを30個も買ってきてビックリしました」
「爪切りを30個!? そんなに買ってきて何に使うんですか!?」
実況がしょうもない話をし始めたので、俺の打席まで早送りすることにする。別にいいだろ、爪切りなんて何個あっても。
この試合の第一打席はなんだったかな。三振だった気もする。
ホームラン打った第三打席まで映像を飛ばすか。
映像の中の俺が1球目をフルスイングして豪快に空振りする。その後に、タイムをかけて無駄に手袋をはめなおしたり、靴紐を結んだりしている。
この無意味な動作はわざとしている。中継ぎとして出てきた相手投手がかなりのせっかちだからだ。分析によると、投球間隔を乱される事を嫌う傾向がある。
「勝俣さん。庄内選手といえば、この独特の打撃フォームが特徴ですよね」
「甲子園で初めて見た時はビックリしましたね。私が指導者なら絶対に修正する。極端なアッパースイングです。」
「長打か三振か。見ていて面白い打法ですね」
「メジャーでも彼ほど振り切ったスタイルはいませんね。」
そう、フライボール革命で肝となるのは打球速度。打球速度を上げるためには、バットを速く振らなければいけない。
そうすると三振が増えるわけだ。俺の三振率はチームの中でも高い方だ。
「庄内選手はここまで打率.310、本塁打29本、打点110とチーム一の強打者として、熱い打点王争いを繰り広げています。」
「ナ・リーグの新人王は確実でしょうね。日本人が大リーグで活躍できるなんて、考えた事もありませんでした」
今年は結果的に打点王は取ることができなかった。新人王の盾は貰ったので、これを装備してGMと戦う予定だ。
「さあ、2球目――投げました。打ったぁぁっ!センター方向、これはどうだっ……!伸びていく!伸びていくっ……入ったーっ!ホームランッ!!」
「膝元の厳しいボールを、すくい上げました!これは……信じられませんね。崩されたような体勢だったんですが……!」
「センターやや右、中段に突き刺さるような打球です!今季第30号の記念すべき一発!庄内選手、凄いパワーです!打点もこれで113まで伸ばしました!」
パワーだけではないんだな。極端な話、どんな体勢であっても十分なスイングスピードと適切な打球角度があればホームランは入るのだ。
画面の中の俺はグラウンドを一周して、ベンチ前に出てきたチームメイトとハイタッチをしている。
その後にカメラに向かって決めポーズ。
「庄内選手、ベンチ前で恒例のポーズを取ってますね。」
ふふ、これは俺が今シーズン、ホームランを打つたびにしているポーズだ。やはり決めポーズがあるとイメージが定着しやすい。
俺が大好きだった忍者漫画の忍術の発動をイメージした。
九字印で「臨・兵・闘・者」の手の形を素早く組んで、最後は臨の印でカッコよく締める。
オフに3日かけて考えた大作だ。
印を結ぶのもなかなか難しくて、スムーズにできるようになるまでに何日もかかった。
「このポーズはファンの間ではカンチョーポーズと呼ばれています」
カンチョー(浣腸)ポーズ…?
俺は手にしていた雑誌を取り落とした。
俺が必死に考えて、何日も練習した忍者ポーズにそんな小学生が考えたみたいな名前をつけられている…?
視界の端が少し暗くなってきた。床が近づいてくる。
「毅くん!どうしたの!大丈夫?」
遠くから、俺を呼ぶ先輩の声が聞こえる。
最後に、飲みたかったな…コーラ。
俺の意識は闇に呑まれていった。
気がつくと、カーペットの上で寝ていたようだ。
寝てる俺には掛け布団が掛けられていた。
何か嫌なことがあった気がする。
なぜか無性にコーラが飲みたくなった。
先輩に頼んでキンキンに冷えたコーラを取ってきてもらった。昼寝の後のコーラは美味しい。
◇◇◇◇◇◇◇◇
今日は契約更新の日だ。
去年はすぐに帰国する都合で代理人に丸投げしていたが、今年は球団のGM室まで直談判に来た。
実は俺は年俸がかなり低い……たったの20万ドルだ。
これはメジャーの年俸調停権の制度によるものだ。アクティブロースター3年目までの選手に年俸調停権はない。その為、球団から提示された年俸を拒否する権利がないのだ。
だが俺は、今日に向けて布石を張っていた。
地元紙のインタビューで、年俸の低さと、生活水準が安定せず家族を呼び寄せられないことをひたすら語った。
(実のところ、アメリカに母を呼ぶ予定は全くない)
一連の報道を受けて、サンフランシスコ市民は俺に同情的だ。
財界に影響力を持つ日系人社会からは、オーナーに向けてそれなりの圧力をかけてもらっている。
貧しくて可哀想な庄内くん、ヨヨヨ……。
2年目という弱い立場を考慮しても、妥協できるラインは100万ドル。そう代理人は言っていた。
GM室に入ると、少し疲れた様子のGMが年俸を提示してくる。
提示額は、単年150万ドル。
へー。このオッサン、なかなかやるじゃん。俺の地ならしが効いたんだろうな。
けれど、もうひと押しでさらに上がる気がした。
退出を促されても、ソファにこびりついて動かない。
「僕の年俸が上がらないと、後輩たちに夢を与えられない」
「命がけで!…GM、あなたには分からんでしょうね」
「おかしい。こんなことは許されない」
家からわざわざ持ってきた新人王の盾をデスクの上にドンと置き、涙ながらに抗議を続ける。
10分ほど俺の抗議が続いた後、やがてGMが深いため息をつき、「あと20万で手を打ってくれ」と折れてきた。
最終的に170万ドルで決着。
不満そうな顔で頷く。静かに立ち上がり、盾を丁寧に抱えてGM室を出る。
内心ではガッツポーズだ。思った以上に勝ち取れた。
来年には年俸調停権を得られる。
そのときは、ゴネてゴネてゴネまくるつもりだ。
いくらCMや副収入があっても、選手としての評価は年俸で決まる。
今日、俺は尊厳を守り抜いたのだ。




